危険のある自由と保護という名の檻①〜アリウムside〜
「ミルベラ・ラットゥース公爵令嬢が、民に石を投げつけられる夢を見ました」
聖女ラディアの言葉が頭から離れない。
通常の執務をしていても、飢饉に向けて動いていても、ふとした瞬間に浮かんでくる。
「まるで呪いだな……」
夜、一人になった私室で書類を見ながら零れた言葉。
知って良かったとは思う。
それでも、何故ミルベラなんだという行き場のない苛立ちと焦燥感。感情の逃げ場がない。
正直、飢饉事業はうまくいっていない。
いや。無理矢理通したにしては、悪くないだろう。
けれど、推し進めれば推し進めるほど、俺を支持している貴族たちが内分裂していく。
俺の機嫌を取り、懇意になりたい者。
ミルベラを排し、自分の娘を俺の婚約者や愛人にしたい者。
本気で飢饉対策に取り組む者。
今回のことで見限り、失策にしたい者……。
どうやったところで、まとまるわけがない。
結果で黙らせる他、ないだろう。
「ミルベラ……」
彼女が前を向き続ける限り、俺も進む。
……たとえ、彼女が足を止めても、俺が成功させてみせる。
だが、そのまえに──。
「久々に会わないとだな」
飢饉対策に集中したいというのに、まさかここで問題になるとは。
手綱を握ったはずだった。
自分では何もできず、従うことしかできないと思っていた。
「まだ使えるから処分はしない。だが、ミルベラを傷つけた罪、なかったことにはさせない」
日が沈み始める頃、俺は知らせを受け、紋章のついていない馬車に乗り込んだ。
***
ルミアスが訪れている商会の一室に向かう。
この商会は以前より密談に使うことがあり、ルミアスが商談を進めるために訪れた際、連絡するよう頼んでおいた。
「お久しぶりでございます。アリウム殿下」
一瞬、動きを止めたものの、ルミアスはすぐに笑みを浮かべる。
「来ると分かっていた。とでも言う顔だな」
「まさか。近々来るだろうとは思っていましたが、商会内だとは予想できませんでしたよ。なるほど、どうりでスムーズに話が進むわけです。殿下から既に話がいっていた……というわけですか」
へぇ。確信したのか。
もともと悪くなかったが、ずいぶんと察しが良くなったな……。
「それで、今日はなんのご用事ですか? 飢饉事業のことですか? それとも、商会のことですかね」
ルミアスは、くすくすと笑いながら言う。
「俺がルミアスに命じているのは、ミルベラについてだけだ」
ミルベラの名前を出した瞬間、表情は変わらないけれど、ルミアスの瞳の中に重い何かを見た。だが、それも瞬きの間に消える。
「承知いたしました。では、報告をさせていただきます」
小さく頭を下げたあと、淡々と既に文書で報告を受けていることばかりを話していく。
「何も変わりはないと?」
「数週間で変化はそうそうでませんよ」
「そうか。では、ミルベラの手首の擦り傷について、話そうか」
感情を読み取ろうと真っ黒な瞳を見るけれど、そこには何も映し出されていない。
「……? ベラ姉様の手首ですか?」
「知らないとは言わせないよ」
ルミアスは困惑の表情を浮かべた。
「何故、殿下の目で確認済みのものを僕がお伝えするのですか?」
「俺はミルベラに関するすべてを報告しろと言っている」
ぱちぱちとルミアスは瞬きをしてから、口を開いた。
「では、ベラ姉様が手首にかすり傷を負いました。が、もう完治しています。僕が毎日軟膏を塗っていました。これで満足ですか?」
ため息まじりに言ってくる。あからさまな挑発だ。
それが分かっているのに、ミルベラのこととなると冷静さを失いそうになる。
「だいたい、あれくらい怪我とは呼べませんよね。怪我っていうのは、もっと血が出たり、骨が折れたりすることを言うんですよ」
「それはルミアスの基準だ」
「ははっ。じゃあ、ベラ姉様のあれが怪我なら、僕のこれらはどうなるのですか?」
服の袖をめくって、見せられる。
「──っ!!」
「あれ? もしかして古傷を見るのは初めてですか? 雨の日とか、寒い日はね、引き攣れたりすることもあるんですよ。知ってましたか?」
何がおかしいのか、愉悦を含んだ表情を浮かべている。
こいつ、思ってた以上におかしい……。
警戒心を強めつつ、表情を保つ。
「騎士から聞いたことはある」
「そうでしたか。ま、僕のは両親からのなので騎士様たちとは、ちょっと違いますね。だって、騎士様は使命を持っていますから」
この状況を面白がるかのように、ルミアスは言葉を続けていく。
「殿下は、鞭で打たれたことはありますか?」
「いや……」
「そうですか。ま、鞭はね、まだマシなんですよ。火かき棒は最悪です。想像できますか? 暖炉でわざわざ熱して、肌に叩きつけてくるんですよ。その時──」
「何が言いたい」
「別に。ただ、殿下は幸せですねってことです。ミルベラ様も」
先程見せたミルベラへの執着などなかったかのように、今度は苛立ちの炎がルミアスの瞳に灯る。
「たしかに恵まれた境遇だとは思っている。だが、それとミルベラに怪我をさせたことは無関係だ」
「え? 関係ありますよ」
「……は?」
「だって、僕は知っていますから。外に出るとベラ姉様の敵がたくさんいて、家にいれば叩かれることも消えない傷を負うこともない」
ルミアスの瞳の奥で闇が、炎が、大きく燃えている。
「むしろ、戦わせる殿下の方が信じられません。大切なら、壊れないようにしまっておかないと。もしかして、そんなに大事じゃないんですか?」
何を……言ってるんだ……。
それができるなら、俺がとっくにやっている。
「殿下はたくさんのものを持っていますよね。なら、ベラ姉様くらい、僕にくださいよ」
「…………ミルベラはものじゃない」
自分でも聞いたことのないようなほどに冷たい声が出た。
けれど、ルミアスは小さく首をかしげている。
「何、当たり前なことを言ってるんですか。そんなことより、殿下ならいくらでも婚約者を作れますし、僕の家族である必要はないですよね?」




