11話 現世での実践訓練
空が茜色に染まり始めた頃。
鍛錬も一段落し、俺達は屋敷へ戻っていた。
身体の傷も疲労も、琴葉さんの治癒術によって綺麗に消えている。
だが、精神的な疲労までは消えなかった。
刀が振るわれるたびに感じた恐怖が、今も脳裏に焼きついている。
「本当、颯斗君はよくめげなかったわね〜。剣を持ったばかりなのに、あんな好き放題斬られちゃって。私が同じ立場なら、速攻で逃げ出してるわよ」
琴葉さんが俺の頭を撫でる。
指先が髪を梳くたび、張り詰めていた心が少しずつ解けていった。
「はは……。まあ、今後の命がかかっていますからね」
逃げ出したくなる瞬間は、何度もあった。
それでも、ここで諦めれば、次に怨屍と遭遇した時こそ命を落としかねない。
「そうですよ。颯斗君は人間ですから、やれる時に鍛えておかないと。もう既に二度も襲われているんですから」
彰さんの言葉に頷く。
明日からは、また学校がある。
登下校中や校内で、怨屍に襲われるかもしれない。
いざという時に動けなければ、今度こそ殺されてしまう。
「それでも、もう少し手加減してあげてもいいと思うけどな」
琴葉さんが不満げに呟く。
「……そうですね。今日の目標は達成できたので、来週からは段階を踏むようにします」
「うんうん、そうしなさいな」
その返事に満足したのか、琴葉さんはようやく表情を和らげた。
「ところで、琴葉さん。今後は毎週末に鍛錬をしようと考えているんですけど、来週からも付き合ってもらえますか?」
「私は大丈夫よ」
「颯斗君も大丈夫かな?」
正直、来週も今日のような鍛錬をするのかと思うだけで、気が重い。
それでも、生き延びるためには必要なことだ。
「はい、大丈夫です」
「じゃあ、来週も同じ時間にお願いします。颯斗君は、今日と同じ九時からで」
来週以降の予定も決まり、これから鍛錬が日常の一部になっていくのだと実感した。
平日は学校がある。
休日も鍛錬となれば、暫くは友人達と遊ぶ時間も減るだろう。
けれど、それで生き残れるのなら安いものだ。
「今日はありがとうございました。また来週もよろしくお願いします」
「はーい。颯斗君、この後も頑張ってね〜。まったねー!」
琴葉さんは指先で宙に文字を描いた。
『離界』の二字が淡い光を放ち、その身体を包み込む。
やがて光が粒子となって宙へ溶けると、そこに琴葉さんの姿はなかった。
……この後も?
引っかかる言葉を残していったが、ひとまず今日の鍛錬は終わった。
ようやく休める。
そう思ったところで、隣から軽く手を叩く音が響いた。
「よし。休憩も終わったことだし、次は怨屍の討伐に行こうか。さあ、立って」
彰さんは何事もなかったかのように、上着へ袖を通した。
「え、まだやるんですか⁉︎というか、怨屍の討伐⁉︎」
「勿論。鍛錬だけでは、怨屍は倒せないからね。実戦も経験しないと」
「ええっ⁉︎」
俺が呆然としている間にも、彰さんは宙へ指を滑らせる。
最後の一文字が書き上がるのと同時に、俺達の身体は眩い光に包まれた。
——
腐った獣を思わせる悪臭が、鼻を突いた。
「うっ……」
あまりの臭いに、思わず顔を顰める。
「此処は……?」
辺りを見回す。
そこは、見覚えのない薄暗い路地裏だった。
左右を高いコンクリートの壁に囲まれ、湿った空気が肌へ纏わりつく。
頭上に僅かに見える空は、夕焼けの赤に暗い青が混じり始めていた。
「現世だよ。ほら、油断しない。気を抜くと殺られるよ」
その言葉と同時に、赤黒い刃が視界へ飛び込んできた。
「うわっ⁉︎」
咄嗟に地面を蹴り、後ろへ飛び退く。
直前まで顔があった場所を、鋭い鎌が薙いだ。
刃先が鼻先を掠め、額から冷たい汗が流れる。
鎌鼬のような姿をした化け物——怨屍が、鎌状の腕を長い舌で舐めていた。
「いい反応だね。怨屍を倒すには、核を壊す必要がある。場所は左胸だよ。さあ、頑張って倒してみな」
