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彼岸回帰録~巻き戻った世界が人外魔境だった件~  作者: 瑠衣
2章

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57話 夏休み初めの鍛錬

 夏休みに入ってから、初めての週末。


 開け放たれた窓から、蝉の声が聞こえてくる。

 まだ朝だというのに、庭にはすでに強い日差しが差し込んでいた。


 今日は、彰さんとの鍛錬の日だ。


 タオルと飲み物を鞄へ入れ、忘れ物がないか確かめてから玄関へ向かった。


「ばあちゃん、鍛錬に行ってくる」

「ええ。気をつけて。暑いでしょうから、水分もちゃんと取るのですよ」

「うん」


 ばあちゃんは小さく笑い、俺を見送った。


 玄関を出ると、早速むっとした熱気に包まれる。


 毎週通っているのだから、普段の休日とやることは変わらない。

 それでも、明後日になっても学校へ行かなくていいと思うと、少し気が楽だった。


 指先に霊力を集め、空中へゆっくりと二文字をなぞる。


 異界。


 書き終えた文字が淡く光り、目の前の空間が揺らいだ。

 その向こうに、見慣れた景色が広がっていく。


 いつもの異界。

 元々は黄泉の技術者が作り、それを彰さんへ譲ったものらしい。

 こんな空間まで創れるなんて、神さまたちは何でもありだなと常々思う。


 そして、これまでは毎回連れてきてもらっていたが、今は俺一人でも入れるようになっている。


『毎週迎えに行くのも面倒だからね』


 そう言って、彰さんは俺の霊珠へ、この異界に入るための鍵を付与してくれたのだ。


 身も蓋もない理由だが、おかげでこちらも待ち合わせの時間を気にせず来られる。


 開いた境界を越える。


 蝉の声が途切れ、肌にまとわりついていた暑さも和らいだ。


 前方には、すでに彰さんと琴葉さんの姿があった。


「おはようございます」

「おはよう、颯斗君」

「おはよー。外、暑かったでしょ」

「ええ。ここは本当、過ごしやすいとこですね」


 彰さんが穏やかに答える。


「そう造られているからね。それで、夏休みに入ってからはどうだい?」

「普段と変わらないですよ。最近は怨屍に襲われることも減りましたし」


 以前は霊力をうまく抑えられず、そのせいで怨屍を引き寄せることも多かった。

 けれど、霊力操作を覚えてからは、意識せずともある程度抑えられるようになっている。

 今では向こうから寄ってくることは殆どなく、たまに遭遇した時に倒す程度だ。

 

「ふうん。なら、今日か明日にでも呪域に行こうかな」

「……またですか」

「うん」


 彰さんは当然のように言い切った。


 前に行った時のことを思い出し、自然と肩が落ちる。


「そんなに嫌そうな顔しなくてもいいじゃないか」

「前回を思い出してるんですよ……」


 横から、琴葉さんが俺の肩へ手を置いた。


「颯斗君。諦めた方がいいよ」

「琴葉さんまで」

「だって彰、一度やるって決めたら聞かないもん」

「人聞きが悪いじゃないですか」

「事実でしょ?」


 琴葉さんにそう返されても、彰さんはまるで悪びれた様子がなかった。


「そういえば、肇たちはどうしてるんですか?」


 肩を回しながら、ふと気になって尋ねる。


「修霊院(しゅうれいいん)に通っているよ。まだ慣れないこともあるみたいだけど、順調なんじゃないかな」

「確か、死神になるための学校でしたよね」

「そうそう。彼らも戦うこと自体には慣れているから、教える側も大変そうだよ」


 怨屍だった頃の姿を思い浮かべる。


 あの人たちが、死神になるために教わっている。

 頭では分かっていても、すぐには想像できなかった。


 彰さんが、思い出したように続ける。


「あ。そういえば、彼が君に会いたがっていたよ」


 準備運動をしていた手が止まる。


「肇が、ですか?」

「うん。どうしているか、気になっているみたいだね」


 すぐには返事が出なかった。


 自分を殺しかけた相手だ。

 もう怨屍ではないからといって、あの時に感じた恐怖までなくなるわけではない。


 ただ、最後に話した時のことも覚えている。


 自分のしたことを認め、許しを求めず、俺へ頭を下げた姿。

 そして、その核を俺の手で壊した時の感触も。


 今、どのように過ごしているのか。

 気にならないと言えば、嘘になる。


「……まあ、いつかは」


 間を置いてから、そう答えた。


 彰さんは急かすこともなく頷く。


「うん。君が会ってもいいと思った時でいいよ」


 それ以上、その話を続けることはなかった。


 彰さんが俺から離れ、いつもの位置へ立つ。


「それじゃあ、始めようか」

「はい」


 刀を顕現させると、彰さんへ向けて構えた。


 ——


 地面を蹴り、一気に間合いを詰めた。


 振り下ろした刀を、彰さんが軽く受け流す。

 そのまま返ってきた刃を、半歩下がって躱した。


 ここで離れれば、また彰さんの間合いになる。


 足を止めず、横へ回る。


 彰さんの右肩が微かに動いた。

 

