34話 増援と肆禍 下
「本当に、遅いですよ……統括長」
伊鶴さんが苦しげに笑う。
彰さんは俺の前へ立つと、結界の状態を確かめた。
「颯斗君。何があっても、そこから出てはいけない」
「でも、皆さんが——」
「君が此処を出れば、全員が君を守るために動かなければならなくなる」
返す言葉がなかった。
「そこにいてくれることが、今は一番の助けになる」
「……そうですね。分かりました」
彰さんは頷くと、銀髪の肆禍へ視線を向けた。
「伊鶴、まだ動けるかい?」
「ええ、もちろん」
伊鶴さんが口元の血を拭い、刀を構え直す。
「琴葉さん、負傷者の治療をお願いします。死者の蘇生も可能なら!」
彰さんが大きな声を上げた。
「分かっているわ。もうしてる!」
遠くから琴葉さんの声が響く。
声のした方へ目を向ける。
少し離れた場所で、琴葉さんが倒れた死神たちの治療を始めていた。
琴葉さん以外にも数名増えている。
両手から放たれた淡い光が、負傷者たちの身体を包み込んでいる。
肩を斬られた男性の傷が、少しずつ塞がっていく。
しかし、先ほど寺岡と呼ばれた男性は目を閉じたまま、ぴくりとも動かなかった。
「あの人は……」
「今は琴葉さんに任せよう」
彰さんが刀を構える。
「僕たちは、これ以上犠牲を増やさないことを考える」
「はい」
伊鶴さんが短く答えた。
『死者を蘇らせるつもりですか』
「させないつもりかい?」
『当然です』
銀髪の肆禍が剣を振るった。
水刃が、治療を続ける琴葉さんへまっすぐに迫る。
彰さんが地面を蹴る。
刀を一閃すると、水刃が空中で真っ二つに斬り裂かれた。
行き場を失った水が道路へ降り注ぐ。
「邪魔はさせないよ」
『それを決めるのは、お主ではないぞ』
小柄な肆禍が琴葉さんたちの元へ駆け抜けていく。
直後、一人の男性が降り立った。
着地と同時に大鎌が振るわれ、小柄な肆禍の行く手を阻む。
「貴方は!」
「休暇中に済まないね、晴樹」
大鎌を持った男性、三条晴樹先生がそこにいた。
「別に良いですよ。こんな楽しそうなことを独り占めなんて、させませんよ」
三条先生は楽しげに口元に弧を描くと、小柄な肆禍に攻撃を仕掛ける。
『何奴だ』
「……ただの保健医、かな」
大太刀と大鎌が打ち合う音が響く。
「晴樹も来たことだし、伊鶴は他を頼む」
「はい。小さい方が炎、銀髪の方が水を操ります」
「了解」
伊鶴さんは他の怨屍がいるところへ飛んで行く。
「……それで、君たちは、どうして急にこんなことを始めたんだ?」
彰さんは銀髪の肆禍へ訊ねる。
対して、銀髪の肆禍は口を閉ざしていた。
「これだけの怨屍を集め、此処ら一帯を呪域へ変えた。それに、颯斗君だけを明確に狙っている」
彰さんの声が低くなる。
「目的は何だ。何故、彼を狙う?」
僅かな沈黙が流れる。
銀髪の肆禍は二本の剣を下ろしたまま、彰さんを見つめていた。
『主の御命令だ』
「主?その主っていうのが、こんな騒ぎを起こせと?」
『これ以上、貴方たちへ話すことはありません』
「そうか。なら、力ずくで聞き出すしかないね」
彰さんが刀を構え直す。
銀髪の肆禍は僅かに目を細めると、両手の剣を持ち上げた。
『できるものなら』
男が地面を蹴る。
一瞬で彰さんとの距離を詰め、二本の剣を左右から振るった。
彰さんは後ろに跳んで躱すと、これまでとは比にならない速度で刀を振るった。
男の反応が遅れ、その胸に薄く傷が走る。
