第34話「キーホルダーの絆」
綾目と桜谷が病院で向かい合っていた頃。
君野と堀田は、駅前の商業施設に来ていた。
堀田はもう、あの白い枕を持っていない。
それが嬉しくて、君野は彼の隣を弾むように歩いていた。
「堀田くん、覚えてる? 僕たち、ここでアイスを食べて、この『兄弟』キーホルダーを買ったの!」
君野は黄色いリュックについた『兄』のキーホルダーを、堀田へ見せる。
堀田の白いエナメルバッグにも、『弟』のキーホルダーが戻っていた。
「そうだったか?」
「え? 覚えてないの?」
「ああ……」
やはり、まだ様子がおかしい。
太眉にはいつもの力強さがなく、表情もほとんど動かない。
――やっぱり、まだ宇宙人が乗り移ってるんだ。
君野が考え込んでいると、堀田が不思議そうに尋ねた。
「……お前、さっきからなんで唇に指を当てながら喋ってるんだ?」
「今日はたらこがないから。これなら僕の言葉が通じやすくなるかなって……」
堀田は無表情のまま、君野の顔をじっと見つめる。
「思い出ツアーをしたい……」
君野は人差し指と中指を唇へ当てたまま、続けた。
「僕たちの聖地巡礼みたいなやつ。……いい?」
覇気のない堀田は、よく分からないまま頷いた。
「じゃあ堀田くん!最初はアイスを食べよう!」
「寒くないか?」
「冬に食べるアイスって格別じゃない?僕、毛布にくるまって、ぽかぽかにしながら食べるの好きなんだ」
2人は、アイス店のある4階へ向かった。
店内は以前と変わらず、色鮮やかな装飾で溢れている。
列に並びながら、君野は堀田へ無邪気な笑顔を向けた。
「ねえ、覚えてる?数ヶ月前、堀田くんが僕をいじめっ子から助けてくれたんだよ」
「……」
「僕にとって、堀田くんはスーパーヒーローなんだ!」
「……ヒーロー」
「うん。堀田くんは、僕の憧れの人だったの。助けてもらったとき、本当に嬉しくて……」
君野の瞳に、涙の膜が張る。
「そんなことで泣くなよ」
――駄目だ。僕が悲しんだら。
宇宙人に操られている堀田くんのほうが、何倍も苦しいに決まっている。
前の客がレジへ進む。
君野は涙を堪え、明るい声を出した。
「……堀田くん。今日は僕がおごってもいい?」
「俺、金は持ってるぞ」
「思い出のお返し!だから、アイスはトリプルにしよう!」
君野は、だらりと下がった堀田の腕へ、恋人のようにぎゅっと抱きついた。
普段なら、堀田は照れくさそうに腕を引っ込めてしまう。
だが今は、その太く力強い腕へ好きなだけ触れられた。
君野は密かに、特別な権利を得たような気持ちになる。
「ご注文はお決まりですか?」
店員に尋ねられ、君野は元気よく答えた。
「バニラを3つでお願いします!」
「ぶっ!」
堀田が突然、吹き出した。
「ははははは!なんだそりゃ!バニラ3つって……!」
この日初めての、大きな笑い声だった。
君野は驚いて顔を上げる。
「あっ!なんか、このやり取り、前にもやった!そのときも堀田くん、笑ってた……!」
――やっぱり、この笑顔だ。
彼には、この豪快な笑い声が似合う。
「ははは……!なんでだよ!こんなに色とりどりの味があるのに、全部バニラって!」
「そこまでは笑ってなかったよ……」
少し笑いすぎ。
君野は、さすがに唇を尖らせた。
2人は以前と同じ、店の奥の席へ座った。
「……お前って、面白いやつなんだな」
「変かな?」
「いや。いいと思うぞ」
堀田は、3段すべてが白いアイスを見つめる。
「1本、芯が通ってる」
アイスを食べ終えると、君野は再び唇へ指を当てながら尋ねた。
「ねえ、堀田くん。ここで僕と話したこと、覚えてる?」
「さあ……」
「堀田くんが、スマホか何かで占いをして、僕たちは前世で兄弟だったって言ったんだよ」
君野はその後も、堀田との思い出を1つずつ辿っていった。
次に2人は、兄弟キーホルダーを買った雑貨店へ向かう。
だが、店があったはずの場所へ着いた途端、君野は絶句した。
「お店が……変わってる?」
「どうした?」
「ううん。なんでもない……」
楽しげな雑貨店は閉店し、代わりに保険代理店が入っていた。
「……堀田くんは、ほかに寄りたいところある?」
「ない」
「そっか。じゃあ、帰ろう」
本当は、ここが今日の思い出ツアーで1番の目玉になるはずだった。
結局、本当にアイスを食べに来ただけになってしまった。
けれど、堀田くんの笑顔をもう1度見られた。
それだけでも、来た意味はあったのかもしれない。
君野はそう自分へ言い聞かせ、堀田と並んでエスカレーターへ向かった。
2人はエスカレーターに乗り、建物の地下にある駅へ向かった。
その途中。
堀田の頭に、少女の声が響いた。
――ねえ、堀田くん。
――キーホルダーを握って。
「綾目……」
「ん?なあに?あやめ?」
君野が隣から顔を覗き込む。
堀田は白いエナメルバッグについた『弟』のキーホルダーを、ぎゅっと握り締めた。
頭の中に漂っていた霧が、さらに濃くなっていく。
――大切なものを壊した自覚があるんでしょ。なのに、また同じことをするつもり?
