42話 球技大会 上
球技大会当日。
朝から校内は、いつも以上に騒がしかった。
廊下を行き交う生徒は皆、体操服姿だ。
教室では、机を囲んで対戦表を確認する者や、まだ始まってもいない試合の結果を予想する者がいる。
俺も着替えを済ませ、浩透たちと開会式へ向かった。
全校生徒がクラスごとに並び、先生の挨拶や競技中の注意事項を聞く。
続いて生徒代表が選手宣誓を行う。
開会式が終わると、生徒たちはそれぞれの競技会場へ移動し始めた。
俺たちも人の流れに混じり、初戦が行われる体育館へ向かう。
開け放たれた扉の向こうから、ボールの弾む音が聞こえてくる。
床には競技用のラインが引かれ、壁際には各クラスの荷物が並んでいた。
「何か、思ったより緊張するな」
隣を歩いていた健人が、コートを見ながら言う。
「さっきまで余裕そうだったじゃん」
「始まる前はな。四組、結構気合い入ってるぞ」
顎で示された方を見る。
反対側のコートでは、四組の生徒たちが集まっていた。
軽く球を投げ合っている男子もいれば、その横で入念に足首を回している女子もいる。
こちらと目が合うと、一人の男子が笑いながらボールを掲げた。
俺も軽く手を上げて返した。
「まあ、こっちも負けるつもりはないし」
「頼むぞ、颯斗」
「健人もな」
「俺はまず、生き残るところから頑張る」
真面目な顔で言うので、思わず笑った。
壁際へ荷物を置き、肩を回す。
腕を上げても、踏み込んでも、身体に違和感はない。
昨日も一日、問題なく過ごせた。
これなら、皆に迷惑かけずに済みそうだ。
「颯斗、軽く投げようぜ」
浩透がボールを持ってくる。
「ああ」
少し距離を取り、向かい合った。
胸元へ投げられた球を受け、同じように投げ返す。
何度か繰り返したところで、浩透が眉を上げた。
「お前、球速くなってない?」
「そうか?」
「うん。前より速く感じる」
浩透は手の中でボールを回すと、もう一度こちらへ返してくる。
受け止めた球へ目を落とす。
特に力を込めたつもりはなかった。
けれど、腕を振った時の軽さは、以前と少し違う。
足や腰から腕へ、引っかかることなく力が伝わる感覚がある。
「最近、身体動かしてたからかな」
「休む前?」
「まあ、そんなところ」
今度は、少し力を抜いて投げ返した。
浩透は両手で受け止めると、にっと笑う。
「そっか。調子よさそうで何よりだ。期待してるぞ」
「お前もな」
互いに頷いたところで、集合を知らせる笛が鳴った。
——
初戦の相手は、四組。
コートの中央へ並び、挨拶を交わす。
審判を務める教師から、改めてルールの確認があった。
試合は十分間。
時間内に相手の内野を全員当てれば勝ちで、時間が過ぎた場合は、残っている内野の人数で決まる。
俺と浩透は内野へ入り、最初の外野は、この前自分から名乗り出た男子たちに任せることになった。
「九重、桐生。こっちにも回せよー!」
相手コートの向こうから声が飛んでくる。
「分かってるって!」
浩透が答え、俺の隣へ戻ってきた。
「じゃあ、俺は右の方にいるから」
「なら俺は左な」
前に話した通り、互いに少し間を空ける。
コートの外では、試合待ちの生徒や応援に来たクラスメイトが集まり始めていた。
「まず一勝なー!」
聞き慣れた声に顔を向けると、慧が片手を上げていた。
「卓球は?」
「まだ時間ある。さっさと勝ってくれよー!」
「簡単に言うなって」
笑って返し、相手へ向き直る。
最初のボールは四組だった。
前へ出てきた男子が、片手でボールを持ち直す。
俺は軽く膝を曲げ、その動きを見た。
笛が鳴る。
男子が一歩踏み込み、腕を振った。
ボールが、真っ直ぐこちらへ飛んでくる。
狙いは胸より少し下。
手を伸ばし、受け止める瞬間に肘を引く。
掌に乾いた音が響き、ボールはそのまま腕の中へ収まった。
「ナイスキャッチ!」
後ろから声が上がる。
俺は小さく息を吐き、顔を上げた。
今の球は、決して遅くなかった。
けれど、相手の手を離れた時から、どこへ来るのかがよく見えていた。
受けるまでの間に、足の位置を直す余裕さえあった。
「颯斗、いっけー!」
浩透の声に頷く。
相手の内野が身構えた。
勢い任せに投げる必要はない。
少し横へ移動し、前にいた男子の足元へ狙いを定める。
踏み込みを浅くして、腕を振った。
低く飛んだボールが、避けようとした男子の脛に当たる。
跳ね返った球を、外野のクラスメイトが拾った。
「よっしゃ、まず一人!」
こちら側から歓声が上がる。
