表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
23/56

第23話「受難の誕生日前日」

 


 その日の放課後。


 桜谷さくらたに堀田ほったと一緒に、君野きみのの家へ向かっていた。


 明日、リコーダーのテストに合格していない生徒には追試がある。


 このまま合格できなければ、今学期の音楽の成績は絶望的だ。


 君野は持ち帰って練習するつもりだったが、急な早退ですっかりリコーダーを忘れてしまったらしい。


 そこで2人が届けることになったのだが、どちらも譲らず、結局一緒に君野の家へ向かっていた。


「今日は妙に気が合うわね」


 桜谷が皮肉たっぷりに言った。


「お前ってさ、君野以外に好きなものあるのか?」


「ないわ」


「好きな色は?」


「ない」


「君野の好きなところは?」


「全部」


「そうか……」


 堀田はその答えに、頬をぽりぽりとかいた。


「気が済んだ?」


 桜谷は冷たい目を向ける。


「爪楊枝を食べたくらいで調子に乗らないで。私の弱みを握って、君野くんを奪おうとしても無駄よ」


「何でそうなるんだよ」


 堀田は呆れたように眉を下げた。


「俺はずっと、お前が言ってた『メルヘンなものを置くような女になりたかった』って言葉が引っかかってるんだ」


「だから、あなたには関係ないって言ってるじゃない!」


「俺は、お前が好きだ」


「……何を言っているの?」


 桜谷は冷淡な声で返した。


 けれど、その瞳が一瞬だけ揺れたのを、堀田は見逃さなかった。


「本気だ」


 堀田は1歩近づいた。


「お前は、愛を知らないだけなんだ」


「……ふざけないで」


 言葉の意味は理解できる。


 彼の言う「好き」は、恋愛ではない。


 厄介なほど熱い性分のせいで、放っておけないと言っているだけだ。


「私は、あなたが大っ嫌い!」


 桜谷は地面へ唾でも吐くように、嫌悪を込めて言い放った。


 その時だった。


「ワン! ワン!」


「きゃっ!」


 すぐ横の柵から、大きな黒い犬が吠えた。


 桜谷はとっさに後ろへ下がる。


 その瞬間、足元がふらつき、バランスを崩しかけた。


「おい、大丈夫か?」


 堀田が手を伸ばす。


 けれど、桜谷はその場から動けなくなっていた。


 柵の向こうにいたのは、人懐っこそうなラブラドール・レトリーバーだった。


 横長の柵に沿って、落ち着きなく行ったり来たりしている。


 堀田は柵の隙間から手を伸ばし、その頭を撫でた。


「めちゃくちゃ可愛いぞ」


「先に行って。私、遠回りしていくから」


「もう君野の家は目の前だろ。ここ、いつも通ってるんじゃないのか?」


「昨日までは平気だったのよ……」


「昨日……ああ、なるほどな」


 昨日、山で野良犬に囲まれたばかりだった。


 堀田は小さく息を吐くと、突然桜谷を抱き上げた。


「何するの!」


 桜谷は慌てて足をばたつかせる。


 だが堀田は気にも留めず、そのまま歩き始めた。


「離しなさいよ!」


「ここを通れなきゃ、お前だって帰れないだろ!」


 堀田は桜谷を軽々と抱えたまま、犬の前を通り過ぎていく。


「それに、お姫様抱っこで記憶を上書きすりゃ、犬なんかどうでもよくなるかもしれないぞ!」


「ならないわよ!」


「なあ」


 堀田は柵の向こうの犬へ、愛想よく笑いかけた。


「こいつ、吠えられるのが怖いんだってさ。今度通る時は、静かに見守ってやってくれ」


 犬は吠えるのをやめ、その場へおとなしく座った。


 そして、2人が通り過ぎるのをじっと見送っている。


 犬の姿が十分に離れたところで、堀田はようやく桜谷を地面へ下ろした。


「はあ……嫌い」


「さあ、リコーダーを届けに行くぞ」


 堀田は桜谷の背中を軽く叩き、何事もなかったように歩き出した。


 その背中を見つめながら、桜谷の頭には再び、あの言葉が浮かんでいた。



 ――本当は桜谷さんを覚えていたけど、サッカーを取った。


 遊園地へ行った日。観覧車の中で君野くんははっきりそう言った。


 彼は、中学校で再会した時、私を「知らない」と言った。


 でも――。


 私たちは、小学校の頃、あんなにラブラブだったのに。


 なのに、どうしてあの時、そんな嘘がつけたの?