 横薙ぎが来ると判断し、刀を立てる。


 直後、刃同士がぶつかった。


「お」


 彰さんの声が漏れた。


 押し合うつもりはない。


 刀を滑らせて力を逃がし、その勢いのまま横薙ぎへ繋げる。


 彰さんが身を引いて刃を避けた。


 届かない。


 だが、以前よりも近い。


 追って踏み込むと、今度は彰さんの方から刀が伸びてきた。


 身体を捻りながら刀を合わせ、迫る刃を外へ逸らす。

 躱してから構え直すのでは遅い。


 踏み出した足が地面を捉えるのと同時に、刀を振り上げた。


 彰さんがそれを受け止める。


「いいね。前より動きが繋がるようになった」

「まだ、当たってないですけどね」

「当ててくれていいんだよ?」

「そのつもりです!」


 一度刀を引き、低く構える。


 何度か打ち合ううちに、彰さんがこちらの踏み込みに合わせ、半歩ずつ位置を変えていることに気づいた。


 俺が詰めた分だけ、距離を取られている。


 なら、下がった足が止まる前に、もう一歩詰めればいい。


 正面へ斬り込む。

 彰さんが刀を合わせようとしたところで、刃筋を変えた。


 受けずに躱すと判断したのか、彰さんの足が動く。


 そこへ、もう一歩。


 いつもなら踏み直していたところを、そのまま身体ごと運んだ。


 彰さんの脇へ向け、刀を振り抜く。


 当たる。


 そう思った直後、彰さんが上体を引いた。


 刃が服のすぐ手前を掠めていく。


 次の瞬間には、刀でこちらの刃を押さえられていた。


「残念、惜しかったね」


 彰さんが笑った。


 俺は刀を引き、息を整えながら距離を取った。


「……まだまだ、ですね」

「そう卑下しないでいいよ。今のは、僕が下がるところを狙えたじゃないか」


 悔しい。

 けれど、手応えはあった。


 以前は、攻撃を避けるだけで精一杯だった。

 今は少しずつだが、その先を考えながら動けている。


 もう一度、同じような隙を作れれば。


 そう考えて構え直したところで、彰さんが楽しそうに刀を持ち上げた。


「これなら、もう少しペースを上げても大丈夫そうだね」

「……え?」


 返事をする前に、距離が詰まった。


 咄嗟に刀を差し込む。


 重い衝撃が腕へ伝わり、足が後ろへ滑った。


「っ!」


 どうにか受け流したところへ、次の一撃が来る。


 速くて重い。


 切り返しは目で追えているのに、受ける刀が間に合わない。


 後ろへ下がる。

 彰さんは、その分だけ踏み込んできた。


「下がるだけだと、いつまでも立て直せないよ」

「分かって、ます……!」


 分かっているが、簡単にできるなら苦労しない。


 刃を弾き、横へ抜けようとする。


 その先に彰さんの足が入り、行く手を塞がれた。


 まずいと思った時には、目の前に刀が迫っていた。


 ぎりぎりで身を反らし、後ろへ倒れそうになる身体を踏ん張って支えた。


 先ほど当てかけたのは失敗だったかもしれない。


 そんなことを考える余裕はすぐになくなった。


 ——


「はい。今日はここまで」


 その言葉を聞いた途端、膝から力が抜けた。


 刀を戻し、地面へ座り込む。


「……ありがとうございました」

「お疲れ様。最後までよく動けていたね」


 彰さんは相変わらず呼吸一つ乱れていない。


 俺は返事の代わりに息を吐き、額に流れた汗を袖で拭った。


「はい、タオル」


 琴葉さんがタオルを差し出してくれる。


「ありがとうございます」

「さっきの、もう少しで当たりそうだったんじゃない?」

「あと一歩足りなかったですね。おかげでそこから、さらにキツくなりましたけど……」

「僕としては、まだ続けてもよかったんだけどね」

「いや、時間がもう厳しいんで」


 汗を拭き、飲み物を口へ運ぶ。


 喉を通る冷たさが心地よかった。


 以前より、身体が思い通りに動くようにはなっている。

 足を運ぶ時にも、刀を振る時にも、余計に力んでいたことが少しずつ分かってきた。


 それでも、彰さんが動きを変えると、途端についていけなくなる。


 近づいたと思った分だけ、まだ先があることを思い知らされた。


「じゃあ、最後に治しておこうか」


 琴葉さんが俺の前へ手を翳す。


 淡い光が身体を包み、打ち合いでできた擦り傷や鈍い痛みが少しずつ消えていく。

 重かった腕や足も軽くなり、身体に溜まっていた疲労まで抜けていった。


「……相変わらずすごいですね」

「ふふん。これくらいならパパッといけちゃうよ」


 肩を回してみる。

 さっきまで残っていた張りも、ほとんど感じなかった。


