17話 隊服
「はい、終わりましたよ」
数分に及ぶ採寸が終わり、広げていた両腕を下ろす。
その間、叶惠さんは巻き尺で身体の各所を測るだけで、一度も寸法を書き留めることはなかった。
すべて記憶しているのだろうか。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。早速仕立てようかと思いますが、意匠に何かご要望はございますか?」
叶惠さんは何もない空間へ手を差し入れ、そこから一冊の分厚いファイルを取り出した。
「えっ……」
思わず声が漏れる。
「お気になさらず。収納用の術ですわ」
叶惠さんは何事もなかったかのように告げ、ファイルを開いた。
ファイルには、軍服を基調とした様々な意匠が描かれていた。
どれも格好良く見えたものの、戦闘用の服を見た目だけで選んでよいのか分からない。
「すみません。俺、こういうものには疎くて……。叶惠さんに任せてもいいですか?」
「もちろんですわ。颯斗さんに似合うものを仕立ててみせます」
叶惠さんは満足そうに微笑むと、再び空中へ手を差し入れた。
取り出されたのは、大きな機械だった。
重い音を立てて畳の上へ置かれたそれは、見慣れたミシンによく似ている。
あれで服を作るのだろうか。
そう思った次の瞬間、何もなかった叶惠さんの手に、ふわりと黒い布地が現れた。
「あはは……。なんでもありだな」
「何か仰いましたか?」
「いえ、なんでもないです!」
「左様ですか」
聞こえないほどの声で呟いたつもりだったが、思っていたより聞こえていたらしい。
気をつけないと。
叶惠さんが取り出した布へ鋏を入れる。
迷いのない手つきで切り分けられた生地は、ミシンのような機械にセットされ、淡い光に包まれながら次々と縫い合わされていった。
その鮮やかな手並みに目を奪われているうちに、黒い軍服が形作られていく。
三十分ほど経った頃、叶惠さんの手が止まった。
「ふう。できましたよ」
そう言って広げられたのは、彰さんが身に纏っているものとよく似た軍服だった。
膝丈まで伸びた黒いコートに、細身のスラックス。
全体の意匠は彰さんの服とほとんど同じだが、襟や袖口を縁取る細い刺繍だけは青紫色に変えられている。
「これは死神に支給される隊服と同じものですわ」
「隊服……。そんな、俺が着てもいいんですか?」
死神になったわけではない。
鍛錬を始めたばかりの俺が、彰さんと同じものを身につけてもいいのだろうか。
「もちろんです。怨屍と戦う以上、普段着のままでは危険ですから」
叶惠さんは当然のことのように答えると、隊服を差し出した。
「寸法に問題がないか、試着してみてくださいませ」
「わかりました」
隊服を受け取る。
見た目から想像していたよりも、遥かに軽い。
それでいて生地にはしっかりとした張りがあり、簡単に破れそうにはなかった。
「着替えてきます」
隊服を抱え、隣の部屋へ向かおうとする。
「ここでもいいんですよ」
背後から掛けられた言葉に、足が止まった。
「えっ?」
振り返ると、叶惠さんは口元へ手を添え、楽しそうに笑っている。
「ふふ、冗談ですわ」
「か、からかわないでください……」
初対面の相手に何を言い出すのか。
熱くなった顔を隠すように背を向け、今度こそ隣の部屋へ逃げ込んだ。
部屋へ入ると、改めて一着ずつ広げてみる。
短い時間で仕立てられたとは思えないほど、細部まで丁寧に作られている。
袖口に施された青紫色の刺繍は、光を受けて静かに輝いていた。
俺は着ていた服を脱ぎ、渡された服へ腕を通す。
袖を通すと、隊服は驚くほど軽く、まるで着慣れた服のように身体に馴染んだ。
腕を振り、腰を捻ってみても、動きを妨げる感覚はない。
「これ、本当にさっき採寸しただけで作ったのか……」
