↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
彼岸回帰録~巻き戻った世界が人外魔境だった件~  作者: 瑠衣
1章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
39/59

38話 心象世界にて

 目覚めると、見覚えのある天井が目に入った。


 木目の走る天井板。

 部屋に漂う、乾いた畳の香り。

 どこからか聞こえてくる、静かな水の音。


 此処は、癒悦隊(ゆえつたい)の治療所ではない。


「この部屋……」


 身体を起こして、周囲を見回す。


 畳敷きの和室には、棚と机、座椅子が置かれている。

 閉じられた障子から淡い光が差し込み、畳の上に白い筋を作っていた。


 以前、夢の中で訪れた場所だ。


 そう気づいた途端、胸の奥に不思議な懐かしさが込み上げた。


 どうして忘れていたのだろう。

 確かに、俺は一度此処へ来ている。


 身体を確かめる。


 ベッドの上で感じていた、身体の重さは全くない。

 服も黒一色の着流しへと変わっている。


 布団から抜け出し、障子へ手をかける。


 木枠が軽い音を立てて滑った。


 柔らかな風が室内へ流れ込み、髪を揺らす。

 風には、仄かな花の香りが混じっていた。


 障子の向こうには、記憶にあるものと変わらない庭が広がっている。

 

 青々とした草木、澄み切った水を湛える池。

 そして、その先に立つ大きな桜の木。


 季節など存在しないかのように満開の花を咲かせ、薄紅色の花弁を降らせていた。


 縁側へ出て、用意されていた草履を履き、庭へ降りる。


 桜の木の根元に、誰かが座っている。


 長い髪を風に揺らし、太い幹へ背を預けている青年。

 

 その横顔を目にした瞬間、靄が晴れるように記憶が蘇った。


 以前、此処を訪れたこと。

 目の前の青年——朔弥さんと言葉を交わしたこと。


「朔弥さん……?」


 名前を呼ぶと、朔弥さんがゆっくりと顔を上げた。


 その表情に驚きはない。

 俺が来ることを初めから知っていたように、静かな眼差しを向けてくる。


「久しぶり」


 短い言葉だった。


 けれど、その声を聞いた途端、胸の奥にあった懐かしさが強くなった。


「お久しぶりです」

「ほら、立っていないで座るといい」


 朔弥さんはそう言うと、隣へ視線を向けた。


 少し迷った後、桜の根元まで歩き、間を空けて腰を下ろす。


 頭上で枝葉が揺れ、数枚の花弁が降ってきた。

 そのうちの一枚が膝へ落ちる。


 拾い上げてみると、指先には柔らかな感触があった。


「ここは……心象世界でしたっけ」

「そうだよ。こうも早く会うとはねぇ」


 朔弥さんは嬉しいのか悲しいのか、よくわからない表情をしていた。


 風に擦れる枝葉の音と、庭のどこかから聞こえる水音が周囲を満たしている。


 穏やかな場所だ。


 このまま黙って座っているだけでも、不思議と落ち着く。

 だが、今は朔弥さんへ聞かなければならないことがあった。


「あの、聞きたいことがあります」

「良いよ。でも、その前に」

「なんですか?」


 反射的に背筋を伸ばす。

  

「言葉遣い。敬語なんて使わなくていいよ」


 そういえば、以前会った時にも同じことを言われていた。

 思い出したばかりだからか、朔弥さんとの距離感まで忘れていたらしい。

 

