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第41話「君と見たはずの公園の星は見えなかった」

 

 綾目あやめはもう1度、彼の顔をじっと見つめた。


 君野(きみの)は|彼女の思惑を知らず、ただ不思議そうに瞬きを返した。


 なんて、裏のない顔なんだろう。


 見惚れていたことに気づき、綾目は はっと我に返った。


「君野くんって、脳みそにチップ入ってる?」


「……うーん……ポテトチップスなら、よく食べてるけど……」


 ああああ!分かんない!


 この人は、何を考えているの!?


 綾目は勢いよく布団を叩いた。


 まるで、手の中から逃げていく水みたいだ。


 掴んだと思った途端、煙のように形を変えてしまう。


「堀田くんは覚えてる?」


「うん!大好き!」


 君野の顔が、くしゃっとほころんだ。


「……ねえ、明日もこの時間に来てくれる?」


「うん!いいよ!」


 屈託のない笑顔だった。


 やがて、あっという間に面会時間が終わった。


 君野が病室を出ていくと、綾目はテーブルへ肘をつき、大きくため息を吐いた。


 ――知れば知るほど、疑いが深くなる。


「なにこれ……」


 こんな感覚は初めてだった。


 綾目は病室の窓から、ぼんやりと外を眺める。


 ……いや、よくない。


 瑠璃子が彼を洗脳して、理想に仕立てた?


 それとも――あの子が瑠璃子を洗脳していた?


「……君野くんは、稀代の詐欺師?」


 そんな馬鹿げたことまで考えてしまう。


「……でも、また会いたい」


 そう思う理由はわからない。

 心臓をかきむしるように、綾目はパジャマの上から胸を引っ掻いた。    




 15分後。


 君野は帰りの電車で、堀田(ほった)とメッセージをやり取りしていた。


 ――今何してる? 暇だ。


 ――おーい、暇(◞‸◟)


 ――暇暇暇(◞‸◟)


 ――(◞‸◟)


 綾目の病室にいる間に届いていた、構ってほしいアピール全開のメッセージ。


 君野は思わず頬を緩めた。


 ――病院へお見舞いに行ってたよ。


 そう返すと、すぐに既読がつく。


 あまりの早さに、思わず吹き出した。


 ――なんだって!食べ過ぎて、腹に魚の骨でも刺さったか!?


 そんな返事に、また笑ってしまう。


 ――違うよ。お見舞いに行ってたの。あの病院で知り合った女の子に会ってたんだ!


 続けて、もう1通送った。


 ――もしかして、堀田くんが会いに行ってた病院の女の子って、その子かな?


 数秒後。


 ――今、電話出られるか?


