23話 授業へ戻る道すがら
保健室を出て、篠原さんとともに校庭へ戻る。
先ほどまでまともに歩くこともできなかった篠原さんは、もう普段と変わらない様子で歩いていた。
隣を歩きながら、何度かその足元へ視線を向ける。
「足、大丈夫?」
「ええ。痛みもありませんよ」
「そっか」
篠原さんは、一度前を向いたあと、再び俺へ視線を戻した。
「それと、先ほどはありがとうございました」
「別にいいよ。歩けなかったんだし」
「まあ、そうですけど」
「それに、目の前で困っているのを放っておくなんてできないしね」
当然のことをしただけだ。
そう思って答えると、篠原さんの表情が和らいだ。
「桐生くんは、優しいんですね」
「そう?」
「ええ。わざわざ保健室まで連れて行ってくれましたし、道中も傷が痛まないように配慮してくれていました」
「普通じゃない?」
「そう思ってもやる人はなかなかいませんよ」
篠原さんは小さく笑う。
普段は物静かで近寄りがたい印象があるだけに、その表情はどこか新鮮に見えた。
「ですが、次からは一言声をかけてください」
「え?」
「急に抱き上げられるとは思っていませんでしたので」
「あ……ごめん」
「助かりましたから、怒ってはいませんよ」
道中のことを思い出したのか、篠原さんは少しだけ視線を逸らした。
確かに、何も言わずにいきなり抱き上げるのはよくなかったかもしれない。
あの時は、保健室へ運ぶことしか考えていなかった。
「今度から気をつけるよ」
「そうしてください」
少しの間、会話が途切れる。
開け放たれた窓から、校庭を走る生徒たちの声と、土を踏み締める音が聞こえてきた。
そのまま歩いていると、不意に篠原さんから視線を感じた。
顔を向けると、何かを確かめるように俺を見つめている。
「どうかした?」
「……桐生くんは、霊力の制御を教わっていないのですか?」
予想もしていなかった言葉に、思わず足を止める。
学校で、それも同じクラスの篠原さんから、霊力という言葉を聞くとは思わなかった。
「篠原さん、霊力のことを知ってるの?」
「ええ。実家が神社ですので、ある程度のことは教わっています」
篠原さんも足を止め、俺の方へ向き直る。
「霊力の制御って、どういうこと?」
「霊力を必要以上に外へ漏らさないよう、内側へ留めておくことです」
内側へ留める。
彰さんから霊力の使い方や術の扱い方は少しずつ教わっている。
けれど、霊力を抑える方法については、一度も聞いたことがなかった。
「今の俺って、霊力が漏れてるの?」
「はい。近くにいれば、意識しなくても分かるほどです」
そう言われても、自分では何も感じない。
試しに身体へ意識を向けてみるものの、何が漏れているのかすら分からなかった。
「前から、こんな感じだった?」
「いえ。以前は今ほどではありませんでしたよ」
「じゃあ、最近になって?」
「はい。格段に強くなっています。確か、二週間前ぐらいからでしょうか」
二週間前。
俺が熱で寝込んで休んでいた後からか。
もしかして、あの時の頭痛は霊力に関係するものだったのか。
「霊力が強いのは、まずかったりする?」
「いえ、霊力が強いこと自体は、悪いことではありません。ただ、今のように抑えられていない状態は、あまりよくありません」
篠原さんは少し言葉を選んだあと、静かに続けた。
「その状態では、よくないものを引き寄せてしまいますよ」
よくないもの。
その言葉を聞き、これまで遭遇した怨屍の姿が脳裏を過る。
彰さんからも、俺は霊力が強いため、怨屍に狙われやすいと聞いていた。
それに加えて篠原さんの話によると、俺は霊力を外へ漏らし続けている。
何度も怨屍と遭遇しているのは、それも原因なのかもしれない。
「……心当たりはあるな」
「でしたら、教えてくださっている方に、制御の仕方も尋ねたほうがよいかと思います」
「分かった、今度聞いてみるよ。教えてくれてありがとう」
「いえ」
再び校庭へ向かって歩き始める。
篠原さんの実家が神社であることは、以前から知っていた。
だから、いつか怨屍のことを聞こうと考えていた。
けれど、霊力を感じ取り、その扱いにも詳しいとは思わなかった。
「篠原さんも、こういうことが分かるんだね」
「これでも神社の娘ですからね。多少は知っていますよ」
「じゃあ、幽霊とかも見えるの?」
「ええ。視えます」
あっさりと返される。
同じ学校に、自分以外にも霊の姿が見える人がいた。
少し前までなら、信じられなかっただろう。
「意外ですか?」
「少し。そういう話をするイメージがなかったから」
「誰にでも話せることではないでしょう?」
「それもそうか」
霊や怨屍の存在を知らない人に話したところで、簡単には信じてもらえない。
俺自身、実際に怨屍と遭遇するまでは信じられなかっただろう。
「でも、どうして俺には話したの?」
「それは……見てられなかったからですかね」
「……俺、そんなに弱々しい?」
「いえ、そういう意味ではないですよ。ただ、今のままでは危ないと思ったまでです」
