54話 人として、再び - 肇視点
金属が打ち合う音が、訓練場に響いていた。
ロイの右手の剣が、相手の刀を外側へ弾く。
間を置かず、左手の剣が懐へ入った。
切っ先が喉元へ届く直前で止まる。
「……参りました」
「踏み込む時に、手元が上がっています。そこを狙われますよ」
ロイが剣を下ろす。
相手の男は、自分の構えを確かめながら頷いた。
ロイも一度距離を取り、再び双剣を構える。
少し離れたところでは、久瀬が大太刀を振るっていた。
小柄な身体が沈み、相手の一撃を頭上へ通した。
そのまま足を運び、横から大太刀を突きつける。
「遅い。振り下ろした後のことも考えぬか」
相手が慌てて刀を引き戻す。
久瀬は追撃せず、大太刀を肩へ担いだ。
「もう一度じゃ」
「は、はい!」
どちらが教わる側なのか、分からぬやり取りだった。
もっとも、本人たちにも余裕ばかりがあるわけではない。
ロイは時折、剣を持つ手を確かめている。
久瀬も以前と同じ勢いで踏み込んでは、足元を崩すことがあった。
怨屍だった頃の身体はもうない。
力の入り方も、霊力の流れ方も違う。
長く馴染んだ感覚のまま動けば、思った場所へ刃が届かないこともある。
それでも、積み重ねてきた技術まで失われたわけではなかった。
「旭、そちらはどうだ」
声を掛けると、少し先で太刀を下ろしていた旭が振り返った。
束ねた焦茶色の髪が揺れる。
かつて赤かった瞳は、今では橙色をしていた。
「剣の方は、何とか。ただ、こちらは少々調整が必要ですね」
旭が足元へ手を向ける。
地面が盛り上がり、低い岩の壁ができた。
その端が崩れ、細かな石が地面へ転がる。
「以前の感覚で霊力を込めると、形が崩れます」
「加減を覚え直せ」
「はい。そのつもりです」
旭は崩れた部分を確かめ始めた。
他の者たちも、それぞれの武器を手に訓練を続けている。
俺たちが怨屍のままだったなら、此処で相手をしている院生たちも、いずれは死神となって俺たちを討つ側に回っていただろう。
そして、俺たちもその刃を黙って受けるつもりなどなかった。
それが今では、同じ場所で死神になるための訓練をしている。
俺自身も含め、随分と妙なことになったものだ。
——
黄泉へ来たばかりの頃は、何をすればよいのか分からなかった。
用意された部屋に入り、座り、窓の外を眺める。
それだけで時間が過ぎた。
人へ戻った。
言葉にすれば簡単だが、二千年以上も別の在り方で生きてきた身には、すぐに次の生き方が見つかるわけではない。
颯斗を守ると決めた。
そのために、彰の誘いを受けた。
だが、俺についてきた者たちの全てが、同じように今後を決めているわけではなかった。
先に黄泉へ来ていた者たちも交え、改めて話をすることになったのはそんな時だった。
「君たちも死神になる気はない?」
部屋へ入ってきた彰は、集まっていた俺たちにそう切り出した。
茶を飲もうとしていた久瀬が手を止める。
旭も顔を上げた。
旭は俺を一瞥してから、彰へ向き直る。
「……我々が、ですか?」
「うん。彼らには現世でも話したけれど、改めて全員に聞いておこうと思ってね」
彰は空いている場所へ腰を下ろした。
「つい先日まで、我々はあなた方を殺そうとしていたのですが」
「知ってるよ」
「その者たちを、今度は死神にすると?」
「もう怨屍じゃないだろう?」
あまりにも、あっさりとした答えだった。
ロイが眉を寄せる。
「それだけでよいのですか」
「もちろん、単純に決めるつもりはないよ。怨屍としての罪は、核を壊した時点で祓われている。ただ、生前の罪まで消えるわけじゃないからね。まあ、こうして黄泉にいる時点で、地獄へ送られるほどの罪はなかったみたいだけど」
誰も口を挟まない。
「怨屍だったという理由だけで、これからどう生きるかまで決める必要もない。君たちが望むのであれば、輪廻に戻ってもいい」
一拍置いて、彰が続ける。
「君たちは長い間、戦ってきた。その技術は一朝一夜ではなくならないだろう?」
「身体は随分と変わったがな」
「そこは慣れてもらうしかないね」
俺の言葉に、彰は笑った。
「でも、培ってきた力を活かさないのは勿体ない。君たちにその気があるなら、今度はその力を救う方に使ってみてもいいんじゃない?」
死神。
かつて俺たちを斬る側だった者になる。
皮肉な話だと思った。
しかし、だからといって拒むつもりもなかった。
人へ戻った以上、怨屍だった頃と同じように生き続けるわけにはいかない。
何より、現世へ行く術も、今の身体の扱い方も知っておく必要がある。
颯斗の傍へ行くにしても、何も分からぬままでは話にならない。
