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彼岸回帰録~巻き戻った世界が人外魔境だった件~  作者: 瑠衣
1章

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49話 三度目の参禍戦

 ある週末の午後。


 異界での鍛錬を終え、ひと息ついていた時だった。


「最近、強い怨屍がいなくて退屈だね」


 彰さんが、何でもないことのように言った。


 俺は飲みかけていたお茶を吹き出しそうになる。


「そ、そんなの出ない方がいいじゃないですか!」

「それはそうなんだけどさ。たまには、手応えのある相手とも戦いたいだろう?」

「俺は結構です!」


 つい先ほどまで、何度も地面へ転がされていたばかりだ。

 これ以上、強い相手と戦いたいとは思えない。


 彰さんは楽しそうに笑うと、立ち上がった。


「じゃあ、少し現世を回ってみようか」

「……今の話、聞いてました?」

「聞いてたよ。ほら、十分休憩しただろう。行くよ」


 どうやら、最初から決めていたらしい。


 俺は残りのお茶を一気に飲み、立ち上がった。


 ——


 現世へ戻った俺たちは、空の上を走っていた。


 何度となく怨屍狩りへ連れていかれ、空歩の扱いにもすっかり慣れていた。

 体育の授業で自然と使ってしまうほどには、身体に馴染んでいた。


「どこに向かってるんですか?」


 先を駆ける彰さんに問いかける。

 

「呪域」

「あー……」


 思わず気の抜けた声が出た。

 呪域となれば、一体や二体で済むとは限らない。

 彰さんが一緒なら危険はないだろうが、結局戦うのは俺なのだろう。


 ここまで来て帰るとも言えない。

 小さく息を吐き、腹を括って彰さんの後を追った。


 数分ほど走っていると、彰さんが足を止めた。


 前方に一人の男性がいた。

 死神の隊服を纏った、その姿に見覚えがある。

 何か考えごとをしているのか、下を向いている。


「あれ、伊鶴じゃないか」


 彰さんの声に、男性がこちらを見る。


「彰兄さん……統括長。こんなところで何を?」

「ちょっと呪域を探しにね。伊鶴は巡回?」

「はい」


 短く答えた伊鶴さんの視線が俺へ移った。


「桐生君も一緒か。もう身体はいいのか?」

「はい。おかげさまで」


 こうして顔を合わせるのは、あの襲撃以来だった。


 俺を守るために、傷を負いながらも戦い続けてくれた人。

 黄泉から戻る時には、すでに職務へ戻っていたため、直接礼を伝えられずにいた。


「あの、伊鶴さん。この前は——」

「話は後だ」


 伊鶴さんの目が、俺たちの後方へ向いた。


「怨屍が現れた」


 言われて、伊鶴さんの指した方向を見る。


 どこかの工場の倉庫裏。

 そこには以前見たことのある亀裂と同じものが一本できていた。


 彰さんも同じ方を見て、僅かに目を細める。


「いいところに」


 彰さんの口元が弧を描く。

 

 嫌な予感がする。

 

