第119話 嵐の前の前夜
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明日は確実に忙しくなる。
だから、残された時間はなるべく休息に時間を割けるようにしたい所。
時間帯的には大浴場が利用出来るはずなので、温泉に浸かってゆっくりするか。
準備するような物もないので、華と凛に声を掛けてからすぐに向かった。
「早過ぎて誰もいなさそうだな。」
脱衣所に着いたが大浴場の中には人の気配が一切ない。
時間帯が少し早めではあるので、当たり前なのかと勝手に納得しておく。
それにしても広々とした空間を実質貸切状態で使えるので心躍るな。
服を脱いだ俺は意気揚々と温泉へ。
脱衣所との温度差でムワッとした風が全身を包むがこれもまた一興。
いつも以上に時間を掛けて全身を隈なく洗った後に、ようやく湯船に浸かる。
そのタイミングと同時に人が入って来た。
折角、貸切状態を楽しめるかなと思ったが、ここは誰でも利用出来る場所なので文句は言えない。
どんな奴がこんな時間から利用しようとしているのか見てやろうと思ったが、人の顔を注視するのはこの場においてバッドマナーだろうと判断してやめておく事に。
「おぉー、佐倉くんじゃないか。随分と早い時間から入っているだね。昨日のこと時間は誰も利用者がいなかったから同じ時間帯を狙って来てみたんだけど、まさか人がいるとは。」
顔を見なくても、この声なら誰だが分かる。
糸井先輩だ。
まさか、大浴場を利用していたなんて思いもしなかった。
部屋には風呂が備え付けられているので、てっきりそこで済ませているのだとばかり。
だって、わざわざ利用客のいるかも知れない大浴場に入れば、居場所がバレてしまう可能性も少しだけある。
それが例えどんなに僅かな可能性であったとして見逃さないのが糸井先輩のはずだ。
「お疲れ様です。俺は明日に備えて早めにと思って。」
「それもそうだよね。明日になれば街を巻き込んだ一大事になるかも知れない。それが何日続くかも分からないし。」
「怖く無いんですか?いつもの相談と違ってこれには多くの人を巻き込む。失敗と言う事は許されないんですよ。」
「プレッシャー掛けてくるねー。でも、大丈夫だと思ってる。だってさ、好きな人の前では頑張りたいじゃん。」
やはり、糸井先輩は本当に七瀬先輩の事を好きらしい。
最初は何かしらの冗談か作戦の一部とばかり思っていたけど。
「人を好きになるって大変じゃないですか?」
「きっと大変だろうね。色んな恋を見て来た僕だからこそ、それは断言出来る。」
「でも、覚悟の上で好きになったと。いやー、七瀬先輩もすごい人ですね。糸井先輩みたいな特殊な人間を惚れさせるんだから。」
「むっ?僕は特殊じゃないでしょ。」
どの口が言ってんだ。
普通の人間は名前を聞いただけで、個人情報をすぐに喋れるコンピュータ見たいな芸当は出来ない。
それが例え藍連高校の生徒だけの話と言っても全校生徒数はかなりいるからな。
「不思議なんだよ僕も。だけど、彼女には僕の隣にずっといて欲しい。これは変わらない感情だよ。」
「俺もいつかそう思える存在が現れるでしょうか。」
「絶対にね。」
糸井先輩とその後も雑談を続けていく。
たわいもない話ばかりだったけど、こんなまた一つ親密度を深められた気がする。
糸井先輩が用事を思い出して先に上がったので、また俺一人になった。
何も考えないまま時間だけが過ぎていく。
この贅沢な時間の使い方が許されるのだろうかとさえ思える。
「さて、そろそろ上がるか。のぼせてしまったら明日に支障が出るかも知れないし。」
ここから先は風呂から上がって、明日のことについて真剣に考えよう。
脱衣所で準備を済ませて、部屋へと戻る。
帰り道には売店や自販機などの誘惑があったが決して負けていない。
だってそんな事より重要な事があるからな。
寄り道してる暇があったら、一秒でも多く考えるべきだ。
チャイムを鳴らしてどちらかに鍵を開けてもらう。
一瞬、どちらが出るのかなと思ったが出たのは凛だった。
「おかえりー、ってどうしたのそのお菓子と飲み物。」
「真っ直ぐ戻るつもりだったんだけど、食べ物の誘惑に勝てなかった。」
「気持ちは分かるよすごく。ウチも食べて良い?お金なら払うからさ。」
「お金なら気にするなみんなで食べれるようにこの量買ってきたんだから。」
俺一人ではこの量を食べ切れるはずがない。
みんなで分けて余ったらお見上げとして梨乃にでも渡しておけば良いという判断の元で購入した。
夕飯を食べれなくなってはいけないので、今は少量で我慢しておこう。
二人で何があるかを見ながら部屋の奥へ行くと華がいない事に気付く。
てっきり二人で部屋にいるのかと思ったんだけどな。
「華ちゃんはね、外を散歩してくるって。明日の事、一人で考えたいのかもね。ウチだってそうだから。」
「解決したいよな。家族の問題だったとして困ってる先輩がいるなら放っておけない。」
「本当その通りだよ。昔のウチなら、絶対どうする事も出来ないよってネガティブになっていたと思うけど、不思議と今は何とかなりそうな気がするの。」
「強くなったんだな。恋愛支援部の中で一番成長してるのは間違いなく凛だよ。」
「本当に!?そう言ってくれると嬉しい。」
眩しい笑顔を俺に向ける凛。
前は人と関わる事さえ恐れていたのに、こんなにも積極的に会話が出来るようになるとは。
出会った頃の凛に伝えても信じてはくれないだろう。
「でも、まだ失敗するかもとか考える時があるの。」
「人は誰でも失敗するからな。考えるなって言う方が難しい。」
「その時は陽太くんが助けてくれるよね?」
「俺が動くには多額の金が必要だぞ。」
「そんな事言って結局助けてくれるよね。」
最初はちょっとした冗談を言い合っているのだと思ったけど、凛の目が真剣な気がする。
俺は助けた覚えなんて無いけど、どこか勝手に恩を感じているのか。
そうだとするなら、気にしなくて良いんだけどな。
「ただいま。」
「あ、華ちゃんおかえり!今ね、陽太くんがお菓子買って来てくれたからみんなで食べよう?」
「おっ、ありがとう。丁度塩分欲しかったからこれ貰うわ。」
しょっぱい系のお菓子を手に取った華は一口食べる。
運動して腹が減っていたのか嬉しそうな顔だ。
「いよいよ、明日。」
「どうするか考えはあるの?」
「説得する為に七瀬邸へ乗り込む。」
「随分とシンプルな案だね。他に具体的な話はないの?」
上手くいくとは到底思えない作戦だけど、これしか切れるカードがない。
後は説得した住民達にどうやって協力してもらうか。
心配なのは街の住民に協力してもらっても説得できなかった時だ。
余りにも大き過ぎるリスクだけが残る。
作戦は慎重に練らないと。
「結果はどうなるか分からないけど、どうなったとして笑ってられると良いね。」
「取り戻すぞ。俺達が望む日常を。」
明日に向けて入念に行われる作戦会議。
晩御飯も食べるのを忘れて没頭した。
そして、気付けば途中で寝落ちしてしまう。
瞼が完全に閉じる前、働かない頭を使ったせめてもの思いで明日の成功を祈る。
次に目を覚ましたのはデジタル時計の日付が次の日になった時だった。
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