46話 試験前の鍛錬
中間テストを控えた、土曜日。
今日もいつものように、異界へ鍛錬に来ていた。
彰さんの刀を横へ流し、そのまま懐へ踏み込む。
手応えはあった。
少なくとも、先ほどよりは近い。
だが、刃を返そうとした時には、彰さんはすでに横へ動いていた。
「そっちばかり見ない」
声と同時に足を払われ、視界が傾く。
咄嗟に受け身を取ったものの、背中を打った衝撃で息が詰まった。
起き上がろうとしたところへ、刀の切っ先が向けられる。
「少し休もうか」
彰さんが刀を下ろした。
「……はい」
俺は地面へ座ったまま、長く息を吐く。
近づけたと思った途端、これだ。
攻撃することへ意識が向くと、途端にほかのものが見えなくなる。
差し出された手を借りて立ち上がり、刀を霊珠へ戻した。
「今の踏み込みはよかったよ。そこから、相手がどう動くかも見られるようになるといいね」
「見てるつもりなんですけどね……」
「つもりだけでは、当たらない」
それは、よく分かっている。
苦笑しながら、少し離れた場所で待っていた琴葉さんのもとへ向かった。
「お疲れ〜。はい、お水」
「ありがとうございます」
受け取った水を飲み、腰を下ろす。
喉が潤うと、ようやく肩から力が抜けた。
風が汗をかいた額へ触れ、少しだけ涼しく感じる。
「腕、見せて」
琴葉さんに言われ、左腕を差し出した。
肘の辺りに、転がった時についた擦り傷がある。
淡い光が灯り、ひりつく感覚が薄れていく。
「学校の方はどう?身体、きつくなったりしてない?」
「大丈夫です。普通に授業も受けられてます」
「それならよかった。確か、この前球技大会も終わったんだよね」
「はい。今は、もっぱら中間テストの話ばかりですね」
球技大会が終わってからは、教室でも中間テストの話を耳にすることが増えた。
「ああ、もうそんな時期か。学生は大変だねぇ」
隣へ腰を下ろした彰さんが、こちらを見る。
「それで、試験はいつから?」
「来週です」
答えると、彰さんは少し考えてから口を開いた。
「もうすぐじゃないか。流石にテスト前となると、明日の鍛錬を休んでおくかい?」
「いえ、大丈夫です」
「勉強する時間は足りる?」
「はい。範囲は一通り確認しましたし、分からないところも殆どなかったので」
別に無理をしているわけではない。
この時代に戻る前に、一度は学んだ内容だ。
その後も使っていた計算や英語なら、今の範囲より先のことまで覚えている。
細かな用語に関しては忘れているものもあったが、教科書を開けば思い出せた。
前日にもう一度見直しておけば、十分に対応できる内容だった。
「なので、明日もいつも通りお願いします」
彰さんは俺の顔を見てから、小さく頷いた。
「……分かった。君がそう言うなら、そうしよう」
「はい」
「ただ、やっぱり厳しいとなったら言ってね。本業を後回しにしてまで、来る必要はないから」
「分かりました」
普段は容赦なく刀を振ってくるが、こういうところは、きちんと気にかけてくれる。
「私からも一言。寝る時間まで削っちゃ駄目だよ」
琴葉さんも、治療を終えた腕から手を離した。
「それは大丈夫です。昨日も普通に寝ましたので」
「うん。ならばよし!」
俺は礼を言いながら肘を曲げ伸ばしし、痛みがなくなったことを確かめた。
——
「ちなみに、今はどんなことを勉強しているんだい?」
彰さんに聞かれ、試験範囲を思い浮かべる。
数学や、英語の文法、古典で何をやっているか。
理科と社会についても覚えている範囲で答えると、そこから思いがけず話が広がった。
歴史の範囲を聞いた彰さんは、当時の様子を話してくれた。
よく立ち寄っていた店のこと。
その時代ごとの食事。
歴史の裏事情など。
教科書には載っていない話ばかりだった。
最初は、随分と詳しいのだと思って聞いていた。
だが、途中から話し方が気になり、尋ねてみる。
「……それ、もしかしなくても彰さんが実際に見たんですか?」
「そうだよ。今も昔も死送隊に所属していたからね。黄泉にいるより、現世は面白い出来事が多くて飽きない」
あっさりと肯定された。
隣の琴葉さんまで、懐かしそうに話へ加わる。
同じ時代でも、訪れていた場所は違ったらしい。