襟元を整え、居間へ戻る。
「着替え終わりました」
部屋へ入ると、卓上には色鮮やかな料理が所狭しと並べられていた。
彰さんは片手に持っていた皿を静かに置き、こちらへ振り返る。
「おや。似合っているね」
彰さんが目を細めて微笑む。
叶惠さんも満足そうに両手を合わせた。
「ええ。私の見立てに間違いはありませんでしたわ」
「あ、ありがとうございます」
綺麗な二人から揃って褒められると、妙に気恥ずかしい。
「ほら、座って。冷めないうちに食べようか。叶惠さんも、是非食べていかれてください」
「あら。それでは、御相伴に預かりましょうか」
彰さんに促され、座布団へ腰を下ろす。
食欲をそそる香りが部屋いっぱいに広がり、空腹だった腹がさらに刺激された。
「いただきます」
三人で手を合わせ、箸を取る。
焼き魚を口へ運ぶと、香ばしい皮の下から柔らかな身がほぐれ、ほどよい塩気が広がった。
「美味しい」
思わず声が漏れる。
「ふふ。口に合ったようで良かった」
「とても美味しいです。彰さん、料理もできるんですね」
「まあね」
彰さんは少し照れくさそうに答え、味噌汁へ口をつけた。
その隣で、叶惠さんが小さく微笑む。
「彰は、あの世でも指折りの料理人なんですよ」
「へー、そうなんですね!」
「ただの凝り性なだけだよ。褒めても、午後の鍛錬は優しくしないからね」
「それは残念」
彰さんは頬を緩め、再び箸を動かした。
しばらく食事を進めたところで、叶惠さんが俺の着ている服へ視線を向ける。
「そういえば、颯斗さん。着心地や丈の長さはいかがですか?」
袖を軽く引き、腕を動かしてみる。
食事をしている間も、窮屈さを感じることはなかった。
「全く問題ないです。すごく動きやすいです」
「それなら良かったですわ」
叶惠さんは満足げに頷いた。
彰さんは箸を置き、俺の方へ目を向けた。
「君に渡したその服は、戦うために仕立てられているんだ」
「やっぱり、普通の服とは違うんですね」
死神に支給されると同等のものだと、叶惠さんから聞かされていた。
だから、何かしら特別なものなのだろうと想像はしていた。
「うん。その隊服には、叶惠さんの力が織り込まれている。普通の服よりも遥かに丈夫で、怨屍の攻撃による被害も軽減してくれるんだ」
「これだけ軽いのに、そんなに丈夫なんですね」
叶惠さんへ目を向けると、彼女はどこか誇らしげに微笑んだ。
「戦いの最中に服が動きを妨げては意味がありませんから。耐久性だけでなく、軽さや着心地にも拘っておりますの」
これほど動きやすいまま身体を守れるのなら、普通の服とは比べものにならないだろう。
「もちろん、すべての攻撃を防げるわけではないけどね。それでも、普通の服で戦うよりは遥かに怪我をしにくい。それと、その青紫色の刺繍にも意味があるんだよ」
彰さんの声色が変わったことに気づき、自然と箸を置く。
「意味、ですか?」
「うん。刺繍の色は、その者の血に宿る系譜を表している。君には青と紫、二つの系譜が流れているから、その二色を合わせた青紫になっているんだよ」
改めて袖口へ目を落とす。
ただの装飾だと思っていた刺繍に、そんな意味があったとは。
「では、彰さんたちの刺繍の色が違うのも、同じ理由なんですか?」
「そうだよ」
彰さんは自身の袖口を軽く摘んだ。
「僕は灰色で、叶惠さんは黄色。それぞれ、自分の血に宿る色なんだ。……もっとも、叶惠さんは少し事情が違うけどね」
「事情?」
「ふふ。私、これでも創造を司る神をしていますの」
「……神?」
思わず聞き返す。
神社で祀られ、神話に登場する、あの神。
人々から崇められ、祈りを捧げられる存在。
それが今、俺の目の前で穏やかに微笑んでいる。
「え、あの……本当に神さまなんですか?」