「俺が行きます。桐生君はここで——」

「待って、伊鶴」


 降りようとした伊鶴さんを、彰さんが呼び止めた。


「ここは、颯斗君に任せよう」

「……一人で、ですか?」


 伊鶴さんが振り返る。

 彰さんはさも当然のように頷いた。


 ……やっぱり、そうなるのか。


「うん。ちょうどいい相手だ」

「相手は参禍ですよ。危険です」

「いや、今の彼なら倒せるよ」


 迷いのない声だった。


 伊鶴さんは俺を見た後、再び彰さんへ視線を戻す。


「だけど——」

「大丈夫。いざという時は助けに入るし」


 彰さんがこちらを向く。


「颯斗君。やれるね?」


 眼下から伝わる霊力へ、改めて意識を向けた。


 強い。


 だが、気配に触れただけで身体が竦むほどではなかった。

 倒せなくはない、そう思った。


「……はい。やってみます」


 刀を顕現させる。


 伊鶴さんは暫く俺を見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。


「分かりました。ただし、危ないと判断したら入ります」

「うん。それでいいよ」


 彰さんが頷く。


 俺は二人へ頭を下げ、気配のする方へ向かった。


 ——


 倉庫の裏手に、使われていない荷捌き場があった。


 ひび割れた舗装の隙間から、雑草が伸びている。

 積み上げられた古い木箱の向こうに、それは立っていた。


 人に近い身体に、肩から不自然に盛り上がった太い腕。

 両手の先には、黒く湾曲した爪が伸びている。


 怨屍は俺に気づくと、ゆっくりと顔を向けた。


 濁った目が、手にした刀を捉える。


 次の瞬間、木箱を蹴散らして飛び出してきた。


 俺も前へ出る。


 頭上から振り下ろされた爪を、斜めに構えた刀で受け流した。

 重い衝撃が腕へ伝わる。


 だが、足は止まらなかった。


 爪を外へ逸らし、そのまま怨屍の脇へ抜ける。

 返す刃で腕を斬りつけると、黒い靄が散った。


 怨屍が身体を捻る。


 もう一方の腕が横から迫った。

 半歩下がって躱し、切っ先を正面へ戻す。


 追ってきた爪を弾き、再び間合いを離した。


 見える。


 爪の動きだけではない。

 振るう直前に肩が沈むことも、踏み込む足へ体重が乗る瞬間も。


 以前なら、迫る攻撃を防ぐだけで精一杯だった。

 今は、避けた後に自分がどこへ動くかまで考えられる。


 怨屍が低く唸り、地面を蹴った。


 大きな身体が、一気に距離を詰めてくる。


 俺は左手を向けた。


「雹水(ひょうすい)二式・氷弾!」


 放った氷弾が、振り上げられた腕へぶつかる。


 爪の軌道が微かに逸れた。

 その外側へ踏み込み、怨屍の左胸へ刃を走らせる。


 しかし、怨屍はもう片方の腕を差し込み、胸元を庇った。


 刃が腕へ食い込む。


 深追いはしない。

 すぐに刀を引き、迫る爪から身を退いた。


 怨屍の腕から、黒い靄が流れ続けている。


 胸元を狙えば、必ず腕を戻してくる。

 なら、その腕を戻せなくすればいい。


 足の位置を変えながら、刀を構え直す。


 視界の端に、伊鶴さんの姿が映った。


 彰さんよりも前へ出ている。

 何かあれば、すぐに俺と怨屍の間へ踏み込める距離だった。

 けれど、刀を振るうことも、声を掛けることもしない。


 俺は目の前の怨屍へ意識を戻した。


 大きく息を吐き、左手へ霊力を集める。


 怨屍が迫った。


 右の爪が横へ薙がれる。

 屈んで躱し、続く左の爪を刀で外へ流す。


 このままなら、懐へ入れる。

 だが、狙うのはまだ胸じゃない。


 俺は踏み込む代わりに、左手を怨屍の足元へ向けた。


「雹水六式・氷牙!」


 舗装を割り、氷の柱が斜めに突き上がった。


 怨屍の左脇を捉え、その腕ごと押し上げる。

 身体が傾き、守っていた胸元が開いた。


 右腕が、俺を振り払おうと動く。


 その爪が届くより先に、一歩。


 怨屍の左胸へ、切っ先を突き刺す。


 硬い感触が手元へ伝わる。

 俺は両足を踏み締め、そのまま刃を押し通した。


 核が砕けた。


 同時に怨屍の動きが止まる。


 振りかけた爪を避けながら刀を引き抜いた。

 低い呻き声が響く。


 怨屍の全身に亀裂が広がり、黒い灰へ変わっていく。

 やがて形を失い、吹き抜けた風に散って消えた。


 刀を構えたまま、気配が完全に消えるのを確かめる。


 他に怨屍はいない。


 そこでようやく、詰めていた息を吐いた。


「……よし」


 刀を下ろす。


 息は少し上がっていたが、身体のどこにも痛みはなかった。


 ——


「よくできたね、颯斗君」


 彰さんが近づいてきた。


「防がれたところへ、そのまま突っ込まなかったのはよかったよ」

「前に、それで刀が抜けなくなったので」

「うん。ちゃんと覚えてたね」


 笑って言われ、俺も少しだけ口元を緩める。


 同じ失敗を、何度もするわけにはいかない。

 そう思っていたことを、実際の戦いで形にできた。


 伊鶴さんも、俺の前まで来て足を止めた。


「怪我は?」

「ありません」

「そうか」


 伊鶴さんは俺の全身を確かめると、ようやく安堵したように息をついた。


「前より、周りが見えるようになったな」

「……そうですか?」