「俺は構わない。先に答えた通りだ」
「私たちも変わりありません」
「うむ」
「うん、心変わりがないようでよかったよ」
その様子を見て、旭が口を開いた。
「なるほど。でしたら、私もお願いいたします。輪廻に戻るよりも楽しそうですし」
他の者たちからも、次々と返事が上がる。
剣を振るう以外にすることがないと言う者。
死神の術に興味があると言う者。
とりあえず、話だけは聞いてみたいと言う者。
彰はそれぞれの返事を、最後まで聞いていた。
そうして俺たちは、修霊院に通うことになった。
——
「休憩!」
訓練場に声が響く。
ロイが双剣を下ろし、額の汗を拭った。
久瀬も大太刀を収め、こちらへ歩いてくる。
「……腕が重い」
「振り回しすぎだ」
「これくらい、以前なら何ともなかったのじゃが」
久瀬は不満そうに右腕を回した。
その後ろから来た旭が、水の入った竹筒を渡す。
「今は身体を慣らしているところですからね」
「分かっておる」
「でしたら、無理はなさらず」
「お主まで子供扱いするでないぞ」
旭が目を瞬かせる。
「そのつもりはありませんが」
「先ほども、係の者に疲れたら早めに休んでよいと言われたわ。他の者には何も言わず、妾だけにな」
久瀬は竹筒を受け取り、口をつけた。
「見た目で判断しおって。妾の方が、あやつよりもよほど長く生きておる」
口を尖らせる姿からは、千年以上を生きてきた者とは到底思えなかった。
「そう言ったのか」
「言った」
「それで?」
「そうなんだね、と」
ロイが顔を横へ向けた。
久瀬がすぐに睨む。
「笑うでない」
「まだ笑っていません」
「今、笑いかけたであろう」
ロイは答えず、水を飲んだ。
俺も竹筒を受け取り、一口飲む。
喉を通る冷たさが、妙にはっきりと感じられた。
汗をかき、水を飲み、休めば疲れが少しずつ引いていく。
こうした当たり前のことにも、まだ慣れない。
けれど、目の前で言い合う者たちは、以前と大して変わっていなかった。
ロイはロイ。
久瀬は久瀬。
旭も、相変わらず周囲の者へ気を配っている。
身体や霊力の性質が変わったからといって、中身まで別人になるわけではないらしい。
そう考えたところで、以前から気になっていたことを思い出した。
「そういえば、お前たち」
竹筒を下ろすと、皆がこちらを見る。
「何故、あの時はあれほど現世へ出てきた?」
久瀬の手が止まった。
「俺は一人で行くつもりだった。颯斗に用があっただけだからな。なのに、何故あんな総力戦になっていたのだ?」
俺が向かった頃には、既に大勢の怨屍と死神が戦っていた。
邪魔が入らぬよう、任せた部分はある。
だが、あれほどの数を集めろと命じた覚えはない。
撤退してからも、兄者と颯斗のことで頭がいっぱいだった。
そのまま確かめる機会を逃していたが、今なら聞ける。
そう問いかければ、誰かがすぐに答えるものだと思っていた。
だが、返事はなかった。
代わりに、皆が揃って旭の方を向いた。
旭は周囲の反応を訝しみながら竹筒を置き、口を開いた。
「……主様が、ようやく現世を壊しに行くのだとばかり」
「……何?」
何を言われたのか、一瞬分からなかった。
俺の反応が意外だったのか、旭が首を傾げる。
「違ったのですか?」
「何故、そうなる」
「長いこと人間を恨んでおられたでしょう?いずれは、現世そのものへ報復なさるおつもりなのだと思っておりました」
すぐには言葉が出なかった。
「その主様が、突然現世へ向かわれた。それならば、ついに動かれるのだろうと考えまして」
「それで?」
「現世を壊すのであれば、主様お一人を行かせるわけにはいかないかと。それなら総戦力で向かうべきだと思いまして」
「……」
旭は、至って真面目な顔をしていた。
「まずは現世で一番強い死神、彰さんの元へ、優たち肆禍三名を送りました。そこで先行させた者たちから、自分たちだけでは厳しいと報告がありまして。ならば戦力を増やすしかないと、次を送りました」
「その次もか」
「はい。さらに救援が増えたとのことでしたので」
俺は額へ手を当てた。
次から次へと怨屍が現れていた理由が、ようやく分かった。
「俺は一言も、現世を壊すとは言っていない」
「……そうでしたか?」
「言っていない」
隣から、ロイの声がした。
「私は旭から、主の命令だと聞いていました」
「俺は命令していない」
「では、私があの死神へ伝えたことも、誤りだったわけですね」
ロイの言葉を受け、久瀬も竹筒を置いた。
「お主……妾たちまで巻き込んでおいて、主様の話を何一つ聞いておらぬではないか」
「お考えを汲んだつもりだったのですが」
「汲めておらん!」
