第27話「枕の姫」
翌日の祝日。
空は、雲1つない快晴だった。
駅を出た堀田は、学校の最寄り駅から少し離れた総合病院の精神科病棟へ向かった。
「開放病棟」
そう記された案内板を前に、堀田は足を止めた。
きちんと予約を取って来たというのに、身体がわずかに強張る。
「よし」
大きく深呼吸し、病院の自動ドアをくぐった。
広い受付ホールには清潔な空気が漂っている。
大きな窓から差し込む午前の日差しが、無機質な床を白く照らしていた。
「すみません。今日11時に、木南綾目さんへ会いに来たのですが……」
受付の看護師は慣れた手つきでパソコンを操作し、堀田の名前を確認する。
「木南綾目さんですね。面会可能です。ただし、開放病棟での面会にはいくつか決まりがありますので、こちらをお読みください」
差し出された説明用紙には、細かな注意事項が並んでいた。
面会は30分以内。
持ち込み品には看護師の許可が必要で、ほかの患者への干渉も禁止されている。
スマートフォンだけでなく、ベルトや小さなイヤホンまで持ち込めないらしい。
堀田は静かに唾を飲み込んだ。
「こちらへどうぞ」
看護師のあとについて進む。
扉の端末へカードキーがかざされ、電子音とともに施錠が解除された。
病室の並ぶ棟を進むと、4人部屋の札に「木南綾目」と書かれていた。
綾目のベッドは、窓際の1番奥らしい。
看護師が去るのを待ち、堀田は恐る恐る扉をノックした。
「き、木南さん……?」
返事を待ちながら、病室の奥へ進む。
ほかのベッドはカーテンが閉じられていた。
しかし、綾目のスペースだけはカーテンが全開になっており、白いベッドの柵が丸見えだった。
中を覗くと、1人の少女がいた。
彼女は大量の真っ白な枕に囲まれ、ベッドの上で上半身を起こしている。
その胸には、1つの白い枕が大切そうに抱き締められていた。
異様な光景に、堀田の背中が一瞬ぞくりとした。
綾目は透き通るように肌が白く、肩まで伸びた黒髪に、細い身体をしていた。
ピンク色のパジャマのせいか、年上にも幼い子どもにも見える。
「誰?」
綾目は枕の楽園の中心で、目を閉じたまま微笑んでいた。
動いたのは、その口だけだった。
「あ、初めまして。今日面会予定の堀田です。山﨑くんのつてを頼って、話を聞きに来たんですけど」
「あら、そうなの? ふふふ! そんなこともあったかしらねえ!」
独特な口調。
細かく揺れる手の動き。
堀田は、出会い頭に先制パンチを食らったような気分になった。
誰かを馬鹿にして真似る時のような、わざとらしい仕草で、綾目はきゃっきゃと笑っている。
「……あの、単刀直入に聞きますけど、桜谷瑠璃子って知ってますか?」
「えい!」
その瞬間。
綾目は抱えていた枕を、突然堀田へ投げ付けた。
「うわっ!?」
堀田は反射的に、枕を正面から抱き留める。
「あはは!合格……!あなたも枕の民の仲間ね!」
堀田は綾目に指差された枕へ目を落とした。
表面に、太いマジックで何かが描かれている。
丸い点が3つ。
人の顔のようにも見える。
2つの目には、長いまつ毛がついていた。
「……何だ、これ」
「それ、サクラタニ。可愛いでしょ」
「え?桜谷!?」
堀田は思わず、その名前を繰り返した。
「あの!何でその名前を知ってるんですか?下の名前は瑠璃子ですか!?」
「ふんふん……。そうそう。そうそう、うんうん」
綾目は堀田の質問には答えず、背後にあった別の枕を手に取った。
そして、その枕へ耳を当てる。
一瞬だけ見えた内側には、先ほどと同じような顔がマジックで描かれていた。
「キミノはねえ、サクラタニはそうだって言ってる!」
「君野!?」
堀田が驚いた隙に、綾目は「サクラタニ」と呼んだ枕を奪うように取り返した。
かなり使い込まれた、年季の入った枕だった。
綾目はそれを、うさぎでも撫でるように大切そうに抱き締める。
「キミノはね、サクラタニのぬいぐるみの妖精さん。こっちはトグチ。私に針を刺すけど、優しいのよ。こっちはね……」
突然、周囲にある枕の紹介が始まった。
綾目は取り憑かれたように、1人で話し続ける。
「あの……」
聞いているうちに、綾目の世界がなんとなく見えてきた。
彼女はどこかの国の王女で、気に入った人間を枕の妖精に変え、自分だけの国へ閉じ込めているらしい。
途中から堀田の姿など目に入らなくなったのか、幼い子どものように枕へ話しかけ続けていた。
30分しかない面会時間は、あっという間に過ぎていった。
「あの、また来てもいいですか?」
「ふんふんふん! えへへ。みんながいいって!」
綾目は枕とじゃれ合いながら、明るく答えた。
「はあ……」
病院を出た堀田は、緊張の糸が切れたように深いため息をついた。
1度会っただけでは、何も分からない。
知りたかったことは、ほとんど聞けなかった。
それでも、あの枕の中には君野と桜谷がいた。
綾目の世界には、何かがある。
もっと仲良くならなければ。
堀田は気合いを入れるように、手汗で濡れた両手を強く握り締めた。
翌日の月曜日。
昼休み。