「ああ。攻撃を防いだ後も、足が止まっていなかった。最後の入り方も悪くない」


 短い言葉だった。


 それでも、あの時の俺を知っている人に言われると、胸の内が熱くなる。


「ありがとうございます」


 頭を下げかけ、まだ伝えていなかったことを思い出す。


「あの。それと、さっき言いかけたことなんですけど」


 伊鶴さんが俺を見る。


「この前は、守って下さりありがとうございました」


 今度こそ、しっかりと頭を下げた。


「伊鶴さんも怪我をしていたのに、何度も助けてもらって。戻る時にはもう現世にいると聞いたので。ずっと、お礼を言いたかったんです」

「礼を言うようなことじゃない。俺の仕事だ」


 伊鶴さんは俺から視線を外していた。


「それでも、助けてもらったことには変わらないので」

「……君が無事なら、それでいいさ」


 その言い方があまりにも淡々としていて、それ以上何を返せばいいのか分からなかった。


 けれど、戦いの間も、すぐに助けに入れる場所にいてくれたことは知っている。


「はい。ありがとうございます」


 もう一度礼を言うと、伊鶴さんは一度だけ頷いた。


 隣で聞いていた彰さんが、伊鶴さんへ声を掛けた。


「伊鶴、彼に任せて問題なかっただろう?」

「……ええ。今の戦いなら、手を出す必要はありませんでした」

「だよね」

「ですが、何でも一人でやらせればいいという話ではありませんよ」

「分かってるよ。僕だって、相手は見てる」


 伊鶴さんは何か言いたそうに彰さんを見たが、結局、諦めたように息を吐くだけだった。


 それから、俺へ向き直る。


「桐生君。今日倒せたからといって、次も同じとは限らない」

「はい」

「ただ、今の戦い方は忘れないように。無理に斬り込まなくても、隙は作れる」

「……はい」


 俺が頷くと、伊鶴さんは踵を返した。


「では、俺は巡回へ戻ります」

「うん。お疲れ、伊鶴」

「失礼します」


 去っていく背中へ、俺も頭を下げる。


 伊鶴さんは一度だけこちらへ手を上げ、そのまま倉庫の角を曲がっていった。


 俺は手にしていた刀へ目を落とし、霊珠へ戻す。


 空いた右手を軽く握ると、核を砕いた時の感触がまだ掌に残っていた。


 ふと、あの襲撃の時のことを思い出す。

 結界の中から、伊鶴さんたちが戦う姿を見ていることしかできなかった。

 自分も傷だらけだったとはいえ、何度も守ってもらっていた。


「……あの時は、守ってもらうことしかできなかったんですよね」


 そう口にすると、彰さんがこちらを見た。


「うん。今日は自力で倒せたね」

「はい」


 今でも、伊鶴さんたちと同じようには戦えない。

 あの時と同じ数に囲まれれば、また守ってもらうことになるだろう。


 それでも、以前より前へ進めている。

 そのことは、素直に嬉しかった。


「さて。もう少し歩こうか」


 彰さんが、来た道とは別の方を指す。


「まだ探すんですか?」

「たかが一体だけでは、鍛錬にならないだろう?」

「う……。それは、そうですけど……」


 最初の目的を思い出し、顔が引きつる。


 彰さんはそんな俺を気にする様子もなく、先に歩き出した。

 俺もその隣へ並ぶ。


 歩きながら、さっきの伊鶴さんとのやり取りを思い返す。

 そういえば、気になる呼び方が二つあった。


「彰さん、一つ聞いていいですか?」

「うん?」

「伊鶴さんって、彰さんの弟さんなんですか?」

「違うよ。甥だよ」

「甥?」


 さっきは確かに『彰兄さん』と呼んでいた。


「でも、兄さんって呼んでましたよね」

「うん。昔からそう呼ばれてるんだ。家によって、親戚同士の呼び方も色々あるだろ?」

「……そういうものなんですか?」


 俺にはあまり馴染みがなく、いまいち実感が湧かない。


「ああ、颯斗君は親戚付き合いが少ないんだったね」

「まあ……そうですね」


 彰さんは納得したように頷いた。


 もう一つ、さっきの呼び方を思い出す。


「あと、統括長って何なんですか?」

「ああ、そっちも説明してなかったね」


 統括長は、死送隊全体を取りまとめる立場らしい。

 その下に地方官や護官がおり、各地の状況を把握しながら、必要に応じて指示を出したり、人手の足りない地域へ人員を回したりしているという。


 話を聞くうちに、自然と背筋が伸びた。

 思っていたより、ずっと上の立場の人だったらしい。


「え、それってかなり上の立場じゃないですか。そんな人に俺、毎週のように時間取ってもらってて……」

「気にしなくていいよ。僕が好きで付き合ってるんだから」


 随分と軽い言い方だった。


「……そう、ですね」


 そこで、ふと別の疑問が浮かぶ。


「それともう一ついいですか?」

「うん?なんだい?」

「その、護官や地方官って何なんですか?」

「……それはまた今度、ちゃんと説明するよ。死送隊のことも含めてね」

「……分かりました」


 彰さんは変わらない歩調で先へ進んでいく。


『前より、周りが見えるようになった』


 伊鶴さんの言葉を、もう一度思い返す。

 嬉しさが顔に出そうになり、誤魔化すように前を向いた。


 次も、今日のように戦えるように。


 俺は歩きながら、周囲の気配へ意識を広げた。

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