記憶
インシエンデ城跡は徹底的に破壊されていた。階段は爆発によって崩され、舗装された道は剥がれ落ち、門は跡形もなくなっていた。
だが、それでも城はその威容を不気味に保っていた。管理されていない深い森が城の背後を覆っている。
「ユリアン、ここからは別行動ね。何か見つけたら教えて。私は正門から見る」
「承知しました。では私はあちらの別館の方へ行きます」
カトリンはユリアンの背中を見送ると、ゆっくりと瓦礫の上を歩いていく。
城の入り口には、激しい戦いの痕跡が見て取れた。流石に血は雨に流されてしまったのだろうが、錆びた剣や盾がところどころに落ち、雨で自然に集められたのであろう鏃が端の方に点々と集まっている。石の敷き詰められた地面には大きなヒビが入って穴が開いていた。
「……」
カトリンは立ち止まり、動けなくなってしまった。ここで、サラが、リリットが、魔王が、戦ったのだ。胸に手を当て、何をどう祈れば良いか分からぬままに目を瞑った。
温かな風が撫でるように優しく吹いていく。
どれほど経ったか分からないが、鳥の鳴き声が響いてハッと顔を上げる。城の割れた窓際に、黒い鳥が巣を作っているようだ。親鳥が子に餌を持ってきたのだろう。必死に口を開ける子の口に、親の嘴が差し込まれていた。
「……ふぅ」
カトリンは首元のスカーフを触ったあと、正面入口に向けて歩き出した。
そこは瓦礫によって完全に埋まっていた。カトリンは無詠唱で水を生み出すと、瓦礫を押し流すようにして次々に退けていく。
やがて水に濡れた小さな通り道ができた。体を横にしてゆっくりと中に入っていく。
「カビ臭い……」
カトリンは鼻を覆いながら、わずかにしか光の入ってこない城の中を歩いていく。
城の中には、未だ雨に流されていない泥の足跡が大量に残されていた。魔王討伐後にここを占領した帝国兵のものだろう。
城内の壁や床には黒々とした血の染みがまだ残っていた。壁にかけられた絵には、悪魔族たちが人間を皿に乗せてパーティをしている絵が飾られている。破られてはいるが、まだ原型は保っていた。
カトリンはその絵に触れながら、ホコリを払った。飛散したホコリが光に当たってキラキラと輝き、カトリンは小さくくしゃみをする。
「……っくしゅん! ……はぁ」
その絵に描かれた悪魔族たちは、みな楽しそうに笑っていた。誰もがそれぞれ、他の悪魔族と目を合わせて会話をしているように見えた。
「リリットさんも、こういうふうにしてたのかな……」
ぼそりと呟く。誰へでもなく、薄暗い廊下にその呟きは消えていった。カトリンはしばらくその絵を見つめた後、ゆっくり絵から手を離して首を振る。
「……いけないいけない。調査に来たんだった」
カトリンは頬をぺちんと叩くと、更に暗い奥へと進んでいく。
・・・・・
部屋は数多くあった。だが、帝国兵たちによって全て燃やされているのか、壁や天井に焦げ跡はあっても、史料になるようなものは何も残っていなかった。
「焚書か……まあ、帝国にとったら当然だよね……」
カトリンは小さな部屋を覗きながら言った。その部屋は特に激しく燃やされていた。恐らくここは資料室のようなものだったのだろう。焦げた棚が炭のように真っ黒になり、燃やし尽くされた後に踏み荒らされているようだった。
「悪魔族は……人を食べる極悪非道の種族……なんだもんね……」
カトリンは首のスカーフを思わず触っていた。
なぜか手足の先が重く感じられた。カトリンは眉尻を下げながら、その部屋を後にする。
「こんなにやられてるなら、表面的に見える部分には何もないか。なら……隠された文書かな、希望があるとすれば」
カトリンは顎を指先で摘みながら、ぶつぶつと呟いた。
たどり着いたのは、大階段だった。だが、階段は崩れており、上に登ることはできなさそうだ。
「うーん、大体隠し文書って、偉い人の部屋にある……気がする。偉い人の部屋なら、きっと上だよね」
カトリンは見上げると、一度後ろに下がって構えた。そして足元に魔力強化で纏った水で滑るように走ると、その勢いのまま飛び上がる。
「よっ……と」
崩れた階段の瓦礫の上に着地すると、よろめきながら手を振り回してバランスをとる。慎重に歩き出すと瓦礫を一つ一つ登り始めた。
「よいしょ……! こんな、運動するとか思ってなかった……! サラさんに運動不足とか言えたもんじゃないなぁ……。鍛錬、もう一回やり直さないと……」
しばらくして全身しっとりと汗ばみ始めた頃、二階へと手が届いた。
二階も破壊の跡が見て取れた。部屋を覗くが、燃やされて焦げた跡が様々に残っていた。
カトリンは部屋を覗いては次の部屋へ、と繰り返していく。
やがて廊下の最奥、巨大な両開きの扉のある部屋にたどり着く。蝶番は壊れ、片方の扉は床に落ち、もう片方は無意味に部屋を閉じようとしていた。扉には王家の紋章らしきものが刻まれている。
「これって……魔王の部屋?」
カトリンは部屋の中に入っていく。壁に並べられた本棚は全て焼かれていたが、それでも部屋の絢爛さは辛うじて保っていた。
「仕事部屋なのかな? いやでもベッドあるし、私室……?」
カトリンは部屋の中央部に置かれた大きな机まで歩いていくと、その上を指でなぞった。大理石で出来た天板の端々は叩き壊されているが、依然として机としての機能は果たせそうだった。
魔王が座っていたであろう椅子を退けると、ドタンと大きな音を立てる。カトリンは思わず肩を跳ね上がらせながら振り返ると、椅子は足を折りながら倒れていた。
「もう……驚かさないでよ……」
ぼやきながら引き出しを開いていく。中には何もない。文明の痕跡と言えるようなものは、引き出しの中には見当たらなかった。一番下の引き出しは分厚いが、やはり何もなかった。
しかしカトリンはすぐに違和感に気付いた。
「棚の厚さに比べて、中が薄い……?」
もしやと思って底の端を押すと、不自然に沈み込むような感触があった。カトリンはわずかに口角を上げると、底を器用に取り払う。
「やっぱり、二重底……! 魔王の隠し文書だ……!」
そこには未だに書類が残されていた。皺だらけの紙束と、一冊の本に見えた。
「これは……『王家の歴史真版』と『東方戦線軍務記録六二五』……」
順番に手にとって、天板に乗せる。
「こんなの、歴史的発見だよ……! いや建前的には魔国の魔法収集に来てるから、褒めてはもらえないだろうけど……それでも……!」
頭のなかのもう一人の自分から突っ込まれたような気がして、それに返事しながら、まずは『東方戦線軍務記録六二五』を手に取った。
「東方戦線軍務記録六二五……報告者……え……?」
カトリンはいつの間にか、顔の目の前まで紙を近付けていた。大きく目を見開いて、何度もそこにあった名前を読み直す。だが、変わることはなかった。
「報告者……『ヴァスラディ将軍』……」
カトリンはかすれるほど静かな声で、その名前を読み上げた。




