51話 終業式
あれから月日は流れ、あっという間に終業式の日になった。
体育館で校長の長い話を聞き終え、教室へ戻る頃には、制服の背中が少し汗ばんでいた。
開け放たれた窓から、蝉の声が聞こえてくる。
風が入るたびにカーテンが膨らむが、それだけでは暑さは引かなかった。
担任から夏休み中の注意事項を聞き、配られたプリントを鞄へ入れる。
宿題の提出日。
休み明けのテストについて。
どれもまだ先のことに思えるのに、紙の上には、きっちり日付が書かれていた。
「それじゃあ、事故や怪我のないように」
最後の挨拶が終わると、教室のあちこちで声が上がった。
「やっと夏休みだー」
「今日、この後どうする?」
「とりあえず飯じゃね?」
さっきまで眠そうにしていた生徒まで、もう立ち上がっている。
俺も机の中を確かめ、残っていた教科書を鞄へ詰めた。
持ち上げてみると、思っていたより重い。
「颯斗、帰ろうぜ」
顔を上げると、浩透と慧が待っていた。
「おう。ちょっと待って」
鞄の口を閉じ、二人のところへ向かう。
「お前、何でそんなに荷物多いの?」
慧が俺の鞄を見た。
「机に残してた分」
「少しずつ持って帰っとけばよかったのに」
「昨日もそう思った」
「思っただけかよ」
浩透に笑われながら、教室を出た。
廊下も、帰る生徒たちで混み合っている。
人の流れに合わせて階段を下り、昇降口へ向かった。
外へ出た途端、強い日差しに思わず目を細める。
まだ昼前だ。
いつもの下校時間とは違い、校門から続く道にも、濃い影が落ちていた。
「明日から、ゆっくり寝られるなー」
慧が伸びをしながら言う。
「宿題は?」
「浩透、今それ言う?」
「いつもギリギリで泣きついてくるだろ」
「うっ……今日くらい忘れさせてくれよ」
嫌そうな顔をする慧に、俺も笑った。
「分かんないところあったら連絡していい?」
「いいよ」
「助かる。二人がいれば何とかなるな」
「全部溜めてから送ってくるなよ」
「……できるだけ」
「そこは約束しろよ」
浩透がすぐに突っ込む。
そんな話をしているうちに、道が二つに分かれた。
慧が足を止め、俺たちとは反対側を指す。
「じゃ、俺こっち」
「おう。またな」
「夏休み、どっか遊びに行こうぜ」
「いいな。また集まって予定立てるか」
「だな」
慧は片手を上げ、そのまま歩いていった。
遠ざかる背中を見送り、浩透と並んで歩き出す。
「慧、あれ絶対ぎりぎりまでやらないだろ」
「でも、分かんないって言いながら、自分で結構考えてるんだよな」
「ああ。途中までやってから聞いてくるよな」
この前、見せてもらったノートにも、何度も書き直した跡が残っていた。
面倒だとは言っても、最初から答えだけ聞こうとはしない。
そういうところは、慧らしいと思う。
少し歩いたところで、背後から足音が聞こえた。
「颯斗ー!浩透ー!」
振り返ると、紗奈がこちらへ走ってきていた。
俺たちが足を止めると、紗奈はその手前で速度を緩める。
肩に掛けた鞄を持ち直しながら、隣へ並んだ。
「よかった、追いついた」
紗奈は手で顔を扇ぎ、大きく息を吐いた。
「あっつ……。二組、終わるの遅かったんだよね」
「こっちも、そんなに早くなかったよ」
「じゃあ、私が教室で話してた分かな」
「それじゃねえか」
浩透が笑う。
三人で歩き出すと、紗奈が俺たちの顔を順に見た。
「旅行の行き先決まった?結局、どこ行く?」
——
夏休みに、何処かへ旅行に行こう。
球技大会の帰りに浩透から出た話は、その後、紗奈も誘って三人で行こうということになっていた。
ただ、行き先だけはまだ決まっていない。
「海とか山とか、色々言ってたよな」
「泊まりで行くんだし、いつもと違うところがいいよね」
近場で遊ぶだけなら、日帰りでもできる。
折角なら、少し遠くまで行ってみたい。
「颯斗、行きたいところないの?」
「うーん……」
修学旅行と被らない場所が良いよな。
今年は確か、中国地方と四国地方とか言っていた気がする。
なんで京都や大阪じゃないんだと、結構ブーイングが入っていた。
「……京都とか?」
「京都?」
浩透が顔を向けた。
「街を歩くだけでも面白そうだし。寺とか神社とか、見て回るのもよくないか?」
「いいじゃん」
紗奈がすぐに頷いた。
「私も行きたい。食べ歩きとかもしたいし」
「そっちかよ」
「そっちも、ね。ちゃんと観光もするよ」
「でも、あれも食べたい、これも食べたいってなりそうだな」
「浩透だって、見たら食べるでしょ」
「まあ、食べるけど」
素直に認める浩透に、つい頬が緩んだ。
紗奈はすでに行く気になっているらしく、鞄から携帯を取り出しかけた。
けれど、歩きながらは見づらかったのか、すぐに戻す。
「帰ったら、行きたいところ調べて送るね」
「おう。俺も見てみるわ」
「じゃあ、京都で決まり?」
「俺はいいぞ」
浩透が俺へ顔を向ける。