 返ってきたのは、短い1文だった。


 けれど、今は電車の中だ。


 そう返すと、今度はすぐに、


 ――いいか。もうその女とは2度と会うな。


 それだけ送られてきた。


 思いもしなかった返事に、君野の親指が止まる。


 眉間へ自然と皺が寄った。


 どうして、そんなことを言うんだろう。


「……悪い子じゃないのに……」


 反論したくなる。


 けれど、入院中の堀田へ余計な心配をかけたくはなかった。


 既読だけがついたまま、返事を打てずにいる。


 悩んだ末、敬礼するキャラクターのスタンプだけを送った。


 しばらく画面を見つめたあと、君野は静かにスマートフォンの画面を消した。


 僕は、きっと明日も病院へ行くんだ。


 どうしてかは分からない。


 でも、綾目ちゃんを放っておけない。


 初めて会ったはずなのに、不思議だった。


 あの子を知っているような。


 知らないような。


 どこか懐かしいような。


 堀田くんへの気持ちは、確かにここにある。


 それでも、心のどこかには、ずっと空いたままの場所があって――。


 綾目ちゃんを見ると、その場所は最初から彼女のために空いていたような気がしてしまう。


「あれ……?」


 ふとメッセージアプリへ目を戻すと、


 桜谷(さくらたに)さん


 という名前が目に入った。


 君野は、そのトーク画面を開く。


「あれ? 僕、この子とそんなに仲良かったんだ……」


 スマートフォンを替えたばかりなので、履歴は最近のものしか残っていない。


 それでも昨日、自分が彼女を心配するメッセージを送っていたことだけは分かった。


 けれど、返信はない。


 既読すらついていなかった。


「……なんか、考えるの疲れたな」


 堀田の一言が、胸にズンと沈む。


 スマートフォンの画面を消し、車窓の外を眺める。


 ビルの隙間から、薄い夕陽が差し込んでいた。


 各駅停車は、冬休みの午後5時をゆっくりと走っていく。





 一方、その頃。


 桜谷は1人、近所の公園にいた。


 辺りはもう真っ暗。


 人っ子ひとりいない公園の入口近くにあるベンチへ、腰を下ろしていた。


 髪を結ぶゴムはなく、眼鏡もかけていない。


 乱れた髪のまま、コートすら羽織らず、冬の空気へ身をさらしていた。


 今日は、晴れ時々曇り。


 厚い雲が太陽を隠し、冷たい風だけが容赦なく吹き抜けていく。


 からっ風のせいか、公園には誰もいない。


 木々の枝が揺れる音さえ、自分を嘲笑っているように聞こえた。


 ここは、いつもの通学路にある小さな公園。


 薔薇色の思い出の舞台だったはずの場所。


 桜谷は、その『思い出』を頭の中でなぞる。


 ここで遊具を使って遊んだ。


 ブランコにも乗った。


 滑り台も、シーソーも。


 砂場では山を作り、刺した枝を倒さないように、少しずつ砂を取って遊んだ。


 ――でも。


 それが全部、嘘だったのだろうか。


 本当は、そんな思い出など最初から存在しなかったのだろうか。


 まだ、信じられない。


 信じてしまえば、自分は羽をもがれてしまうような気がした。


 ベンチで吐いた息が、白く染まる。


 かじかんだ指先は感覚を失い、全身が冷蔵庫の中にいるように冷えていく。


 それでも、帰る気にはなれなかった。


「ほんと、おかしい……」


 だって、あの時。


 君野くんと見た冬の星空は、あんなにも綺麗だったのに。


 今の空には、あの日見た星が1つもない。


 厚い雲と、暗い空だけが広がっていた。


「何をしてたんだろう……ずっと」


 桜谷はポケットから1枚の紙を取り出した。


 君野が今さら届けてくれた、幼い頃の手紙。


「桜谷さんへ。転校して悲しいよ。たった3か月しかいられなかったね。楽しかったよ……」


 寒さに震える唇で、小さく読み上げる。


「……」


 私は、小さい頃からヒステリックだった。


 だから、友達もできなかった。


 これはきっと――


 転校する隣の席の子が、情けで書いてくれただけの手紙。


 それだけだった。


 そう思おうとするたび、涙が込み上げてくる。


 それでも、まだ信じたい気持ちは消えてくれなかった。


「あ……」


 強い風が吹いた。


 かじかんだ手から手紙がするりと抜け落ち、そのまま道路の方へ飛ばされていく。


 桜谷が振り向いた、その瞬間だった。


「っ……君野くん!」


 公園脇の歩道を歩いていた君野と、目が合った。


「あっ、あっ……!」


 君野は慌てて手紙を追いかけ、両手をばたつかせながら、どうにか捕まえた。


 内容を見られてしまう――。


 桜谷は息を詰めながら、君野のもとへ駆け寄った。


 けれど君野は、中身を見ようともせず、そのまま手紙を差し出した。


「あ、ありがとう……」


 桜谷は手紙を受け取った。


 しかし君野は、そのままじっと彼女を見つめている。


 乱れた髪。


 コートも着ていない薄着。


 泣き腫らした目。


 その姿は、誰が見ても普通ではなかった。


 桜谷は恥ずかしそうに俯く。


 すると君野は、自分が着ていた青いジャケットを脱ぎ、そっと彼女の肩へ掛けた。


 彼の体温と匂いが、冷え切った身体をゆっくりと包み込む。


「寒いから帰ろうよ。お家は?」


 桜谷は答えない。


 君野は首を傾げた。


「一緒に帰る?それとも、帰れない事情があるの?」


「もうすぐ、迎えが来るの」


「……本当に大丈夫?」


「うん。さようなら……」


 すでに辺りは暗くなり、街灯が公園を淡く照らしていた。


 君野は何度も振り返りながら、ゆっくりと去っていく。


 この手紙、見せるべきだった?


 今なら、まだ――。


 いや。


 もう、巻き込むのはやめよう。


「……帰ろう」


 肩に掛けられたジャケットの温もりが、帰る理由を作ってくれた。


 ポケットからスマートフォンを取り出す。


 画面には、午後7時と表示されていた。


 公園へ来てから、3時間近くが経っていたらしい。


 辺りはすっかり夜になり、冷え込みも一段と厳しくなっている。


「あ……」


 その時、手の中のスマートフォンが震えた。


 届いたのは、堀田からのメールだった。


 ――今日、めっちゃ月がデカく見える日だぞ。


 それだけの短い文章。


 桜谷は白い息を吐きながら、ゆっくりと夜空を見上げた。


「……本当だ」


 雲の切れ間に、大きな満月が浮かんでいた。


 幻想的な光を放ちながら、厚い雲に隠れては現れ、また隠れていく。


 その姿は、どこか必死に夜空へしがみついているようにも見えた。


 けれど。


 どれだけ目を凝らしても、あの公園で君野と見上げたはずの夜空にあった星は見つからない。


 あの日、確かに輝いていたはずの星は、どこにもなかった。


 桜谷は静かに目を閉じる。


 頬を伝う涙は、もう止められなかった。


 君野にも。


 堀田にも。


 もうこれ以上、迷惑はかけられない。


 ジャケットの前をぎゅっと握り締め、小さく息を吐く。


「……ありがとう」


 誰に向けた言葉だったのか、自分でも分からなかった。


 桜谷は涙を拭い、公園をあとにする。


 背中には、君野の体温だけが静かに残っていた。 


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