 どうして、サッカーなんかを選んだの?


 それなのに、彼は何度忘れても、また私を好きになる。


「……好き? いや……」


 私への罪悪感……?


 彼は、本当に私を好きなの?

 それとも、傷つけた罪悪感に突き動かされているだけ?


 もう、分からない。


 呪いは解けたのか。


 それとも、今から始まったのか。


 それでも、私の考えは変わらない。


 幼い頃の彼だけを見続けることが、自分の存在意義を保つ唯一の方法だから。




「あれ?まだ帰ってきてないみたいだな」


 いつの間にか、堀田が君野の家のインターホンを押していた。


 けれど、返事はない。


 2人はリコーダーをポストへ入れ、そのことを書いた紙を玄関の扉へ貼り、解散することにした。


「じゃあな。また犬が怖くなったら呼んでもいいからな」


「こんな記憶、すぐにでも消してやるわ」


 悪態をつく桜谷に、堀田は無邪気に笑った。


 ……本当に迷惑な人。


 人の卑屈な心を、もっと惨めにする天才ね。


「またな!」


 そんな桜谷の偏屈な気持ちとは裏腹に、堀田は凛々しい眉を上げ、颯爽と帰っていった。


 翌朝。


「おはよう、君野くん」


 桜谷はいつもより早く家を出て、駅前の歩道を歩いていた君野へ声をかけた。


「……おはよう」


「どうしたの? 体調悪いの?」


「ううん……」


 君野は目に見えて落ち込んだまま、首を横へ振った。


 泣きそうな顔をしているのに、唇をきゅっと閉じ、理由を話そうとしない。


 どうしたのかしら。


「……大きな病気が見つかったとか?」


「……昨日、見ちゃったんだ」


「何を?」


「車で帰ってきた時、桜谷さんが堀田くんにお姫様抱っこされてるところ……」


「それが、どうかしたの?」


 桜谷はあえて淡々と答えた。


 けれど、胸の奥が不意に跳ねる。


「……どうして?」


 君野の問いかけに、さらに鼓動が速くなった。


「……嫉妬してるの?」


 桜谷が問い返すと、君野は一瞬黙り込んだ。


 あどけない大きな瞳が、涙で潤んでいる。


 頬も、かすかに赤くなっていた。


「僕が男らしくないから……。おんぶも、お姫様抱っこも、とっさにできないし……」


 君野は言いにくそうに視線を伏せる。


「あ、あのね、桜谷さん……」


「な、何?」


「……ちゅーしたい」


「え?」


「僕の彼女なんでしょ?」


 君野は首を傾げ、甘えるようにねだった。


 その仕草を見ているだけで、自分の唇までむずむずしてくる。


「……触りたい。ちゃんと、僕の彼女なんだって思いたい」


 なぜ?


 ここ数日、何もできなかったのに。


 一体、何がどうなっているの?


「だ、駄目じゃないけど……」


 桜谷は混乱しながらも、跳ね上がる心臓を抑え、努めて冷静に答えた。


「こんなところでするの、恥ずかしい?」


「……」


「じゃあ、桜谷さんの誕生日にしてもいい?」


「何で、キスしたいなんて思ったの?」


「……可愛いからだよ」


 かっ……!


 思わず声が出そうになり、桜谷は咳払いでごまかした。


 顔が一気に熱くなる。


 唾が変なところへ入ったことにして、何度も小さく咳をした。


「わ、分かったわ……。明日の私の誕生日に、キスしましょう」


「本当?やった!」


 君野はその場で2回、ぴょんぴょんと跳ねた。


「私のこと、そんなに好き?」


「うん!好き!」


「堀田くんよりも?」


「うーん……。明日、ちゅーしたら、もっと分かるかも!」


 君野はにこっと笑って、ごまかした。


「……これって……」


 これって。


 こんなもの、知らない。


 知らないはずなのに――。


 どうして、こんなに嬉しいの?


