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彼岸回帰録~巻き戻った世界が人外魔境だった件~  作者: 瑠衣
1章

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50話 師から見た弟子

彰視点

 怨屍の爪が、顔のすぐ横を通り過ぎた。


 半歩踏み込み、刀を振るう。

 刃は脇の下から胸へ抜け、その奥にある核を砕いた。


 振り返る必要はなかった。


 背後で霊力が薄れ、重い身体が崩れていく。

 次に飛びかかってきた一体も、着地する前に斬り伏せた。


「……これで終わりか」


 刀を下ろし、周囲を見渡す。


 山沿いに建つ、使われなくなった倉庫。

 割れた窓から差し込む光の中を、黒い灰が漂っていた。


 奥まで霊力を探ってみる。

 もう、何も残っていない。


 朝から幾つかの場所を回っているが、数はいても一太刀で終わる相手ばかりだった。


 被害が出る前に片づくのだから、それでいい。

 いいのだけれど。


「もう少し、手応えがあってもいいんだけどね」


 誰もいない倉庫で呟き、刀を戻した。


 外へ出ると、湿った風が頬を撫でる。

 山の向こうには、薄く雲がかかっていた。


 次は海沿いだ。

 そちらを片づけたら、また西へ向かう。


 西日本全体を回るとなると、討伐そのものより、移動に時間を取られることも多い。

 今日も、どうやらそうなりそうだった。


 ——


 近畿の市街地から、中国地方の山間へ。

 四国の海沿いを回り、午後には九州へ足を延ばした。


 街並みも、風の匂いも変わっていく。

 ただ、出会う怨屍の強さには、それほど違いがなかった。


 海に面した空き地で、獣のような怨屍が地面を蹴る。


 突き出された角を躱し、その首元へ刀を滑らせた。

 身体を返す勢いで胸を斬り、核を砕く。


 砂埃が落ち着く頃には、もう灰しか残っていなかった。


「僕も、終禍と戦いたかったなぁ」


 思わず、そんな言葉が漏れた。


 先日の襲来で現れた、あの怨屍。

 間近に感じた霊力も、颯斗君を追い詰めた力も、よく覚えている。


 もし、正面から刀を交えていたら。

 どこまで通じて、どんな攻撃を返してきただろうか。


 考えるだけで、気分が浮き立つ。

 

 僕自身、相手そのものにはかなり興味を惹かれていた。


 対峙した肆禍たちも悪くはなかった。

 二本の刀を使う男と、風を操る女。

 一方を崩しても、もう一方が間へ入ってくる。

 それに指示を出す男もまた良かった。


 肆禍を複数、同時に相手にする機会なんて、そうあるものではない。

 状況が状況でなければ、もっと楽しめただろう。


 けれど、あの場ではそれを許されなかった。

 周囲では皆が傷つき、颯斗君にも手が届かなかった。

 相手の技を好きなだけ見ていられる余裕はなかった。


 そして、僕自身も判断を誤った。

 まだ大丈夫だと見ているうちに、颯斗君への被害は想定を越えていた。


「……次があるなら、場所は選びたいね」


 もっとも、向こうがこちらの都合に合わせてくれるはずもない。


 刀に残った霊力を払い、顔を上げた。

 まだ少し離れた場所に、別の気配がある。


 そちらへ足を向けながら、昨日の颯斗君の動きが頭をよぎった。


 ——


 参禍を前にしても、彼の足は止まらなかった。


 力任せに攻撃を受けず、刃を傾けて流す。

 攻めきれないと分かれば、無理をせずに引く。


 そして、相手の腕が邪魔なら、術で動かしてから斬り込む。


 僕が口を出す前に、自分で考えて動いていた。


 あの参禍なら倒せる。

 そう判断して任せたのだから、勝ったこと自体に驚きはない。


 けれど、最後の一太刀が核へ届いた時には、思わず笑ってしまった。


 ちゃんと、自分の力で倒した。


 そのことを、彼自身が分かっている顔をしていたからだ。


「伊鶴も、驚いてて面白かったな」


 危険だと反対していた伊鶴は、戦いが始まると口を挟まなかった。

 ただ、颯斗君が動くたびにそわそわしていた。


 僕もいたのだから、そこまで気を張らなくてもよかったのに。


 そう思う一方で、彼が慎重になる理由も分かる。

 以前の颯斗君を見ていれば、すぐに一人で任せる気にはならないだろう。


 初めて会った頃は、随分と危なっかしかった。

 知らないことを聞くたびに戸惑い、戦えるだけのものを持っていても、どう使えばいいのか自分でも分かっていないように見えた。


 それが、日頃の鍛錬の成果もあり、一人で参禍を倒せるまでになった。


 随分と強くなったものだ。


 建物の陰から、細長い腕が伸びてきた。


 考え事を続けたまま、その手首を斬り落とす。

 怨屍が身を引くより先に踏み込み、左胸へ刀を突き入れた。


 短い呻き声が途切れる。


 刀を引き抜きながら、昨日の彼なら今の攻撃をどう処理したか、と考えていた。


 避けてから斬るだろうか。

 それとも、腕を流して懐へ入るか。


 次の鍛錬で、少し似た動きを試してみてもいい。


 そう思うと、自然と口元が緩んだ。


 颯斗君の成長は、身体や霊力だけの話ではない。


 死んだと思ったら世界の時間が戻っていた。

 その上、突然、知らなかった世界へ放り込まれた。

 自分の身に関わる話も、理解しきる前に次から次へと増えていく。


 戸惑わないわけではない。

 納得できず、問い返すこともある。

 

