53話 黄泉送り
『俺の核を、お前の手で壊してくれ』
ハジメは真っ直ぐに俺と向き合っていた。
冗談で言っているわけではない。
そのことは、表情からも伝わってくる。
けれど、そう簡単に頷くことはできなかった。
「……そんなこと、急に言われても」
手の中の刀を意識する。
これまでにも、怨屍の核を壊したことはある。
襲われて、戦って、生き残るために刀を振るった。
だが、今のハジメは何もしてこない。
武器すら持たず、俺が答えるのを待っている。
『貴様が躊躇う必要はない。これまでと同じように壊すだけだ』
「……そんなこと言ったって、はいそうですかって、できるわけがないだろ」
思ったよりも強い声が出た。
ハジメは口を閉ざす。
俺は一度息を吐き、刀の切っ先を下げた。
「……村を滅ぼしたって、言ってたよな」
『ああ』
「その後も、人を襲ってきたのか?」
何も知らなければ、ただ恐ろしい怨屍だと思っていられた。
だが、今は、目の前の男も理不尽に命を奪われた人間だったと知っている。
だからといって、その後にしたことまで、なかったことにはできない。
『襲った』
ハジメは俺から目を逸らさなかった。
『魂も喰らった。数え切れぬほどにな。本能のままに』
喉の奥が詰まる。
怨屍は魂を喰らい、力を増す。
それは知っていた。
終禍であるハジメが、そこに至るまでに何をしてきたのか。
考えれば、分かることだった。
「その人たちは、お前を殺した人たちとは関係ないだろ」
『ない』
「だったら……」
『恨んでいた。力も欲した。そのために、関わりのない者まで喰らった。全て、俺がしたことだ』
言い訳はなかった。
苦しかったから仕方がないとも、怨屍だったからどうしようもなかったとも言わない。
俺の脳裏に、あの日の光景が浮かんだ。
傷つきながら、俺を守ってくれた伊鶴さんや珠代さん。
倒れた死神の方たち。
血の広がる道路。
目の前にいる男は、その騒ぎを起こした相手でもある。
「事情を知ったからって、お前のしたことを許せるわけじゃない」
『分かっている』
「でも、だからって俺の手で終わらせていい理由にもならないだろ」
ハジメの眉が僅かに動いた。
無言のまま時が流れる。
川沿いの草が風に揺れる。
葉の擦れる音が、やけに大きく聞こえた。
「颯斗君」
隣にいた彰さんが、静かに俺を呼んだ。
「少し、説明しておこうか」
「……はい」
「霊珠の武器で核を壊すことは、魂そのものを消すことではないよ」
彰さんの説明に耳を傾ける。
「壊すのは、怨屍を怨屍として留めている核だ。そこに凝り固まった念を断ち、魂を解放する。それが浄化だよ」
三条先生から聞いた話を思い出す。
学校で、怨屍になりかけていた霊の核を壊した時。
先生も、念から解放するのだと言っていた。
「じゃあ、こいつも……」
「怨屍ではなくなる。そして、その魂は黄泉へ送られることになるんだ」
彼は知っていたのだろう。
驚く様子もなく、彰さんの話を聞いていた。
「ただし、浄化されたからといって、してきたことまで消えるわけではない」
彰さんの表情から、いつもの柔らかさが消えた。
「君が襲ったことも、僕たちの仲間を傷つけたこともね」
『承知している』
「……なら、黄泉へ行った後のことも考えてみないかい?」
ハジメが目を細める。
『何が言いたい』
「死神になる気はないか、ということだよ」
「……え?」
思わず声が漏れた。
ハジメもすぐには返事をしなかった。
彰さんは、いつもと変わらない口調で続ける。
「それだけの力と経験がある。今度は、魂を守るために使ってみる気はないかな」
『俺を、死神にすると?』
「ああ。もちろん、今ここで全てが決まるわけじゃない。黄泉へ行ってから必要な話はする」
ハジメは、彰さんの真意を測るように黙り込んだ。
『随分と物好きなことだな。俺が何をしたか、忘れたわけではあるまい』
