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第33話「宇宙人はイタリア料理で話す」

 月曜の朝。


堀田(ほった)?」


 教室へ入ってきた藤井は、相変わらず枕を小脇に抱えている堀田へ声をかけた。


ゆう! 今日は寒いな! マフラー、あったかいだろ?」


 堀田は、ただの白い枕へグレーのマフラーを巻き、楽しそうに笑っている。


 その傍らには、外された『弟』のキーホルダーが添えられていた。


 ――ねえ、堀田くん。このキーホルダーは、君野くんとの大切な思い出の品なんかじゃない。


 ――あなたが彼を一生、弟にしてしまった出来事を忘れないためのものよ。


 綾目(あやめ)にそう言われてから、堀田はキーホルダーを常に手元へ置くようになっていた。


 それを手のひらへ乗せ、高く掲げる。


 そして、静かに口づけた。


 まるで、何かの儀式だった。


 ――そうやって弟に見立てて、あなたはまた大切な人を殺してしまうの。


 ――でも大丈夫。私がちゃんと見守っているわ。


 ――だから、これにキスをして、私に忠誠を示して……。


 綾目の言葉に突き動かされるように、堀田は何度もキーホルダーへ口づけた。


 窓際の1番後ろの席から、桜谷(さくらたに)はその様子をじっと見つめる。


 綾目のやり方は、かつて自分が作った兄弟ルールを踏襲したものだった。


 ――私のほうが上手でしょう?


