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彼岸回帰録~巻き戻った世界が人外魔境だった件~  作者: 瑠衣
2章

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58話 いざ京都へ

 大きめの鞄の口を閉じ、持ち上げる。


 着替えに財布、携帯の充電器。

 昨夜のうちに何度も確かめたはずなのに、部屋を出る前に、もう一度机の上へ目を向けた。


 鞄を肩へ掛け、玄関へ向かう。


 ようやく、京都へ行く日が来た。


 夏休みに入ってからも、鍛錬や宿題をしているうちに日々は早く過ぎていた。

 それでも、旅行の日だけは何度もカレンダーへ目が向いた。


 靴を履いて立ち上がると、ばあちゃんが玄関まで見送りに来た。



「忘れ物はありませんか?」

「大丈夫」

「麗羅さんと修哉さんに、よろしくお伝えくださいね」

「うん。行ってきます」

「気をつけて」


 戸を開く。


 まだ朝だというのに、外へ出た途端、湿った暑さが肌にまとわりついた。

 近くの木から、蝉の声が響いている。


 隣の家へ向かうと、丁度玄関から紗奈たちが出てくるところだった。


「おはようございます」

「おはよう、颯斗。よく眠れたか?」


 修哉さんが、旅行鞄を持ち直しながら笑う。


「はい。少し早く目が覚めましたけど」

「あらあら、随分と楽しみにしていたのねぇ」


 麗羅さんに言われ、少し照れくさくなった。


「まあ、そうですね」

「おはよ。私も、目覚まし鳴る前に起きちゃったよー」


 紗奈が門を閉め、こちらへ来る。

 いつもの制服ではなく私服姿なので、それだけでも普段の登校とは違って見えた。


「一緒だな。あ、麗羅さん。ばあちゃんが、二人によろしくと」

「ええ。安心して楽しみなさいね」


 麗羅さんが頷く。


「それじゃ、行こうか。浩透たちも、もう駅へ向かっているだろうしな」


 修哉さんに続き、俺たちも歩き出した。


 駅までは、紗奈と旅行の話をしながら向かった。

 今日の予定を確かめたり、持ってきた荷物の話をしたりしているうちに、待ち合わせ場所が見えてくる。


 案内板の近くには、既に浩透が来ていた。


 その隣から、小柄な女の子が顔を覗かせた。


「颯斗兄さん、おはようございます!」


 咲希がこちらへ大きく手を振った。


 浩透の一つ下の妹だ。

 肩甲骨の辺りまである髪は、一部を編み込んで左側で結ばれ、肩の前へ流されている。


 淡い色の服と合わせると、いつもより落ち着いた印象に見えた。

 もっとも、こちらへ駆け寄ってくる足取りは、普段以上に弾んでいる。


「おはよう。早いな」

「うん。早めに出ようって、お兄ちゃんに言ったんです」

「こいつ、昨日からうるさかったからな」


 後から来た浩透が言う。


「だって京都だよ?楽しみじゃない」

「そりゃそうだが、荷物の確認に俺まで付き合わせなくてもいいだろ」

「忘れ物したら困るでしょ」

「それくらい一人で見ろよ」


 咲希は聞こえなかったふりをして、紗奈へ向き直った。


「紗奈ちゃん、今日どこから行く?」

「えっとねー」

「もう決めんの?まだ京都にも着いてないぞ」


 思わず二人の会話に口を挟んだ。

 

「着いてから考えたら、その分時間なくなるもん」


 早くも携帯を取り出している。


 俺と浩透は顔を見合わせた。


「おはよう。二人とも、昨日は眠れたかしら?」

「おはようございます。ええ、眠れましたよ。こいつが自分の部屋に戻ってからは」

「もう、ちゃんと遅くなる前には戻ったでしょ」


 咲希が携帯から目を離さずに言い返した。


 修哉さんが駅の時計へ目を向ける。


「まだ少し余裕があるな。飲み物を買ってから、ホームへ行こうか」


「私、お茶買ってくる」

「お、なら俺も」


 紗奈と並んで売店へ向かおうとすると、浩透もついてきた。


「こうして見ると、大きくなったわねぇ」


 後ろから麗羅さんの声がした。

 

