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彼岸回帰録~巻き戻った世界が人外魔境だった件~  作者: 瑠衣
1章

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32/59

31話 参禍との再戦

 青龍寺さん——おじいちゃんとの鍛錬から、数日が経った。


 その日の放課後。


 帰り道の途中で浩透たちと別れ、一人で家へ向かっていた。


 空は赤く染まり始め、道には部活動を終えた生徒や、買い物帰りの人たちが行き交っている。


 いつもと変わらない帰り道だった。


 そのはずだった。


 ふと、正面の空間が不自然に歪んだ。


「……え?」


 次の瞬間、何もない場所に黒い亀裂が走った。


 亀裂は上下へ伸びながら大きく開き、その隙間から淀んだ霊力が溢れ出す。

 裂け目の向こうには、光の届かない暗闇が広がっていた。

 

 そこから長い腕が伸び、続いて大きな身体が姿を現す。

 人に近い形をしているものの、背丈は二メートルを超えていた。

 異様に長い両腕の先には、刃のように尖った爪が伸びている。

 これまで遭遇した怨屍よりも、遥かに濃い霊力を纏っていた。


 怨屍が地面へ降り立つと、背後の裂け目が音もなく閉じていく。


「まじか……」


 よりにもよって、参禍(さんか)だ。


 周囲に人の姿はないが、このまま放置すれば誰かが襲われるかもしれない。

 何より、今は俺が狙われている。


 彰さんたちへ知らせる手段もない。

 自分で対処するしかなさそうだ。


 右手に刀を顕現させる。


 怨屍は地面を蹴り、一直線に迫ってきた。


 速い。


 咄嗟に刀を構える。


 振り下ろされた爪が刃へ激突し、両腕へ重い衝撃が走った。


「ぐっ……!」


 踏ん張ろうとした足が地面を滑り、身体ごと後ろへ押し込まれる。

 刀を傾けて爪を受け流し、横へ逃れた。


 間髪を入れず、もう一方の腕が胸元を薙ぐ。

 身体を仰け反らせて躱したものの、爪の先が胸元を掠めた。


 前に戦った参禍とは違う。

 こちらの様子を窺うことも、力を試すような動きもない。

 初めから俺を仕留めるつもりだ。


 怨屍が再び踏み込んでくる。

 今度は爪を横薙ぎに振るってきた。


 刀を立てて受け止めるが、衝撃で腕が痺れる。

 力任せに押し切られる前に、刃を滑らせて攻撃の軌道を逸らした。


 怨屍の身体が僅かに傾く。


 その隙へ踏み込み、刀を斜めに振り上げた。

 刃が腕を捉え、黒い靄が散る。


 だが、浅い。


 怨屍は怯むことなく、空いた腕を振り下ろしてきた。

 身を捻って躱すと、爪が地面を抉る。

 砕けた石が頬を掠めた。


 距離を取ろうとした瞬間、怨屍が低い姿勢で追いすがってくる。

 刀を横に構え、迫る爪を受け流した。

 そのまま柄で顎を打ち上げ、僅かに生まれた隙へ蹴りを叩き込む。


 大きな身体が後ろへ揺れた。


 しかし、倒れるどころか、すぐにこちらへ向き直る。


 その動きに合わせて刀を振るう。

 怨屍は腕で刃を受け、傷を負いながらも強引に距離を詰めてきた。


 返す腕が脇腹へ叩き込まれる。


「がっ……!」


 息が詰まり、身体が横へ吹き飛ぶ。

 地面を転がりながら刀を握り直し、どうにか起き上がった。


 奴はすでに目の前まで迫っている。

 

 黒い爪が頭上へ振り上げられた。


 受け止めきれる気がしない。


 殺られる……!