 そう挑発されているようにしか思えない。


「堀田くん! 『エイリアン』って10回言って!」


 儀式の最中、君野が果敢にも堀田の前へ立った。


「なんだよ、急に。邪魔するな」


「いいから! 言って! お願い!」


 堀田は怪訝そうな顔をしたが、君野の必死さに押され、仕方なく口を開く。


「エイリアン、エイリアン、エイリアン、エイリアン、エイリアン、エイリアン、エイリアン、エイリアン、エイリアン、エイリアン」


 君野は待っていましたと言わんばかりに尋ねた。


「ピーマンとタマネギと生ハムが入っていて、ケチャップであえたパスタは何?」


「……ナポリタン?」


「もう1回、『エイリアン』って10回言って!」


「まだやるのかよ……」


 堀田はうんざりしながらも、再び10回繰り返した。


「最近、社会の歴史で習った、白い馬に乗った人は!?」


「……ナポレオン?」


 君野は眼科検診でもするように、堀田の顔をじっと覗き込んだ。


 その奇妙な行動に、藤井や周囲の生徒たちがくすくすと笑う。


「……何してんだ?」


 堀田が尋ねると、君野は小首を傾げた。


 しばらく名探偵のように腕を組んで考え込んだあと――。


「カルパッチョ! マルゲリータ!」


 突然、そう叫んだ。


「は?」


 いきなりイタリア料理を絶叫され、堀田は眉をひそめる。


 だが、その視線はいつの間にか、枕ではなく君野へ向いていた。


「宇宙人はね、実はイタリア料理みたいな挨拶をするんだって!そう書いてあったんだ!」


「それと俺に、何の関係があるんだ?」


「あれ……?堀田くん、僕の言葉、通じてる?」


 ――会話を一方通行にしているのは、お前だ。


 そう言いたげな顔をしながらも、堀田は黙って耐えた。


 すると君野は、さらに真剣な表情で叫ぶ。


「贅沢ハーモニーピザ!とろけるチーズと炭火焼きチキン、濃厚シーフード仕立て!」


「いや、それイタリア料理じゃねえよ!」


 堀田は思わず吹き出した。


 その瞬間、教室のあちこちから笑い声が上がる。


 桜谷はその光景を見ながら、したたかに微笑んだ。


 ――作戦成功。


 ――綾目ちゃん、残念だったわね。


 前日、桜谷は怪しげなオカルトサイトから、宇宙人に関する奇妙な情報をいくつも拾っていた。


 それを君野へ伝え、本気で実行してもらったのだ。


 彼がありのままでいれば、堀田くんの洗脳は解ける。


 桜谷は、彼の持つ力を信じることにした。


「どうだった? 宇宙人、追い出せそうだった?」


 席へ戻ってきた君野へ、桜谷が声をかける。


 君野は思った以上に汗をかいており、右手で額を拭った。


「思ったより手強いかも……。でも、久しぶりに目が合ったの!やっぱり本当だったんだよ……!」


 ――それは、あなたが引き出したのよ。


 そう言いたくなる。


 桜谷は一瞬だけ笑った。


 だが、その表情はすぐに曇る。



 綾目のやり口が、手に取るように分かってしまう。


 私はやっぱり、彼女と同じ……。


 ああはなりたくない。


「あ……」


 私、今はちゃんとそう思えてるんだ。


 君野くんと堀田くんに出会っていなければ、自分は今頃、1人ぼっちになっていた。


 それどころか、とっくにあの病院へ戻っていたのかもしれない。


「私、命拾いしていたのね……」


 静かに鳥肌が立つ。


 だが、これで綾目(あやめ)の思惑は終わったのだろうか。


 算段は外れたはずなのに、彼女はちっとも焦っていなかった。


 まるで私が再び病院へ来ることなど、最初から分かっていたように。


「桜谷さん。たらこ持ってる?」


「たら……たらこ?」


 桜谷の複雑に絡み合った思考の糸へ、突然、巨大なたらこが落ちてきた。


 思考は、一瞬で崩壊した。


「宇宙人って、灰色で細くて、目が大きいイメージでしょ? でも最近は、唇が厚いのもいるんだって。それでね、唇にたらこをつけると会話ができるみたい……」


「あら。たらこ、持ってこなかったの?」


「うん……。まさか必要になるとは思わなかったから……」


「そうよね」



 たらこが急に必要になる場面なんてないもの…




「堀田くん、知ってる?宇宙人はね、たらこくらい唇が厚いんだよ」


 君野はその後も、10分しかない休み時間や昼休み、掃除の時間まで、堀田へ宇宙人の話をし続けた。


 堀田は最初こそうんざりしていたが、次第に君野の話へ耳を傾けるようになっていく。


 話の内容に興味を持ったというより、無邪気に話す君野そのものから目を離せなくなっているようだった。


 華奢な身体で、何かを一生懸命伝えようとする素直さ。


 ちょっとした仕草。


 何より、その無邪気な笑顔。


 気づけば、堀田が枕へ視線を向ける回数は減り、君野を見つめる時間が増えていた。


「なあ、君野」


「なに?」


「俺と一緒に帰らないか?」


「えっ!?うん!」


 君野は満面の笑みを浮かべ、桜谷へ手を振った。


 そして堀田と並び、教室を出ていく。


 桜谷はその背中を見送りながら、わずかに目を細めた。


 洗脳が完全に解けたわけではない。


 それでも、堀田の意識は確かに枕から君野へ戻り始めている。


 作戦は、間違っていなかった。


 だが、こんな日に限って、桜谷はこのあと綾目と会う約束をしていた。




 夕方4時30分。


 桜谷は学校帰りに、帰宅する方角とは反対にある例の病院へ辿り着いた。


 病室へ入ると、綾目は前と同じように、ベッドの上で桜谷を待っていた。


「……どうしたの?」


 ベッド脇の丸椅子へ腰を下ろした途端、綾目はにやにやと笑いながら言った。


「るりちゃん、何か、計算が外れたって顔をしているわね」


 桜谷は黙ったまま、綾目を見つめる。


「教えて?何が分からないの?」


「全部」


 桜谷は正直に答えた。


 その表情は相変わらず無機質で、冷たい。


「おかしいわね」


 綾目は楽しそうに首を傾げる。


「私が考えていることなら、るりちゃんには手に取るように分かるはずなのに」


 にたりと笑った。


「そうなるように、教え込んであげたでしょう?」


 その一言だけで、桜谷は逃げ場のない壁際へ追い詰められたような感覚に陥った。


「あなたが私をこの病室へ戻したがっていることは分かる」


 桜谷は慎重に言葉を選ぶ。


「でも、どうしてそこまでしたいのかが分からない」


 綾目はくすくすと笑った。


「私は、この病院へ戻っているはずだった……そうよね」


 桜谷は続ける。


「なのに堀田くんが現れて、私が彼らと普通に暮らしていると知った。それで驚いたのよね」


「ふふ…続けて!」


「だけど結局、あなたは私をここへ引き戻せなかった」


「そう思うなら、それが正解なんじゃない?」


 綾目は煽るように唇を尖らせた。


「何?そんなに深刻な顔をして」


 しかし、次に彼女は楽しげに身を乗り出す。


「ほかには、どんなことが分からないの?」


「全部だと言ったでしょう」


 勝手に話を進めながら、綾目は桜谷へ近づいた。


 そして突然、伊達眼鏡を外す。


 さらに、3つ編みを結んでいた髪ゴムへ手をかけた。


 桜谷は抵抗しない。


 解かれた長い髪が、腰の辺りまでさらりと流れ落ちる。


 綾目は、うっとりとその姿を見つめた。


「ああ、るりちゃん」


 甘く囁く。


「おかえり。やっぱり、何も変わっていないわね……」


「ねえ、綾目ちゃん」


 桜谷は静かに口を開いた。


「私、昔の記憶に曖昧なところがあるの」


「いいわよ。何でも教えてあげる」


 綾目はにこにこと笑いながら、桜谷の髪を手ぐしで整えていく。


「あなたから初めて枕をもらった頃から、退院するまでの記憶が、ほとんどないの」


 桜谷は正面を向いたまま続けた。


「ただ漠然と、あなたに可愛がられていたことと、君野くん枕を大切にしていたことだけは覚えている」


「そうよ」


 綾目は嬉しそうに答える。


「私は、とても、とても可愛がっていた。こんな風に……」


 桜谷の長い髪へ指を絡ませる。


「お人形さんみたいに、大切にしていたの」


 その声が、ふいに低くなった。


「だからこそ、るりちゃんに時限爆弾を仕掛けたの」


「時限爆弾……?」


「あなたは、それを無事に処理できたと思い込んでいる」


 綾目は桜谷の耳元へ顔を寄せた。


「でも、本当にそうかしら?」


 くすくすと喉を鳴らして笑う。


「面会終了です!」


 看護師の声が病室へ響いた。


 今日は、わずか10分しか面会時間がなかった。


 桜谷はまたしても、何1つ腑に落ちないまま帰ることになった。


「ねえ、ほら」


 立ち上がった桜谷の背中へ、綾目が声をかける。


「私の言った通りになったでしょう?」


 桜谷が振り返る。


 綾目は、未来を予告するように微笑んでいた。


「あなたの席は、ずっと私の隣にあるの」


 その白い手が、空いた隣のベッドを優しく叩く。


「楽しみに待っているわ」



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