 手を握ったり開いたりしていると、彰さんが隣へ腰を下ろした。


「そういや、夏休みに入ったんだよね。何か予定はあるの?」

「ああ、来週、友人たちと旅行に行きますよ」

「へえ、旅行ね。ちなみに何処に?」

「京都です。神社巡りとか、食べ歩きとかしようって」


 そう答えると、彰さんは少し目を細めた。


「京の都か……」


 何かを考えるように、視線が俺から外れる。


「彰さん?」


 呼びかけると、彰さんはこちらを見た。


「まあ、あの人もいるし、向こうは人員も足りてるし問題ないかな。うん、楽しんでくるといいよ」

「あの人?」

「知り合いがいるんだよ」

「京都にですか?」

「そ。優しい人だから大丈夫だよ」


 それだけで話を終えるつもりらしい。


 誰なのか気にはなったが、これ以上聞いても教えてくれそうになかった。


「いいねぇ、京都。何日くらい行くの?」


 琴葉さんに聞かれ、旅行の日程や、皆で話していた行き先を伝える。


 まだ細かく決まっていないところもあるが、行きたい場所は幾つもあった。


「結構歩きそうだね」

「友人の妹が行きたいところをどんどん増やしてるんですよ。それに友人も一緒になって」

「ふふ。楽しそうでいいじゃない」

「まあ、俺も楽しみですけど」

「楽しむのもいいけど、羽目を外しすぎないようにね」

「気をつけます」


 琴葉さんは満足そうに頷いた。


 話も一段落したので立ち上がる。


 荷物をまとめ、二人へ頭を下げた。


「今日はありがとうございました。また、明日もよろしくお願いします」

「うん、またね」

 

 手を振る琴葉さんへ会釈を返し、俺は宙に文字を綴った。


 ——


「ただいまー」


 ガラガラと音を立てて玄関の引き戸を開けると、ちょうど玄関先にいたばあちゃんが振り向いた。

 

「あら、おかえりなさい。今日は早かったのですね」

「まあね。あ、明日は遅くなるかも」


 そう言いながら、玄関で靴を脱ぐ。


 台所に寄り、冷蔵庫からお茶の入ったポットを取り出す。

 コップにお茶を注ぎ、一気に飲み干した。

 

 冷たいお茶が喉を通り、火照った身体に染み渡る。


 コップを置くと、自室へ戻った。


「……疲れた」


 椅子へ腰を掛けると、つい声が出た。


 背もたれへ身体を預け、ぼんやりと天井を見る。


 今日も結局、彰さんには一度も当てられなかった。

 けれど、あの一度だけは、本当に届きそうだった。


 次は、もう少し。


 そこまで考えてから、机の上のスマホへ手を伸ばした。


 浩透から連絡が来ている。


 旅行当日の集合時間と、乗る新幹線についてだった。

 続けて、忘れ物をしないようにという言葉まで送られている。


『分かった』


 返事を打つと、ほどなく返信が来た。


『寝坊厳禁!』


 短い一文に、思わず笑う。


 続けて、旅行のグループにも通知が届いた。


 浩透の妹——咲希が、京都で食べたいものの写真を送っている。

 すぐに紗奈が反応し、別の店の話を始めていた。


 昨日までにも、随分と候補が出ていたはずだ。


『全部回る時間あるのか?』


 通知音と共に、浩透からのメッセージが表示される。

 それにすかさず返事が返された。


『近いところはまとめれば大丈夫』


 紗奈の返事の後へ、咲希の弾んだ言葉が続いていく。


 画面を眺めながら、俺も気になったものへ返事をする。


 やり取りを続けているうちに、自然と気分も浮き立ってきた。


「……楽しみだな」


 誰もいない部屋で呟く。


 時が巻き戻り、若返った。

 見た目は普通の中学生だが、実際には、その倍の時間を生きている。


 それなのに、友人たちとの旅行を前にして、こうも浮かれている。


 可笑しく思う。


 皆の挙げた店を回るだけでも、きっと賑やかな一日になる。

 どこを歩いて、何を食べて、どんな話をするのか。


 浩透がいて、紗奈がいて。

 咲希や麗羅さん、修哉さんも一緒にいる。


 前の人生ではなかった旅行。

 何が起こるか、以前の記憶を頼りにすることはできない。

 それでも——


 スマホが、また短く震えた。


『颯斗兄さんは、何食べたいですか?』


 咲希からの問いに、少し考える。


 送られてきた写真を見返しながら返事をすると、また新しい話が始まった。


 結局、画面を閉じた後も、口元は緩んだままだった。


 我ながら、年甲斐もない。


 そう思いながらも、抑えるつもりはなかった。


 皆と行く京都を、俺は思っていた以上に心待ちにしているようだ。

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