辿る
ガラスのフラスコの中では、紫色の液体がグツグツ煮えている。カトリンは白い魔導服の袖で鼻を押さえながら、フラスコを熱心に見つめる同僚の横を通り過ぎていった。
「ねえ」
カトリンは麻製の紙束を大量に抱えた部下を呼びとめる。
「サラさんはどこ?」
「えっと……アスピヴァーラ様なら多分、筆頭執務室にいるはずです」
「そう。ありがと」
カトリンは部下の肩を軽くポンと叩いてから、サラの元へと歩き出した。部下は抱えた紙束を崩しそうになりながら恨めしげにカトリンを見つめている。
「もう……アーベライン様……!」
「あはは、ごめんごめん」
カトリンはくるりと振り返って後ろ歩きしながら、部下にひらひらと手を振った。
「アスピヴァーラ様とそっくり……」
部下がそうボヤいているのを聞き流し、カトリンは雑多に物が溢れた研究室を、まるで猫のようにするすると抜けていった。
・・・・・
筆頭執務室の中からは何も音が聞こえなかった。だがカトリンには何となく、サラが中にいることは確信できていた。
カトリンは三回扉をノックする。
「サラさ〜ん? カトリンで〜す。入りますよ〜」
だが、扉の中からは返事はなかった。カトリンはため息をつくと、そっと扉を開けて中を覗く。
そこには、ふかふかの椅子に腰掛け、顔の上に開いたままの本を乗せながら寝ているサラの姿があった。
「……ったく。また魔法で寝てるんですか……? サラさん! 起きて!」
カトリンはサラの顔の上に置いてある本を退ける。その本は、各地で謳われる吟遊詩人たちの歌をまとめた本だった。
「もう。研究もせずにこんな娯楽の本ばっかり……」
サラはうっすらと目を開けると、天井をぼんやりと見つめていた。
「……このあま〜い匂いはぁ……カトリンかなぁ?」
そう言って視線だけをずらし、カトリンを見る。
「正解です」
「やったねぇ」
サラはおもむろに背もたれに任せていた上半身を起こすと、大きく伸びをしてから体を捻った。骨がボキボキと鳴る。
「運動不足ですよ」
「だってぇ……勝手に研究室出たら怒られちゃうし……」
「日頃の行いが悪いんですよ」
「研究はちゃんとやってるも〜ん。誰よりも成果出してるぅ。でしょ?」
「……まあ、それはそうなんですけど。でもサボらなかったらもっとできるじゃないですか」
「サボる時間があるから、研究も頑張れるってわけなんだよぉ」
「サボり魔なんだから……。流石は一年分も研究をほっぽりだして放浪の旅をしているような筆頭サマですね」
「おやぁ、カトリンも言うようになったねぇ。こ〜んなに小さかったのになぁ」
サラは面白そうに立ち上がると、腰の辺りに手を持っていった。子どもを撫でるように手を動かす。
「それは小さすぎますよ」
「いやぁ? こんなもんだったよぉ、あはは」
楽しそうに笑ってから目頭を摘んで揉みほぐすと、あくびをした。カトリンはそれを呆れたように見下ろす。
「ふぅ〜……でぇ? なんか用があったから起こしたんでしょ?」
「あ、そうでした。準備ができたので、報告に」
「準備ぃ? あ、前から言ってたやつぅ?」
「そうです。クムルサレア地方のインシエンデ城跡への調査に、明日出発する予定です」
「りょうか〜い。頑張ってねぇ」
「……ずいぶん軽いんですね」
カトリンは拍子抜けしたといった顔だった。サラは特に気負うこともなさそうに答える。
「だって、重そうにしても意味ないでしょぉ? たとえそこが、かつての魔王城だとしてもさぁ」
「そうなんですけど……」
「ほら、頑張って行ってらっしゃ〜い」
「あ、はい……」
サラは立ち上がってカトリンの背中を押すと、扉の前まで連れて行く。扉を開けると、カトリンを部屋の外へ出そうとした。だが、カトリンはピタリと立ち止まる。
「もしかして、お昼寝の続きをしようとしてませんか?」