他の者からも声が上がった。
「総力戦になると聞いた」
「私も、主の命令だと」
「だから、残っていた者にも声を掛けたのだが……」
旭は周囲から飛んでくる言葉を黙って聞き、最後に俺へ向き直った。
「……申し訳ありません。私の早とちりでした」
深く頭を下げる。
普段は周囲へよく気が回る男だ。
実際、あの時も戦況に応じて人を動かしていたのだろう。
最初の判断さえ、間違えていなければ。
「次からは、動く前に聞け」
「はい」
「俺の名で命令を出すなら、なおさらだ」
「承知しました」
呆れてものも言えん、で済む話ではなかった。
俺たちは、颯斗だけでなく、多くの者を傷つけた。
これは俺が始め、止めずに進めた襲撃だ。
旭一人のせいにするつもりもない。
「俺も、お前たちが何をしているか確かめるべきだった」
旭が顔を上げる。
「主様は——」
「お前の勘違いと、俺が止めなかったことは別だ」
旭は口を閉じた。
暫くして、旭が小さく返した。
「……はい」
ロイが訓練場の方へ目をやる。
向こうでは、先ほどまで剣を合わせていた者たちが話しながら水を飲んでいる。
あの日の俺たちが見れば、まるで理解できぬ光景だろう。
現世へ押し寄せた者たちが、揃って人へ戻り、黄泉で訓練を受けている。
こんな結果を予想していた者は、一人もいないはずだ。
——
休憩の終わりを告げる声がした。
ロイが立ち上がり、双剣の柄へ手を掛ける。
久瀬も大太刀を持ち上げた。
「次こそ、足を滑らせずに済みそうじゃ」
「先ほどより踏み込みを浅くすればよいのでは?」
「分かっておる。お主こそ、岩を崩すでないぞ」
「気をつけます」
旭が苦笑する。
その背を眺めながら、俺も訓練場へ向き直った。
出会った頃から、こいつらは勝手についてきた。
離れろと言っても離れず、好きにしろと言えば、そのまま傍にいた。
何百年も、久瀬に至っては千年以上も。
俺は、最後までついてこいと命じた覚えはない。
怨屍でなくなれば、それぞれ別の道へ進むものもいるだろうと思っていた。
実際、これから先はそうなるかもしれない。
だが、今はまだ、同じ場所にいる。
「主様は、そこで見ておられるだけですか?」
久瀬が振り返った。
「妾たちばかり動かしておいて」
「俺もさっきまでやっていただろう」
「では、次は妾の相手を」
「腕が重いのではなかったか」
「もう治った」
早いものだ。
俺は刀へ手を掛け、久瀬の方へ歩いた。
近づいた途端、久瀬が大太刀を構える。
その顔は、どうにも楽しそうだった。
俺も刃を抜く。
こうして剣を合わせた後、同じ場所へ帰る。
そのような暮らしも、悪くはなかった。
——
訓練を終え、俺たちは紫苑街へ来ていた。
通りには、夕餉の買い物をする者たちが行き交っている。
店先から、焼いた魚の匂いが流れてくる。
久瀬がそちらへ顔を向けた。
「腹が減った」
「先ほどまで、疲れたと言っていたでしょう」
「疲れた上に腹も減ったのじゃ」
「戻れば食事がありますよ」
旭が答える。
久瀬は不満そうな顔をしたものの、足は止めなかった。
向こうから死神が歩いてくる。
すれ違う時に軽く会釈され、旭が同じように返した。
誰も武器へ手を掛けない。
俺たちも、その背を警戒して振り返る必要がない。
それをまだ、時折不思議に思う。
ふと、隣を歩いていたロイの足音が止まった。
その先には、夫婦と、その子供らしい三人が歩いている。
両側から手を繋がれた子供が、何かを話していた。
男が身を屈めて聞き返すと、子供は大きく頷く。
女が笑った。
ロイは、その家族から目を離せずにいた。
微かに指先が動く。
「どうした、ロイ」
呼びかけても、すぐには返事がなかった。
やがて、俺の方へ意識を戻した。
「……いえ」
いつもの落ち着いた声だった。
だが、返事の続きが出るまでには、一拍あった。
「少し、昔のことを思い出しただけです」
「そうか」
それ以上は聞かなかった。
ロイは再び歩き出す。
少し先にいた旭が足を緩め、俺たちが追いつくのを待った。
「何じゃ、どうかしたのか?」
久瀬が尋ねる。
「何でもありません」
「なら、早く帰るぞ。妾は腹が減ったのじゃ」
「先ほども聞きましたよ」
返す口調は、いつもと変わらなかった。
だが、歩き出してから一度だけ、ロイは振り返った。
あの家族はまだ遠くにいた。
子供が繋いだ手を大きく揺らし、両親の間で笑っている。
暫くして、ロイは前へ向き直った。
俺も何も聞かず、隣を歩いた。
その後、久瀬と旭が食事の話を続ける間も、ロイは口を挟まなかった。
昔のこと。
そう口にした時の横顔が、妙に頭に残っていた。




