第39話「あなたが宇宙人」
その日、堀田との短い面会を終えた君野は、病院2階のエレベーター前に立っていた。
到着を知らせる音が鳴り、扉が開く。
君野は中へ乗り込み、ほかに誰も来ないことを確かめて「閉」ボタンへ手を伸ばした。
その時だった。
「待って!」
「うわっ!?」
ピンクのパジャマを着た少女が廊下を駆けてきて、そのままエレベーターへ飛び込んできた。
君野より少し背が高い。
少女はボタンの前にいる君野を、じっと見つめている。
「えっ……宇宙人の人?」
思わず口から出た。
少女は一瞬きょとんとしたあと、顔を緩めて声を上げて笑った。
「あはは!私が宇宙人?るりちゃんがそう言ったの?」
「え?誰?」
「桜谷瑠璃子。あなたの隣の席の子でしょ?」
「そうだけど……わっ!」
突然、少女に手を掴まれた。
そのままエレベーターから引っ張り出され、近くの待合室まで連れていかれる。
君野は呆気に取られながらも、促されるまま隣の椅子へ腰を下ろした。
「私、木南綾目。綾目ちゃんって呼んで!」
「桜谷さんの知り合いなんですか? 宇宙人なんて言ってごめんなさい。僕が勝手に勘違いしてたみたいで……」
「ううん、いいの。あと敬語やめて」
綾目はにっこりと笑った。
「君野くんと、もっと仲良くなりたいから」
「う、うん。分かった」
「君野くんは、どうして病院に来たの?」
「友達が昏睡状態から目を覚ましたんだ!面会できないって知らずに来ちゃったんだけど……ちゃんと会えたよ!」
「そうなんだ。学校の友達?」
「うん!」
「るりちゃんも一緒の学校なんでしょう?」
「そうだよ」
「普段は、どんなふうに過ごしてるの?」
「どんなふう……?」
聞かれて、君野は困った。
約1年隣の席で過ごしてきたはずなのに、よく考えると彼女のことをあまり知らない。
「普通に……友達として過ごしてるよ」
「恋人同士だったんじゃないの?」
「えっ?」
君野は目を丸くした。
「違うよ。僕、桜谷さんのこと、まだそんなによく知らないし……」
「ふーん」
「それに、僕にはもう心に決めた人がいるから」
綾目の笑顔が、ほんの一瞬だけ止まった。
心に決めた人――それは、堀田のことだろう。
るりちゃんとは恋人同士だったはずなのに、この子にはその面影すらない。
「僕の顔、何かついてる?」
「ううん!なんでもなーい」
綾目はすぐに笑顔へ戻った。
確かに、笑った顔は可愛い。
こちらを警戒する様子もなく、まっすぐ自然な笑顔を向けてくる。
「私ね、君野くんのこと好きなんだ」
「えっ?」
君野が反応するより早く、綾目の腕がするりと絡みついた。
「あ、あの……その……」
戸惑いはしている。
だが、振りほどこうとはしない。
「うふふ。ごめんごめん。お友達としてね!」
「ああ、なんだ!そっか、よかったぁ!」
君野は心底安心したように笑った。
綾目はその横顔を見つめたまま、目を細める。
この子が、私たちの理想?
……なんか、違う。
「綾目ちゃんは、パジャマだから入院してるの?」
「あ、うん。もうずっと病院の中にいるの。寂しくてね……。瑠璃子ちゃんの知り合いの君を見つけたから、思わず声をかけちゃった」
「そうなんだ! 僕、冬休みだし毎日お見舞いに来てあげようか? 堀田くんのことで、この病院にはまた来ると思うし!」
「えっ!本当?」
綾目はぱっと表情を明るくした。
「うれしい!」
まさか向こうから来てくれるなんて。
鴨がネギを背負ってくるとは、このことだった。
「じゃあ、私の病棟まで案内するね」
綾目は立ち上がり、君野を連れて歩き出した。
「精神科って怖くない?」
「ううん。前に違う病院の精神科の前を通ったことあるし、平気だよ」
二人は並んで廊下を歩く。
綾目は何気ない調子で口を開いた。
「ねえ、君野くんと瑠璃子ちゃんって、小学生の頃から一緒だったんでしょ?」
「僕と桜谷さん?そうなの?」
綾目は思わず足を止めた。
「……本気で言ってる?」
「ああ、僕ね。小さい頃の記憶があんまりないんだ。事故にあったみたいで」
「事故?」
「うーん……何だったかな。そこも、よく覚えてないんだ」
「そんな大事なことなのに?」
「なんでだろうね」
事故の話をしているとは思えないほど、あっけらかんとしている。
記憶が抜け落ちているからなのか。
それとも、あの洗脳がここまで影響したのか。
綾目は君野を横目で見つめた。
「綾目ちゃんは、お肉とお魚ならどっちが好き?」
「え? お魚かな。お寿司好きだし」
「お寿司おいしいよね!何が好き?」
「大トロ!」
「でも、魚の方がむしろお肉みたいだよね」
「……え?なんで?」
「だって、お肉は生で食べられないけど、魚の方がお刺身で食べられるでしょ!」
「そうだね…」
また調子が狂う。
予想した返事が1つも返ってこない。
天然というより、発想そのものが少しずれている。
この子が、本当に私たちの理想だったの?
そんな疑問が、綾目の中で少しずつ大きくなっていった。
一方―
脳神経外科病棟。
「くそ……出てくれ」
堀田は病室のベッドでスマートフォンを握り締めていた。
病院を出た君野から桜谷の連絡先を教えてもらい、何度も電話をかける。
メールも送った。
だが、返事はない。
そもそも、俺が綾目に会いに行こうなんて考えなければよかった。
あいつの前で桜谷のことを根掘り葉掘り話した。
全部、俺がきっかけだ。
胸の奥に重い後悔が広がる。
目を覚ましてから、洗脳されていた頃の記憶も少しずつ戻ってきていた。
綾目に枕を被せられたこと。
学校へ枕を持って行ったこと。
桜谷の手の傷を見つけて騒ぎ、廊下でビンタされたこと。
キーホルダーを壊したこと。
そして――君野と電車でキスしたこと。
ここが、その綾目のいる病院だということも。
本当なら今すぐ退院したい。
「頼む……出てくれ」
綾目の狙いは最初から桜谷だった。
俺は、そのための噛ませ犬に過ぎなかったんじゃないか。
嫌な予感だけが膨らんでいく。
「おっ」
その時、スマートフォンが震えた。
君野からだった。
桜谷の様子を尋ねると、すぐ返信が返ってくる。
病院で会ったこと。
どこか悲しそうだったこと。
そして、
――あなたは運命どころか、何の関係もない、ただの被害者だった。
そう言われ、突然謝られたこと。
何を意味しているのか分からないまま別れたこと。
そのあとメッセージを送っても、返事は返ってこないこと。
「まずいな……」
電話は繋がる。
着信拒否にはされていない。
それなのに、出ない。
嫌な胸騒ぎがした。
もし桜谷に何かあったら――。
「今度は、塵になってでも守る」
堀田はあぐらをかき、落ち着かない様子で右膝を揺らす。
スマートフォンを見つめたまま、桜谷からの連絡を祈るように待ち続けた。