当たった男子が足を擦りながら、外野へ走っていった。
「颯斗、初っ端から飛ばしすぎだろ」
健人に背中を軽く叩かれる。
「そんなに力入れてないぞ」
「それであの球かよ」
半ば呆れたように言われ、自分の手を見た。
投げる力は抑えた。
それでも、思っていた以上の速さで飛んでいったらしい。
鍛錬では、自分より強い相手に追いつくことばかり考えていた。
こうして学校で身体を動かすと、以前との違いがはっきり分かる。
「前、来るぞ!」
浩透の声が飛んだ。
相手の内野が、外野からの球を受け取っていた。
慌てて視線を戻す。
振りかぶった腕を見て左へ動くと、ボールがすぐ脇を抜けた。
その球を相手の外野が拾い、間を置かずに投げ返す。
「後ろ!」
俺の声に、健人が飛び退き、隣にいた女子も身を屈める。
二人の間を抜けてきた球へ、一歩踏み込んだ。
両手で受け止める。
振り返った健人が、目を丸くした。
「今の、よく取れたな」
「まあ、見えてたからな」
「いやいや、普通そう簡単には取れんだろ」
そういうものだろうか。
考える前に、浩透が右へ動いた。
「パス!」
短く呼ばれ、そちらへ投げる。
少し強すぎた。
浩透が半歩下がり、胸元で受け止める。
「悪い!」
「問題ねえ、よ!」
浩透はすぐに相手へ向き直った。
俺につられて左へ寄っていた四組の生徒たちが、慌てて体勢を変える。
その動きが止まる前に、浩透の球が一人の腰へ当たった。
笛と歓声が、ほぼ同時に響いた。
——
二人を当てると、こちらの空気は一気に明るくなった。
ただ、四組もすぐに戦い方を変えた。
俺と浩透を避けるように内野と外野で球を回し、こちらも二人続けて当てられる。
それでも、健人たちが声を掛け合いながら空いた場所を埋めてくれた。
俺と浩透も無理に全部を追おうとはせず、互いの動きを見ながら球を繋ぐ。
浩透から受けた球を、相手が逃げる先へ投げる。
ボールは太腿を捉え、また一人が外野へ出た。
「よし!」
思わず声が出た。
浩透がこちらへ手を上げる。
俺も片手を上げて返した。
「よく分かったな」
「そっちに行くと思ったからな」
「俺も、来ると思った」
浩透が満足そうに手を下ろした。
俺が動けば、浩透が空いた場所を補う。
浩透が取ると言えば、俺は次の球を受けられる位置へ動く。
一人で球を追いかけるより、ずっと動きやすかった。
何より、狙い通りに繋がった時が楽しい。
「お前らだけで通じ合ってないで、俺にも回せよ!」
健人に言われ、浩透が吹き出した。
「さっきから声出してるだろ」
「目で話してる時もあるだろ、絶対」
「じゃあ次、健人な」
「任せろ!」
やけに力強い返事だった。
その後、健人も大きく振りかぶるふりをして外野へ回し、背後から一人を仕留めた。
「自分で投げるんじゃなかったのか?」
「全員こっち見てたからな。俺だって考えてるんだよ」
球を渡した女子と、健人が手を合わせる。
コートの外からも、クラスメイトたちの声が飛んできた。
いつの間にか、最初より応援の人数が増えている。
「そのままいけー!」
「後ろ、気をつけて!」
振り向くたび、誰かと目が合った。
——
「残り一分!」
審判の声が響く。
こちらの内野は七人。
四組は五人だった。
人数では勝っているが、二人の差なら、続けて当てられるだけで追いつかれる。
四組もそれを分かっているのだろう。
球を持った男子が、すぐに前へ出てきた。
狙いは、俺の斜め後ろにいる女子。
肩の向きと視線を見て、足を動かす。
「取る!」
球の通り道へ入り、両手を出した。
掌へ当たった勢いを、そのまま胸元へ引き込む。
そのまま外野へ回し、返ってきた球を浩透が受け取る。
浩透が一度前へ踏み込む。
相手が身構えたところへ低く放った球が、男子の膝を捉えた。
「よし、浩透!」
声を上げると、浩透がこちらを見て笑った。
四組の外野が球を拾い、最後の攻撃を仕掛けてくる。
「後ろから来るぞ!」
健人の声に、皆が振り返った。
横へ逃げる者と、その場で身構える者。
俺は近くのクラスメイトとぶつからないよう、半歩だけ位置をずらした。
ボールが飛んでくる。
それを浩透が受け止めたところで、長い笛が鳴った。
「試合終了!」
一瞬、皆の動きが止まる。
審判が内野の人数を確かめ、こちらへ手を上げた。
途端に、歓声が弾けた。
「勝った!」
「よっしゃ、まず一勝!」
健人が両手を上げる。
外野にいたクラスメイトたちも、こちらへ駆け寄ってきた。
浩透と顔を見合わせ、手を打ち合わせる。
