13話 鍛錬の終わり
正面に三体。
さらに、左右から一体ずつ。
計五体の怨屍が、俺を取り囲むように距離を詰めていた。
「……さすがに、多すぎだろ」
刀を構え直し、周囲へ視線を巡らせる。
正面の怨屍が地面を蹴った。
それとほぼ同時に、右側の一体が飛びかかってくる。
正面の相手に気を取られれば、横から襲われる。
ならば、先に右を片づける。
踏み込んできた怨屍の攻撃を身を捻って躱し、その勢いのまま刀を振り抜いた。
刃が核を捉える。
怨屍の身体が崩れ始めるのを確認するより早く、地面を蹴った。
直後、先ほどまで立っていた場所へ、別の怨屍の爪が振り下ろされる。
「危なっ……!」
間一髪だった。
だが、立ち止まっている余裕はない。
正面から迫る二体のうち、先に飛び出してきた一体へ踏み込む。
振り下ろされた腕を躱し、懐へ潜り込む。
刀を突き出すと、切っ先が核を貫いた。
すぐさま刀を引き抜き、後方へ跳ぶ。
残る怨屍が、互いに距離を詰めてくる。
無闇に突っ込めば、囲まれる。
相手の位置を確認しながら、少しずつ後退する。
そして、一体が先行した瞬間を狙い、刀を振るった。
核を斬り裂かれた怨屍が、砂となって崩れ落ちる。
これで三体。
残る二体へ視線を向けた。
息が上がっている。
腕も、すでに重い。
それでも、以前のように恐怖だけで身体が動かなくなることはなかった。
相手の動きを見て、攻撃を避ける。
隙ができたところへ踏み込み、核を狙う。
彰さんとの鍛錬で、何度も繰り返してきたことだ。
残る二体も、どうにか倒しきった。
「はぁっ、はぁっ……。これで、終わり……?」
しかし、安堵する間もなく、新たな怨屍の気配が近づいてくる。
「……まだ、いるのかよ」
思わず顔を顰めた。
その後も、怨屍は次々と現れた。
何度も攻撃を受け、足元がふらつく。
それでも、相手の動きを見極め、隙を突いて核を破壊していった。
やがて、最後の一体が砂となって消える。
陽は落ち、辺りは静寂に包まれていた。
怨屍特有の腐臭も、もう漂ってこない。
「はぁっ、はぁっ……。もう、出ないよな?」
全身が鉛のように重い。
足には力が入らず、俺は刀に体重を預け、どうにか立っていた。
十体以上は倒したと思う。
あれだけの怨屍を一人で倒しきれたのは、間違いなく彰さんとの鍛錬のおかげだろう。
それでも、無傷では済まなかった。
全身には大小さまざまな傷が刻まれ、服も至るところが破れている。
この状態で帰れば、絶対にばあちゃんを心配させてしまう。
それ以前に、門限をとっくに過ぎていた。
叱られるのは目に見えている。
近くの建物の屋上から、彰さんがひらりと飛び降りてきた。
「お疲れ様。怨屍はもう出てこないよ」
「彰さんっ‼︎それは、良かった……です……‼︎」
怨屍が次々と現れ始めた時、彰さんは、危なくなれば助太刀すると言っていた。
けれど、結局最後まで手を貸すことはなかった。
俺としては、何度も限界を迎えたつもりだった。
それでも彰さんには、まだ戦えるように見えていたのだろう。
「壱禍だけとはいえ、初めての実戦で全部倒しきるとは予想外だったな。頑張ったね」
彰さんは、俺の頭を優しく撫でた。
肉体こそ中学生だが、精神年齢はとうに大人だ。
この歳になって頭を撫でられるのは、少しむず痒い。
……悪い気はしないが。
「ほんっと、疲れましたよ!もう……さすがに、これで終わりですよね⁉︎」
照れくささを誤魔化すように、わざと明るい声を出した。
「そうだね。結構時間も経ってしまったし、今日はこれで終わりにしよう。これ以上遅くまで付き合わせていたら、家の人も心配するだろうし」
「よ、良かった……!」
やっと終わる。
そう思っただけで、心底ほっとした。
体力も気力も、すでに限界だった。
ここで終わりと言われなければ、さすがに泣いていたかもしれない。
「これで、壱禍なら一人でも倒せるようになったね。複数を相手にしても、状況に応じて判断できていたし、弐禍が相手でも十分に勝てるんじゃないかな」
「あの、壱禍とか弐禍って、何ですか?」
