39話 黄泉からの帰還
翌朝。
俺は寝台の縁へ腰を下ろし、琴葉さんの診察を受けていた。
昨夜の夢は、目を覚ます頃には殆ど薄れていた。
満開の桜の下で、誰かと話していた。
顔も、名前も思い出せない。
ただ、あの終禍——肇が、また俺の前へ現れる。
その言葉だけは、耳の奥に残っていた。
診察が始まる前に来ていた彰さんには、そのことを伝えてある。
夢で聞いたとしか説明できなかったが、彰さんは笑うことなく話を聞き、気に留めておくと言ってくれた。
「颯斗君、こっちの腕も上げてくれる?」
「はい」
琴葉さんの声に、顔を上げる。
言われた通り左腕を持ち上げると、肩から背中にかけて鈍い重さを感じた。
「痛みはどう?」
「少し重い感じはしますけど、昨日よりは楽です」
「うん。穢れも落ちてるし、傷の方ももう大丈夫そうだね」
琴葉さんは俺の腕へ手を添え、満足そうに頷いた。
「それじゃあ、立ってみようか」
寝台へ手をつき、ゆっくりと立ち上がる。
足に力を込めても、膝が崩れることはなかった。
数歩歩いてみる。
まだ身体は本調子ではないが、ふらつきはない。
「どう?」
「大丈夫です。普通に歩けます」
「そっか。なら、今日は帰れそうだね」
「本当ですか?」
思わず、琴葉さんの方へ向き直る。
「うん。でも、そんなに嬉しそうな顔をされると、ちょっと寂しいなぁ」
「いや、そういうつもりじゃ……」
「ふふ、冗談だよ。家の方が落ち着くもんね」
琴葉さんは楽しそうに笑い、俺を寝台へ座らせた。
「まだ完全に治ったわけではないから、明日までは学校は休んでね。それと、あまり動き回らないこと」
「分かりました」
「週末の鍛錬は……」
琴葉さんの視線が彰さんの方へ移る。
「やっても良いよ。でも、少しでも違和感があったら、すぐに切り上げること。分かってるわね、彰」
「ええ、勿論」
琴葉さんは頷くと、俺へ向き直った。
「それと、颯斗君。暫くは気をつけてね」
先ほどまでの笑みが消え、自然と背筋が伸びる。
「またあの怨屍たちが襲ってこないとは限らないからね。なるだけ結界のあるところから離れないこと。あと、何かあったら、すぐに連絡してね。いつでも駆けつけるから」
「はい」
琴葉さんはようやく表情を緩め、椅子から立ち上がった。
「よし。診察はおしまい」
「あの、琴葉さん」
「何?」
「治してくださって、ありがとうございました」
改めて、頭を下げる。
俺だけではない。
あの場所で傷ついた大勢の人たちを、琴葉さんは一人で治療してくれた。
昨日は、疲れて休んでいたと聞いた。
「琴葉さんは、もう大丈夫なんですか?」
「私?」
「彰さんから、かなり疲れていたって聞いたので」
琴葉さんが目を瞬かせる。
それから、少し照れたように笑った。
「ちゃんと休んだから、もう平気だよ。心配してくれてありがとね」
「それなら、よかったです」
——
帰り支度を済ませ、備え付けの机の上へ置いていた鞄を持ち上げる。
着替えも終わり、あとは彰さんに現世へ送ってもらうだけだった。
「忘れ物はないかい?」
「はい。大丈夫です」
「それじゃあ、そろそろ——」
彰さんが言いかけた時だった。
廊下の向こうから、慌ただしい足音が近づいてくる。
「颯斗は此処ね!?」
聞き慣れない女性の声が響いた。
次の瞬間、診療所の扉が勢いよく開く。
「貴方が颯斗ね!」
「えっ?」
紫の長い髪を一つに結んだ女性が、真っ直ぐこちらへ向かってきた。
同じく紫色の瞳。
整った顔立ちをした、若い女性だった。
誰だろうか、と考える暇もなかった。
「よかった……!」
そのまま、強く抱きしめられる。
「ちょ、ちょっと……!」
突然のことで、身体が固まった。
女性は俺の背中へ腕を回したまま、離れようとしない。
「生きてて、本当によかった……」
耳元で聞こえた声が、僅かに震えていた。
どうしていいか分からず、彰さんへ助けを求めるように目を向ける。
しかし、彰さんも少し困ったような顔をしていた。
「櫻華さん、まずは落ち着いてください」
「これが落ち着いていられるわけないでしょう!」