 もし、これが本当なら。


 もう、リセットの日々に戻らなくていいの?


 桜谷はその時、初めて自分の本音を聞いた気がした。




 教室へ入ってからも、君野は露骨な罠を仕掛けてきた。


「ねえ、桜谷さん。しりとりしよう」


「え? うん。いいわよ」


「マンボウ」


「う……うなぎ」


「銀行」


「う? うーん……牛」


「資料!」


「また、う……?」


 桜谷が困っていると、君野の視線に気づいた。


 先ほどからずっと、「う」と言うたびに、桜谷の唇をじっと見つめている。


「……何か、顔についてる?」


「ううん!『う』だよ?」


「う……宇宙」


「ちゅう!ネズミ!ちゅー!ちゅー!」


「……君野くん。明日まで待ってね」


「うん、分かってる!」


「明日はキスをする日じゃなくて、私の誕生日なのよ」


 桜谷は表面上、困ったような顔をしてみせた。


「とても大切な日なの。君野くんが、そう教えてくれたのよ」


「僕が?そんな思い出……」


「事故で覚えていないだけ」


 桜谷は静かに続けた。


「小学生の頃、私、君野くんに祝ってもらうまで、誕生日というものを知らなかったの」


「え?そうだったの?」


「……母は、父が出張している間に浮気していたわ。その間、私は邪魔者扱いされていたから」


「そうなの?それは、ひどいね……」


「昔の話よ」


 桜谷は小さく目を伏せた。


「そんな私にね、君野くんが小学生の時に、誕生日のお祝いとして砂のケーキを作ってくれたの。公園の砂場で」


「じゃあさ!」


 君野が目を輝かせる。


「明日もそれをやろうよ!砂のケーキ!」


「え?本当に?」


「うん!誕生日は楽しいものだって、いつお祝いしても思えるように!」


「そうね……」


 桜谷の胸の奥へ、じんわりと温かいものが広がっていく。


「すごく、嬉しい」


 長い間、氷のように固まっていた心の中へ、小さな灯りがともったようだった。


「泣いてる!?」


 君野は桜谷の涙にぎょっとした。


 慌ててポケットの中を探る。


 だが出てきたのは、未使用なのにボロボロになったティッシュだけだった。


「これは駄目だ……」


「大丈夫よ……ありがとう」


 桜谷は自分のハンカチで目元を拭った。




 神様。


 ここまでさせておいて、当日、彼の記憶を消すつもり?


 そんなことをしたら、私、あなたの首をへし折りに行くわ。


 桜谷は、ハンカチを強く握り締めた。






 午前中の体育。


 今は短距離走をひたすら繰り返す、陸上の授業だった。


 君野と堀田は、列の後ろの方へ前後に並んでいる。


「君野、桜谷の誕生日プレゼント考えてるか?」


「うん、考えたよ……!」


「そうか。なら安心だな」


「堀田くんも渡すの?」


「いや、俺は……。もらっても喜ばないだろ」


「そうなの? 絶対喜ぶよ!」


「そうかあ? どう考えても、それはないと思うけどな……」


 堀田は頭をかいた。


 昨日、桜谷と一緒に帰ったことで、彼女も普通の人間なのだと思い知らされた。


 そのせいか、絶対に渡すことはないと思っていた気持ちが、少しだけ揺らぐ。


「んー……。まあ、やめとく」


「えー!」


「俺がプレゼントして、あいつが喜ぶとしたら、お前を渡すくらいだろ」


「えへへ! 僕を箱に入れたら完璧かな!」


「そのままラッピングだな! ほら、よくあるだろ。『私がプレゼントだよ』って、ラブラブのバカップルがやるやつ」


「それやろうかな! 堀田くん、僕を包んでよ!」


「嫌だ!」


「えー。いい案だと思ったのに!」


「俺が許さないしな!」


「何で?」


 だって、俺が欲しいから。


 ――とは、言えない堀田だった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