彰さんが賑やかな町の話をする一方で、琴葉さんは呉服店や甘味の話をしていた。
時折、互いの話へ口を挟んでは笑っている。
俺が生まれるより、ずっと前のことだ。
それなのに、二人の間では普通の思い出話になっていた。
さらに驚いたのは、外国語の話だった。
英語の試験範囲を伝えると、彰さんは例になる短い文を、そのまま英語で口にした。
琴葉さんも自然に返事をする。
「二人とも、英語もできるんですね」
「多少はね。黄泉にも、外国から来る人が少なからずいるから」
「話してるうちに少しずつ覚えたんだよ。最初は身振りも多かったけどねぇ」
必要になった言葉を聞き、覚えたものを使ってみる。
通じなければ、また教えてもらう。
それを繰り返してきたのだという。
ただし、何でも分かるわけではないらしい。
彰さんには会話ができても読み書きはあまり得意でない言語があり、琴葉さんにも、治療で使う言葉ばかり覚えているものがあるそうだ。
その流れで、俺も簡単な英会話に付き合うことになった。
明日は何をするのか。
普段、何時に起きるのか。
好きな食べ物は何か。
聞かれた内容は分かる。
答えに必要な単語も知っている。
それでも、すぐに口から出そうとすると、思った以上に詰まった。
「……読むのと、話すのって違いますね」
「考える時間が違うからね。最初は短く答えればいいよ」
彰さんに言われ、もう一度答えてみる。
今度は途中で止まらずに言えた。
琴葉さんが頷き、少しだけ発音を直してくれる。
「そうそう。それならちゃんと伝わるよ」
「試験なら書く前に考えられるんですけど」
「会話も慣れだよ。相手の返事を聞いて、また使っているうちに覚えるから」
前の人生で習った英語も、こうして話す機会は殆どなかった。
知っているつもりでも、使おうとすると足りないところが出てくる。
理科の話では、琴葉さんの方がよく喋った。
身体の仕組みから、怪我が治っていく時のことまで。
俺が教科書で読んだことへ、次々と説明が加わっていく。
「治癒術が使えても、身体のことを知らなくていいわけじゃないからねぇ。どうなっているのか分かっていた方が、細かいところまで見られるでしょ?」
琴葉さんは、先ほど治してくれた俺の肘へ目を向けた。
普段は、光に包まれて痛みが消えるところしか見ていない。
だが、その間にも、琴葉さんは傷の状態を確かめながら治してくれているのだろう。
そこへ彰さんも話を挟んだ。
ただ、同じ身体の話でも、こちらは少し方向が違った。
どこに無理がかかると動きが止まるのか。
相手の姿勢をどう崩せば、少ない力で倒せるのか。
話しているうちに、だんだん鍛錬の説明へ近づいていく。
「……彰さんの話、倒す方に寄ってませんか?」
「そうかな。身体の仕組みを知っておくのは、大事だよ」
「それは分かりますけど」
「彰は、どうすれば早く仕留められるか、という方向性で覚えてることが多いからねぇ」
琴葉さんが楽しそうに言う。
「治すのも、倒すのも、知らないよりは知っていた方がいいだろう?」
「言い方が物騒なんですよ」
思わず返すと、彰さんは笑った。
さっき足を払われた時のことを思い出す。
俺は踏み込めたと思っていたが、彰さんには、簡単に崩せる姿勢に見えていたのかもしれない。
力や速さだけで転がされているわけではないのだと、今さらながらに分かった。
——
話を聞いているうちに、水の残りは少なくなっていた。
俺は蓋を閉め、二人を見る。
彰さんたちについては、強さや術の扱いに驚かされることが多い。
どうすればあれほど速く動けるのか、どれだけ練習すれば同じことができるのか。
普段、考えるのはそんなことばかりだった。
けれど、積み重ねてきたものは、それだけではない。
知らない言葉を覚えたこと。
色々な土地で暮らす人たちと接してきたこと。
戦うために、あるいは治すために、身体の仕組みを学んできたこと。
今こうして何気なく話してくれる内容にも、長く生きてきた時間が表れている。
俺は一度、中学生を経験している。
その分、今回の試験では有利だ。
それでも、二人の話を聞いていると、知らないことばかり出てくる。
物凄く長い年月を生きている。
言葉では分かっていたつもりだったが、その意味を少し実感した気がした。
