9話 初めての鍛錬
「本来なら、まずは基礎体力をつけるところから始めたいところだ。ただ、今は悠長に鍛えている時間もない。実戦形式でいかせてもらうよ。刀を顕現させて」
「はい!」
リングへ霊力を注ぎ、刀を顕現させる。
青い光が収まると、手の中にずしりとした重みが生まれた。
いよいよ鍛錬が始まる。
そう思うと、自然と背筋が伸びた。
「準備はいいかい?」
「はい。よろしくお願いします」
刀を構え、正面を見据える。
対する彰さんは、刀を下げたまま静かに立っていた。
軍服に包まれた身体には、僅かな力みすら見えない。
いつ仕掛けてくるのか。
柄を握る手に、じわりと汗が滲む。
瞬きをした。
次の瞬間、彰さんの姿が視界から消えた。
「——っ!」
斬られる。
そう悟った時には、既に懐へ潜り込まれていた。
光を吸い込むような黒い刀身が、眼前へ迫る。
考えるより先に、刀を差し込んだ。
甲高い金属音が、静まり返った荒野に響き渡る。
「ぐっ……!」
重い。
刃を通して伝わった衝撃に、両腕が軋んだ。
踏ん張る間もなく、刀を構えたまま後方へ弾き飛ばされる。
足元がもつれた。
崩れた体勢を立て直そうとした時には、脇腹へ回し蹴りが迫っていた。
強烈な一撃がめり込む。
呼吸が途切れ、身体が宙へ浮いた。
視界が激しく反転する。
受け身を取る余裕もないまま、背中から大岩へ叩きつけられた。
鈍い衝突音とともに、周囲へ土埃が舞い上がる。
「がっ……げほっ……!」
肺から押し出された空気とともに、咳が込み上げた。
背中から脇腹にかけて、焼けつくような痛みが走る。
肋骨が折れたのではないか。
そう思うほどの激痛だった。
口の中に鉄臭い味が広がる。
地面へ唾を吐くと、乾いた土の上に赤いものが混じった。
一瞬、意識が遠のきかける。
だが、此処で倒れていては何も身につかない。
衝撃を受けた際に、刀は光の粒子へとほどけ、リングに戻っていた。
痛む身体を叱咤して立ち上がり、再び霊力を注ぐ。
青い光とともに、手の中へ刀が現れた。
「まだ……いけます」
息を絞り出すように告げると、彰さんが目を見開いた。
「へえ……今ので立ち上がるか」
感心したように頷き、口元に笑みを浮かべる。
「ふふ。思っていたより、ずっと根性があるね。良いねぇ」
「っ……いきます!」
刀を握り直し、地を蹴った。
間合いへ踏み込み、力任せに刃を振り下ろす。
再び、甲高い音が響いた。
両手に痺れが走る。
全力で打ち込んだはずなのに、受け止めた彰さんの刀は微動だにしなかった。
次の瞬間、刃が横へ流される。
がら空きになった腹へ、刀の鍔が叩き込まれた。
「うっ……!」
思わず身を折ったところへ、黒い刃が続けて迫る。
まずい。
このまま攻めても、返り討ちに遭うだけだ。
一旦攻めるのをやめ、防御に意識を集中させる。
一撃、二撃と、休む間もなく刀が振るわれる。
必死に受け流し、時には身を捻って躱す。
先ほどよりも速さや威力は抑えられているが、それでも目で追うのがやっとだった。
防ぐたびに腕が痺れ、足がもつれる。
少しでも隙を見せれば、容赦なく刃が迫ってくる。
それでも、必死に食らいついていく。
「……ふうん」
刃を交える最中、彰さんが小さく呟いた。
次の一撃が、不意に角度を変える。
「っ……!」
反射的に刀を引き戻し、辛うじて受け止めた。
「なるほど」
彰さんは満足げに頷くと、再び刀を振るう。
何がなるほどなのか。
問い返す余裕など、あるはずがなかった。
——
どれほど経ったのだろう。
口の中には、まだ鉄の味が残っている。
また、息を吸うたびに胸が痛み、喉の奥がひりついた。
手も足も、鉛を括りつけられたように重い。
刀を握る力さえなくなり、俺は乾いた地面に這いつくばっていた。
汗の滲んだ頬に、ざらついた砂が張りついている。
剥き出しになった腕には細かな切り傷が走り、シャツも土に汚れていた。
ズボンの下では、打ちつけられた箇所が鈍く疼いている。
そんな俺とは対照的に、頭上から降ってくる声は涼しい。
「もって十分くらいだと思っていたけど、予想以上だったな。これなら、もう少しやれそうだね」
顔を上げる。
彰さんは息一つ乱さず、俺を見下ろしていた。
あれほど激しく動き続けていたというのに、汗すら浮かべていない。
化け物じみている……。
途中からは、俺が反応できるところまで速度を落としていたのだろう。
だが、終始防戦一方で、こちらから仕掛ける隙などほとんどなかった。
今の俺では、一太刀浴びせることすら叶わない。
「あ、彰さん……少しだけ、休ませてください……」
これ以上は無理だ。
鍛錬を続けるどころか、立ち上がる力さえ残っていない。
「そうだね。もう三十分近く続けているし、一度休憩にしようか」