掌に残る軽い痛みまで、何だか心地よかった。
——
四組と挨拶を交わし、コートを出る。
初めに球を投げてきた男子が、俺の方へ寄ってきた。
「桐生、取るの上手すぎ。途中から投げるところなかったわ」
「いや、後ろに回されるのは結構きつかったぞ」
「でも、最後まで当たってないじゃん」
そう言われて、初めて気づく。
確かに、一度も外へ出なかった。
「次も勝てよ」
「おう」
差し出された手を軽く叩き、別れる。
荷物のところへ戻ると、健人がその場へ座り込んだ。
「あー、疲れた」
「十分しかやってないぞ」
「十分ずっと動くんだぞ。普通に疲れるだろ」
言われてみれば、皆それなりに息が上がっている。
ただ、その中で浩透だけは涼しい顔でお茶を飲んでいた。
俺も汗はかいていたが、疲れはそれほど感じていなかった。
水筒を手に取り、壁際へ腰を下ろす。
冷たい水を飲んでいると、慧がこちらへ来た。
「お疲れ。ちゃんと勝ったな」
「そっちは、まだ大丈夫なのか?」
「もう行く。その前に一言」
慧は俺の前で足を止め、呆れたような顔をした。
「お前、どこが病み上がりなんだよ」
「もう治ってるからな」
「そういう意味じゃなくて。球取るたび、四組の応援が静かになってたぞ」
そんなことになっていたのか。
試合中は球と周りの動きを見ていて、相手側の応援までは気にしていなかった。
「かなり動けてたよな」
浩透も隣へ座る。
「前から運動はできたけど、今日は特に。最初の方、パスまで速かったし」
「あれは悪かった」
「別にいいって。予想外だっただけだからな」
浩透は気にした様子もなく、またお茶を口にした。
俺としては、十分抑えていたつもりだった。
それでも、繰り返してきた鍛錬の成果は、思っていた以上に身体へ染みついているらしい。
投げる時だけでなく、誰かへ渡す時の力加減も、もう少し気をつけた方がよさそうだ。
「ま、次も頼むぞ。俺も勝ってくるから」
慧が片手を上げて言う。
「頑張れよ。後で見に行く」
「かっこいいとこ見せてやんよ」
そう言い残し、慧は卓球の会場へ向かった。
——
暫く休んでから、浩透と結果の掲示を見に行った。
体育館の入口近くには、更新された対戦表が貼られている。
俺たちのクラスから伸びた線が、次の試合へ繋がっていた。
その反対側にも、新しく書き込まれた結果がある。
「やっぱ二組も勝ってるな」
浩透の指す先を見る。
紗奈たちのクラスだった。
「前評判通りだな」
「あっち、結構差がついてたぞ」
隣で掲示を見ていた男子が、会話に入ってきた。
「試合、見てたのか?」
「少しだけ。七堂の球、取ろうとしたやつが弾かれてた。あと、女子にもすごいのいた」
「紗奈かな」
「多分。その二人で、どんどん当ててた」
浩透と顔を見合わせる。
話には聞いていたが、七堂玲央はやはり厄介そうだ。
紗奈の球だけでも、まともに取ろうとすれば苦労する。
同じコートに、もう一人強く投げられる相手がいるとなると、簡単にはいかないだろう。
「颯斗!」
声のした方へ振り返る。
体育館の奥から、紗奈がこちらへ歩いてきた。
額に少し汗を浮かべているが、足取りは軽い。
「そっちも勝ったんだね」
「うん。今、二組も勝ったって見てたところ」
「まあね」
紗奈が得意げに胸を張る。
「結構余裕だった?」
「どうかな。次に当たるかもしれない相手に、教えないよ」
「まだ先だろ」
「でも、勝つつもりなんでしょ?」
言い返され、否定する理由もなかった。
「そっちこそ」
「もちろん」
紗奈は掲示へ向き直ると、二組から伸びる線を指で辿った。
俺たちの側とは、最後まで交わらない。
「当たるなら決勝か」
浩透が言う。
俺たちも紗奈たちも、まだ勝たなければならない試合が残っている。
初戦に勝っただけで、そこまで行けると決まったわけではなかった。
それでも、紗奈の声は弾んでいた。
「途中で負けないでよね」
「そっちもな」
「言ったね?」
紗奈が右手を軽く握って差し出した。
俺も拳を作り、軽く合わせる。
その後ろで、二組の生徒が紗奈を呼んでいた。
「じゃあ、また後で!」
手を振って戻っていく紗奈を見送る。
浩透が、隣から俺の肩を小突いた。
「これ、負けられなくなったな」
「元から負けるつもりはないだろ」
「だな」
もう一度、対戦表を見る。
二組と三組から伸びる線。
その先には、まだ何も書かれていない決勝の枠があった。
「まずは次だな」
「おう。勝ちに行こうぜ」
浩透と並び、皆の待つ場所へ戻った。