「どうしたんだい?」
彰さんに声をかけられ、顔を上げる。
「いえ。二人とも、色々知っているんだなと思って」
「長くやっていれば、覚えることも増えるよ」
「忘れちゃうこともあるけどね」
琴葉さんが付け足す。
「さっきのお店の話だって、彰、最初は別の店と間違えてたでしょう?」
「あれは、似た場所にありましたからね」
「店の人も違うって、自分で言ってたじゃない」
「……そうだったかな」
二人のやり取りに、思わず笑った。
何でも完璧に覚えているわけではないらしい。
そういうところは、長く生きていても変わらないのだろう。
「そういえば、三条先生から聞いたんですけど、お二人ってかなり長く生きているんですよね?」
「三条……ああ、晴樹か。うん、そうだね。でも、僕は晴樹より少しだけ若いかな」
三条先生は、二千歳を余裕で超えていると言っていた。
それより若いと言われても、もう具体的な年齢は想像できそうにない。
「そんなこと言っても、貴方たち、百歳ちょっとの差でしょ」
琴葉さんの言葉に、思わず二人を見る。
「……百歳って、ちょっとなんですか?」
「私たちからしたら、まあねぇ」
「そのくらいなら、ほとんど同年代みたいなものだよ」
百年を誤差のように言われても、こちらとしては全く共感できない。
以前の俺なら、百歳と聞くだけでも十分驚いていたはずだ。
そもそも信じられなかっただろう。
「まあ、そんなの琴葉さんからしたら微々たる差ですね。颯斗君、琴葉さんの年齢を聞いたらびっくりするよ。なんせ数千は超えて——」
「ちょっ、ストップ、ストップー!何、女の子の年齢を暴露しようとしてるのよ!」
言い終わるより早く、琴葉さんが身を乗り出し、彰さんの口を手で塞いだ。
彰さんは抵抗するでもなく、目だけを琴葉さんへ向ける。
「勝手に言わないでよね!」
念を押してから、琴葉さんがようやく手を離した。
「女の子って。貴女、かなりの歳じゃないですか」
「何よっ。別に肉体は老いたりしないんだから良いじゃない!」
「女神ですしね。良かったですねー」
「もう、何よ!」
さっきまで歴史や身体の仕組みについて話していた時とは違い、急に言い合いが始まった。
数千年生きていても、年齢を勝手に言われたくないのは変わらないらしい。
「……ちなみに、琴葉さんって実際は」
「颯斗君?」
「何でもないです」
口元は笑っているのに、目だけは笑っていなかった。
これ以上聞くのはやめておいた方がよさそうだ。
隣では彰さんが、何事もなかったように飲み物へ口をつけている。
本人はまったく懲りていないらしい。
とはいえ、まだ聞いてみたいことはいくらでもある。
昔の現世がどんな場所だったのか。二人がこれまで何を見て、何を覚えてきたのか。
教科書を読むだけでは知れない話ばかりで、聞いていて飽きなかった。
彰さんは飲み物を置き、立ち上がった。
「さて。そろそろ再開しようか」
「もうですか?」
「十分休んだだろう?」
もう少し、昔の話を聞いていたかった。
だが、既に息は整っている。
腕を動かしても痛みはなく、休憩に入った時の疲れも薄れていた。
「また続きを休憩の時にでも聞かせてもらえますか?」
「勿論。話せることなら、いくらでもいいよ」
その答えに、次の休憩が少し楽しみになった。
鍛錬そのものは相変わらず厳しいが、こうして二人と話す時間も悪くない。
頷いて、俺も立ち上がる。
飲み物を置き、彰さんの後へ続いた。
先ほど転がされた辺りには、まだ地面を擦った跡が残っている。
勉強なら、以前に覚えたことを使える。
忘れたところを見直せば、思い出せるものも多い。
だが、刀の扱いはそうはいかなかった。
分かったつもりでも、身体が動かなければ意味がない。
さっきと同じ失敗をしないよう、繰り返して覚えていくしかないのだろう。
刀の柄を握り、彰さんへ向き直った。
「明日も、今日の続きをするからね」
「はい」
試験前だから休む必要はないと、自分で言ったのだ。
今日も明日も、その分きちんと身につけて帰りたい。
肩に入りかけた力を抜く。
狙った場所だけではなく、相手の動きも見る。
先ほどの指摘を思い出しながら、俺は刀を構え直した。
「お願いします」




