43話 球技大会 下
球技大会、最終日。
四組との初戦を勝った俺たちは、その後も順調に勝ち進み、決勝まで辿り着いていた。
相手は、紗奈たちのいる二組。
対戦表の両端から伸びた線が、ついに中央で繋がった。
ただ、その前に見ておきたい試合があった。
「お、まだやってる」
浩透と健人を連れ、卓球の試合が行われている場所へ向かう。
台の向こうでは、慧がラケットを構えていた。
自分たちの試合の合間にも何度か見に来たが、ここまで一度も苦戦しているところを見ていない。
決勝でも、大きく点差をつけていた。
相手が台の端へ打ち込む。
慧は素早く横へ動き、低い姿勢のまま打ち返した。
相手がどうにか返した球を、今度は逆側へ叩き込む。
乾いた音が響き、球が床へ跳ねた。
それで、試合は終わった。
「おお、圧勝」
健人が呟く。
相手と挨拶を交わした慧は、俺たちに気づくと、得意げにラケットを上げた。
「どうよ!」
「いや、すごかった。お前、そこそこって言ってなかったか?」
「そこそこできてただろ?」
「そこそこって言葉、調べ直してこい」
浩透の言葉を軽く流し、慧はラケットを肩へ担いだ。
「最後のやつ、よく返せたな。反対側にいたのに」
俺が言うと、慧は何でもないことのように肩を竦めた。
「ああ、あれね。来るかなって思ったんだよ。直感ってやつー?」
「思ってても、あんなに動けないだろ。打った後も全然体勢崩れてなかったし」
「颯斗、めっちゃ褒めるじゃん」
「実際うまかったからな。優勝おめでとう」
「おう、ありがと!」
慧は嬉しそうに笑い、差し出した俺の手を軽く叩いた。
「次はお前らだろ。こっちは優勝したんだから、頼むぞ」
「急に重いもん背負わせるなよ」
健人が言う。
俺と浩透は顔を見合わせる。
「まあ、やれるだけやってくるよ」
——
決勝が行われるコートの周りには、これまでよりも多くの生徒が集まっていた。
ほかの競技を終えたクラスメイトたちも、声を掛けてくる。
「ここまで来たら優勝しような!」
「頼んだぞ、桐生、九重!」
「俺にも言ってくれよ」
健人が振り返ると、すぐに名前を呼ぶ声が飛んだ。
そのやり取りに笑いながら、コートへ入る。
向こう側では、紗奈が軽く足首を回していた。
「ちゃんと来たね、颯斗」
「そっちこそ」
「言ったでしょ。負けないって」
「それは、まだ分からないだろ」
紗奈が楽しげに口元を上げる。
その隣に立つ男子が、こちらを見た。
七堂玲央。
首元まで伸びた灰色の髪は、長い前髪が斜めに流れている。
涼しげな目元には、髪と同じ灰色の瞳。
整った顔立ちも相まって、落ち着いた印象を受けた。
「お前が桐生か。さっきの試合、少し見たよ」
「七堂だよな?」
「ああ。よろしく」
「こちらこそ」
周りが話している間も、七堂は俺や浩透の立ち位置や動きをさりげなく確認していた。
「玲央、颯斗の球、結構速いから気をつけてね」
「そうらしいな。簡単には行かなさそうだが、優勝するのは俺たちだ」
その声にも力みはなかった。
こちらも位置につく。
「颯斗。最初から飛ばしすぎるなよ」
「おう」
浩透へ頷き、腰を落とす。
笛が鳴った。
先にボールを持ったのは、二組だった。
七堂から渡された球を受け取り、紗奈が前へ出る。
「いくよ!」
腕が振り抜かれた。
速い。
俺は両手を出し、胸元へ抱え込むように受け止めた。
バン、と弾けるような音が響いた。
抱え込んだ腕が押し戻され、手のひらにじんと痺れが残る。
「おお、取った!」
「桐生、ナイス!」
背後から声が上がる。
だが、俺は腕の中のボールへ目を落としていた。
思っていたより、ずっと重い。
「……相変わらず、とんでもない球投げるな」
「颯斗こそ。それ、普通に取るんだ」
紗奈は驚いた顔をした後、すぐに身構えた。
俺もボールを持ち直す。
力任せに投げるつもりはない。
狙うのは、動き出す直前の足元だ。