「あ、そうで……そうだった」

「ふふ、ありがとう。それで、何を聞きたいんだい?」


 朔弥さんが柔らかく微笑む。


 敬語をやめただけなのに、先ほどよりも距離が縮まったように感じた。


「少し前に、参禍と二度戦ったんだ」


 あの時のことを思い返しながら、言葉を続ける。


「一度目は、もう駄目だと思った時、俺の手には黒い刀があって、その刃が核を貫いていた」

「うん、それで?」

「二度目は、戦闘の最中に冷たい霊力を感じた。そしたら、それまで俺を圧倒していた参禍が怯えて、動きを止めたんだ」

「……」

「これ、二回とも朔弥さんが助けてくれたの?」


 尋ねると、朔弥さんは僅かに目を細めた。


「そうだよ」

「やっぱり……」


 予想はしていたものの、迷いなく認められると驚いてしまう。


「じゃあ、今回も?」


 右耳のピアス——霊珠へ触れる。


「終禍に殺されそうになった時、黒い刀が出てきたらしいんだ。その後、俺が終禍を圧倒したって彰さんから聞いた」

「そこまで聞いたんだね」

「俺自身には何も記憶がない。だけど、終禍は俺に向かって『兄者』と呼んでいたと聞いた」


 朔弥さんの表情は変わらない。


「あの時、俺の身体を動かしていたのも朔弥さん?」

「そうだよ」


 やはり、否定はしなかった。


 彰さんの推測は当たっていた。


 あの時、俺の身体を使って終禍を圧倒したのは、目の前にいる朔弥さんだったのだ。


「どうして、俺を助けてくれたの?」


 俺が問いかけると、朔弥さんはすぐには答えなかった。

 

 風に揺られた花弁が、俺たちの間を舞い落ちていく。


「君に生きていて欲しいからだよ」


 静かでありながら、迷いのない声だった。


「……」


 朔弥さんの漆黒の瞳を見つめる。


「俺たちが会うのは、これで二度目。朔弥さんは前から俺を知っていたみたいだけど、理由はまだ教えてもらっていない。それなのに、どうしてそこまでしてくれるの?」

「……そうだね。君が気になるのはわかる。でも、まだ話せないんだ」


 そう言って朔弥さんは遠くを見つめた。


「次に君が此処へ来た時に話すよ」


 その表情に嘘の色はない。


 次。

 それがいつになるかはわからないが、その時まで待とう。


「……分かった。あと一つ聞いてもいい?」

「勿論」

「あの終禍は、朔弥さんのことを知っているの?」


 朔弥さんは小さく頷いた。


「彼の名は、肇(はじめ)」


 朔弥さんは舞い落ちる桜の花弁へ目を向けた。


「僕の弟だよ」

「弟……?」

 

 思わず聞き返す。


「あの終禍が、朔弥さんの?」

「そうだよ」

「でも、肇……さんは怨屍で、それも、怨屍の中で最も強い終禍だって聞いた」

「うん」


 朔弥さんも以前、長い時を生きてきたと言っていた。

 俺の心象世界にいて、俺の身体を動かすことまでできる。

 

「だったら、朔弥さんも——」


 口にしかけた言葉を呑み込む。


 朔弥さんは以前、長い時を生きてきたと言っていた。

 俺の心象世界に住み、身体を動かせるほど深く俺と結びついている。


 普通の人間ではないことは、もう分かっている。


 それでも、朔弥さんが怨屍だとは思えなかった。


「僕が何者なのかは、今は答えられない」


 言葉にする前に、朔弥さんが答えた。


「でも、肇が僕の弟であることに間違いはないよ」

「……じゃあ、肇さんは、最初から俺の話を聞くつもりなんてなかったの?」


 あれだけ何度も知らないと伝えた。

 それでも、肇さんは俺の言葉を信じようとしなかった。


「君から僕の霊力を感じた時点で、もう答えを決めつけていたんだと思う」

「俺が朔弥さんを殺して、霊力を奪ったって?」

「たぶんね」


 思い返せば、何を言っても聞く耳を持っていなかった。

 兄を殺した相手だと、最初からそう信じ切っていたのだ。


 それなら、あれほど強い怒りを向けてきた理由にも説明がつく。


 だとしても、何も知らない俺をいきなり殺そうとしたことに変わりはない。


「肇は、また君の前へ現れると思う」

「また……」


 影の刃に身体を貫かれた時の痛みが蘇る。


 朔弥さんが助けてくれていなければ、間違いなく殺されていた。


 次に現れた時も、無事に逃げられる保証はない。


「今度も、俺を狙って?」

「僕の存在に気づいた以上、君を殺そうとはしないはずだよ。ただ、何をするために君の前へ現れるのかは、僕にも分からない」

「また襲ってくる可能性もあるってこと?」

「ないとは言い切れない。けれど、少なくとも前とは違うはずだ」


 朔弥さんはそう答えたものの、その表情は晴れなかった。


「それと、君に一つ頼みがあるんだ」

「頼み?」

「次に肇と会っても、できれば、あまり邪険にしないであげてほしい」


 思わず朔弥さんの顔を見る。

 憂いを帯びたような、どこか申し訳なさそうな表情をしていた。

 