「ええ」
叶惠さんは当然のように頷き、片手を上げた。
何もなかった手の上に光が集まり、透き通った立方体を形作る。
立方体は宙へ浮き上がると、叶惠さんの指先に合わせて、くるくると回転した。
やがて叶惠さんが手を握る。
それだけで立方体は細かな光へほどけ、跡形もなく消え去った。
「……」
返す言葉が見つからない。
彰さんが半分神さまだという話でさえ、まだ完全には整理しきれていなかった。
それなのに今度は、本物の神さまが目の前にいるという。
しかも、俺のために服まで仕立ててもらってしまった。
そう考えると、急に畏れ多く感じてくる。
「驚くのもわかるけど、気にすることないよ。ちなみに、琴葉さんはあれでも緑の神なんだ」
「……え」
つい先日、仕事を抜け出して買い物をしていた姿を思い出す。
何も言えずにいると、叶惠さんがくすりと笑った。
「神だからといって、皆様が思い描くような存在とは限りませんわ。食事もしますし、眠りもします。こうして服を仕立てるのも、私にとっては大切な楽しみの一つなのです」
「そう、なんですね……」
神とは、人間から遠く離れた場所で世界を見守る存在だと思っていた。
けれど、目の前の神は人と同じように笑い、美味しそうに料理を口へ運んでいる。
それどころか、仕事を抜け出して買い物をしている神までいるらしい。
「ですから、あまり気を遣わなくて大丈夫ですよ」
「はい……」
返事はしたものの、すぐに今まで通り接するのは難しそうだ。
彰さんは戸惑う俺を見て、小さく笑った。
「そのうち慣れるよ。ほら、残りも食べな。少し休んだら、また鍛錬を始めようか」
「は、はい!」
置いていた箸を取り、食事を再開した。
——
昼食を終えると、叶惠さんから隊服と同じ意匠のブーツを渡された。
どうやら、こちらも用意してくれていたらしい。
縁側へ移り、早速足を通してみる。
こちらも驚くほど軽く、足首を動かしても窮屈さはない。
「これも凄く動きやすいですね」
叶惠さんは嬉しそうに目を細めた。
「気に入っていただけたようで何よりですわ」
「服に、ブーツまで……本当にありがとうございます!」
「どういたしまして」
叶惠さんは穏やかに微笑むと、俺の傍まで歩み寄った。
「それでは、最後に隊服一式を霊珠へ刻印いたします。霊珠を出していただけますか?」
「はい、わかりました。……その、刻印をすると、どうなるんですか?」
首から下げていたリングを外し、差し出された手へ載せる。
「武器を顕現させるのと同時に、身につけている衣服が隊服へ切り替わるようになりますの。その際、元の衣服やお持ちの荷物も一時的に収納されますので、戦いの邪魔になることはございませんわ」
「そんなことまでできるんですか?」
「怨屍が現れるたびに着替え、荷物を置いていては、間に合わないこともあるでしょう?」
言われてみれば、その通りだ。
その場で着替えと荷物の収納まで済むなら、突然襲われてもすぐに戦える。
「すぐに終わりますので、少々お待ちくださいませ」
叶惠さんはリングを受け取ると、それを宙へ浮かせた。
リングの周囲へ無数の文字が浮かび上がる。
それらは流れるように巡り、やがてリングへ溶け込むように消えていった。
「これで完了ですわ。武器を霊珠へ戻せば、衣服や荷物も元の状態へ戻ります」
「ありがとうございます」
返されたリングを受け取り、再び首へかける。
そこへ、食器を片づけ終えた彰さんがやって来た。
彰さんは、俺の姿を一通り確かめ、満足そうに頷く。
「よし。準備も整ったことだし、午後の鍛錬を始めようか」
「はい!」
新しいブーツで地面を踏み締める。
午前中に覚えた霊力の感覚を思い出しながら、気を引き締めて彰さんの後を追った。