「忘れていないよ。だからこそ、何もかも終わりにしてしまう以外の道もあると伝えているんだ」
彰さんは一度言葉を切った。
「このまま黄泉へ行って、何もするつもりがないのなら、いずれ輪廻へ戻ることになる。それなら、その強さを死神として活かしてくれた方が、僕たちとしても助かるからね」
彰さんが俺にも話を振る。
「颯斗君のことも、気になるんじゃないかい?」
質問にハジメは答えなかった。
「君の兄がどうして彼の中にいるのか。これからどうなるのか。見届けたいとは思わない?」
『……俺が死神となることを、貴様は望むのか』
それまで彰さんと話していたハジメが、今度は俺に答えを求めた。
自分に答えを求められたのだと気づき、返事が一拍遅れる。
「それは……すぐには答えきれない」
正直に答える。
「急に信用しろって言われても、今すぐには無理だ。それに、まだお前が怖くなくなったわけでもない」
刀を握っている手は、まだ完全には緩められない。
ハジメは俺の言葉を黙って聞いていた。
「でも、やり直す機会があってもいいと思う。きっと、お前の兄さんもそう考えていると思う」
『……そうか』
短い返事だった。
ハジメは少し黙った後、彰さんへ告げた。
『貴様の話、受けよう』
「死神になる、ということでいいんだね?」
『ああ』
ハジメは迷いを断つように頷いた。
『兄者が守ろうとしたこの者を、今度は俺も見守りたい』
胸の奥が揺れた。
嬉しいのか、戸惑っているのか、自分でもよく分からない。
ただ、ハジメが初めて、この先のことを口にしたのだと思った。
——
『それでしたら、私たちもお連れください』
不意に、別の声がした。
少し離れた土手の下。
暗がりから、二つの人影が歩いてきた。
長い銀色がかった髪を後ろで束ねた男。
その隣には、自分の背丈ほどもある大太刀を背中に担いだ小柄な少女がいる。
見覚えがあった。
あの日、彰さんたちと戦っていた肆禍だ。
「ロイ。それに、クゼか」
彰さんが二人の名を呼ぶ。
ロイの剣は、腰に下げられたままだった。
クゼも大太刀を振り上げることなく、ハジメの傍へ進んでくる。
『来るなと言ったはずだが』
ハジメの声が低くなる。
『主様が一人で何をなさるつもりか、妾たちに分からぬわけがありませぬ』
クゼは顔を上げ、ハジメを見据えた。
『勝手に決めて、一人で行かれるおつもりだったのじゃろう?』
『……これは俺個人の問題だ』
『妾にとっても、他人事ではない』
クゼの手が、強く握りしめられた。
怒りを滲ませながらも、その声は戦っていた時とは少し違っていた。
ロイが一歩前へ出る。
『主が黄泉へ行かれるのでしたら、私も同行いたします』
『付き合う必要はない。お前たちは、お前たちの好きに生きればよい』
『ですから、そう申し上げています』
静かな声だった。
『私の意思で、貴方にお供したいのです』
ハジメは返事をしなかった。
ロイが彰さんへ尋ねる。
『先ほどのお話は、私たちにも当てはまりますか』
「死神の話かい?」
『はい』
「やる気があるなら、誰でも歓迎だよ。ただ、主である彼に従うだけでは困る。死神として守るべきものは、彼一人ではないからね」
ロイは目を伏せた。
『承知しています』
『妾も同じじゃ。置いていかれるくらいなら、死神にでもなる』
「今の説明、ちゃんと聞いていたかい?」
『聞いておるわ。妾とて、ただ駄々をこねに来たのではない』
彰さんへ不満そうな顔を向けてから、クゼはハジメへ訴える。
『主様。妾も連れていってくだされ』
ハジメが、ゆっくりと息を吐く。
『……好きにしろ』
『言われずとも、そのつもりじゃ』
クゼの表情が、ようやく少し緩んだ。
あの時は、恐ろしい相手でしかなかった。
今も、彼らが何をしたかは忘れていない。
それでも、誰かについていきたいと願う姿は、俺の知っている人間と大して変わらなかった。
