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第42話「すれ違い、かけ違い」

 次の日。


 君野(きみの)は、堀田(ほった)の言いつけを破り、綾目(あやめ)に会うため病院へ向かう電車へ乗っていた。


 ――いいか。もうその女とは2度と会うな。


 あの言葉が、今も駅の階段を下りる足取りを重くしている。


 それでも、お見舞いに行くと約束した時、あんなに喜んでくれた綾目ちゃんを放っておけなかった。


 あれから、僕は堀田くんへ返事をできずにいた。



「!」


 その時、太ももの上のスマートフォンが震えた。


 画面を見ると、堀田からメッセージが届いている。


「あ、堀田くん……!」


 心臓がどきりと跳ねる。


 もしかして、今病院へ向かっていることがバレた……?


 恐る恐る画面を開く。


 ――面会ができるようになったら病室へ来いよ!


「……よかった。怒ってなかった……」


 君野はほっと息をついた。


 ――早く会いたい。


 そう打ちかけた、その時だった。


 また1件、メッセージが届く。


 ――わりぃ、まちがえた。


「……間違えた?」


 何を?


 僕は、面会に来ちゃいけないってこと?


 胸の奥が、また少し曇る。


 返事が止まったことに気づいたのか、すぐに堀田から追い打ちのようなメッセージが届いた。


 ――桜谷(さくらたに)と間違えたんだよʅ(◞‿◟)ʃ


「桜谷さん……」


 堀田くんも、その子と仲良しなんだ。


 そう思った瞬間、君野はスマートフォンを閉じた。


 返事を打つ気には、なれなかった。




「どうしたの?君野くん。元気ないね」


 病院へ着くと、綾目がすぐに声をかけてきた。


「あ、うん……」


「堀田くんと何かあった?」


「え、なんで分かるの?」


「だって、堀田くんくらいしか、君野くんをそんな顔にさせる人いないでしょ」


「……桜谷さんって、どんな人か知ってる?」


「ふふ」


 綾目は小さく笑う。


「今、その子が堀田くんと関係あるんじゃないかって、疑ってるんだね」


「……」


 図星だった。


 俯く君野を見て、綾目の口元が一瞬だけ悪魔のように歪む。


「酷いわね。君野くんがお見舞いに来てるのに、浮気なんて」


「……それって、浮気なのかな」


「るりちゃんはね、小学生の頃、君野くんの隣の席だった女の子よ」


「そうなの……?」


「ええ。ヒステリックで痛々しい子だった。私はよく知ってる。この病院へずっと入院していたから」


「この精神科に?」


「そう。可愛い子なのよ。堀田くんが惚れるのも、無理はないかもね」


 君野は何も言えなかった。


 その言葉だけが、胸の奥へ沈んでいく。


 やがて目が潤み、静かに俯いた。


「さっきね……堀田くんから、面会に来てって連絡が来たんだ」


「うん」


「でも、間違えて送ったって言われて……。僕、もう来るなってことなのかな……」


「あらら……それは悲しいわね」


 綾目は同情するように首を傾げる。


「聞きづらいなら、るりちゃんに聞いてみたら? 連絡先くらい残ってるでしょ?」


「それが……連絡つかなくて」


「じゃあ……彼女の仕業かもね」


 ぽつり、と呟く。


 君野は、その一言に息を呑んだ。


 綾目は内心、思わず笑みをこぼす。


 ――ふふ。面白い。


 本当に、この子は言われたことをそのまま信じちゃうんだ。


 だからこそ、可愛い。


「……君野くん」


 綾目は少しだけ身を乗り出した。


「私でよければ、いつでも話聞いてあげるよ?」


「……うん。ありがとう」


 その優しい声を聞いた瞬間、君野はまた胸の奥の不思議な感覚に包まれた。


 昔、この人を好きだったような。


 そんな記憶はないのに、どこか懐かしい。