「へえ、中々やるね」
『貴方こそ』
二人は互いの刃を弾き、同時に後ろへ下がった。
『ロイ!いつまでそやつと戯れておる!』
三条先生と戦っていた少女が声を上げる。
ロイと呼ばれた男は、少女へ視線を向けることなく答えた。
『クゼ、貴女は自分の相手に集中してください』
『言われずとも分かっておる!』
少女——クゼが大太刀を振り回す。
三条先生は大鎌の柄で刃を受け止め、そのまま力を横へ流した。
勢いを逸らされたクゼの身体が僅かに傾く。
その隙を逃さず、大鎌の刃が左胸へ迫る。
クゼは大太刀を地面へ突き立て、刃を盾にして受け止めた。
激突した箇所から炎が噴き上がる。
三条先生は大鎌を引き、炎から逃れるように後ろへ跳んだ。
「ロイにクゼか。ちゃんと名前があるんだ」
『気安く呼ぶでない!』
「それは失礼」
口では謝りながらも、三条先生の表情は楽しそうなままだ。
クゼは苛立ったように顔を歪め、大太刀を振り上げた。
『その余裕、いつまで保つか見ものじゃな!』
振り下ろされた刃から、巨大な炎が放たれる。
炎は道路を舐めるように進み、三条先生を呑み込もうと広がった。
三条先生は大鎌を大きく振るう。
刃から放たれた斬撃が炎を縦に切り開いた。
左右へ分かれた炎が建物へ衝突し、壁や窓を焼いていく。
その間にも、彰さんとロイの攻防は続いていた。
二本の剣が絶え間なく振るわれる。
彰さんは一つ一つの攻撃を受け流しながら、僅かな隙を狙って刀を振るっていた。
刃がロイの肩を斬り裂く。
黒い靄が噴き出した。
だが、ロイは痛みを感じている様子もなく、空いた手の剣を横薙ぎに振るう。
彰さんが刀で受け止めた。
衝撃が周囲へ走り、二人の足元に亀裂が広がる。
「この力……君も肆禍の中では、かなり上の方みたいだね」
『だから何だというのです』
「少し驚いただけだよ。これほどの怨屍が、今まで一度も姿を見せていなかったことにね」
彰さんがロイの剣を押し返す。
「どこにいた?」
『答える必要はありません』
ロイの周囲に、無数の水刃が作り出される。
『貴方は、此処で死ぬのですから』
水刃が一斉に放たれた。
彰さんは刀を連続して振るい、正面から迫る刃を斬り落としていく。
だが、全てを防ぐことはできない。
一つの水刃が肩を掠め、隊服を斬り裂いた。
赤い血が僅かに宙へ散る。
「彰さん!」
声を上げた直後、結界のすぐ近くに怨屍が降り立った。
参禍だ。
参禍は俺へ濁った視線を向けると、長い腕を振り下ろした。
鋭い爪が結界へ叩きつけられる。
鈍い音と共に、結界の表面が大きく揺れた。
思わず刀を構える。
だが、参禍がもう一度爪を振り上げるより先に、その左胸から刃が突き出した。
黒い靄が噴き出す。
「桐生君に、近づくな!」
背後に立っていた伊鶴さんが刀を引き抜く。
核を砕かれた参禍が灰へ変わった。
伊鶴さんは脇腹を押さえながら、次に迫る怨屍へ向き直る。
「伊鶴さん、傷が……!」
「この程度なら、まだいける」
そう答えた直後、伊鶴さんの背後から別の参禍が飛びかかった。
伊鶴さんは振り返りざまに刀を薙ぐ。
爪と刀が激突し、その身体が後ろへ押し込まれた。
そこへ左右から他の怨屍たちが迫る。
伊鶴さんの身体へ、再び雷が纏われる。
一瞬で怨屍の背後へ回り込み、その左胸を斬り裂いた。
続けて他の怨屍の攻撃を躱し、返す刀で核を砕く。
二体が続けて灰へ変わる。
しかし、その先には新たな怨屍が待ち構えていた。
