エピソード④ コインロッカー23番
駅前のコインロッカーは、終電前のざわつきの中でも妙に無機質だった。人の気配はあるのに、誰も他人を見ていない。岸本遼は帽子を深くかぶり、改札脇のロッカー列の前に立っていた。篠崎と別れてから三十分。海沿いを遠回りし、二度電車を乗り継ぎ、ようやくここまで来た。まだ追われている感覚が背中に張りついて離れない。
篠崎が最後に叫んだ番号は、確かに23だった。
ロッカーの小さな扉に手をかける。鍵はかかっていない。遼は周囲を一度だけ見回し、扉を開けた。
中には茶封筒が一つだけ入っていた。
持ち上げると、見た目のわりに厚みがある。遼は駅構内のベンチへ移動し、人通りの死角になる柱の陰で封を切った。中身は三つ。
一つはUSBメモリ。
一つは古い手帳の切り取りページ。
そしてもう一つは、写真だった。
写真を見た瞬間、遼の呼吸が止まる。
写っていたのは旧A棟の検査室らしき場所だった。机の上には分解された基板、計測器、書類。そしてその奥に立つ二人の男。片方は若い頃の矢島。もう片方は——父だった。
間違いない。
遼の記憶にある、家を出る前の父よりは痩せている。だが横顔の輪郭も、眉の形も同じだった。写真の裏には日付が書かれている。
2023.11.18
三年前どころか、もっと最近だ。
遼は頭の中で計算し、混乱した。父は“もっと前に”失踪したはずなのに、この写真では普通に働いている。しかも矢島と並んで。
手帳の切れ端には、走り書きでこう記されていた。
NOCT最終鍵=R.K. 47
起動条件:血縁認証+音声一致
矢島は仕様の半分しか知らない
R.K.は岸本の頭文字だろうか。47は型番にも入っていた数字だ。血縁認証。音声一致。意味は分かるようで分からない。だが篠崎の「君にしか開けない」という言葉とつながる。
遼はUSBメモリを指先でつまんだ。今すぐ中身を見たい。だが駅でノートPCを開くわけにはいかない。会社にも戻れない。家も危険かもしれない。
そのとき、不意に向かいのガラスに人影が映った。
スーツ姿の男が二人、少し離れた場所からこちらを見ている。
遼は視線を落とし、何も気づいていないふりで封筒をバッグへ滑り込ませた。立ち上がる。歩き出す。改札へ向かう振りをして、途中で売店の影に入り、そのまま階段を下りる。足音が二つ、間を置いて追ってくる。
やはり来た。
地下通路に入ったところで、遼は人波を横切って反対ホームへ抜けた。追う側が一瞬見失う。その隙にトイレ脇の清掃用具入れの陰へ体を滑り込ませ、息を殺した。
男たちの声が近づく。
「上だと思ったぞ」
「鞄は黒、作業着風の上着だ」
「矢島さんに連絡を——」
矢島。
遼は唇を噛んだ。現場主任だった男は、もう完全に追う側の人間として動いている。
男たちの足音が遠ざかったのを確認してから、遼は反対出口へ抜けた。夜風が頬に当たる。駅前の喧騒が、今だけはありがたかった。人の多さは隠れ蓑になる。
だが、どこへ行く。
その問いに答えるように、スマートフォンが震えた。非通知ではない。表示されたのは、見覚えのない番号だった。
遼は数秒迷い、通話に出る。
「……もしもし」
『まだ生きてるのね』
篠崎の声だった。小さく雑音が混じっている。
「無事なんですか」
『無事ではないけど、話せる程度にはね。聞いて。USBは会社の端末で絶対に開かないで』
「どこで見ればいいんですか」
『君の父親が使ってた場所がある。表向きはもう潰れた整備工場。住所を送る』
「父は何者だったんですか。本当にNOCTを作ってたんですか」
篠崎は少しだけ黙った。そして、答えた。
『作っていた。でも最後に壊そうとした』
遼はその一言を反芻した。
作った人間が、壊そうとした。
『修司さんは途中で気づいたの。NOCTが“誰のためのものか”に』
「誰のため……?」
『監視のためよ。事故を防ぐためでも、設備を守るためでもない。人を選別して管理するための基板だった』
遼の背中に、冷たいものが走る。
ただの違法な制御基板ではない。もっと根の深い用途があった。
『住所を送る。そこに行けば、たぶん第二鍵がある』
「第二鍵?」
『USBだけじゃ足りない。基板本体と、もう一つ必要なの』
その瞬間、篠崎の向こうで車のドアが開く音がした。誰かが近い。
『切るわ。あと——』
声が低くなる。
『君のお母さんにも、たぶん知らされていないことがある』
「え?」
『修司さんは失踪したんじゃない。“返されなかった”のよ』
通話は切れた。
遼はしばらく、その場から動けなかった。
父は家を捨てたわけではなかったのか。
戻れなかったのか。
それとも、戻る前に消されたのか。
スマートフォンに新しいメッセージが届く。地図アプリのURLと住所。
朝倉整備工場跡。町外れの、河川敷近く。
遼は空を見上げた。雲が厚く、月は見えない。
手元には黒いケース。バッグの中にはUSB、写真、父の残した断片。そして、まだ姿の見えない“第二鍵”。
もう後戻りはできない。
父が何を知り、何を止めようとしたのか。
その先に、自分の家族に隠されてきた時間がある。
遼は人混みの中へ歩き出した。
次に向かう場所は、父が最後に“自分の痕跡”を残した場所かもしれない。
その背後で、駅前の大型ビジョンが一瞬だけ乱れた。
音もなくノイズが走り、黒い画面に白い文字が浮かぶ。
NOCT 起動待機中
通行人の誰も気づかなかった。
だが遼だけは、確かにそれを見た。




