↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
壊れた時鐘を直したら、忘れられた街に春が来た  作者: 銀細工ナギ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/20

第4話 鳴らない鐘と消えた設計図

 扉の向こうで、鍵がもう一度回った。


 ユアンは身じろぎもしなかった。片手を扉の横に添え、低い声で言う。


「ここは立入禁止だ。用件があるなら、明日の朝、役所へ届け出ろ」


「役所に届けたところで、鐘は鳴りません」


 男の声には、笑いが混じっていた。


「鳴らない鐘を抱えて暮らすより、新しい時鐘を買ったほうが住民のためでしょう。商会は、必要なものを安く提供するだけです」


「頼んだ覚えはない」


「頼まれるのを待っていては、街区は朽ちますよ」


 扉の錠が軋んだ。


 私は銅線を押さえたまま、背中に冷たい汗が流れるのを感じていた。ばねは油で動きを鈍らせている。それでも完全に止まったわけではない。指を離せば、金属片が軸受けへ飛び込む。


 ユアンが振り返った。


 その目が、塔の隅にある古い鐘の舌を示す。


 私は小さく首を振った。鳴らせば、細工が残ったまま歯車が動き、軸が壊れる。


 ユアンは一度だけ頷いた。


「リゼット、そこから動けるか」


「この線を固定できれば」


「何かないか」


「針金と木片を」


 ユアンは工具箱を引き寄せ、針金を取り出した。私は片手だけで受け取り、銅線の下へ木片を滑り込ませる。ばねの先端を押さえ、針金を二重に巻いた。


 扉が大きく揺れた。


「監督官殿、あなたもわかっているはずだ。古い仕組みは、いつか人を裏切る」


「古い仕組みが人を裏切るのではない」


 ユアンの声が、塔の石壁を震わせた。


「人が仕組みを裏切るのだ」


 錠が外れた。


 扉が開きかけた瞬間、ユアンは肩で押し返した。隙間から伸びた手を掴み、扉の外へ押し戻す。だが、相手は一人ではなかった。階段の下から別の足音が駆け上がってくる。


 私は針金を締め終え、立ち上がった。


「固定できました。三分ほどなら、機械を動かしても耐えます」


「三分で何をする」


「鐘を鳴らすんです」


「細工が残っている」


「だから、普段の動力ではなく、手で動かします」


 私は塔の壁際にある点検用の短い鎖を引いた。重りを使わず、歯車を一枚ずつ送るための非常用機構だ。古い時鐘には、停電や凍結に備えた手動装置がある。


 鎖を引くと、最初の歯車がゆっくり回った。


 銅線が震える。


 軸受けが軋む。


 私は歯車の歯を目で追いながら、一定の速さで鎖を引いた。急げば壊れる。遅すぎれば、ばねが細工を締めつける。


 扉の向こうでユアンが唸った。


「あと二人いる!」


「こちらはあと六枚です!」


「数え方が楽観的だな!」


「職人は、壊れる前の音を聞いています!」


 五枚目。


 銀色の粉が歯の間からこぼれた。


 六枚目。


 塔全体が低く震えた。


 最後の歯車が動き、鐘の舌が持ち上がる。


 私は鎖から手を離した。


 次の瞬間、街区に鐘の音が響いた。


 けれど、それはいつもの澄んだ音ではなかった。低く、短く、途中で途切れた音だった。


 それでも、霧の向こうで窓がいくつも開いた。


 遠くから、誰かの声が上がる。


「鐘だ!」


「まだ鳴るんだ!」


 住民たちが路地へ出てくる気配がした。


 扉の外の男たちが怯んだ。その隙に、ユアンは扉を押し開け、先頭の男を階段へ突き飛ばした。男は転がり落ち、二人目が慌てて逃げる。


 私は機械の覆いを閉じ、工具箱を抱えた。


「追いますか」


「いや」


 ユアンは階段の下を見つめた。


「彼らが何を探していたのか、先に確かめる」


 塔の裏口には、濡れた革靴の跡が残っていた。足跡は階段を下り、管理室の前で途切れている。


 管理室の扉は、鍵がかかっていなかった。


 中には古い帳簿と、街区の建物を描いた大きな設計図が置かれていた。だが、中央にあるはずの時鐘塔の図面だけが切り取られている。


 ユアンが机の引き出しを開けた。


「ない」


「何がですか」


「原図だ。塔を建てた職人が残した設計図。時鐘の内部構造と、修理の記録がすべて書かれている」


「誰かが持ち出した?」


「この部屋の鍵を持つ者は、私と管理人だけだ」


 私は切り取られた紙の端を調べた。刃物で切った跡のそばに、黒い粉が付着している。三本の針を描いた紋章。その一部だった。


 床には、紙片が一枚落ちていた。


 拾い上げると、裏側に鉛筆で短い文字が残っていた。


『鐘を直すなら、海門倉庫へ来い。設計図はそこで待つ』


 ユアンが紙を覗き込む。


「罠かもしれない」


「罠でなければ、設計図は戻りません」


「今夜行くつもりか」


「夜明けまで待てば、相手は移動します」


 彼は黙った。


 そのとき、塔の外から子どもの声がした。


「監督官さん! 鐘、もう一度鳴らせる?」


 扉の隙間から、小さな顔がいくつも覗いている。霧の中で、住民たちが集まり始めていた。誰もが不安そうで、それでも鐘が鳴ったことを喜んでいる。


 ユアンは紙片を折り、私に渡した。


「海門倉庫へ行く」


「決まりですね」


「ただし、条件がある」


「何ですか」


「私の指示に従え」


「内容によります」


「君は、実に扱いにくい」


「歯車よりは扱いやすいでしょう」


 ユアンは初めて、わずかに笑った。


 鳴り終えた鐘は、再び沈黙していた。


 けれどその沈黙は、壊れたものの沈黙ではなかった。次に鳴る時を、誰かと共に待つための沈黙だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。