「そっか」
篠原さんを心配させてしまうほど、俺は無防備な状態ということか。
怨屍を倒す術を身につけてきてはいるが、まだまだだ。
この前の参禍との戦闘でも危うく死ぬところだった。
霊力制御を学ばないままでいれば、これからも自ら危険を招き続けることになる。
「篠原さんは、怨屍のことも知ってたりする?」
「知ってますよ。ですが、視たことはありません」
「へえ、そうなんだ。怨屍って霊力が高い者を襲うって聞いたけど」
「そうですね。私もそう教わりました。ただ、私は色々あって、襲われにくくなってるんです」
そんなこともあるのか。
神社の娘だし、神の加護とかそんなのだろうか。
もしそうなら、少し羨ましい。
「桐生くんは、怨屍に襲われたことでもあるんですか?」
「うん。何度か襲われたことはあるよ」
「何度か……」
篠原さんは驚いたように目を見開いた。
「怪我などはされていないのですか?」
「ちょっとは。でも、今のところはなんとかなっているよ」
「そうですか」
俺の言葉に、篠原さんは少し表情を曇らせた。
「襲われるようになったのは、いつ頃からですか?」
「ここ最近かな。初めて見えるようになったのも、その頃だし」
「最近まで見えていなかったのですか?」
「そうだよ」
篠原さんは少し意外そうな顔をした。
いつの間にか、靴箱はすぐそこまで近づいていた。
そこで、ふと別の疑問を思い出す。
「そういえば、三条先生のことは何か知ってる?」
「三条先生、ですか?」
「さっき、篠原さんの足を触ってた時に、先生の手が光ったように見えたんだ」
横目に見る篠原さんの表情は変わらない。
「私は見ていませんでしたので、何とも言えません」
「そっか」
「光の反射ではないのですか?」
「俺も、そう思ったんだけど……」
篠原さんの足から痛みが消えたことまで考えると、ただの反射とは思えない。
あの光は、琴葉さんの治癒術で見たものと変わらなかったのだ。
「保健室で手当てを受けたのですから、治っても不思議ではないでしょう」
「捻挫って、あんなにすぐ治るものかな」
「その時は痛みが強かっただけで、実際には軽かったのでしょう」
「そういうもの?」
篠原さんは答えず、僅かに首を傾げた。
やはり、俺の気のせいだったのだろうか。
篠原さんの足が治ったのなら、それでいい。今は深く考えなくてもいいだろう。
そんなやり取りをしているうちに、昇降口を抜けて校庭へ戻ってきた。
日差しと生徒たちの声が、一気に近くなる。
俺たちの姿に気づいたクラスメイトたちの視線が、一斉にこちらへ向く。
何人かの女生徒が走ってきて、篠原さんを取り囲んだ。
「雪、大丈夫だった?」
「うん。もう痛みもないよ」
「さっき歩けなかったよね?もう治ったの?」
「軽い捻挫だったみたい。大丈夫だよ」
篠原さんは、いつもと変わらない落ち着いた様子で答える。
その姿を見届けていると、後ろから肩を叩かれた。
「おかえり、王子様」
「何だよ、それ」
振り返ると、浩透が面白そうに笑っていた。
「いやあ、まさか颯斗がお姫様抱っこするとは思わなかった」
「歩けなかったんだから仕方ないだろ」
「だからって、迷いなくやる?」
慧も続けて言う。
その目は楽しげに弧を描いている。
「別に、ああした方が早いだろ」
「そういうところだぞ」
「どういうところだよ」
浩透が呆れたように笑う。
「お前、篠原といつから仲良かったんだ?」
会話を聞いていた友人の一人、須藤健人が横から口を挟んできた。
「今日、まともに話したのが初めてだけど」
「それでお姫様抱っこしたのかよ」
「だから、歩けなかったんだって」
「普通、初めてまともに話した女子を抱き上げられないだろ」
「怪我してたら別じゃない?」
そう答えると、周囲から何とも言えない視線を向けられる。
怪我人を保健室まで運んだだけなのに、どうしてここまで騒がれるのか分からない。
「何?」
「いや。颯斗はそのままでいいと思うぞ」
「意味分かんないんだけど」
浩透は俺の肩を叩きながら、堪えきれない様子で笑っていた。
視線を動かすと、女子たちに囲まれていた篠原さんと目が合う。
篠原さんは眉を下げたあと、困ったように笑った。
どうやら、向こうも同じように先ほどのことを聞かれているらしい。
やがて教師から授業へ戻るよう声をかけられ、周囲に集まっていたクラスメイトたちが散っていく。
篠原さんは念のため、残りの授業を見学することになった。
「でも、本当にもう普通に歩けてたな」
「軽い捻挫だったみたいだからな」
「三条先生、腕いいんだな」
「みたいだね」
隣に並んだ浩透へ答えながら、先ほど篠原さんから聞いた話を思い返す。
霊力の制御のこと。
今のままでは、よくないものを引き寄せてしまうこと。
これまで以上に怨屍を引き寄せる可能性があるのなら、できるだけ早く身につけたほうがいい。
まずは、霊力を抑える方法を知らなければならない。
次に彰さんとの鍛錬の時、必ず聞いてみよう。
そう決めて、俺は授業に戻った。