女性はようやく身体を離すと、今度は俺の肩を掴み、顔や腕を確かめるように視線を巡らせた。
「怪我は?痛むところはない?ちゃんと治してもらったの?」
「あ、はい。もう傷は治っていて……」
「本当に?無理していないでしょうね?」
「大丈夫です。さっき診察も終わりましたから」
そう答えても、女性はまだ心配そうに俺を見つめていた。
やがて、その視線が彰さんへ向けられる。
「彰!貴方、この子がこんなことになっていたのに、何をしていたの!?」
「……すみません」
「謝って済む話じゃないでしょう!颯斗がどれだけ危険な目に遭ったか、分かっているの!?」
「分かっています。全て僕の慢心によるものです」
彰さんは言い訳をせず、静かに答えた。
その姿を見て、俺は思わず口を挟む。
「あの、彰さんたちは俺を助けに来てくれたんです。皆さんがいなかったら、俺は——」
「だからといって、貴方がそんな目に遭っていい理由にはならないでしょう?」
「……」
彰さんたちが助けに来てくれたのは事実だ。
俺が狙われたせいで、周りの人たちまで巻き込んでしまった。
それでも、女性の言うことを否定はできなかった。
「大体、肆禍や終禍が現れたというなら、早く私たちを呼び出しなさいよ。神魂召喚の札持っていたでしょう!?」
「まあまあ。櫻華、そこまでにしてあげなよ。颯斗君も困ってるからさ」
尚も攻めたてる女性に、琴葉さんが宥めるように間へ入った。
すると、女性は標的を変えるように、グッと琴葉さんに近寄った。
「琴葉、貴女もよ。どうしてもっと早く知らせてくれなかったの?」
「あ、こっちにも来た」
琴葉さんが苦笑する。
「連絡を受けた時には、もう治療を始めてたんだよ。私も手が離せなくてねぇ」
「それでも、私に一言くらい——」
女性がさらに言葉を続けようとした、その時だった。
「櫻華」
落ち着いた声が、扉の方から聞こえた。
顔を向けると、見覚えのある男性が立っていた。
「おじいちゃん?」
「久しぶりだね、颯斗君」
青龍寺蒼介さん——おじいちゃんが、穏やかに微笑む。
「身体はもう大丈夫かい?」
「はい。さっき琴葉さんに診てもらって、今日帰れることになりました」
「それならよかった」
おじいちゃんは安心したように頷くと、女性の傍へ歩み寄った。
そして、その服の袖を指先で摘む。
「櫻華。そろそろ颯斗君を休ませてあげな。困っているよ」
「……あら」
女性は俺の肩から手を離した。
「ごめんなさいね。驚かせてしまったでしょう?」
「いえ……。あの、失礼ですけど、どちら様ですか?」
「ああ、まだ自己紹介もしていなかったわね」
女性は姿勢を正し、口元を緩めた。
「初めまして。私は紫倉櫻華。紫織の祖母よ」
「母さんの……祖母?」
思わず聞き返す。
母さんの祖母ということは、俺にとっては曽祖母にあたる。
目の前の女性へ、もう一度視線を向けた。
紫色の長い髪に、若々しい顔立ち。
どう見ても、曽祖母と呼ばれるような年齢ではない。
加えて、母さんに似てるのかと言われると、そんなに似てるようには見えない。
「……えっと」
「ふふ。驚くわよね」
櫻華さんは、俺の反応を見て楽しそうに笑った。
「琴葉から、貴方のことは聞いていたの。会えて本当に嬉しいわ」
「そうだったんですか……」
「ええ。この間、紫織の子が現世にいるって蒼介から聞かされてからね。……本当、なんで今まで私に教えてくれなかったのかしらねぇ」
櫻華さんが、おじいちゃんをじろりと睨む。
おじいちゃんは困ったように眉を顰めた。
「櫻華に教えたら、その日のうちに颯斗君の元へ行っていただろう?」
「当たり前でしょう!あの子の忘れ形見よ。行かないわけがないわ!」
「だからだよ。人となったあの子に私たちがあまり関わるべきではない。紫織が新しい人生を歩み始めた以上、あの子の家族にも、私たちの都合で踏み込むべきではない」
「……それは分かってるわよ」
櫻華さんは少し不満そうに唇を尖らせた。
「でも、会いたいと思うくらいはいいでしょう?紫織の子がいるって知ったら、気になるに決まってるじゃない」
