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彼岸回帰録~巻き戻った世界が人外魔境だった件~  作者: 瑠衣
序章

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19話 参禍との決着

 意識は暗闇へ沈んだまま。それでも、身体だけが勝手に動いた。

 右手が刀を振るい、振り下ろされた尾を切り裂く。

 肉を断つ鈍い感触が掌へ伝わり、裂けた尾から黒い霧が噴き出した。


「颯斗君っ!」


 彰さんの声が、遠くなっていた耳へ飛び込んできた。

 沈みかけた意識が、暗い水底から引き上げられるように、ゆっくりと浮かび上がる。


 ぼんやりと視界が開ける。

 何が起きたのかもわからないまま、反射的に声を上げた。


「彰さんっ……え?」


 霞む視界の先で、彰さんの刀が異形の胸を貫いていた。


 そのすぐ傍には、俺の刀も深々と突き刺さっている。


 異形の顔が驚愕に染まる。

 次の瞬間、胸の奥から砕けるような音が響いた。


 核が破壊されたのだろう。

 異形は輪郭を崩し、黒い塵となって風へ溶けていった。


 彰さんの目が、一瞬だけ見開かれた。


「あれ……?倒せたんだ」


 驚いたように呟くと、彰さんは刀を霊珠へ戻し、こちらへ駆け寄ってきた。

 

 気づけば、俺は自分の足で立っていた。

 手の中にあったはずの刀は消え、右耳だけが仄かな熱を帯びていた。


 砕けた道路。崩れ落ちた壁。

 辺りには土煙と、焦げたような臭いが漂っていた。

 さっきまで辺りを震わせていた咆哮は、もうどこからも聞こえない。


 生きている。

 本当に、生き残れたんだ。


 張り詰めていた緊張が解けた途端、身体から力が抜け、膝が折れた。


「おっと、大丈夫かい?」


 倒れ込みそうになった身体を、彰さんの腕が支えた。


「だ、大丈夫ではないです……」

「あはは、だよね」


 彰さんの肩を借り、どうにか立ち続ける。

 肩や左腕、脇腹の傷が脈打つたびに疼き、全身が軋む。

 血を失ったせいか、視界も白く霞んでいた。


 叶惠さんから貰った服が、攻撃の衝撃を和らげてくれていた。

 それでも、すべてを受け止めることはできなかった。

 裂けた布地は血を吸って肌へ張りつき、身じろぎするだけでも傷口へ鋭い痛みが走る。


 この服がなければ、もっと酷い怪我を負っていたかもしれない。


「あの怨屍は、弐禍(にか)から参禍(さんか)へ進化したものだ。よく怯まずに戦えたね」


 彰さんの手が、俺の頭を撫でる。

 くすぐったいが、不思議と心地良かった。


「あれで参禍なんですね……」

「そうだね。それも進化したばかりだから、他の参禍よりは弱い」


 参禍。

 その名前だけは知っていた。

 だが、実際に目の当たりにしたことで、その言葉の重みを思い知らされる。


 あれだけの強さで、他の参禍よりも弱い。

 あの異形より強い怨屍がまだいるなんて、想像もできない。

 俺はいつか、あんな化け物とも戦えるようになるのだろうか。


「本来なら、君はまだ参禍と戦わせる段階ではない」

「……」

「今回は僕がいたからね。危なくなれば助けられると判断したんだ」


 だから、あえて手を出さなかったのか。

 納得はしたものの、助けに入るのが少し遅かった気もする。


「……本当に危なくなったら、助けてくれるつもりだったんですよね?」

「もちろん。その前に、君が予想以上の動きを見せたけどね」


 彰さんの視線が、一瞬だけ俺の右耳へ向けられたような気がした。

 無意識に耳元へ手を伸ばす。


 あの時、何が起きたのだろう。


 意識を失っていたはずなのに、気づいた時には自分の刀が異形の胸へ突き刺さっていた。


「初めての参禍との戦いで、君は最後まで刀を離さなかった。本当によく頑張ったよ」

「死ぬかと思いましたけどね」


 あの尾が迫る光景を思い出しただけで、身体の奥から震えが込み上げる。


「うん。その感情は大事だよ」


 彰さんは穏やかに笑った。


「恐怖を忘れた者ほど、早く死ぬ。だから、その気持ちは忘れないでね」

「はい」


 短く返事をする。

 あんな相手ともう一度戦えと言われたら、今度こそ足が竦んでしまうかもしれない。


 彰さんはそんな俺を見つめたまま、何かを考えるように目を細めた。


「それにしても……」


 風に紛れそうなほど、小さな呟きだった。


「どうかしましたか?」

「いや、何でもないよ」


 彰さんは首を横へ振ると、いつもの笑みに戻った。


「今回の戦いについて、もう一つだけ覚えておいて」

「はい」

「違和感を覚えたら、一歩下がること。強い相手ほど、その一瞬が命を分ける」


 狼型の怨屍が遠吠えを上げた時の光景が、頭を過る。

 耳をつんざく咆哮と、それに呼応した無数の声。

 あの時、嫌な予感はしていた。

 それなのに、俺は退くどころか、相手の思惑もわからないまま踏み込んだ。


「……はい」

「さあ、反省はここまで。戻ろうか」


 彰さんが宙へ指を走らせる。


 “開門”。


 二文字が淡く輝くと、目の前の空間が水面のように揺らぎ、ゆっくりと歪み始めた。


 ——


 とある異界。


 風もなく、音一つ存在しない静寂の中。

 長い間目を閉じ続けていた一人の青年が、何かに呼び起こされたように、ゆっくりと瞼を開いた。


 暗闇の中に、漆黒の瞳が浮かび上がる。

 その双眸が僅かに細められた。


 青年は何も言わず、ただ一つの方向を見つめていた。

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