 それでも、必要なことを聞き取り、自分で考えて使える。

 昨日の術もそうだった。

 威力で押すのではなく、刀を届かせるために使った。


 教えたものを、自分の中で繋げ始めている。

 そういうところを見るのは、教える側としても面白い。

 

 肉体は十三歳でも、中身は一度、大人になるまで生きている。

 その経験も、飲み込みの早さに繋がっているのだろう。


 始祖の直系子孫。


 それを知れば、あの霊力の高さにも、特徴的な目の色にも納得はいく。

 どちらも、人として暮らしてきた少年のものとしては目立ちすぎていた。


 けれど、血筋を知っただけで、すべて分かったことにはならない。


 潤沢な霊力があっても、使えなければ持て余す。

 教えたことを理解し、失敗したところを直し、次に繋げるのは本人だ。


 昨日、参禍を倒したのは、そうして積み重ねてきた颯斗君だった。


 ただ——。


「あの時は、そうじゃなかった」


 終禍と向き合っていた、彼の姿が浮かぶ。


 立ち方も、刀の扱いも。

 何より、相手を見る目が違っていた。


 急に力を引き出せるようになった、というだけでは説明できない。


 自分がどれほど動けるのか。

 相手が何をしてくるのか。

 その距離なら、どこへ刃を置けばいいのか。


 すべてを知っている者の動きだった。


 颯斗君の身体で、別の誰かが戦っていた。


 そう考えるのが、一番しっくりくる。


 僕へ向けられた、あの静かな視線。

 感情を荒立てることなく、相手を斬ることに一切迷いのない目。


 ほんの一瞬だった。

 すぐに意識を失ってしまったから、確かめることもできなかった。


 あの動きは、何千年か前に行方不明になった、あのヒトに似ていた。

 

 颯斗君とあのヒトの間に、何か繋がりがある。

 そう考えても、あり得ないとは言い切れない。

 

 ただ、それを断定するには情報が足りなすぎる。

 

 一度疑いを持つと、これまで引っかかっていたことまで別の意味を持って見えてくる。


 ——


 山道を外れ、木々の間へ入る。


 足元に積もった枯れ葉が、靴の下で乾いた音を立てた。

 奥にいる怨屍は、まだこちらへ気づいていない。


 その背を見ながら、初めて颯斗君の剣を受けた時のことを思い返す。


 彼は、僕と会う前から剣術を身につけていた。


 構えだけを真似たものではない。

 足の運びも、刃の返し方も、繰り返し身体へ覚え込ませた動きだった。


 戸惑っている時でさえ、刀が来れば身体が反応する。

 そのあたりは、最初の印象と随分違っていた。


 そして、その剣に見覚えがあった。


 すべてが同じというわけではない。

 まだ粗いところも多く、本人の癖も混じっている。


 ただ、打ち合いの途中で見せる動きに、何度か引っかかるものがあった。


 あの踏み込み。

 攻撃を流した後、間を空けずに刃を返す運び。


 当時は、どこかで似た剣を見たのだろうと思っていた。


 でも、今なら。


「あの地域には双識さんもいるし……あのヒトも一時期は頻繁に現世に降りていた」


 小さく呟いたところで、怨屍が振り返った。

 木の幹へ掛けていた爪を離し、こちらへ飛びかかってくる。


 飛び込んでくる気配だけを拾い、刀を突き出す。


 視線は殆ど動かさないまま、切っ先が左胸を貫いた。

 硬い感触が砕ける。


 刀を引き抜きながら、考えを続ける。


 背後では怨屍の身体が黒い靄へ変わり、木々の間へ散っていった。


 あのヒトが、彼の剣に関わっているのだろうか。


 直接教えたのか。

 それとも、別の形で繋がっているのか。


 もしかすると、僕がまだ知らないところで、幾つもの事情が重なっているのかもしれない。


「……一度、話を聞いてみたいな」


 とはいえ、今あるのは、見覚えと推測ばかりだ。


 颯斗君へ話すには、曖昧すぎる。

 彼自身、あの時のことを覚えていないのだから、なおさらだった。


 確かめられることから、確かめていこう。


 刀を霊珠へ戻し、木々の向こうへ目を向ける。

 差し込む光が、少しずつ傾き始めていた。


 今日も、結局は面白みのない相手ばかりだった。


 それでも、いつの間にか次の鍛錬で何を教えようかと考えている自分がいる。


 昨日の動きを踏まえるなら、攻撃を躱した後の選択肢を、もう少し増やしてもいい。

 術を挟む間も、まだ短くできるはずだ。


 そこで、ふと笑ってしまった。


「これじゃ、颯斗君に休む暇がないか」


 今より難しい課題を出せば、きっと困った顔をする。

 そして結局は、「やってみます」と刀を構えるのだろう。


 その時、どんな動きを見せてくれるのか。


 今は、まだ出会ってもいない強い怨屍を探すよりも、そちらの方が楽しみだった。

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