「……うっ……そ、そんなことないよぉ……?」
「お昼寝禁止です。研究室まで一緒に行きますよ」
カトリンは有無を言わさずサラの手を引っ張って、執務室を出た。サラはわざとらしく泣きそうな顔を作りながら、泣き真似をしていた。
・・・・・
「アーベライン様、もう着きますよ」
宮廷魔導師の紋章がついた馬車の中で、カトリンは頬杖をついて寝ていたが、部下のユリアンの声で目を覚ます。凝り固まった首を捻りながら、窓の外に目をやった。
「……だいぶ荒れてるね。こんなでも起きなかったんだ、私……」
馬車が通る街道もゴツゴツとしていて、馬車の中は激しく揺れていた。
「お疲れですか?」
「私的にはそんなことは無いんだけど、気付かないうちに疲れてたのかも」
「アーベライン様は無理しすぎです。いくら筆頭の弟子とはいえ……」
「そんなに無理してないよ。やりたいからやってるの」
カトリンは改めて頬杖をつくと、窓の外をぼんやりと眺める。かつて悪魔族たちが暮らしていたであろう家々が崩され、いまや朽ち果てた瓦礫の山になっている。
「ぼろぼろ……」
ユリアンは頷いてから喋りだす。
「帝国が占領してからは、旧王都跡地はまともに管理もされていませんからね。来るのは我々のような……」
「変人だけ?」
カトリンはユリアンの声を遮りながら、いたずらっぽく言った。ユリアンは顔色一つ変えることなく、冷静に返した。
「違います。『研究者だけ』です」
「ユリアン、つまんない」
「研究者はつまらなくてもいいのです」
「……ふーん」
カトリンは拗ねたように下唇を突きだした。ユリアンは呆れたように首を振っていたが、カトリンはそんなユリアンを見ることはなかった。
「アーベライン様、もう着きますよ!」
御者のランドルフが大声でそう言うのを聞いた。
同時にカトリンは、崩れ落ちた石造りの廃墟を見つけていた。
「あれが魔王城か……」
「ええ、インシエンデ城跡です」
その石だらけの廃墟は、まだ完全には瓦礫の山に変わっていなかった。止まった時間の中で、未だ永遠の滅びのなかから抜け出せていないように見えた。
ランドルフが馬車を止めると、カトリンは真っ先に扉を開ける。ステップを一段降り、草生した地面に立つと、カトリンはインシエンデ城を見上げた。
ユリアンが遅れてカトリンの隣に立つ。
「ここが勇者一行の戦った地ですか……」
ユリアンは感じいったように言った。カトリンはしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと頷いて張り付いた唇を舌で舐める。
「そうだね」
カトリンは首に巻いた黒いスカーフを握った。スカーフと言うよりも、何かの布をスカーフに加工したような見た目だった。
「……アーベライン様? 何かありましたか?」
「え? あ、大丈夫、何もないよ。ちょっとね」
「……ずっと思っていましたがそのスカーフは? 随分と、その、古いように見えるのですが」
「う〜んとね、まあ、大切なものだよ。昔ちょっとね」
カトリンのはにかみを見て、ユリアンは納得いかなさそうに頷く。
「そうですか……」
「……さ! 行こうか。宮廷魔導師古魔法部門、考古学隊! 初めてのインシエンデ城跡調査だぞ。何か未発見の魔法でも見つければ大手柄間違いなしだね」
誤魔化すように言った。ユリアンはその言葉を聞いてか、もはや先ほどまでのやり取りを忘れているように見えた。
「そうですね。早く行きましょうか」
カトリンは馬の世話をしているランドルフに振り返って大声をあげる。
「ランドルフ! 先に行ってるからね!」
「承知しました! すぐに追いつきます!」
カトリンはユリアンを伴い、城へ向けて歩き始めた。
鳥たちが長閑に鳴いている。全てが始まった地は、静かだった。




