16話 術と機織師
「雹水一式・水塊」
屋敷から離れた荒野に、彰さんの声が響く。
前へ翳された手の先で、淡い光が瞬いた。
次の瞬間、何もなかった宙に水が集まり、人の頭ほどの大きさの球体を形作る。
透き通った水の塊は、地面へ落ちることなく静かに浮かんでいた。
表面が揺れるたび、日の光を反射してきらきらと輝いている。
「これは……⁉︎」
「雹水の陣っていう、水を操る術だよ」
彰さんが手を握る。
それに合わせ、水塊は白い霧となって空気へ溶けていった。
「水を操る術……。俺にも使えるんですか?」
「使えるよ。術の発動自体は簡単だから、まずは僕がさっき唱えたように、雹水一式・水塊と口に出してみて」
本当に、唱えるだけでできるのだろうか。
疑問は残る。
だが、考えていても仕方がない。
彰さんと同じように片手を翳し、見よう見まねで唱える。
「雹水一式・水塊」
その瞬間、彰さんの笑みが固まった。
「……え?」
何かに気づいたように、彰さんの視線が俺の翳した手へ向けられる。
手のひらが、じわりと熱を帯びた。
身体の内側から何かが吸い上げられ、腕を通って外へ流れ出していく。
直後、目の前に大量の水が溢れ出した。
「うわっ⁉︎」
水は瞬く間に一つの塊となり、みるみる膨れ上がっていく。
頭上を覆うほどの大きさになっても止まらず、陽の光さえ遮り始めた。
巨大な水塊が不規則に波打つたび、今にも崩れ落ちてきそうな圧迫感が増していく。
「颯斗君っ、ストップ、ストップ!それ以上、霊力を込めるのをやめて!」
「ど、どうやって止めれば良いんですか⁉︎」
「……仕方ないっ」
彰さんが水塊へ手を翳す。
その手から勢いよく炎が噴き出し、巨大な水塊を覆った。
激しい音を立てながら水が蒸発し、白い蒸気が辺りへ広がっていく。
熱気を含んだ風が吹きつけ、思わず顔を背けた。
だが、それ以上の勢いで俺の手から新たな水が生み出され、巨大化は止まらない。
止まれ、止まれっ!
必死に念じながら、翳した腕に力を込める。
しかし、いくら力を込めても、霊力の流れは一向に止まらなかった。
むしろ焦りに呼応するかのように、手のひらの熱が強くなっていく。
「違う、腕に力を入れるんじゃない!手から流れ出る霊力に、栓をするようにイメージして!」
「や、やってみます!」
目を閉じ、手のひらへ意識を集中させる。
蛇口から流れ続ける水を思い浮かべ、その栓を閉める。
少しずつ、手のひらから流れ出ていた感覚が弱まった。
熱も徐々に引き、新たな水が生み出されなくなる。
それを確認した彰さんが炎の勢いを強めると、巨大な水塊は大量の蒸気を残し、ようやくすべて消え去った。
荒野に生温い風が吹き抜ける。
辺りには、雨上がりのような湿った空気が漂っていた。
「ふぅ……。初めてにしては上出来というか、できすぎというか」
「なんか、すみません……」
「いや、僕も詳しく説明していなかったのがいけなかったね。まあ、これで自分の血に宿る力を、少しは実感できたんじゃないかな?」
少しどころではない。
最初は半信半疑だった。
だが、実際に術を発動し、自分の手から生み出された水を目にしてしまえば、疑う余地はない。
「そう、ですね。ただ、思っていた以上に難しいです。勝手に霊力が流れ続けて、止めようとしても全然止まらなくて……」
「そこは練習あるのみだよ」
彰さんは苦笑し、小さく肩を竦めた。
「最初は誰だって上手く制御できないものだよ。術は発動させるよりも、制御の方が難しいからね」
「そうなんですか?俺にも、きちんと扱えるようになりますかね……」
「できるよ。颯斗君の場合、霊力そのものは十分すぎるほどあるからね。ただ、初めての術であそこまで霊力を流し込むとは思わなかったかな。まあ、まだ調整ができていないだけだから、コツさえ掴めば扱えるようになるよ」
コツと言われても、今の俺には想像がつかない。
一式の水塊も、術を唱えた途端に勝手に発動した。
霊力が手から流れ出た感覚はあったが、それをどう調整すれば良いのかまでは掴めていない。
「術は、発動できれば終わりではない。必要な時に、必要な量だけ霊力を流す。それが一番大事なんだ。だから今日は、その感覚を掴んでもらうよ。次は二式をやってみようか」
「あ、他にもあるんですね」
「もちろん。さっきは水を生み出しただけだけど、次は生み出した水を撃ち出す」
彰さんは近くに立つ枯れ木へ向き直り、再び右手を翳した。
「雹水二式・水弾」
手の先に小さな水の球が生まれた。
直後、水球は弾丸のような速さで放たれる。
空気を切り裂く鋭い音が響き、枯れ木の幹に命中した。
鈍い衝撃音と共に、木片が激しく飛び散る。
水弾は太い幹を容易く撃ち抜き、大きな穴を穿っていた。
支えを失った幹が軋み、乾いた音を立てながら地面へ倒れる。
「……すごい」
「文字通り、水の弾丸だよ。さあ、やってみて」
倒れた木の隣にある枯れ木へ手を翳す。
先ほどのように霊力を流しすぎないよう、一度ゆっくりと息を整えた。
必要なのは、木を撃ち抜くための一発だけ。
今度こそ、最初から流れを抑える。
「雹水二式・水弾!」
手のひらに熱が集まる。
今度は、水塊のように際限なく膨れ上がることはなかった。
テニスボールほどの水球が生まれ、狙った枯れ木へ向かって勢いよく飛んでいく。
水弾は幹の中心から僅かに逸れた場所へ命中した。