「いきなりですか……!」
リングへ霊力を注ぎ、刀を顕現させる。
青い光の中から現れた刀を両手で握り、正面へ構えた。
この数時間で、扱いには随分と慣れた。
それでも、怖い。
先ほどの攻撃が僅かに深く入っていれば、顔を斬り裂かれていた。
これは鍛錬ではない。
失敗すれば、本当に死ぬ。
けれど、やるしかない。
核は左胸。
とはいえ、初めての実戦で、いきなり胸を正確に狙える自信はなかった。
まずは腕を斬り、動きを止める。
そう判断し、怨屍との間合いへ踏み込んだ。
「はあっ!」
鎌が振り下ろされるよりも先に、その左腕を目掛けて刀を振り抜く。
『ゔぎゃあぁぁぁっ‼︎』
斬り落とされた腕が、黒い霧となって崩れる。
片腕を失った怨屍は、耳を劈くような声を上げた。
怒りに満ちた目が、こちらを睨みつける。
「よし、これで——なっ⁉︎」
切断したはずの箇所が、不気味に蠢いた。
黒い肉が盛り上がり、そこから新たな腕が生え始める。
斬ったはずなのに……再生した⁉︎
「あ、言い忘れてた。怨屍には再生能力があるから、核を壊さない限り何度でも再生するよ」
彰さんは、さも当然のように言ってのけた。
「そんな大事なこと、先に言ってくださいっ‼︎」
核を壊さなければ、何度斬っても意味がない。
ならば、狙うのは一か所だけだ。
怨屍が残った鎌を振り上げる。
その軌道を見極め、身を捻って躱した。
すれ違いざまに間合いを詰め、左胸へ向けて刀を振るう。
「はああっ!」
刃が怨屍の身体へ深く食い込んだ。
胸元で、硬いものに当たる感触が手に伝わる。
ここだ!
止まりかけた刀を、力任せに押し込んだ。
硬いものが砕ける。
その瞬間、怨屍の身体が大きく震えた。
斬り裂いた胸元から亀裂が広がり、黒い肉体が端から崩れ始める。
怨屍は最後に耳障りな叫び声を上げると、黒い霧となって消えていった。
……倒した?
刀を構えたまま、怨屍がいた場所を見つめる。
もう、再生してこない。
辺りを警戒しながらも、少しずつ肩の力が抜けていった。
俺は、初めて自分の力で怨屍を倒したのだ。
これまで二度も襲われ、ただ生き延びることしかできなかった相手。
その怨屍を、今度は自分の手で倒すことができた。
胸の奥から、じわじわと喜びが込み上げてくる。
刀をリングへ戻し、彰さんを振り返った。
「彰さん!これ、倒せたってことですよね⁉︎」
後ろから手を叩く音が聞こえた。
彰さんが、笑みを浮かべながら拍手をしている。
「お見事。無事に倒せているよ」
その声には、素直な称賛が込められていた。
「初めてにしては上出来だね。核を狙う判断も悪くなかったよ」
「ありがとうございます!」
自然と声が弾んだ。
今日一日、何度も地面に叩き伏せられ、まともに一太刀浴びせることすらできなかった。
それでも、鍛錬は無駄ではなかったらしい。
まだまだ未熟なのはわかっている。
だが、少なくとも昨日までの自分よりは、確実に前へ進めている。
「では、これでもう終わっ——」
「らないよ」
言い終えるよりも先に、彰さんの声が重なった。
その一言だけで、肩から力が抜ける。
「まだ一体しか倒していないからね。それに、君の活動時間を考えると、夜間の戦闘にも慣れておいた方がいい。あと二時間は狩りに行くよ」
「えーっ⁉︎」
あと二時間。
あまりの長さに、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「えー、じゃない。ほら、行くよ」
彰さんが、こちらへ歩み寄ってくる。
嫌な予感しかしない。
ようやく一体倒せたというのに、まだ二時間も続くのか。
それでも、先ほどの討伐で得られた手応えは確かに残っていた。
次も、同じように倒せるだろうか。
そんなことを考えている間に、彰さんは目の前まで来ていた。




