29話 母と祖父
翌日、俺は彰さんに連れられ、異界へ来ていた。
鍛錬を始める前に会わせたい人がいると言われ、屋敷の居間へと通された。
障子越しの柔らかな光が差し込む居間には、琴葉さんと、見覚えのない男性が座っていた。
二人の前に置かれた湯呑みから、細い湯気と茶の香りが漂っている。
男性は青い目をしており、同じ色の長い髪を首の横へ流している。
そして、彰さん達と同じく、軍服のような意匠が施された隊服を身につけていた。
男性は俺を見ると、穏やかに笑みを浮かべた。
誰だろう。
「颯斗君、おはよー」
「おはようございます」
軽く手を振る琴葉さんへ挨拶を返しながら、中へ入る。
いつも座っている座布団へ腰を下ろすと、彰さんへ顔を向けた。
「あの、こちらの方は?」
「こちらは青龍寺蒼介さん。紫織——君の母君が、死神として生きていた頃の父君だよ」
「母さんが、死神だった頃……?」
思いがけない言葉に、目の前の男性へ視線を戻す。
母さんの父親なら、俺にとっては祖父にあたる。
しかし、人としての母さんを育てたのは、ばあちゃんと、既に亡くなっているじいちゃんのはずだ。
俺が戸惑っていることに気づいたのか、青龍寺さんが口を開いた。
「突然このような話をされても、混乱するだろう。改めて、私は青龍寺蒼介。よろしくね」
「桐生颯斗です。よろしくお願いします」
青龍寺さんへ軽く頭を下げ、じっと青龍寺さんを見つめた。
母さんの父親だと聞いたせいか、先ほどまで見知らぬ人にしか見えなかった顔にも、母さんと似た部分を探してしまう。
だが、母さんが亡くなったのは俺が三歳の頃だ。
残っている記憶は僅かで、すぐには見つけられなかった。
唯一分かったのは、目の色が似ていることぐらいか。
「あの子は、人として生まれ変わる以前、黄泉で私の娘として生きていたんだ」
「……すみません、ちょっと意味がわからないんですけど。母さんが死神だったって、どういうことですか?」
思わず話を遮るように問いかけた。
「紫織は元々、黄泉で生まれ、死神として生きていた。そこで一度生を終え、転生して君の母になったんだよ」
彰さんは、まだ理解が追いついていない俺の様子をみて、横から説明を加えた。
「死神は生を終えると、一度だけそのままの魂で人に転生する。紫織は、現世で桐生紫織として生まれ変わったということだよ」
「……つまり、母さんには、人として生まれる前の生があったんですね」
彰さんは小さく頷く。
普通なら、簡単に信じられるような話ではない。
それでも、彰さんたちの話す表情を見て、嘘をついているようには感じられなかった。
それに、母さんが霊珠を持っていた理由にも説明がつく。
「母さんは、死神だった頃のことは覚えていたんでしょうか……」
俺の問いに、琴葉さんが首を横へ振った。
「それはないよ。転生は天下りとは違うから、記憶は受け継がれない」
「天下り……?」
さらに疑問が増えたところで、彰さんが話を戻すように声を挟んだ。
「それはまた今度ね」
「あ、はい。……その、記憶が受け継がれないということは、母さんは青龍寺さんのことも……」
「ああ。覚えていなかっただろうね」
その言葉を受けても青龍寺さんは、表情を崩さなかった。
しかし、その目には一瞬だけ寂しさが浮かんだようにも見えた。
「それでも、私にとって紫織が娘であることに変わりはない。もちろん、人としてのあの子を育てた両親こそ、紫織にとっての父と母だ。そのことを否定するつもりはないよ」
「それなら、俺は……青龍寺さんの孫、ということになるんですか?」
「魂の繋がりで考えるなら、そうなるね」
初めて会った相手から孫だと言われても、すぐには実感が湧かない。
それでも、青龍寺さんが俺を見る目には、見知らぬ人へ向けるものとは違う温かさがあった。
「死神だった頃の母さんは、どんな人だったんですか?」
「真面目で、責任感の強い子だったよ。少し頑固で、一度決めたことは誰に止められても曲げなかったけどね」
青龍寺さんが、当時を思い出すように目を細める。
「身体はあまり丈夫ではなかった。それでも、病弱であることを理由に、何かを諦めるのを嫌っていたんだ」
「あの子は、全然言うことを聞かなかったよねぇ」
琴葉さんが苦笑を浮かべる。
「熱があるのに任務に戻ろうとするし、怪我まで隠すし。その度に隊舎へ連れ戻したっけ」
「蒼介さん達に反対されても、死神になったくらいだからね」
彰さんも、どこか懐かしそうに話へ加わった。
