33話 増援と肆禍 上
伊鶴さんと肆禍の攻防は、さらに激しさを増していた。
通りの中央で刀が激突する。
刃が打ち合うたびに衝撃が走り、周囲の建物が軋んだ。
伊鶴さんが刀を横へ滑らせ、肆禍の一撃を受け流す。
間髪を入れず懐へ踏み込み、左胸へ切っ先を走らせた。
それに肆禍は身体を逸らして躱す。
刃が胸元を斬り裂き、黒い靄が噴き出した。
しかし、核には届いていない。
『惜しいのう』
肆禍の口元が歪む。
返された刃が、伊鶴さんの首元へ迫った。
伊鶴さんは身を沈めてかわすと、地面を蹴って大きく距離を取る。
「伊鶴さん!」
すぐに追い縋ろうとした肆禍の前へ、白波さんの薙刀が割り込んだ。
白波さんが薙刀を大きく振るい、肆禍を押し返す。
「助かった!」
その直後、背後から迫っていた怨屍へ、伊鶴さんが刃を返した。
核を砕かれた怨屍が、灰へ変わる。
その隙に別の怨屍たちが結界へ近づいていた。
伊鶴さんの張ってくれた結界はより強固なものだ。
とはいえ、いつまで保つのかはわからない。
何か俺にもできることはないか。
此処からできることは——。
伊鶴さんの身体にバチりと雷が纏われる。
その瞬間、伊鶴さんの姿が消えた。
目にも止まらぬ速さで接敵した伊鶴さんは、勢いのままに肆禍の左胸に刀を突き刺す。
肆禍の顔が驚愕の表情に染まる。
『な、何が……』
あれだけの強さを誇示していた肆禍も、核が破壊されれば、他の怨屍と同じく灰へ還る。
刀を突き立てられた左胸から、無数の亀裂が全身へ広がっていく。
『この妾が……このような……』
肆禍は信じられないものを見るように、伊鶴さんを見つめた。
伸ばされた手が、伊鶴さんの肩へ届くより先に崩れる。
指先から黒い灰へ変わり、やがて身体の全てが風に溶けるように消えていった。
残された刀も地面へ落ちる前に形を失う。
濃密だった霊力が消え、周囲を圧迫していた空気が僅かに軽くなった。
「倒した……」
初めて目にした肆禍。
俺では刃を届かせることすら難しい相手を、伊鶴さんは一人で倒してみせた。
「伊鶴さん、大丈夫ですか!」
白波さんが駆け寄る。
「ああ。何とかな」
伊鶴さんの身体を覆っていた雷が消える。
呼吸は乱れ、肩の傷からも血が流れていた。
あの様子では、残りの怨屍を退治するには厳しいだろう。
「残りを片付けてきます。伊鶴さんは此処に」
「そうだな。すまないが、頼んだ。俺は桐生君の結界に近づけさせないように——」
伊鶴さんの言葉が途切れた。
俺も、遅れて異変に気づく。
新たな亀裂が開いていた。
一つではない。
通りの左右に立ち並ぶ建物の壁。
砕けた道路。
赤黒く染まった空。
至る所に、これまでよりも大きな亀裂が刻まれていく。
「まだ来るのか……?」
亀裂の奥から、息苦しいほどに濃密な霊力が流れ込んできた。
周囲に残っていた怨屍たちが一斉に動きを止める。
先ほどの肆禍が現れた時と同じだ。
いや、それ以上だった。
重なり合う複数の霊力が呪域全体を満たし、結界の中にいる俺の身体まで強く押さえつける。
「まさか……」
白波さんの額から汗が伝う。
正面の亀裂から、一人の男が歩み出た。
背が高く、腰まで伸びた銀色に近い金髪を後ろで束ねている。
青い瞳が、真っ直ぐこちらへ向けられた。
両腰には、それぞれ一本ずつ剣が下げられている。
見た目だけなら、人間とほとんど変わらない。
しかし、その身体から漏れ出す淀んだ霊力が、男も怨屍であることを示していた。
続いて別の亀裂からは、小柄な少女が現れる。
少女は自分の背丈ほどもある大太刀を肩に担ぎ、周囲を見回した。
『随分と派手にやられたものじゃな』
幼い姿には似つかわしくない口調だった。
「どちらも肆禍か……」
伊鶴さんが刀を構え直す。
先ほど一体を倒したばかりだというのに、さらに二体。
その間にも、他の亀裂から壱禍や弐禍、参禍が次々と姿を現している。
男の視線が、俺を捉えた。
青い瞳が僅かに細められる。
『あの少年で間違いありませんね』
『ああ。主様より伝えられた霊力と同じじゃ』
二人の会話が聞こえた。
この肆禍たちの狙いも俺だ。
霊力が高いというだけでは、ここまで狙われる理由として納得できない。
一体、何故こんな奴らに狙われているんだ。
「桐生君、絶対にそこから出ないように」
伊鶴さんが、俺を庇うように立つ。
「でも、その傷で——」
「これぐらいは大丈夫だ。救援もこちらへ向かっている」
そう答えたものの、伊鶴さんの息はまだ整っていない。
刀を握る右手も、心なしか震えて見える。