 直後、横から伸びてきた刀が爪を弾いた。


「随分と厄介なものに出会ったようだね」

「彰さん……!」


 いつの間にか、彰さんが俺の隣に立っていた。


 怨屍は大きく後ろへ跳び、俺たちから距離を取る。


 彰さんはその姿を見つめ、僅かに眉を顰めた。


「前に君が倒した参禍より強い奴だね」

「そうみたいです」

「怪我は?」

「ありますけど、まだ動けます」

「そうか」


 彰さんは刀を下ろすと、一歩後ろへ下がった。


「なら丁度良い。一人でやってみな」

「一人でですか?」

「危なくなれば僕が止める。今の君なら、勝てない相手ではないよ」


 今まで押され続けていたのだが、本当にそうなのだろうか。


 刀を構え直すと、怨屍が濁った目を細めた。


 先ほどまでとは違い、すぐには襲いかかってこない。

 初めて俺の姿を見たように、顔から足元まで視線を這わせている。


『ただの餌かと思っていたが……お前か』

「何だ?」

『彼の方(あのかた)がお探しになっていたのは』

「なんのことだ」


 怨屍は答えない。


 裂けた口元を歪め、笑みのようなものを浮かべた。


『まあいい。お前を喰らえば、私はもっと高みへ行ける』

「彼の方って、誰のことだよ」


 問いかけを無視し、怨屍が地面を蹴る。


 彰さんへ向けたものではない。


 俺だけを狙い、一直線に迫ってくる。

 振り下ろされた爪を刀で受け止めた。


 先ほどよりも力が強い。


 刃を押し込まれ、爪の先が顔へ近づいてくる。

 刀を傾けて爪を横へ流し、その勢いのまま腕を斬りつけた。

 浅い傷が刻まれ、黒い靄が僅かに漏れ出す。


 怨屍は痛みを感じた様子もなく、空いた腕を振るう。

 屈んで躱し、後ろへ飛び退いた。


 間合いを離した途端、すぐさま追いかけてくる。


 正面から受ければ押し負ける。


 足元へ視線を落とし、左手を地面へ向けた。


「雹水二式・水弾!」


 放った水弾が怨屍の足元で弾け、地面を濡らした。


 踏み込みが僅かに乱れる。

 その瞬間を逃さず、横へ回り込んだ。


 振り向きざまに振るわれた爪を、刀の腹で受け流す。

 刃を返し、左胸へ斬り込んだ。


 手応えはあった。


 だが、傷は浅く、核までは届いていない。


 怨屍が身体を捻り、長い腕を振り抜く。

 刀で受けたものの、衝撃を殺しきれず、後ろへ押し戻された。


 足が止まったところへ、怨屍の膝が迫る。

 咄嗟に刀を横にして受けるが、身体が浮き上がった。


「ぐっ……!」


 着地した瞬間、怨屍の爪が頭上から迫る。

 刀を両手で支え、どうにか受け止めた。


 重い。


 腕が震え、膝が地面へ落ちる。

 押し潰される前に、左手を地面へ向けた。


「雹水六式・氷牙(ひょうが)!」


 怨屍の足元から氷の柱が突き出し、その身体を押し上げる。

 爪に込められていた力が緩み、巨体が数歩後ろへ下がった。


 その隙に転がるように距離を取り、すぐに刀を構え直す。


 術は効いている。

 だが、決定打にはならない。

 あくまで相手の動きを崩すためのものだ。


 少し離れた場所では、彰さんがこちらを見つめていた。

 助けに入る様子はない。

 その表情は普段と変わらないものの、僅かに目を細めている。


 先ほどの言葉が気になっているのだろう。


 彼の方。

 

 誰を指しているのかは分からない。

 だが、考えるのは後だ。

 今は、目の前の敵を倒さなければならない。


 怨屍が再び距離を詰めてくる。


 刀を構え、相手の肩の動きを見た。


 右腕が来る。


 半歩下がって爪を躱し、すぐに前へ踏み込む。

 刀を振り下ろすが、怨屍は腕を差し込んで受け止めた。


 刃が腕へ食い込み、黒い靄が噴き出す。

 怨屍が唸り声を上げ、反対の腕を振るった。


 刀を引き抜く暇はない。


 柄を握ったまま身を低くし、爪を頭上へ通過させる。

 そのまま懐へ入り、柄頭を左胸へ叩き込んだ。


 硬い感触の奥に、核の気配を捉える。


 だが、怨屍はすぐに身体を捻り、俺を振り払った。

 長い腕が胸元へ叩き込まれ、再び身体が吹き飛ぶ。


 地面へ背中を打ちつけ、呼吸が止まった。

 立ち上がろうとしても、すぐには身体に力が入らない。


 怨屍の傷は浅くない。

 次の一撃を左胸の奥まで届かせれば、倒せるかもしれない。


 奴もそれを理解しているのだろう。

 傷口を押さえることなく、こちらへ走り出す。


 今までで一番速い。


 刀を支えに立ち上がる。

 