先ほどまでより、三人をただの怨屍として見ることは難しくなっていた。
けれど、だからこそ、このままではいられない。
「颯斗君」
彰さんが静かに声をかける。
「無理なら、僕が引き受ける。君がやらなければいけないことではないよ」
ハジメは何も言わなかった。
先ほどの願いを、もう一度口にすることもない。
俺は自分の刀を見た。
これで核を壊しても、魂が消えるわけではない。
怨屍ではなくなり、黄泉へ行く。
そこから先にも、彼らの生は続いていく。
「……俺が、やります」
顔を上げる。
「ハジメは、俺に頼んだんですから」
彰さんは、それ以上止めることはしなかった。
俺は、ハジメの前へ立つ。
「まだ、お前を許せたわけじゃない」
『ああ』
「でも、死神になるって決めたなら……今度は、誰かを守るためにその力を使ってくれ」
『違えはせぬ』
その言葉を聞いてから、刀を持ち直した。
ハジメは両腕を下ろし、静かに立っている。
目を閉じてもいなかった。
俺の手元ではなく、俺自身を見ていた。
左胸の奥。
幾重にも重なった黒い霊力の中心に、核がある。
これまで戦ったどの怨屍よりも、濃く、重い気配だった。
深く息を吸う。
切っ先を定めたところで、指先に力が入りすぎていることに気づいた。
一度、握り直す。
『颯斗』
「……何だよ」
『頼んだぞ』
その時、ハジメが初めて笑った。
『次に会う時は、兄者にも、お前にも、恥じぬ姿になって見せよう』
「……期待してる」
一度息を吐き、余計な力を抜く。
俺は一歩踏み込み、刀を突き出した。
刃が左胸へ沈む。
その奥で、硬いものへ触れる感触があった。
ハジメは動かない。
俺は両手に力を込め、そのまま刃を押し込んだ。
核に亀裂が走る。
次の瞬間、核が砕ける感触が、刀を通して伝わってきた。
黒い靄が溢れ出す。
刀を引き抜くと、ハジメの胸元から、細かな亀裂が広がっていった。
思わず息を呑む。
崩れていく身体を前にして、理屈では分かっていても、足が動かなかった。
『……世話をかけたな』
ハジメの口元が緩んだ。
指先が灰へ変わる。
羽織の裾も、風にほどけるように形を失っていく。
その姿が見えなくなるまで、俺は目を逸らさなかった。
その奥から、淡い光が零れた。
黒く濁っていた霊力とは違う。
澄んだ光が、一瞬だけ人の輪郭を形作る。
ハジメだった。
怨屍として纏っていた重苦しい気配は、もうない。
こちらを見たハジメの口元が、僅かに緩んだように見えた。
その輪郭はすぐに淡い光へほどけ、夜の中へ静かに消えていった。
「……ハジメ」
返事はない。
けれど、消滅したわけではない。
黄泉へ送られたのだ。
そう分かっていても、核を砕いた感触だけは、まだ手の中に残っていた。
先に彰さんが浄化したロイとクゼも、もう此処にはいない。
三人とも、今は黄泉にいる。
つい先ほどまで誰かの気配があった河川敷が、急に静かになったように感じる。
「三人とも、もう黄泉へ着いているはずだよ」
彰さんが静かに言った。
「僕はこれから向こうに戻るよ。その後の手続きもあるからね」
「……お願いします」
「うん。颯斗君は今日はもう帰って休むといい」
返事をしかけて、ふとハジメの最後の表情を思い出す。
「彰さん」
「何だい?」
「……あいつ、本当に死神になれると思いますか?」
彰さんは少し考えてから答えた。
「それを決めるのは、これからの彼だよ」
その言葉に、少しだけ肩の力が抜けた。
彰さんが黄泉への門を開く。
「それじゃあ、またね」
「はい、お願いします」
彰さんの姿が向こう側へ消え、入口が閉じた。
河川敷には、俺一人が残された。
ハジメを許したわけではない。
これまでしてきたことまで、なくなるわけでもない。
それでも、あいつは終わることではなく、この先を選んだ。
次に会う時、どんな姿で俺の前に立つのか。
その答えを知るのは、もう少し先になりそうだった。