「ああ、怨屍の強さを表す等級だよ。下から壱禍、弐禍、参禍、肆禍、終禍と、五段階に分けられている」
「なるほど……」
あれだけ苦戦した相手でさえ、最も下の等級だったらしい。
弐禍以上の怨屍を相手にして、本当に俺でも勝てるのだろうか。
「それにしても、随分と動きが良くなったね。助太刀するつもりだったのに、全部一人で倒してしまうし。飲み込みが早くて、扱きがいがあるってもんだよ」
「あはは……。それは、良かったです」
実力者である彰さんに褒められるのは嬉しい。
しかし、心なしか、彰さんが浮き立っているように見える。
……もしかして、やる気にさせてしまったのだろうか。
もしそうなら、彰さんには悪いが、少しも嬉しくない。
今日の彰さんとの鍛錬だけでも、何度も手足を斬り落とされ、死にかけたのだ。
これ以上の鍛錬など、考えたくもなかった。
「送っていくよ。その身体じゃ、空歩を使うほどの余力も残っていないだろうしね」
彰さんは近くまで来ると、俺に背を向けて屈んだ。
「すみません。ありがとうございます」
その背に身体を預け、彰さんの首へ腕を回す。
すらりとした体つきなのに、その背中は驚くほど頼もしかった。
彰さんは俺の身体を支えると、地面を軽く蹴った。
一瞬ふわりと身体が浮かび、次の瞬間には、視界いっぱいに星空が広がる。
夕焼けも綺麗だったが、夜空もなかなかに良いものだ。
火照った頬を撫でていく夜風が心地よかった。
彰さんは、行きよりもゆったりとした速さで夜空を駆けていく。
俺の身体を労ってくれているのだろう。
「今日は結構大変な一日だったと思うけど、大丈夫だったかい?」
「そうですね。結構……いや、とてもきつかったです」
「あはは、やっぱりね。でも、最後までよく踏ん張った」
「逃げたところで、殺される未来しか見えませんからね……。それなら、死ぬ気でやるしかないかなって」
「その考え方は悪くないよ。僕がいる間は何とかなる。でも、僕もいずれはいなくなる時が来るだろう。その時、自分の身を守れるのは自分だけだからね」
彰さんの声音は穏やかだった。
それでも、その言葉は妙に胸に残った。
いつかはいなくなる。
それがいつになるのかはわからない。
だが、その日までには、一人でも怨屍に対処できるようにならなければならない。
彰さんの肩を掴む手に、僅かに力が入った。
「ところで、少し気になっていたんだけど、君ってまだ子供だよね?妙に達観していたり、言葉遣いが大人びていたりする時があるけど」
「俺ですか?一応、十三歳の中学生の、まだ子供ですよ」
「ふうん。一応、ね。もしかして、前世の記憶が残っている類いかい?」
「いえ、前世のことなんて、これっぽっちも覚えていませんよ。ただ、少し事情があるというか……」
「事情?」
話してもいいものかと、少し迷う。
彰さんは物知りだ。
もしかすると、時間遡行についても何か知っているかもしれない。
それに、この人なら、こんな突拍子もない話でも信じてくれそうな気がした。
意を決し、口を開く。
「……信じられないかもしれないんですけど、俺、未来で生きていた記憶があるんです」
多少は疑われると思っていた。
しかし、返ってきたのは疑いではなく、純粋な興味だった。
「へえ、それは珍しいね!未来から来た、ということかい?」
「いえ。事故で死んだと思ったら、中学生の頃に戻っていたんです。精神だけ大人のまま、過去へ戻ったような感じで」
「ああ、そういうことか。うーん、あり得ない話ではないね。僕も、ある程度の時間なら巻き戻せるし……」
あまりにもあっさりと受け入れられ、かえってこちらが言葉を失った。
なくはない事例なのか。
……いや、それよりも。
彰さんは、時間を巻き戻せるのか……⁉︎
彰さんはしばらく黙り込み、何かを考えるように夜空を駆けていた。
「もう少し詳しく聞きたいな。今度の鍛錬の時にでも、続きを話してくれるかい?」
「あ、はい。わかりました」
「よし、着いたよ」
彰さんが一気に高度を下げる。
急降下による風圧で髪が逆立った。