「……なあに?」


 綾目もまた、子犬のように潤んだその瞳から目を離せなかった。


「……漫画、持ってきたんだ」


 君野はリュックのファスナーを開けた。


 中には単行本がぎっしり詰まっている。


「あ! そんなに持ってきてくれたの?ごめんね、重かったでしょう?」


「ううん。女の子が好きか分からないけど……」


 君野が取り出したのは、少年漫画の単行本10冊だった。


「綾目ちゃん、こういうの読む?」


「君野くんのこと知りたいから、何でも読むよ。ありがとう」


「ぼ、僕を?」


 君野は照れくさそうに頬をかいた。


 綾目はそんな反応がおかしくて、漫画を1冊ぱらぱらとめくった。


「君野くん、ギャグ漫画好きなんだね」


「うん。それはずっと集めてるんだ」


 綾目が数冊まとめて持ち上げた、その時だった。


 カタン。


 何かが床へ落ちた。


「え?はさみ?」


「あっ……」


 君野は、しまったという顔をする。


「病院へ来る前に読んでたんだ。いつもの癖で、そのまま挟んだまま持ってきちゃった」


「はさみを、しおり代わりにしてたの?」


「うん……」


 綾目は思わず吹き出した。


「あはは!なんだか、君野くんが家でどんな生活してるのか分かってきた」


 漫画には、ポテトチップスの欠片まで挟まっていた。


 本の角も、ところどころよれていた。


 想像していた以上に、大雑把らしい。


 なのに、そんなところまで妙に愛おしく思えてしまう。


「でも、はさみって便利だよね」


「え?」


「お菓子の袋を切ったあと、そのまま持ち手のところで挟めるでしょ。一石二鳥だよね!」


「あはははは!」


 綾目は堪えきれず、机を叩いて笑った。


「な、なんで笑うの?」


「ううん!君野くんって、本当に誰も思いつかないことするんだね!」


「……みんな、やってないの?」


 君野は不思議そうに頭をかいた。


 話せば話すほど、予想を裏切られる。


 綾目はますます、彼から目を離せなくなっていた。




 やがて30分の面会時間が終わる。


 君野は軽くなった黒いリュックへ、床に落ちたはさみを戻した。


 そのまま綾目へ背を向けかけた時、


「ねえ、君野くん」


 綾目が呼び止める。


「私のことは、路地裏の占い師くらいに思ってくれていいからね」


「占い師?」


「うん。もちろん無料!何でも聞いてあげる!」


 綾目は甘く笑った。


「それで、この話は2人だけの秘密」


「2人だけの…?」


「君野くんは、特別だから」


「うん。ありがとう。また来るね」


「いつでも待ってる」


 2人は姿が見えなくなるまで互いに手を振った。



 漫画がなくなったぶんだけ、リュックは軽い。


 胸の重さまで少し薄れた気がして、君野は思わず弾むような足取りで帰っていった。


 その姿が完全に見えなくなると、綾目から笑顔がすっと消えた。


「……もう少しな気がするのよね」


 あと少し。


 もう少しで、彼の弱みが見つかる。


 綾目は口元を歪めると、借りた漫画を手に取った。


 そのままベッドへ寝転がり、上機嫌でページをめくり始めた。




 午後2時。


 1階のコンビニへ下りてきた堀田は、甘いパンと緑茶を手に取っていた。


 レジへ向かおうとした時、少し離れた自動ドアの向こうに見覚えのある姿が映る。


「君野!?」


 黒いリュックを背負った君野が、病院を出ていくところだった。


 堀田は反射的に追いかけようとする。


 だが、手にはまだ会計前の商品がある。


 一瞬迷った、その隙だった。


 君野の姿は見えなくなっていた。


「……まさか」


 堀田は急いで会計を済ませ、病室へ戻った。


 ベッドの上であぐらをかき、すぐにスマートフォンを取り出す。


 ――君野。お前、綾目に会ってないだろうな?