「うん、そうだね。ようやく会えて良かったではないか」
「そういう問題じゃない」
おじいちゃんは困ったように笑った。
「……あの」
二人の間へ、恐る恐る声をかける。
「俺も、会えてよかったと思ってます」
「……そう?」
「おじいちゃんにも、櫻華さんにも。俺の知らなかった母さんのことも、色々聞けましたし」
母さんが黄泉でどのように暮らしていたのか。
俺の知らない時間を、二人は知っている。
俺にとっての親とは、写真の中の人物でしかなかった。
それを色んな人から聞けるのは、少し嬉しかったのだ。
「だから、また会いに来たいです」
櫻華さんは俺を見つめた。
「……そう。ありがとう、颯斗」
櫻華さんが、俺の手を両手で包んだ。
「だったら、次は絶対に私の屋敷へ来てちょうだいね。紫織のことも、たくさん話してあげるから」
「はい」
隣で、おじいちゃんが穏やかに笑う。
「私も、また君とゆっくり話したいと思っていたんだ。今度は莉沙も一緒にね」
「莉沙さんも、まだ会えていないですもんね」
「ああ。会ったらきっと喜ぶよ」
また黄泉へ来る理由が、一つ増えた。
そんな話をしていると、扉を叩く音が聞こえた。
「失礼します」
落ち着いた女性の声とともに、扉が開く。
入ってきたのは、白波珠代さんだった。
「あ、白波さん」
思わず立ち上がろうとすると、白波さんが小さく手を上げた。
「そのままで大丈夫ですよ。体調はいかがですか?」
「琴葉さんのおかげで、だいぶ良くなりました。それと今日、帰れることになりました」
「そうですか。よかった……」
白波さんは、安心したように表情を緩めた。
「……そうです、桐生さん。私のことは珠代で構いませんよ」
「え?」
「白波では、他の者と被ってしまいますから。珠代と呼んでいただければ」
「あ、そういうことですか。分かりました、珠代さん」
「はい」
「珠代さんは、もう大丈夫なんですか?」
見たところ、怪我は残っていない。
顔色も悪くなさそうだった。
それでも、あの激しい戦闘を思い出すと、無事な姿を見ただけでは安心できなかった。
「はい。治療は済んでいますので心配いりません」
「そうですか……よかったです」
本人の口から聞いて、胸のつかえが下りた。
「今日は、帰還されると伺ったので。お顔だけでも見ておきたいと思いまして」
「わざわざ、ありがとうございます」
珠代さんは首を横へ振った。
「こちらこそ、最後まで守りきることができず、申し訳ありませんでした」
「そんな……。珠代さんたちがいなかったら、俺はもっと早く死んでいたと思います」
あの時の光景が、脳裏に浮かぶ。
結界の外で戦っていた死神たち。
俺を守るために、傷ついた人たち。
「俺の方こそ、助けてもらってばかりで……」
「貴方が気に病むことではありません。私たちは死神として、務めを果たしただけです」
珠代さんは静かに首を振った。
「それでも、最後まで守りきれなかったことは、私自身の反省として残っています」
そこで一度言葉を切り、俺へ目を向ける。
「……ですが、こうして生きていてくださって、本当によかった」
「ありがとうございます」
今度は、それ以上何も言わず、頭を下げた。
「そういえば、伊鶴さんも、貴方のことを気にかけていましたよ」
「伊鶴さんも?」
「はい。ただ、地方官としての職務がありますので、既に現世へ戻っています」
「そうなんですね」
残念だ。
伊鶴さんにも、直接礼を言いたかった。
けれど、仕事があるのなら仕方がない。
「また会えたら、その時にでもお礼を伝えようと思います」
「ええ」
珠代さんは微笑んだ。
「私も別地域を担当しておりますので、今後お会いする機会は、そう多くないかもしれません」
「そうなんですね……」
「ですが、またお会いすることがありましたら、その時はよろしくお願いします」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
珠代さんはもう一度頭を下げ、扉の方へ向かった。
「それでは、お大事に」
「珠代さんも。ありがとうございました」