「急に何?」


 紗奈が振り返る。


「昔は三人とも、もっと小さかったのに。今では颯斗君も浩透君も、私よりずっと大きいんだもの」

「そりゃ、いつまでも小さいままじゃないでしょ」

「うふふ。紗奈はいつ私の背を越すかしらねぇ」

「もう、お母さんの背ぐらいすぐに追い越すもん!」


 紗奈は麗羅さんを見上げ、むっと頬を膨らませる。

 麗羅さんはそんな娘を面白そうに眺めていた。


「でも、こうして三人で並んでるのを見ると、なんだか懐かしいわねぇ」

「何が?」

「昔から、よく一緒にいたでしょう?」


 言われてみれば、昔もこんなふうに三人で並んで歩くことが多かった。

 

 麗羅さんの言葉に、修哉さんもこちらを見る。


「そうだったな。颯斗と紗奈が先に行って、浩透が少し後ろからついていくことが多かったな」

「俺、そんな感じでした?」

「お前は昔から、二人より少し大人びて見えたからな」


 修哉さんに言われ、浩透が僅かに眉を寄せる。


「そうですかね」

「少なくとも、颯斗と紗奈よりは落ち着いてたぞ」

「それは比較対象が悪くないですか?」


「確かにな」と修哉さんが返し、俺もつられて口元が緩んだ。


 それから売店で飲み物を買い、皆でホームへ向かった。


 ——


 新幹線が動き出すと、窓の外のホームがゆっくりと後ろへ流れていった。


 四人で向かい合って座り、通路を挟んだ席には麗羅さんと修哉さんがいる。


 荷物を置いて腰を落ち着ける間もなく、咲希が旅行の案内を広げた。


「颯斗兄さん、ここ行きたいです!」


 向かいの席から、指で示される。


「昨日までに決めてなかったのか?」

「調べてたらいいところがあって」

「また?」

「はい!まだ増えるかもしれません!」


 堂々と言われた。


 紙面を覗くと、印のついた場所の半分ほどが食べ物の店だった。


「昨日も、ここは絶対って言ってた場所あっただろ」


 隣の浩透が、座席へ背を預ける。


「勿論、そこも行くよ」

「全部?」

「……近かったら」

「近くなくても行きたいって言うだろ、お前」


 咲希は気にした様子もなく、今度は紗奈へ案内を向けた。


「ね、ここのお店のやつ、可愛くない?」

「あ、本当だ。こういう髪飾り、咲希ちゃんに似合いそう」

「紗奈ちゃんもつけようよ。違う色で」

「いいねー!」


 咲希は昔から、浩透についてよく遊びに来ていた。

 俺たちが何かを始めれば、自分もやると輪に入り、年下だからと見ているだけでは納得しなかった。


 今も、俺たち三人の予定に付き添うつもりは、まったくないらしい。


「で、その近くに甘味処があるんです」

「ちょ、それまた食べ物じゃん」


 俺が言うと、咲希はすぐに首を振った。


「順番も考えてるんですよ。歩いて、お腹空かせてから行くの」

「ちゃんと観光も入れてるもんね」

「ね!」


 紗奈まで頷く。


 浩透が俺の方へ顔を寄せた。


「この二人放っといたら、食べ物の予定だけで一日埋まるぞ」

「もう、かなり埋まってる気がするけどな」

「観光もするって!」

「そうだよ!」


 二人揃って返され、俺と浩透は笑った。


 窓の外へ視線を移す。


 建物の間を抜け、緑の広がる景色が見えてきた。

 普段なら見慣れた道を歩いている時間に、こうして遠くへ向かっている。


 暫くして、浩透が足元の袋から飲み物を取り出した。


「あ、忘れてた。修哉さん、これ。駅で頼まれてたやつ」

「ああ、ありがとう。代金は後で渡すよ」

「はい」


 浩透が通路越しに飲み物を手渡す。


「颯斗もだが、浩透ももっと鍛えてもいいんじゃないか?」


 修哉さんが浩透の腕を見ながら言う。

 

「まあ、ぼちぼちっすかねー」

「俺が鍛えてやろうか?」

「いや、遠慮しときます。修哉さん、厳しそうなんで」


 浩透は逃げるように座席へ深く腰を掛け直した。


 その後も他愛ない話をしているうちに、時間は過ぎていった。


 ——


 京都が近づく頃には、その日の予定もある程度固まっていた。


「今日は荷物を預けてから、近くを回るくらいにしよう」


 修哉さんが言う。


「遠いところまで詰め込むと、明日に響くからな」

「伏見稲荷神社とか、貴船神社とかは明日ですか?」


 咲希が案内を開きながら尋ねた。

 