――そう、だよな……。
力の抜けた唇が、わずかに動いた。
――ねえ、堀田くん。
――彼を私のところへ連れてきて。
――これからは、私が管理してあげる。
――あなたはまた、弟の枕だけを抱えていればいいの。
『弟』の文字が、堀田の親指の下で震えた。
「あっ!?」
地下の駅へ着いた瞬間、堀田は突然、君野の腕を掴んだ。
「どうしたの?」
堀田は逃がすまいと腕を掴んだまま、帰宅する路線とは別の改札へ向かっていく。
「待って!僕のカード、リュックの中!」
君野は堀田の意思に従うように、リュックから使い慣れない交通系カードを取り出した。
慌てて改札へかざし、堀田のあとを追う。
その先には、目に見えて寂れた人気のないホームが続いていた。
――このまま、どこへ連れていかれるんだろう。
――もしかして、宇宙人の住処……?
君野は大切なことを思い出したように、慌てて人差し指と中指を唇へ当てた。
やがて電車が、ホームへ滑り込んでくる。
堀田は君野の二の腕を掴んだまま、車内へ連れ込んだ。
「大丈夫だよ、堀田くん」
君野は震えながらも、優しく笑った。
「僕、どんなことがあっても逃げないから……」
「……」
長椅子の端へ座った君野に対し、堀田は座ろうとしない。
目の前に立ち、逃げ道を塞ぐように見下ろしていた。
その姿を見ているうちに、君野の胸の中で恐怖が膨らんでいく。
このまま宇宙人の住処へ連れていかれたら。
大勢の宇宙人に取り囲まれたら。
自分は、堀田を守り切れるのだろうか。
もし、これが最後になってしまうのなら。
未練ばかりが残る。
「……あのね」
君野は抱えていたリュックで顔を隠した。
「僕、堀田くんのことが大好きなんだ……」
弱々しい声が震える。
堀田は何も答えず、焦点の合わない目で君野を見つめていた。
「本当はね……手を繋いだり、キスとかもしてみたいって思ったりするんだ」
「……」
「でも、堀田くんからしたら、そんなのはおかしいよね……」
堀田は黙ったままだった。
「雑貨屋さん、なくなってたでしょ?」
君野はリュックについた『兄』のキーホルダーへ視線を落とす。
「このキーホルダーは、もう僕たちが持っている2つしかないんだ」
少しだけ、寂しそうに笑った。
「それが分かったとき、ちょっと嬉しかったんだ……」
「降りるぞ」
堀田は君野の言葉を遮った。
電車が1つの駅へ到着すると、再びその腕を掴み、強引に立たせた。
――堀田くん。
――堀田くん。
綾目の声が、堀田の足をさらに速めていく。
君野は抵抗せず、歩幅の大きな堀田へ必死についていった。
外へ出た頃には、すっかり日が落ちていた。
2人は白い息を吐きながら、駅から5分ほど歩いた先にある大きな総合病院へ辿り着く。
「大きな病院……」
電車内との温度差で、君野の頬と鼻は真っ赤になっていた。
自分が普段通っている病院とは、規模がまるで違う。
君野は、たらこのように唇の厚い宇宙人の親玉を警戒し、今も2本の指で口元を守っていた。
外は真っ暗だった。
それでも病院は大量の照明に照らされ、イルミネーション施設のような不自然な明るさを放っている。
「……」
堀田は君野の腕を強く掴んだまま、正面玄関まで来た。
だが、そこから1歩も動かない。
――どうしたの?
――ほら、窓辺にいる私を見て。
綾目の声に導かれ、堀田は病院の窓を見上げた。
君野もその視線を追う。
窓辺には、ピンク色のパジャマを着た少女が立っていた。
少女は2人へ向かって、ゆっくりと手を振っている。
「誰?」
君野が尋ねた。
「もしかして、堀田くんがいつも会いに行っていた女の子?」
――堀田くん。
――堀田くん。
――私、早く会いたいの。
綾目の声が、頭の中を埋め尽くしていく。
そのときだった。
ピシッ!
堀田が握り締めていた『弟』のキーホルダーから、鋭い音が鳴った。
透明なプラスチックの表面に、1本の亀裂が走る。
――あのね。
――僕、堀田くんのことが大好きなんだ。
今度、頭の中へ響いたのは、君野の声だった。
――このキーホルダーは、もう2つしかないんだ。
――それが分かったとき、ちょっと嬉しかったんだ……。
「……無理だ」
堀田の口から、掠れた声が漏れる。
「え?」
「できない」
キーホルダーを握る手が震えていた。
「お前を、誰かに渡すなんて……考えられない」
堀田は突然、君野へ顔を近づけた。
そして、その唇へ口づける。
だが2人の間には、君野が宇宙人対策として当てていた2本の指が挟まっていた。
堀田の唇は、その指へそっと触れる。
君野は目を見開き、完全に動きを止めた。
気づけば、先ほどまで窓辺にいた少女の姿は消えていた。
「……帰るぞ」
「どうしたの?」
堀田は君野の手を強く握り、目を固く閉じたまま来た道を引き返していく。
何が起きたのか理解できない君野にとって、それでも胸を激しく高鳴らせるには十分だった。
――あなたは臆病者。
――裏切り者よ。
うるさい。
うるさい。
うるさい。
うるさい――!
吹雪を無理やりかき分けるように、堀田は綾目の声へ逆らい続けた。
そして温かい電車へ戻るまで、君野の肩を決して離さなかった。