男が、左右の剣を抜く。
澄んだ金属音が響いた。
『行きますよ』
男の姿が消える。
「っ!」
伊鶴さんが咄嗟に刀を持ち上げる。
直後、二本の剣が同時に振り下ろされた。
三本の刃が激突する。
伊鶴さんの足元で道路が陥没し、周囲へ蜘蛛の巣状の亀裂が走った。
「ぐっ……!」
伊鶴さんが片膝をつく。
そこへ少女が、大太刀を横薙ぎに振るった。
「させません!」
白波さんの薙刀が大太刀を受け止める。
激突した刃の間から炎が噴き上がり、白波さんの身体を呑み込もうと広がった。
白波さんは薙刀を傾けて大太刀を逸らし、後ろへ飛び退く。
隊服の袖が焦げ、僅かに煙を上げていた。
『ほおう。今のを防ぐか』
「伊鶴さん、この二体は——」
その時、伊鶴さんが上空へ視線を向けた。
張り詰めていた表情が、僅かに緩む。
「いや、救援が来たようだ」
上空から、複数の人影が降りてきた。
死神の隊服を身に纏った男女。
彼らは、伊鶴さんたちを援護するように通りへ着地した。
「伊鶴さん、遅くなりました」
「状況は?」
「肆禍が二体。それ以外にも多数いる。狙いはそこの少年だ。彼を最優先で守ってくれ!」
「承知!」
彼らは分かれると、近づいてくる怨屍へ向かった。
救援が来たことで、次々と現れていた怨屍の動きが止まる。
壱禍や弐禍は、新たに来た人たちにより倒されていった。
一太刀ごとに核が砕かれ、たちまち灰へ変わっていく。
だが、銀髪の肆禍はそれを一瞥すると、一本の剣を高く上げた。
男の目が怪しく光る。
『退け』
周囲の空気が震える。
男の足元から大量の水が噴き上がり、上げた剣へ絡みついた。
水は細かく圧縮され、刃のような形へ変わっていく。
「全員、退け!」
伊鶴さんが叫ぶ。
男が剣を振り抜いた。
水刃が通りを横断する。
救援に来たうちの一人の男性が刀を構え、その斬撃を止めようとした。
「馬鹿っ!」
水刃は刀ごと身体を斬り裂いた。
「え……?」
鮮血が宙へ舞う。
男性の身体がゆっくりと傾き、そのまま道路へ倒れた。
「寺岡!」
近くにいた男性が名前を叫びながら駆け寄る。
倒れた男性は動かない。
その胸元から流れ出した血が、砕けた道路を赤く染めていく。
「そんな……」
目の前で、人が死んだ。
怨屍が灰へ変わるところは、何度も見てきた。
だが、人が斬られ、命を失う光景はまるで違った。
胸の奥が強く締めつけられる。
「前を見ろ!」
伊鶴さんの声が響く。
動揺しているところに、再び水刃が襲いかかってきていた。
二人が咄嗟に刀で受け止めたものの、衝撃に耐えきれず、建物の壁へ叩きつけられた。
一人は肩口を深く斬られ、もう一人も立ち上がることができない。
僅か一度の攻撃で、救援に来た者たちの半数が戦えなくなった。
『この程度、ですか』
銀髪の肆禍は感情のない声で告げた。
そのまま剣を振り、伊鶴さんへ迫る。
「伊鶴さん!」
二本の剣が左右から振るわれる。
伊鶴さんは一撃目を刀で受け流し、二撃目を身体を捻って躱した。
しかし、その背後から小柄な肆禍の大太刀が迫った。
『儂もあるのを忘れるでないぞ?」
伊鶴さんは振りに対し、咄嗟に刀を横たえ、受け止めた。
「ぐっ……!」
炎を纏った刃が、伊鶴さんの刀を押し込んでいく。
銀髪の肆禍が横へ回り込み、無防備になった脇腹へ剣を振るった。
伊鶴さんは大太刀を強引に弾き、後ろへ跳ぶ。
剣の切っ先が隊服を斬り裂き、脇腹から血が噴き出した。
思わず刀を握る手に力が入り、前のめりになる。
「来るな!」
その言葉に結界から出ようとした足が止まる。
伊鶴さんの周囲を、二体の肆禍と何体もの参禍が取り囲んでいた。
伊鶴さんは再び雷を纏い、参禍を斬り伏せる。
それでも、小柄な肆禍がすぐに迫る。
それをすかさず白波さんが間に入り、小柄な肆禍と伊鶴さんとの距離を取らせた。
先ほどまで肆禍と互角以上に戦っていた伊鶴さんが、数に押されて防戦一方になっていた。
白波さんも小柄な肆禍を相手にしながらも、結界へ近づく怨屍を食い止めている。
残った死神たちも傷ついた仲間を庇ったり、壱禍や弐禍たちを相手に思うように動けない。
このままでは、全員が——。
「動かないでくれ」
聞き慣れた声がした。
次の瞬間、俺の結界へ迫っていた怨屍たちが、まとめて斬り裂かれる。
黒い靄が噴き出し、何体もの身体が同時に灰へ変わった。
「彰さん!」
灰の向こうから、彰さんが駆けてくる。
いつもの穏やかな表情はなく、隊服も一部汚れている。
「遅くなってすまない」