「そうだな。今日は移動だけでも結構時間がかかっているし」

「分かりました!」


 咲希は素直に案内を閉じた。


 車内の放送が流れた。


 窓の外に建物が増え、線路が幾つも並んでいる。

 皆で荷物を確かめ、列車が止まるのを待った。


 扉が開き、ホームへ降りる。


「着いたー!」


 咲希が嬉しそうに声を上げた。


「元気だな……」

「お兄ちゃん、ずっと座ってただけでしょ」

「座ってるのも疲れるんだよ」


 浩透が肩を回す。


「何、おじさんみたいなこと言ってるの」

「うるせえな」


 咲希に茶化され、浩透は面倒そうに返した。


 その近くでは、紗奈が案内板を見上げ、修哉さんと出口を確かめていた。


 大きな荷物を引く人。

 地図を片手に立ち止まる人。

 聞き慣れない言葉で話しながら、俺たちの横を通っていく人たち。

 見上げた駅の空間は広く、行き交う人の数も多い。


 皆の後を追いながら、ようやく京都まで来たのだと実感が湧いた。


 駅を出たところで、熱い空気が頬へ触れる。


 同時に、何か別のものが肌を掠めた。


「……ん?」


 足を止める。


 怨屍のような、はっきりとした気配ではない。


 けれど、周囲の空気に何かが混じっているような違和感があった。


 辺りを見回す。


 バスを待つ人の列。

 道路を走る車。

 日差しを避け、建物の影へ入っていく観光客。


 何かが起きている様子はない。


「颯斗、置いてくよー」


 少し先から、紗奈の声がした。


「あ、悪い」


 慌てて歩き出す。


 気のせいかとも思ったが、妙に引っかかった。


 もう一度振り返ろうとして、やめる。

 今は皆から離れないようについていく方が先だった。


 修哉さんの案内で駅前を離れ、宿へ向かう。


 宿は、大通りから少し入った場所にあった。


 落ち着いた色の暖簾をくぐると、外の照り返しがすっと遠のく。

 磨かれた木の床と、奥へ続く廊下が見えた。


 新しい建物ではなさそうだった。

 柱には細かな傷が残っているが、手すりも敷居もよく手入れされている。


「わあ、いい感じですねー」


 咲希が声を落として言う。


 廊下の途中には、小さな庭へ面した窓があった。

 石の上へ細い葉の影が落ち、風が吹くたびにゆらゆらと揺れている。


 その先で廊下が折れ、奥の部屋までは見えなかった。


 修哉さんが宿の人と話している間に、俺たちは荷物をまとめた。

 まだ部屋へ入るには早いため、大きな鞄だけ預けて出かけることになった。


「忘れ物はないか?」

「うん」

「財布も?」

「持ったって、お兄ちゃん」


 浩透に確かめられ、咲希が小さな鞄を持ち上げる。


 俺も財布を確かめ、軽くなった肩を回した。


「じゃあ、まずは昼ご飯にしようか」


 修哉さんの言葉に、咲希と紗奈が揃って頷いた。


 ——


 食事を終えると、そのまま近くの通りを歩き始めた。


 軒の低い店が並び、格子の向こうに品物が見える。

 店先に掛けられた風鈴が、時折、短い音を立てていた。


 紗奈と咲希は、気になる店を見つけるたびに足を止める。


「紗奈ちゃん、これ見て」

「可愛い。さっき言ってたの、こういうやつじゃない?」

「そうそう。これなんかもとても可愛いよ!」

「わぁ、可愛い!」


 並べられた髪飾りの前で、二人が顔を寄せ合う。


 髪飾りを見比べていた二人が、今度は少し先の菓子屋に気づいたらしい。


「おい、待てって」


 浩透が後を追う。


「二人とも、早いな」

「颯斗君も、気になるところがあったら言ってねぇ」


 麗羅さんが隣から言った。


「はい。俺は今のところ、見てるだけでも楽しいです」

「そう?あ、あちらのお菓子、菫さんにどうかしら」


 促されて店先を覗く。


 小さな箱に詰められた菓子が、幾つも並んでいた。

 ばあちゃんが好きそうなものを探しているうちに、俺もすっかり足を止めてしまう。


「ほら、颯斗兄さんも止まってるじゃん」