一歩踏み込み、紗奈の膝下へ投げる。
しかし、紗奈は横へ素早く跳んだ。
避けられた球が、その後ろにいた七堂の腕へ収まる。
紗奈が動く前から、そこへ入っていた。
すぐに返ってきた球を躱すと、後ろで短い声が上がった。
振り返れば、クラスメイトの足に当たったボールが床を転がっていた。
「悪い!」
「大丈夫、外から頼む!」
浩透が声を掛ける。
俺は正面へ向き直った。
紗奈に避けられても、外野まで通せると思った。
そこを七堂に拾われた。
投げる前の狙いまで、見られていたような気がした。
——
試合は、互いに人数を減らしながら進んでいった。
紗奈の球は速く、少しでも遅れると当てられる。
七堂は無理に強く投げず、こちらが動いた先へ正確に通してきた。
こちらも、押されているだけではない。
「取る!」
浩透の声に、伸ばしかけた手を引く。
球を確保した浩透が、間を置かず俺へ渡した。
受け取った勢いのまま前へ出る。
紗奈がこちらへ寄ったところで、外野へパスを通した。
「そっち!」
七堂の声が飛ぶ。
二組が振り返る。
その途中で外野から投げられた球が、一人の脛を捉えた。
「よし!」
「ナイスパス、桐生!」
外野のクラスメイトへ手を上げる。
けれど、続く攻撃は紗奈に止められた。
俺が七堂を狙えば、紗奈が横から球を拾う。
紗奈を動かしても、その先には七堂がいる。
一人ずつなら、もう少し押せる。
だが、二人の間にできたと思った隙は、投げる頃には塞がれていた。
「颯斗、ちょい前に出すぎ」
浩透の声で、足を止める。
気づけば、ほかの皆より随分と前にいた。
「すまん」
「一人で二人とも相手しようとすんなって」
浩透は正面を向いたまま、声を落とした。
「紗奈が動いたら、七堂もそっちに寄る。逆側、俺が行くから」
「……分かった」
俺も一歩下がる。
次に回ってきた球を持ち、七堂を見る。
右へ投げると見せかけ、左へ腕を振る。
七堂は動かなかった。
俺の目ではなく、肩から指先へと視線を移している。
一瞬だけ、灰色の瞳が妙に淡く見えた。
——そっちまで見てるのか。
手首を返す直前、七堂が左へ踏み出した。
狙いを読まれている。
俺は投げるのをやめ、横へ球を送った。
「浩透!」
右側へ走り込んでいた浩透が受け取る。
紗奈が素早く向き直った。
だが、浩透はその正面を避け、さらに奥にいた男子の足元へ投げ込んだ。
ボールが当たり、床へ落ちる。
「よっしゃ!」
浩透と手を合わせる。
七堂が小さく息を吐き、紗奈へ何かを言った。
紗奈も頷いて、位置を変える。
まだ、崩しきれてはいない。
それでも、今の一人は浩透との連携で取れた。
——
「残り一分!」
審判の声が響く。
内野に残っているのは、こちらが俺と浩透、健人の三人。
二組は、紗奈と七堂の二人だった。
こちらが一人多い。
「あとちょっとだ!」
「落ち着いていけ!」
コートの外から、慧たちの声が聞こえる。
ボールは七堂が持っていた。
視線が俺へ向く。
受ける準備をした瞬間、七堂は身体の向きを変えた。
「健人!」
浩透が叫ぶ。
低く放たれた球を、健人は足を引いて避けようとした。
間に合わない。
踵に触れたボールが跳ね、外野へ転がった。
「くっそ、悪い!」
「大丈夫だ!」
俺が返すと、健人は頷いて外へ走った。
二対二。
試合終了まで残り僅か。
外野から戻された球を、浩透が俺へ渡す。
「一本、取ろうぜ」
「ああ」
汗で滑らないよう、握り直す。
紗奈は少し前。
七堂は斜め後ろ。
外野には、今出た健人がいた。
俺は紗奈の横へ球を通した。
紗奈が身を捻り、後ろへ抜ける。
健人が受け取り、すぐさま投げ返した。
「いけ!」
七堂が低く屈み、避ける。
戻ってきた球を俺が確保した時には、紗奈の足がまだ揃っていなかった。
今なら。
素早く投げた球が、紗奈の足元へ向かう。
「紗奈、右」
七堂の声。