扉が静かに閉まる。
昨日、彰さんから聞いた話を思い出す。
魂を壊され、二度と戻れなくなった隊員。
あの場所では、俺の知らないところでも、多くの人が戦っていた。
俺がこうして帰れるのも、その人たちがいたからだ。
「……颯斗君」
彰さんの声に、顔を上げる。
「そろそろ、帰ろうか」
「……はい」
今は、帰って身体を休めよう。
——
診療所を出る頃には、櫻華さんもようやく落ち着いていた。
もっと話していたいと言われたが、琴葉さんに「今日は帰らせてあげようね」と促され、渋々頷いていた。
「次は、ちゃんと遊びに来るのよ」
「はい。約束します」
「楽しみにしているわ」
櫻華さんは名残惜しそうに微笑んだ。
「またね、颯斗」
「はい。またね、おばあちゃん」
そう呼ぶと、おばあちゃんの表情がぱっと明るくなる。
隣で、おじいちゃんも嬉しそうに笑っていた。
「私も、また会える日を楽しみにしているよ」
「うん。では、また」
二人へ手を振り、彰さんの後を追う。
少し歩いたところで振り返ると、二人はまだこちらを見送っていた。
俺がもう一度手を振ると、おばあちゃんが大きく手を振り返してくれる。
おじいちゃんも、その隣で穏やかに笑みを浮かべていた。
黄泉に来る前は、こんなふうに見送ってくれる人が増えるとは思ってもいなかった。
「……家族、か」
まだ実感は薄い。
それでも、悪い気はしなかった。
——
現世へ戻るための場所へ着くと、彰さんが足を止めた。
「それじゃあ、帰ろうか」
「はい」
「帰ったら、今日はゆっくり休んでね」
「分かりました」
彰さんは頷くと、右手に刀を顕現させる。
「開門・現世」
一閃と共に、淡い光が縦に走り、目の前の空間が左右へ開いた。
裂け目の向こうには、見慣れた町の風景が広がっている。
電線。
住宅の屋根。
遠くを走る車。
黄泉とは、まるで違う景色だった。
「行こうか」
「はい」
彰さんに続いて、光の向こうへ足を踏み入れる。
次の瞬間、周囲の空気が変わった。
車の走る音が、耳へ届く。
どこかの家から、生活の音が聞こえた。
何日も離れていたはずなのに、町は何事もなかったように動いている。
その当たり前の風景に、少しだけ肩の力が抜けた。
「……帰ってきたんですね」
「そうだよ」
その時、少し離れたところから声がした。
「おかえり、颯斗君」
顔を向けると、三条先生が立っていた。
「三条先生?」
「具合はどう?」
「もう、だいぶよくなりました」
「そう。ならよかったよ」
三条先生は俺の顔を確かめるように見てから、彰さんへ視線を向けた。
「ここからは私が送っていくよ」
「頼んだよ」
彰さんが頷く。
どうやらここで待ち合わせをしていたらしい。
「黄泉へ戻らないといけない用件があるから、僕はここで失礼するよ」
「分かりました」
彰さんへ向き直り、頭を下げる。
「今回は、本当にありがとうございました」
「どういたしまして」
「……もっと強くなります。次は、あんなふうに守られるだけにならないように」
彰さんは俺を見つめ、静かに微笑んだ。
「その気持ちは大切にしていいよ。でも、焦らないこと」
「はい」
「それじゃあ、またね」
「はい。また」
彰さんは三条先生へ一度頷くと、踵を返し、まだ閉じていない黄泉へと足を踏み入れた。
光の向こうへ姿が消え、裂け目が閉じる。
俺は、閉じた空間を見つめていた。
「さて」
三条先生の声に、顔を向ける。
「お家へ帰ろうか」
「……はい」
——
三条先生の車に乗り込み、家へ向かう。
窓の外では、見慣れた町並みがゆっくりと流れていた。
信号待ちで車が止まると、歩道を行く人たちの姿が目に入る。
つい先日まで壊れていた道路も、建物も、今は元の姿を取り戻していた。
あの場所で何があったのか、知らなければ気づかないだろう。
当たり前のことなのに、少し不思議だった。
「家の方には、私から連絡してあるよ」
「祖母に、ですか?」
「うん。事情があって黄泉で治療を受けていることも、今日帰れることも伝えてある」
「……心配、してますよね」
「しているだろうね」
三条先生は否定しなかった。