 戻ってきた咲希に言われ、笑った。


「土産を見てたんだよ」

「私たちもそうだよ?」

「自分の髪飾りを選んでなかったか?」

「それもお土産ですぅ!」

「自分用だろ、それ」


 結局、髪飾りは帰る日までに選ぶことにして、今日は目星だけつけることになった。


 店を出ると、修哉さんと浩透が少し先の日陰で待っていた。


「決まった?」

「まだです」

「そうか。これは帰るまでに、もう何度か来ることになりそうだな」


 修哉さんが苦笑した。


 その後、麗羅さんに勧められた菓子を買い、店の休憩場所で皆と食べた。


「颯斗君、こっちも少し食べてみる?」

「いいんですか?」

「ええ。違う味も気になるでしょう」


 麗羅さんが差し出した皿から、一つ貰う。


 隣では、咲希が紗奈の選んだものを見ていた。


「紗奈ちゃん、一口交換しよう」

「いいね。そっち、甘い?」

「うん、結構甘め。めっちゃおいしいよー」


 浩透は呆れたように息を吐き、お茶を飲んだ。


 三人で何処かへ行こうと話していた旅行が、随分と賑やかになった。


 どの店に入るかを相談し、食べたものの感想を言い合う。


 帰りを急かされることもなく、もう少し見ていこうと言えるのが、旅行らしかった。


 その後も幾つかの店を覗きながら歩き、近くの寺社へ立ち寄ることになった。


 門をくぐると、通りの話し声が少し遠くなる。

 木陰へ入った途端、汗ばんでいた首元を風が通った。


 砂利を踏みながら、皆の後ろを歩く。


 ふと、顔を上げた。


 まただ。


 駅前で感じた気配に似ている。

 けれど、今度はもう少し、はっきりしていた。


 木々の奥。

 塀の向こう。

 通りへ続く道の先。


 一つを探ろうとすると、別の場所からも反応が返ってくる。


 濃さも性質もばらばらで、怨屍のようなものばかりではない。

 むしろ、これまで触れたことのないものの方が多かった。


 向こうでは、こんなことはなかった。


 鍛錬で探知に慣れたから気づけるようになったのか。

 それとも、京都そのものが違うのか。


 今の俺には、まだ判断できなかった。


「どうかしたの、颯斗君?」


 麗羅さんの声に振り返る。


 少し後ろで、俺を見ていた。


「……いや、なんでもないです」

「そう?」


 麗羅さんも一度だけ俺の見ていた方へ目を向けた。


 けれど、特に何かを気にした様子はない。


「それなら、行きましょうか。皆、あちらで待っているわ」

「はい」


 紗奈たちは、木陰で境内の案内を見ていた。


 咲希が何かを指し、浩透へ話しかけている。

 そのやり取りも、先ほどと何も変わらない。


 俺は気になりながらも、皆の方へ歩いた。


 ——


 夕方には観光を切り上げ、宿へ戻ることになった。


 咲希はまだ店を見たそうにしていたが、浩透に明日もあるだろうと言われ、ようやく頷いた。


「明日は、もう少し早く出られるよね?」

「そのためにも、今日は休むんだろ」

「むぅ、分かっていますよーだ」


 紗奈は携帯を見ながら、翌日の順番を確認していた。

 麗羅さんと修哉さんは、夕食までに部屋で少し休めそうだと話している。


 帰り道では、昼間の強い日差しも和らいでいた。

 明るかった店の軒先に影が落ち、奥の照明が目立つようになっている。


 宿の暖簾が見えたところで、俺は後ろを振り返った。


 土産の袋を提げた人が通り過ぎる。

 遠くで車の音がして、店の中から笑い声が聞こえた。


 何処を見ても、普通の街だった。


 けれど、寺や神社を離れた今も、あの違和感は消えていない。


 どうやら、先ほどの場所だけの話ではないらしい。


「颯斗、入るよー」


 紗奈に呼ばれ、顔を戻す。


「ああ」


 頷いて、暖簾へ手を掛けた。


 ……何なんだろうな。


 答えの出ない疑問を残したまま、俺は皆の待つ宿へ入った。

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