一体を倒しても、すぐに次の一体が現れる。
伊鶴さんは傷ついた身体で、何体もの怨屍を相手にしていた。
白波さんたちも同じだ。
治療を行う琴葉さんたちを守るため、次々と迫る怨屍を食い止めている。
薙刀が弧を描き、獣型の怨屍の左胸を斬り裂く。
直後、別の怨屍の尾が白波さんの背中へ叩き込まれた。
「くっ……!」
白波さんの身体が道路を転がる。
すぐに起き上がったものの、呼吸が大きく乱れていた。
彰さんたちが加わっても、状況は完全には好転していない。
肆禍二体に加え、数えきれないほどの怨屍がいる。
皆が少しずつ追い詰められている。
結界から出れば、俺も戦える。
少なくとも、壱禍や弐禍なら倒せるはずだ。
だが、彰さんに動くなと言われた。
伊鶴さんや白波さんも、俺を守るために戦っている。
見ず知らずの俺なんかのために。
そんな中、勝手に出れば、その戦いを無駄にしてしまう。
「分かってるけど……」
目の前で皆が傷ついている。
それを見ているだけしかできないことが、苦しかった。
ロイの剣が彰さんの刀へ激突する。
水を纏った刃が押し込まれ、彰さんの足元が僅かに沈んだ。
彰さんは刀を傾けて剣を受け流すと、ロイの左胸へ斬りかかる。
ロイはもう一方の剣で受け止め、そのまま水刃を放った。
彰さんが横へ跳ぶ。
水刃は背後の建物を横一文字に斬り裂いた。
一方、クゼの周囲では炎が渦巻いていた。
大太刀を振るうたびに火柱が立ち上がり、三条先生の退路を塞いでいく。
三条先生は炎の隙間を縫うように駆け、大鎌を振り上げた。
刃がクゼの肩から胸元を捉える。
黒い靄が大きく噴き出したものの、核まで到達しきれなかったようだ。
『ぐっ……その程度!』
クゼが大太刀を横へ振り抜く。
三条先生は大鎌の柄で受け止めたが、衝撃を殺しきれず、身体ごと横へ吹き飛ばされた。
だが、空中で体勢を立て直し、建物の壁を蹴って道路へ戻る。
「へえ、思ったより力が強いな」
『今頃気づいたか!』
クゼが再び地面を蹴った。
全員がそれぞれの敵を相手にしている。
今のところ結界へ近づいてくる怨屍はいない。
それでも、警戒を解くことはできなかった。
周囲へ意識を向ける。
前方には彰さんとロイ。
右側には三条先生とクゼ。
左側では伊鶴さんたちが怨屍を食い止めている。
背後にも、怪しい気配はない。
そのはずだった。
不意に、頭上から何かが近づいてくる。
「……何だ?」
顔を上げる。
赤黒く染まった空に、小さな影が見えた。
鳥ではない。
怨屍とも違う。
人だ。
一人の人間が、遥か上空から真っ直ぐこちらへ落ちてくる。
「えっ——」
避ける間もなかった。
人影が、結界の真上へ激突する。
凄まじい轟音が響き、足元の道路が大きく揺れた。
結界の表面に波紋が広がる。
直後、無数の亀裂が走った。
「颯斗君!」
彰さんの叫び声が聞こえる。
次の瞬間、俺を覆っていた結界が、光の粒となって砕け散った。
衝撃に押され、身体が後ろへ飛ぶ。
「ぐっ……!」
刀を地面へ突き立て、どうにか転倒を防いだ。
舞い上がった砂埃が視界を覆う。
結界が、壊された。
伊鶴さんが張った、あれほど強固な結界が、たった一度の衝撃で。
刀を構え直し、砂埃の向こうへ目を凝らす。
落下してきた人影は、砕けた道路の中央で片膝をついていた。
角も、牙もない。
見た目は人間と変わらない。
人影がゆっくりと立ち上がる。
そして、真っ直ぐ俺へ顔を向けた。