必死の訴えに、苦笑交じりの声が返ってくる。
「それにしても、よくここまでもったね。いくら手加減していたとはいえ、初めてならもっと早く動けなくなると思っていたよ」
彰さんは傍らにしゃがみ込むと、地面に伏した俺の顔を覗き込んだ。
三十分。
次々と襲いかかる刃を防ぐことに必死で、時間の経過など意識する余裕もなかった。
「そう、なんですか……?ついていけていた気は、全然しませんけど……」
「ふふ。初めから僕についてこられたら、教えることがなくなってしまうよ」
彰さんは穏やかな口調で続けた。
「今は、食らいつこうとするだけで十分さ。それを三十分間続けられたんだから、上出来だよ」
「それなら……よかったです」
荒い呼吸が、少しずつ落ち着いてくる。
残った力を振り絞り、地面に手をついて上半身を起こした。
気を抜けば、そのまま後ろへ倒れてしまいそうだった。
「それに、刀の扱いには随分と慣れていた。まったくの初心者というわけではなさそうだね」
彰さんは少し考えるように間を置いた。
「颯斗君。君は以前、誰かから剣の指南を受けたことがあるのかい?」
剣の指南。
すぐに思い当たるものはなかった。
高校の授業で剣道を習ったことはある。
とはいえ、一通り触れた程度だ。本格的に学んだとは言い難い。
あ、そういえば——。
幼い頃、飛翠さんのところにいたおじいさんから、刀の扱いを教わったことがある。
確か、「男なら剣術ぐらいできないとな」と言われたのがきっかけだったか。
あの人は、とてつもなく強かった。
幼い頃の記憶なので、実際にどれほどの腕だったのかはわからない。
それでも、目の前にいる彰さんにも劣らない。
なぜか、そんな気がした。
「昔、知り合いに少し教わりました。あとは、学校の授業で剣道をやったくらいです」
「へえ。それだけであれほど動けるのか」
彰さんが興味深そうに目を細める。
「教えた人の腕がよかったのか。それとも、君の飲み込みがいいのか……。どちらにしても、面白いね」
何が面白いのかはわからないが、まるで何かを見極められているようで、どうにも居心地が悪い。
「……まあ、今はいいか」
そう言って、彰さんは話を切り上げた。
「もう少し休んでいて。傷を治せる人を連れてくるから」
「治せる人がいるんですか?」
「ああ。この程度なら、すぐに動けるようになるよ」
「そうですか……。お願いします」
彰さんは立ち上がると、宙へ向けて人差し指を滑らせた。
何もなかった空間に、指先を追うように光の筋が残る。
綴られた文字は——『離界』。
淡い輝きを放っていた二文字が、縁から少しずつ崩れていく。
ほどけた光は瞬く間に膨れ上がり、白一色に視界を染めた。
眩しさに目を閉じる。
瞼の裏から光が消えるのを待ち、恐る恐る目を開いた。
そこに、彰さんの姿はなかった。
咄嗟に辺りを見回した途端、脇腹に鋭い痛みが走った。
「いっ……!」
動きを止め、傷む場所を押さえる。
少し動くだけでも、全身が悲鳴を上げる。
この状態で、明日まともに学校へ行けるのだろうか。
「……いや、すぐに動けるようになるって言っていたな」
それなら、今から心配しても仕方がない。
ひとまず身体のことは頭の隅へ追いやり、先ほどまで彰さんが立っていた場所を見る。
あの人は、どこへ消えたのだろう。
此処へ来た時は、宙に『開門』と書くことで、この空間への入口を開いていた。
だとすれば、『離界』は外へ出るためのものなのかもしれない。
文字を書くだけで、別の空間を行き来する。
あの人なら、それくらい平然とやってのけそうだった。
「あはは……本当に、何でもありだな」
乾いた笑いが漏れる。
時間が巻き戻ってからというもの、現実離れした出来事ばかりが続いている。
怨屍に霊珠、そして今度は、文字一つで別の空間を行き来する術まで。
一つ一つ驚いていたら、身がもたない。
それにしても、彰さんは一体何者なのだろう。
あれほどの剣の腕を持ち、見たこともない術を当然のように使いこなす。
神だとか死神だとか言っていたけれど、あれは本当なのだろうか。
痛みを堪えながら、ゆっくりと仰向けになる。
頭上には、青く澄んだ空が広がっていた。
先ほどまで響いていた剣戟が嘘のように、辺りは静まり返っている。
聞こえるのは、未だ荒い自分の呼吸だけだ。
「あ……そうだ。時間が巻き戻ったことも、彰さんは知っているのかな」
この空間のことも、あの移動方法についても、聞いてみたい。
考え始めると、疑問が次々と湧いてくる。
だが、今は何を考えてもまとまりそうにない。
戻ってくるまでの間、少しでも身体を休めておこう。
目を閉じると、疲労に沈むように全身から力が抜けていった。