紗奈が床を蹴った。
ぎりぎりで躱されたボールを、七堂が膝をつきながら受け止める。
そこまでは、俺も見えていた。
返球に備え、重心を落とす。
七堂の腕が上がる。
俺が右へ踏み出した、その瞬間。
ボールは俺ではなく、横へ走った紗奈へ渡った。
紗奈の口元が緩む。
まずい。
逆へ戻ろうとした足に、紗奈の球が届いた。
膝の外側に衝撃が走る。
伸ばした手が、空を切った。
床へ落ちたボールを見た直後、長い笛の音が響いた。
「試合終了!」
一瞬、周りの音が遠くなる。
こちらの内野は、浩透一人。
向こうには、二人。
「二組の勝利!」
歓声が上がった。
俺はその場で、天井を仰いだ。
「……まじか」
あと、ほんの少しだった。
最後の球を取れていれば。
あそこで投げず、もう一度浩透へ回していれば。
幾つも浮かぶ考えに、思わず息が漏れた。
「惜しかったな」
浩透が隣へ来る。
「悪い。最後、俺が」
「いや、あれはうまかった。俺も七堂が投げると思ったし」
浩透も悔しそうに、腰へ手を当てていた。
「悔しいな……」
「……ああ」
頷いてから、俺はもう一度相手のコートを見た。
紗奈がクラスメイトと手を叩き合っている。
その隣で、七堂もようやく肩の力を抜いていた。
強かった。
速さや力だけではなく、二人とも、最後まで互いの動きを見ていた。
一人を崩しても、もう一人がすぐにその穴を埋める。
——
挨拶を終え、コートを出る。
待っていた慧が、俺たちの肩を叩いた。
「惜しかったなぁ。あともう少しだったのに」
「あそこで紗奈の注意を下げたのがいけなかった……」
「颯斗、めっちゃ悔しそうじゃん」
「まあな」
そう答えると、慧は何故か楽しそうに笑った。
健人もタオルで顔を拭きながら、俺たちへ寄ってくる。
「俺が避けてれば、まだ同点だったんだけどな」
「それ言ったら、俺も最後当たってるし」
「反省会、全員分やるか?」
浩透の言葉に、皆で笑う。
「颯斗!」
振り返ると、紗奈と七堂がこちらへ歩いてきた。
紗奈は俺の前で足を止め、胸を張った。
「ふふん、私たちの勝ち!」
「ああ。負けたよ」
「……あれ、結構素直じゃん」
「負けたのは本当だからな」
俺は苦笑して、七堂を見る。
「最後のパス、全然分からなかった」
「桐生、投げる方をよく見てたからな。紗奈なら間に合うと思った」
「思ったって、あの短い間に?」
「うん」
あっさりと頷かれる。
読めていても、それを実行できるかは別だ。
七堂は紗奈が動くことを疑っていなかったし、紗奈も迷わず走っていた。
「そっちの連携も、かなりきつかったよ」
七堂が浩透へ目を向ける。
「途中から、どっちが投げるか分からなくなった」
「なら、もう少しだったな」
「本当に。次やったら分からないと思う」
その言葉に、俺は顔を上げた。
「じゃあ、次は勝つ」
最後に膝へ当たった感触は、まだ残っている。
それでも、本当に楽しかった。
球を取って、繋いで、皆で声を上げる。
最後まで、どうすれば勝てるか、そればかり考えていた。
「颯斗、水飲もうぜ。喉からっからだわ」
「俺も」
浩透の後へ続く。
隣では、健人が慧へ話しかけていた。
「結局、この中だと優勝したの、お前だけか」
「そうなるな」
慧は満足そうに顎を上げた。
「うわ、腹立つ顔ー」
「優勝者だからな。今日くらい許せよ」
浩透が、歩きながら俺の顔を覗き込む。
「まだ最後のこと考えてるだろ」
「……少しだけ」
「やっぱ考えてた」
肩を小突かれ、俺も笑う。
きっとまた、教室でも同じ話をするのだろう。
「次やる時は、慧もドッジに来いよ」
「俺?いいけど、あんま期待すんなよ?」
「おいおい、卓球優勝者が言うことか?」
その言葉に、皆がまた笑った。
汗で張りついた体操服の襟元を引き、息をつく。
あれだけ動いたのに、もう次の勝負の話をしている。
俺も、その話に加わった。