君野は弁当を食べ終え、いつものように小さな袋菓子を口へ運んでいた。
――ように見えた。
「おい、君野。お前、何食ってんだ?」
見慣れない形に気付き、向かいに座る堀田が顔を覗き込む。
しかし君野は、それをくしゃくしゃの白いビニール袋へ入れたまま、パッケージを見せたくないというように隠して食べていた。
「何だ、そのお菓子。どこに売ってんだ?」
「あ、これ乾燥わかめ」
「乾燥わかめ!?」
「好きで食べてるわけじゃないんだ。家の食品棚からお菓子を持ってこようとして、間違えて乾燥わかめを持ってきちゃったから……」
「じゃあ食べるなよ……って言うのは、逆に野暮か?」
「食後にお菓子を食べないと、口が寂しいんだ」
「いやいや。せめてふやかして食べろよ」
「ふやかしたら、それはもうわかめだもん!」
「ふやかさなくても、わかめだろ!」
そこへ、トイレから戻ってきた桜谷が現れた。
「え?君野くん、それ何?」
堀田と同じように前屈みになり、君野が食べているものをじっと見つめる。
「乾燥わかめだよ」
「どうして?ダイエット?」
「間違えて持ってきたんだと」
堀田は笑いながら答えた。
「そんなものをおやつにしちゃ駄目よ。食べすぎると、胃の中で膨らんでお腹が痛くなるわ」
「そ、そうなのか?おい、君野。聞いたか?」
「そうなの?でも、まだ僕お腹すいてるよ」
「分かった。俺が今から購買でお菓子を買ってくる。それをお前にも分けてやる」
まったく。
可愛いな。
「ほら、行くぞ」
堀田は君野の肩を優しくつかんだ。
財布を取り出し、2人で購買へ向かう。
しかし、その翌日の同じ時間。
「おいぃ!何でまたわかめ食ってんだよ!」
昼休みの教室で、堀田は昨日と同じように叫んだ。
「もう、増え続けるわかめだな」
「え?変かな……」
君野も、昨日とほとんど同じ反応を返す。
その異常さに、堀田は深刻そうに眉をひそめた。
「お前、これ2回目だぞ?……大丈夫か?」
その疑問を桜谷へぶつけたのは、放課後の図書室だった。
中央の机では、君野が深く眠っている。
堀田と桜谷は彼をそのままにして、人のいない本棚の奥で話し合っていた。
「最近、ここに来ること増えたよな。君野はずっと寝不足だし、乾燥わかめを何度も持ってくるし。脳に異常でもあるんじゃないか?」
「連日、変な夢を見ているのよ。それでおかしくなっているみたい」
「変な夢?」
「黒い何かに襲われる悪夢。今飲んでいる薬が合っていないのかもしれない。今度、お母さんへ伝えておくわ」
「……」
そういえば君野は、最近、処方される薬が変わったと言っていた。
身体に合っていないのだろうか。
「あ……」
そこで、1つの疑問が浮かんだ。
君野が以前、木南綾目のいる病院へ通っていたのなら、2人はそこで出会っていたのではないか。
もしかすると、桜谷も――。
だが、目の前の本人へは聞けない。
あまりにもデリケートな話だ。
明日の午後も、綾目と会う予定になっている。
そこで聞いてみるべきか。
「……それにしても、本当にどうしちゃったのかしらね……」
桜谷がため息交じりに呟いた。
「やっぱり、こんなことは初めてなのか?」
「……ええ」
いつになく深刻そうな桜谷の表情を見て、堀田の不安はさらに強くなった。
「ばいばい、堀田くん」
「ああ。明日は乾燥わかめ持ってくるなよ」
放課後。
寝不足だった君野は、いつものように図書室で眠っていた。
1時間ほど眠ったあと、待っていた堀田と桜谷と3人で学校を出た。
駅前で堀田と別れた。
君野と桜谷は2人並んで歩き、やがて人気のない住宅街へ入った。
「ねえ、君野くん」
「なあに?」
「……もし、キスが効いていなかったら言ってね」
「え?何?どういうこと?」
突然の言葉に、君野の心臓が大きく跳ねた。
ば、ばれた……?
「……あなたが壊れてしまうから」
「壊れるって、何?」
「そうね。今のような状態よ。何度も乾燥わかめを持ってきてしまうような」
「もう持ってこないよ……」
「でもね。今はもう、あなたが壊れてしまってもいいと思っているの」
「え……?」
「あなたをフィギュアみたいに飾っておける。そうすれば、私はもう何も考えなくていい」
「な、何を言ってるの?」
「それは本意だけど、不本意なの」
冷たい外気の中、桜谷の瞳がわずかに揺れ、潤んでいた。
「呪いのキスが効かないと、僕はこのまま、どんどんおかしくなるってこと……?」
桜谷は静かに頷いた。
君野は固く唾を飲み込み、黙り込んでしまう。
「……しないのね」
「え?」
「今、あなたからキスしてくれてもいいのに」
「……桜谷さんは、僕のこと好き?」
「好きよ。嫌いだったら、ここまで執着しないわ」
「……」
「……行きましょう」
突然の突風が吹き、桜谷の黒いスカートを揺らした。
風が止むと、彼女は1人で歩き出す。
三つ編みが、背中で小さく揺れていた。
少し先を歩く桜谷へ、君野の視線は釘付けになる。
君野の足が止まった。
まただ。
夢の中で見た真っ黒な影が、桜谷の背中へぴったりと張り付いていた。