 5分ほどして、返信が届いた。


 ――会ってないよ。堀田くんの面会ができるか聞きに行っただけ。


「……本当かよ」


 苦しい言い訳にしか見えない。


 それでも、君野なら本当にやりかねない気もした。


 堀田は少し迷ってから、もう1通送る。


 ――なら、どの看護師に聞いたか教えてくれ。




「えっと……」


 帰りの電車に揺られていた君野の指が止まった。


 今さら、嘘だったとは言えない。


 しばらく画面を見つめた末、震える指で文章を打つ。


 ――ごめん。女の人だったとしか覚えてない。みんな同じ格好してたから……。


 少しして、堀田から返事が来た。


 ――分かった。俺はお前を信じる。


「……信じる?」


 その一言だけが、胸へ重く沈んだ。


 堀田くんには、もう桜谷さんという女の子がいるんじゃないの?


「駄目だ。そんなふうに思っちゃ……」


 聞きたい。


 でも、聞くのが怖い。


 会いたいだけなのに。


 どうして、こんなにすれ違ってしまうんだろう。


 泣きたくなる。


「はぁ……」


 君野は小さく息を吐き、座席へ深く背を預けた。


 その時、綾目の言葉が頭をよぎる。


 ――私のことは、路地裏の占い師くらいに思ってくれていいからね。


 堀田くんには言えないことでも、綾目ちゃんになら沢山話せるかもしれない。


 そんな考えが、じわりと心へ入り込む。


 君野は迷った末、


 おどけたスタンプだけを送った。




 次の日。


 君野はまた、綾目に会うため電車へ乗っていた。


 お小遣いは交通費へ消えていく。


 それでも、路地裏の占い師のような彼女に会いたい。


 今日は午後2時に面会を予約してある。


 30分しか会えないからこそ、何度でも足を運びたくなってしまう。


 軽い足取りで精神科病棟のゲートをくぐろうとした、その時だった。



「君野!!!」


「!!」


 振り返る。


 反対側のエレベーターから、堀田が怒った顔で歩いてきた。


「あ……あう……」


 思わず情けない声が漏れる。


 堀田は一直線に近づき、君野の前で立ち止まった。


「なんで俺の言うことが聞けないんだ! 嘘までついて綾目に会いに来たのか!?」


 君野は何も言えない。


 ただ俯くことしかできなかった。


「いいから帰れ!」


 堀田の声が病棟へ響く。


「俺の面会にも来なくていい!二度とこの病院へ来るな!!」


「ひどい……!」


 君野も顔を上げた。


「僕は不安なんだ…堀田くんが信じられない……!」


「信じられないって何だ!俺が何したって言うんだよ!」


「女の子と会いたいんでしょ……?だったら、そう言えばいいじゃない!」


「何言ってんだ!」


 堀田は思わず一歩踏み出す。


「綾目にでたらめ吹き込まれて、頭をかき回されてるだけだろ!」


「……綾目ちゃんは、僕の大事な相談相手だもん」


 そう言って君野は、精神科病棟のゲートをくぐろうとする。


「待て!」


 堀田は慌てて追いかけ、受付前で君野の腕を掴んだ。


「帰るぞ!!」


「やだ!!」


 その一言に、堀田は息を呑んだ。


 君野が、ここまで強く抵抗したことは一度もない。


 腕を振り払おうとする力が、胸へ鋭く突き刺さる。


「どうしました?」


 騒ぎを聞きつけた看護師たちが駆け寄ってきた。


 すると君野は、慌てて顔なじみの看護師へ叫ぶ。


「堀田くんを病室に戻してください!」


「君野!!?うわっ……離せ!!」


 その言葉だけを聞いた看護師たちは、堀田を患者だと思い込み、数人がかりで取り押さえた。


「違う!!離せっ!!」


 必死にもがく。


 それでも、退院前で体力の戻りきっていない身体では振りほどけない。


 なぜだ。


 どうして、こんなことになった。


「君野!! 戻ってきてくれ!!!」


 堀田は必死に手を伸ばす。


 しかし君野は、その手から逃げるように精神科病棟の奥へ歩いていった。


 その背中は、一度も振り返らなかった。



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