「……本気で言ってる?」


 冗談を言っている様子はない。


「無理なお願いをしていることは分かっている」

「……どうして?」

「肇は、君の中に僕がいると知った。次に現れる時は、君から事情を聞こうとするかもしれない」

「……」


 朔弥さんは、弟を信じているのだろう。


 でも、俺は素直に頷くことはできなかった。


 殺されそうになった相手を、邪険にするなと言われても困る。


「……話を聞くくらいなら」

「本当かい?」

「向こうが襲ってこなければ、だけど。いきなり攻撃してきたら、俺だって抵抗するよ」

「うん。それで十分だよ」


 朔弥さんが安堵したように微笑む。


「ありがとう、颯斗」


 名前を呼ばれただけなのに、胸の奥が微かに揺れた。


 初めて会った時から、朔弥さんは俺の名前を知っていた。


 それでも今は、その呼び方に以前とは違う親しさが込められているように感じた。


「そういえば、朔弥さんはどうして俺の中に——」


 尋ねようとした時、風が止んだ。

 桜の枝葉が揺れを止める。

 庭のどこかから聞こえていた水音も遠ざかり、辺りが不自然な静寂に包まれた。


「……また?」


 空を見上げる。


 先ほどまで青く澄んでいた空が、端から黒く塗り潰されていく。

 草木も、池も、遠くに見える屋敷も、少しずつ色を失っていた。


「もう時間みたいだね」


 朔弥さんが残念そうに息を吐く。


「まだ聞きたいことがあるのに……」

「僕も、君と話していたかったよ」

「次はいつ会える?」

「分からない。君が此処へ来ることは、僕にも決められないんだ」


 辺りを覆う闇が、足元へ迫ってくる。


 身体の感覚が薄れ始めた。


 立ち上がろうとしても足に力が入らず、自分の声さえ遠く感じられる。


「朔弥さん……」


 掠れた声で名前を呼ぶ。


 朔弥さんは桜の幹から離れ、俺へ歩み寄ろうとした。


 だが、その足元もすでに闇へ溶け始めている。


「颯斗」


 朔弥さんが、こちらへ手を伸ばす。


 その漆黒の瞳には、初めて会った時よりも深い寂しさが滲んでいた。


「僕は、君に——」


 言葉の続きを聞くことはできなかった。


 伸ばされた手へ触れようと、俺も腕を伸ばす。


 しかし、指先が届く前に、朔弥さんの姿は暗闇の中へ溶けていった。


◇


 瞼を開くと、真っ白な天井が目に入った。


 今度こそ、癒悦隊の治療所だ。


 身体を起こそうとすると、全身に鈍い痛みが走った。


「っ……」


 枕へ頭を戻し、目を閉じる。


 つい先ほどまで、誰かと話していた。

 満開の桜の下で、大切なことを聞いたはずだ。


 記憶を辿る。


 桜の根元に、黒い着物を纏った青年がいた。


 長い黒髪。

 穏やかな声。

 どこか寂しそうな、漆黒の瞳。


 思い出したはずの顔が、霞がかかったように薄れていく。


「誰、だっけ……」


 名前を呼んだ。

 俺の名前も、何度か呼ばれた。

 

 それなのに、あの人の名前が思い出せない。

 顔も声も、思い出そうとするほど記憶から抜け落ちていった。


 誰と話していたのか、思い出せない。


 けれど、あの終禍——肇が、また俺の前へ現れる。

 そのことだけは、はっきりと覚えていた。


 右耳の霊珠へ触れる。


 何故だろう。

 顔も名前も思い出せない誰かに、もう一度会いたい。


 そんな思いだけが、胸の奥に残っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。