 正面から迎え撃つしかない。

 

 爪が迫る。


 ぎりぎりまで引きつけ、身体を横へ滑らせた。

 肩を爪が掠める。


 痛みに顔を歪めながら、怨屍の懐へ踏み込んだ。

 左胸へ刀を突き出す。


 怨屍は腕を差し込み、刃を受け止めた。

 そのまま俺の首へ、もう一方の爪が伸びる。


 刃を引き抜くより、向こうの爪が届く方が早い。


 その瞬間、肌を撫でるような冷気が走った。


 怨屍の爪が止まる。

 濁った目が大きく見開かれ、その表情に初めて明確な恐怖が浮かんだ。


『なぜ、お前から……』


 離れた場所で、彰さんが息を呑む。


「これは……?」


 彰さんの視線が、怨屍から俺へ移った。


 何が起きたのか考えている余裕はない。

 奴が動きを止めた今を逃せば、次はない。


 刀を握り直し、左胸へ狙いを定める。


 刃を押し込んだ。


 怨屍が爪を振り上げる。

 身体を捻って躱し、さらに一歩踏み込んだ。

 

 刀身が左胸の奥へ届く。


 硬いものが砕ける感触が、両腕へ伝わった。


『ぐ、ああああっ!』


 怨屍の左胸から、黒い靄が激しく噴き出す。


 身体に亀裂が走り、内側に埋まっていた核が砕け落ちた。


 怨屍は何かを掴もうとするように腕を伸ばす。

 やがて、その身体が黒い灰へ変わっていく。

 霊力の気配も消え、そこには何も残らなかった。


 刀を構えたまま、暫く動けなかった。


 荒い呼吸を整え、怨屍が完全に消えたことを確かめる。


「倒せた……」

「ああ。よくやったね」


 彰さんが近づいてくる。

 その視線は、怨屍の消えた場所ではなく、俺へ向けられていた。


「彰さん?」

「いや……」


 彰さんは何かを考えるように俺を見つめた後、小さく首を振った。


「何でもないよ」


 明らかに何かがあった顔をしている。


 尋ねようとした、その時だった。


『見つけた』


 すぐ耳元で、誰かが囁いた。

 

 その声にぞわりと鳥肌が立つ。


「っ……!」


 反射的に振り返る。


 誰もいない。

 

 辺りにいるのは、俺と彰さんだけだ。


 彰さんも周囲へ鋭い視線を巡らせている。


「今の声……」

「ああ。僕にも聞こえた」

「誰が……?」

「分からない。近くに別の気配もないね」


 霊力を探ってみる。


 先ほどの怨屍とは異なる気配どころか、何者かがいた痕跡すら感じられない。


「さっきの怨屍が言っていた相手でしょうか」

「可能性はある」


 彰さんは、怨屍が消えた場所へ目を向けた。


「"彼の方"か。怨屍を統率する存在でもいるのか……?」

「怨屍を、ですか?」

「ああ。君を探すよう命じた者がいる可能性はある。今の声との関係も調べる必要がありそうだ」

「どうして、俺を……」

「今は何とも言えない。けれど、偶然ここへ現れたわけではなさそうだ」


 彰さんが俺へ視線を戻す。


 戦闘中に見せた僅かな動揺は、すでに消えていた。


「少し調べてみるか。僕はここで失礼するよ」

「分かりました」


 彰さんは踵を返し去っていった。


 その姿が見えなくなってから、刀を霊珠へ戻す。


 張り詰めていた力が抜け、身体中の痛みが一気に押し寄せてきた。


 怨屍の口にした"彼の方"。

 どこからともなく聞こえた『見つけた』という声。

 そして、あの一瞬だけ感じた冷気。


 何一つ、答えは分からない。


 ただ、これまで偶然遭遇していただけの怨屍が、今度は明確に俺を探していた。


 その事実だけが、胸の奥へ重く残った。

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