「だから、まずは顔を見せてあげよう」
「はい……」
少しだけ、胸が重くなる。
必ず帰ると約束した。
それなのに、連絡することもできないまま、何日も家を空けていた。
ばあちゃんがどれだけ心配したのか、考えるだけで申し訳なくなる。
俺は窓の外へ目を向けた。
流れていく景色の中に、家の近くの見慣れた建物が見え始めていた。
俺は、運転席の三条先生へ目を向ける。
学校では、保健室の先生。
けれど、異界に巻き込まれたときには助けてくれた。
あの襲撃の時には、肆禍とも戦っていた。
黄泉のことも知っていて、彰さんたちとも繋がりがある。
今さらながら、何者なのだろうと思う。
「……そういえば、先生って、何者なんですか?」
「何者って?」
「いや、学校の先生なのに、黄泉のことも知ってるし、怨屍とも戦ってたじゃないですか」
「ああ、そのことか」
三条先生は前を向いたまま、少し笑った。
「その話は、体調が良くなってからね」
「また、それですか」
「今は、ちゃんと休むことが先だよ」
やんわりとかわされてしまった。
「……分かりました」
「うん。元気になったら、ちゃんと話すよ」
「約束ですよ?」
「うん、約束」
それ以上聞いても、今は教えてくれそうにない。
気になることはまだまだあるが、それは次の機会にでも聞こう。
——
家の門を潜り、玄関の戸へ手をかける。
少しだけ、開けるのを躊躇った。
隣で三条先生が待っている。
俺は小さく息を吸い、戸を引いた。
「ただいま」
奥から、足音が聞こえた。
廊下へ姿を現したばあちゃんが、俺を見るなり足を止める。
「……颯斗さん」
「遅くなって、ごめん」
ばあちゃんは返事をせず、俺の前まで歩いてきた。
俺の顔を確かめるように見てから、腕へそっと手を添える。
「怪我は、もうよろしいのですか」
「うん。治してもらったから」
「傷の治療は済んでいます。ただ、まだ全快ではないので、明日までは休ませてください」
三条先生が、俺の隣から説明する。
ばあちゃんは静かに聞いていた。
「分かりました。先生、お世話になりました」
「いえ。何かあれば、すぐに私へ連絡してください」
「はい。ありがとうございます」
三条先生は俺の頭に手を置いた。
「それじゃあ、颯斗君。また学校でね」
「はい。ありがとうございました」
「今日はゆっくり休んでね」
「はい」
三条先生が小さく笑い、玄関を出ていく。
礼を言って、その背中を見送った。
三条先生の姿が見えなくなると、ばあちゃんは改めて俺を見た。
「おかえりなさい、颯斗さん」
「……うん。ただいま」
ばあちゃんの声を聞いた途端、胸の奥に詰まっていたものが緩んだ。
靴を脱ぎ、家へ上がる。
居間には、いつもの座布団と湯呑みが置かれていた。
ばあちゃんに促されて座ると、すぐに温かいお茶が出てくる。
「三条先生から、お話は聞いています。貴方が連絡できる状態ではなかったことも」
「うん」
「無事だと聞いても、顔を見るまでは落ち着きませんでした」
湯呑みへ伸ばしかけた手を止める。
「ごめん」
「今は、謝るより休みなさい」
ばあちゃんは向かいへ腰を下ろした。
よく見ると、その目元には疲れが残っていた。
「ばあちゃん、ちゃんと寝てた?」
「私のことはよいのです」
「でも……」
言いかけると、ばあちゃんが眉を上げた。
「誰かに心配をかける気持ちが、少しは分かりましたか」
返す言葉がなかった。
ばあちゃんはそんな俺を見て、小さく息を吐く。
「昨夜は眠りましたよ。今日、帰れるかもしれないと伺っていましたから」
「そっか」
「ええ」
俺は湯呑みを持ち上げた。
温かさが、指先から伝わってくる。
今日、黄泉で会った母さんの家族を思い出す。
あちらにも、俺の帰りを待ってくれる人がいた。
けれど、今は。
「帰ってこられて、よかった」
ばあちゃんは何も言わなかった。
ただ、俺の前へ菓子皿を寄せる手が、一度だけ止まった。
それから、いつものように皿を置く。
「……ええ。おかえりなさい」
俺はお茶を口に含んだ。
ようやく、帰ってきたのだと実感した。