「颯斗も、それでいいよな?」
「うん。京都に行くか」
口にすると、まだ曖昧だった旅行の話が、急に具体的になった気がした。
どこを回るか。
何を食べるか。
何泊できるだろうか。
考えたいことが、幾つも浮かんでくる。
「あ、それと」
紗奈が、何かを思い出したように声を上げた。
「うちのお母さんとお父さんも、一緒に行くって」
「……え?」
思わず、紗奈を見る。
「二人とも?」
「うん。泊まりで旅行するって話したら、じゃあ私たちも行こうかって」
「いつの間にそんな話に」
「昨日。二人とも、日程が合えば行けるみたい。保護者もいた方がいいだろうしって」
確かに、中学生だけで泊まりの遠出をするとなれば、親同伴になるのも当然だ。
子供って面倒だなと、少し思ってしまう。
隣で聞いていた浩透が、あ、と声を漏らした。
「そういや、咲希も行きたいって言ってた」
咲希は、浩透の一つ下の妹だ。
昔から浩透によくくっついており、遊ぶ時なんかは着いてきがちだった。
あの時、浩透を失った咲希が酷く塞ぎ込んでいたことを、俺は知っている。
それだけ浩透のことが好きなのだ。
回帰前に咲希と会ったのは、高校生の頃が最後だった。
久しぶりに顔を見られると思うと、少し懐かしい気持ちになる。
「咲希ちゃんも?」
「親に旅行の話してたら聞かれてさ。俺が行くなら、自分も行くって」
咲希なら言いそうだ。
俺は二人を交互に見た。
「三人じゃなかったのかよ」
「増えたね」
「だな」
あっさり返される。
一人二人増えたところで、別に困ることもない。
それに、麗羅さんたちが一緒なら、俺たちだけで遠出するより、ばあちゃんも安心するだろう。
幼い頃から、麗羅さんと修哉さんには、紗奈と一緒に可愛がってもらっている。
二人とも話しやすいし、俺としても特に気を遣う相手ではなかった。
「駄目だった?」
「いや、全然」
「よかった。お母さん、もう結構楽しみにしてるから」
「早いな……」
「そういや、咲希も何持っていこうかなって言ってたな」
「まだ日付も決まってないだろ」
そう言うと、浩透も納得したように肩を竦めた。
二人とも、もうすっかり旅行へ行く気になっているらしい。
それなら、こちらも早めに予定を固めた方がよさそうだ。
「俺も帰ったら、ばあちゃんに話しておくわ」
「うん。日程は、皆の都合を聞いてから決めよ」
「宿や移動とかも調べないとな」
「あと予算も」
「だな」
紗奈は少し考えるように空を見上げた後、こちらへ顔を向けた。
「でも、楽しみだね。いつかは行きたかったし」
「ああ」
話しているだけで、もう少し楽しみになっていた。
——
いつもの分かれ道で、浩透が足を止めた。
「じゃあ、日程分かったら送るわ」
「おう。俺も確認しとく」
「咲希ちゃんにも、京都になったって伝えておいてね」
「了解。喜ぶと思う」
浩透は片手を上げ、自分の家の方へ歩いていった。
俺と紗奈も、並んで帰り道を進む。
昼の日差しは強く、塀の影を選んで歩いていても暑かった。
それでも、あっという間に我が家の門が見えてきた。
「じゃあ、またね。京都のこと、調べたらグループの方に送っとくね」
「うん。俺も見とく」
「ちゃんとおばあちゃんに聞いといてね」
「おう」
紗奈を見送り、自分の家の門を開ける。
「ただいまー」
玄関へ入ると、外より少し涼しい空気にほっとした。
重い鞄を一度床へ下ろし、靴を脱ぐ。
昼食時、ばあちゃんにさりげなく旅行のことを伝えると、思っていたよりもあっさりと許可が下りた。
部屋へ戻ってから、早速二人へ連絡する。
ほどなく紗奈から返事が来て、その後には、行ってみたい場所の画像が幾つも送られてきた。
さっき帰ったばかりなのに、もう調べていたらしい。
画面を眺めながら、気になったところを探していく。
浩透が送ってきた食べ物の写真に、紗奈がすぐ反応していた。
この調子だと見て回る場所より、食べたいものの方が先に決まりそうだ。
苦笑しながら、俺も一つ送った。
——
夕食を終えた後も、旅行の話は続いていた。
紗奈の送ってきた候補を見ながら、浩透と、全部回るのは無理じゃないかと言い合う。
すると紗奈から、まだ候補なんだからいいでしょ、と返ってきた。
画面を見ながら笑い、携帯を机へ置く。
窓の外は、すっかり暗くなっていた。
少しだけ外の風に当たりたくなり、部屋を出る。
玄関で靴をつっかけ、門の近くまで歩いた。
昼間の熱はまだ残っている。
けれど、時折吹く風は、少し涼しかった。
明日からは、朝の時間にも余裕がある。
宿題を少し進めて、それから旅行のことを調べよう。
日程が決まったら、彰さんにも伝えておかなければならない。
「京都旅行、楽しみだな」
皆で歩いているところを想像すると、自然と口元が緩んだ。
『旅行か。随分と呑気なものだな』
聞き覚えのある声が、誰もいないはずの背後からした。