「霊力量も多かったし、戦いの才能もあった。青と紫、どちらの陣の扱いも長けていた」
「やっぱり、母さんも怨屍と戦っていたんですね」
「ああ。困っている者を見つければ、放っておけない子だったからね」
青龍寺さんはそう話しながら、笑みを深めた。
「誰に似たのか」
「莉沙じゃないかなぁ」
莉沙。
話の流れからして、青龍寺さんの奥さんだろうか。
「莉沙にも似ていますけど、蒼介さんにも似てますよ」
「あ、確かに。蒼介に似ているところもあったねー!」
「……私に、かい?」
二人から続けて言われても、心当たりがないのか、青龍寺さんは困ったように眉を寄せた。
先ほどまで感じていた緊張が、僅かに和らぐ。
「ばあちゃんから、母さんは小さい頃から妙に大人びていたって聞きました」
「記憶がなくても、魂の根幹までは変わらなかったのかもしれないね」
母さんが黄泉で生きた記憶は、人としての人生へ受け継がれていなかった。
それでも、性格や生き方には、死神だった頃と似た部分が残っていたのだろうか。
記憶の中で断片的だった母さんの姿が、三人の言葉によって少しずつ輪郭を持ち始める。
「青龍寺さんは、人として生まれ変わった母さんと会っていたんですか?」
そう尋ねると、青龍寺さんは僅かに目を伏せ、首を横へ振った。
「直接会うことはなかったよ。人として生まれ変わった以上、あの子にはあの子の人生がある。私たちが不用意に関わるべきではないからね」
「じゃあ、母さんが結婚したことや、俺が生まれたことは?」
「時折、黄泉から様子をみていた。だから、君が生まれたことは知っていたよ」
青龍寺さんの視線が、再び俺へ向けられる。
「本当は、もっと早く会ってみたかった。だけど、君は死神や怨屍を知らず、人として生まれ、暮らしていたからね。霊力の封印があるうちは、関わるべきではないと考えていた」
「それで、今まで……」
「そうだ」
青龍寺さんが小さく頷く。
「でも、君の霊力の封印は解け、怨屍と戦い始めている。琴葉から話を聞いて、もう見ているだけではいられなくなったんだ」
「昨日、私から連絡したの」
琴葉さんが、俺と青龍寺さんを交互に見ながら笑う。
「紫織の息子がここにいるって教えたら、すぐに来るって言ってね。櫻華や莉沙も来たがってたけど、何人も押しかけたら、颯斗君も混乱するだろうし、まずは蒼介からってことで来てもらったんだ」
櫻華さんという人が誰なのかは分からない。
それでも、莉沙さんと同じく、母さんと縁の深い人なのだろう。
「いつかは君と話したいと思っていたからね。ようやく会えて嬉しいよ」
「俺も……母さんのことを知っている人に会えて、嬉しいです」
祖父だという実感は、話を聞いてもまだ湧かない。
それでも、青龍寺さんが母さんを大切に思っていることだけは伝わってきた。
「今度、黄泉にも遊びに来てほしいな。莉沙たちも喜ぶ」
「……俺でもいけるんですか?」
「私の許可があるから問題ないよ。紫織が育った家も、あの子を知る者たちも黄泉にいる。君にも、いつか会って欲しいと思っているんだ」
母さんが育った場所。
そこへ行けば、今日聞いたものとは違う母さんの姿も知ることができるのかもしれない。
母さんを知る他の人たちとも、話してみたい。
すぐにとは行かなくても、いつか訪れてみたい。
「それなら、行ってみたいです」
「ああ。その時は、私が案内するよ」
俺は、青龍寺さんの言葉に深く頷いた。
「さて、話も一段落したことだし、そろそろ鍛錬を始めようか」
彰さんが立ち上がり、青龍寺さんへ顔を向ける。
「僕とばかり戦っていると、僕の動きに慣れてしまうからね。今日は蒼介さんに相手をしてもらおうと思ってる」
「青龍寺さんとですか?」
改めて青龍寺さんを見る。
彰さんと同じく、身体から漏れ出す霊力は全く感じられない。
それでも、真っ直ぐに伸びた背筋や隙のない佇まいからは、穏やかな雰囲気の奥に研ぎ澄まされたものを感じる。
彰さんと同等か、それ以上。
そんな強さを秘めているように思えた。
「構わないよ。私も、颯斗君がどのように戦うのか見てみたいと思っていたからね」
「ちなみに、蒼介は彰ほどでじゃないけど、厳しいからね。頑張ってねー」
琴葉さんが、まるで大したことではないように告げる。
母さんのことを聞いた直後に、その父親である青龍寺さんと戦うことになるとは思わなかった。
俺たちは、いつもの荒野へ向かって歩き出した。
先を歩く青龍寺さんの背中を見ながら、今日も無事では済まなさそうだと、早くも覚悟を決めた。