そのまま地上へ降り、着地の衝撃すら感じさせず、軽やかに地面へ足をつける。
あれだけ離れていたはずなのに、僅か数分で家の前まで着いてしまった。
「ありがとうございました」
「どういたしまして」
俺は彰さんの背中から降りた。
ふと見ると、彰さんが家の方をじっと見つめている。
何か気になるものでもあるのだろうか。
「彰さん?」
「あ、ごめんごめん。ちょっと、君の家に張られている結界が興味深くてね」
彰さんはまだ、家から視線を外さない。
「結界、ですか?」
「そう。結界にもいろいろな種類があるけど、これは怨屍から認識されないようにするためのものだね。とてもよくできている」
目を凝らしてみる。
すると、家の周囲を覆うように、薄らと膜のようなものが見えた。
これが彰さんの言う結界なのだろう。
「怨屍から認識されないように……。それがあるから、家にいる時は襲われなかったってことですか?」
「そうなるね。それと、この結界には藍霙の創壁が練り込まれている。滅多なことがない限り、この結界内にいれば怨屍に襲われることはないよ」
聞き慣れない言葉も出てきたが、それについては、また次の機会に聞けばいい。
これまで敷地内で怨屍に襲われなかったのは、この結界のおかげだったのか。
少なくとも、この家にいる間だけは、肩の力を抜いて過ごせそうだ。
「ところで、この結界は誰が張ったんでしょうか?家には、俺とばあちゃんしかいないんです」
「それなら、颯斗君のお祖母様じゃないかな。他人の家へ勝手に結界を張るような酔狂な人は、滅多にいないだろうし。屋敷の中から感じる霊力量を考えても、お祖母様だと思うよ」
ばあちゃんが、この結界を張った?
もしかして、ばあちゃんにも怨屍の姿は見えているのだろうか。
「ばあちゃんが、ですか?」
思わず、家の方へ目を向ける。
「多分ね。さっき言った『藍霙の創壁』は、青の始祖に連なる者か、その血族にしか使えない術なんだ」
彰さんは結界を確かめるように、周囲へ視線を巡らせた。
「君の血縁者なら、お祖母様も青の血族であって不思議じゃない。それに、人としてはかなり多くの霊力を持っているようだしね」
「まじですか……。俺、怨屍のことなんて、一度も聞いたことがないんですけど」
「何か理由があるんじゃないかな」
彰さんは僅かに首を傾けた。
「君が怨屍を視えるようになったのは、最近なんだろう?視えない相手に話しても信じてもらえないだろうし、あえて話さなかっただけかもしれない。今度、本人に聞いてみたらいい」
確かに、彰さんの言う通りだ。
遡行前の俺には、怨屍など見えていなかった。
そんな状態で化け物の話をされても、冗談だと思って笑い飛ばしていただろう。
ばあちゃんが何も話さなかったのも、無理はない。
「ああ、確かにそうですね。今度、聞いてみます」
「うん、それがいい。それじゃあ、僕はそろそろ戻るね。怨屍に襲われても返り討ちにできるよう、頑張って」
「が、頑張ります。来週もよろしくお願いします!」
「はーい。またね」
別れの挨拶を交わすと、彰さんは一瞬で姿を消した。
不思議な人だ。
いや——そもそも、人なのかどうかも怪しい。
彰さんと出会っていなければ、俺はきっと怨屍に殺されていた。
どのような素性の人であれ、この出会いには感謝しかない。
俺も家へ入る。
案の定、玄関では、ばあちゃんが待ち構えていた。
二十一時を過ぎても連絡一本なく帰らなければ、心配するのも当然だ。
しかも、全身傷だらけで、服までぼろぼろになっている。
あと少し帰りが遅ければ、警察へ相談するつもりだったらしい。
何度も謝り、次から遅くなる時は必ず連絡すると約束して、どうにか許してもらった。
また、心配をかけてしまった。
それと——。
「近いうちに、うちの家系について聞いてみるか」
もし彰さんの話が本当なら、ばあちゃんは怨屍や、この家系について何か知っているはずだ。
ただ、今聞くのはやめておこう。
ばあちゃんの機嫌は、まだ直っていない。
聞くなら、また別の日だ。