木片が弾け、小さな穴が穿たれる。
「うん、その調子。ちゃんと霊力を抑えられているね」
「一式の時よりは、ですよね」
「そうだね。今の感覚を忘れないうちに、あと何発か撃ってみようか」
「はい!」
彰さんの指示を受けながら、何度も水弾を放つ。
最初こそ命中したものの、毎回うまくいくわけではなかった。
霊力を込めすぎれば狙いが逸れ、抑えすぎれば木へ届く前に水が崩れてしまう。
それでも繰り返すうちに、手のひらへ流す霊力の加減が少しずつわかってきた。
狙いを定め、必要な分だけ流す。
そう意識して放った水弾は、まっすぐに飛び、狙った場所へ正確に命中した。
「いいね。これなら二式は問題なさそうだ。一式も、今なら調整できるんじゃない?」
「ですかね。……やってみます」
片手を宙へ翳す。
先ほど彰さんが生み出したものと同じ、人の頭ほどの水塊を思い浮かべる。
その大きさを超えないように、流し込む霊力を抑えながら術を唱えた。
「雹水一式・水塊」
手のひらから、緩やかに霊力が流れ出す。
集まった水は想像していた大きさまで膨らむと、それ以上広がることなく宙へ留まった。
透明な表面が穏やかに揺れ、日の光を反射する。
「うん。上手くできているよ」
「ちなみに、これはどうやったら消せるんです?」
「ああ、そういえば教えていなかったね。水塊を消したいなら、消えていく様子を思い浮かべれば良いよ」
「消えていく様子を、ですか。……わかりました、やってみます」
先ほど彰さんが見せたように、水塊が白い霧となって消える様子を思い描く。
すると、水塊の表面が微かに揺れた。
次第に輪郭が薄れ、細かな霧となって空気の中へ消えていく。
「消えた……」
「うんうん、解除もできたね。基本的には、発動したものが消える様子を思い浮かべれば、大抵の術は解除できるよ。初日としては十分だ」
その言葉を聞き、安堵の息を吐く。
一時はどうなることかと思ったが、どうやら術として形にはなったらしい。
「術って、イメージがそんなに大事なんですね」
「そうだね。ただ、想像できれば何でも再現できるわけじゃない。あまりにも現実離れしたものは形にできなかったりするんだ。術にも限界があるからね」
彰さんは、穏やかな笑みを浮かべたまま続ける。
「だから、鍛錬を重ねてできることを増やしていくんだ。一つの術を自在に扱えるようになるまで、何年もかかる人だっている。覚えた術の数より、一つ一つをどれだけ磨き上げられるかが大切なんだよ」
なるほど。
だから彰さんは、術の形だけでなく、霊力の流し方や頭の中での想像まで細かく確認していたのか。
術を唱えることは、きっかけでしかない。
そこからどのような形で発動させ、どれほどの威力を持たせるのかは、使う人間次第ということだ。
「少し休憩しようか。そろそろ、お腹も空いてきた頃だろう?」
「はい。もうぺこぺこです」
「ふふ。霊力を使うと、普段よりお腹も空きやすくなるからね。中へ戻ろうか」
——
屋敷へ戻ると、居間に一人の女性が座っていた。
湯気の立つ茶器を片手に、俺たちが戻ってくるのを待っていたようだ。
腰まで流れる髪は、光を溶かし込んだような金色。
こちらへ向けられた瞳も同じ色に輝いている。
整った顔立ちと隙のない佇まいには、どこか人離れした美しさがあった。
ただ座っているだけなのに、思わず目を奪われてしまう。
誰だろう。
「ようやく戻られましたか。彰、この方が桐生颯斗さんですね」
「おや、もう来られていたんですね。そうですよ。隊服の件、お願いしますね」
女性は茶器を置くと、音もなく立ち上がった。
軽やかな足取りでこちらへ歩み寄り、柔らかな笑みを浮かべる。
「初めまして。私は黄賀叶惠ですわ」
心地良い、澄んだ声だった。
「桐生颯斗です。よろしくお願いします」
叶惠さんに合わせ、俺も頭を下げる。
隊服とは、彰さんが着ている軍服のような服のことだろうか。
そう考えていると、叶惠さんは俺の頭から爪先まで、確かめるように視線を巡らせた。
「……ふむ、随分と細身なのですね。それでは、早速採寸を始めましょうか」
「いつもありがとうございます。では、お願いします。颯斗君、僕は昼食を作ってくるね」
彰さんは踵を返し、廊下へ向かおうとする。
「え、俺一人ですか⁉︎」
「大丈夫、大丈夫。叶惠さんは腕の立つ機織師だから、任せておけば良いよ。僕がいても邪魔になるだけだし、採寸が終わったら呼んで」
「ちょっ、彰さん!」
俺の制止も聞かず、彰さんは部屋から出ていってしまった。
襖が閉まり、居間に静けさが戻る。
初対面の相手と、いきなり二人きりにされてしまった。
しかも、これから何をどう採寸するのか、詳しい説明も受けていない。
どうしたものかと考えているうちに、居間には気まずい沈黙が流れた。
だが、叶惠さんは沈黙を気にした様子もなかった。
いつの間に取り出したのか、叶惠さんの手には巻き尺が握られていた。
叶惠さんは慣れた手つきでそれを伸ばし、俺の正面へ立つ。
「それでは、採寸を始めてもよろしいですか?」
丁寧な口調ながら、どこか有無を言わせない雰囲気に、思わず頷く。
「は、はい。お願いします」
「まずは、両腕を広げてください」
断る理由もない。
目の前に立つ叶惠さんを意識しないよう努めながら、俺は緊張したまま、ゆっくりと両腕を広げた。




