第19話「地獄の観覧車」
迷子センターで無事に君野と合流した3人は、近くのキッチンカーで飲み物とホットスナックを買い、屋外のフードコートへ移動した。
「君野くん、落ち込まないで。さっきの男の子、君野くんにすごく懐いていたじゃない」
「そうだぞ。お前はよくやった!」
すっかり意気消沈した君野を、桜谷と堀田が代わる代わる励ます。
「……うん……」
まだ元気のなかった君野だったが、ホットスナックを口へ入れるうちに、少しずついつもの調子を取り戻していった。
「あちっ! ……堀田くん、これ、フーフーして」
君野はそう言って、飲んでいたカフェオレを堀田へ差し出した。
「温かいのにしたのか? いつもアイスが載った飲み物ばっかり頼むのに、珍しいな」
「カフェオレって言ったら、ホットだったんだ。アイスカフェオレって言わなかったから……」
「なるほどな。そんなに熱いか?」
「僕の喉の中ではね、温かいものは味噌汁かスープなの」
「何だよそれ」
「だから、飲み物だって認識できるくらいまでフーフーして」
「そ、そうか。なら、いっぱいフーフーしてやるよ!」
堀田は嬉しそうに、君野から紙コップを受け取った。
蓋を外し、息を吹きかけようとした、その時だった。
一連のやり取りを見ていた桜谷が、財布をつかんで立ち上がる。
「それ、堀田くんが飲めば? 今、新しい冷たいものを買ってきてあげるわ」
「いや、俺、加糖のカフェオレは飲まないんだ」
「冷たくなるまでに、何時間かかるのよ。君野くんも、冷たいほうが好きでしょう?」
「で、でも、堀田くんが奢ってくれたから……」
「ほら、君野。どうだ?」
堀田は何度も息を吹きかけてから、紙コップを君野へ差し出した。
君野は慎重に口をつける。
「まだ……カフェオレ汁」
「何だよ、カフェオレ汁って……!」
堀田はつぼに入り、大笑いしながら、もう1度カフェオレへ一生懸命に息を吹きかけ始めた。
君野はそんな堀田を眺めながら、呑気に両肘をテーブルへつき、フランクフルトをもぐもぐと食べている。
口元には、楽しそうな笑みが浮かんでいた。
何よ……。
その光景を見ていると、2人だけが映画の中で笑い、自分だけが客席へ取り残されたように感じた。
「ねえねえ、最後にあれ乗りたい!」
君野が頬にケチャップをつけたまま、前方を指さした。
そこには、テーマパークの中心を見下ろすように、大きな観覧車がそびえ立っている。
絵本から飛び出してきたような外観で、城や園内全体を一望できる、新しい目玉アトラクションらしい。
その足元には、長い列が伸びていた。
「よし。最後のひと踏ん張りだな」
堀田が思わず本音を漏らす。
すると、桜谷が口を開いた。
「ねえ。わざわざ3人で乗る必要はないと思わない?」
「……確かにな」
堀田は観覧車と土産物店を交互に見る。
「1人が君野と乗って、もう1人が、さっき買えなかった土産を買いに行くっていうのはどうだ?」
「そうね。時間的にも、それがいいわ」
「僕はじゃんけんしなくていいの?」
「当たり前だ」
堀田は目の前に座る桜谷を睨んだ。
「観覧車くらい、2人きりになりたいからな……!」
桜谷も対抗するように目を細める。
堀田は右の拳を握り、桜谷も肘をテーブルへついた。
2人の目つきが、一斉に鋭くなる。
「「じゃーんけーん……」」
ポン!
悔しいいいいいっ……!
堀田は頭を抱えながら、行列へ並ぶ君野と桜谷を遠くから睨んだ。
何を笑い合ってんだよ……!
いつも俺が、教室の離れた席から眺めている光景じゃないか……!
「はあ……」
ムカつく。
腹の虫が収まらない堀田は、いつまでも悔しそうな顔をしたまま、買い出しリストを書いたメモ帳を片手に、パーク内の土産物店へ走っていった。
「堀田くん、やっぱり一緒に乗ればよかったかな……」
観覧車は、人々が蟻のように見える高さまで上がっていた。
それでも君野は桜谷をそっちのけにし、窓へ張りついて堀田を探している。
目の前にいる私よりも、買い物へ行った彼のほうが大事なの……?
その姿を見ているうちに、桜谷の口が勝手に動いた。
「今の君野くんを作ったのは、私なの」
「ん? 何?」
「私、あなたに呪いのキスをして、私に関する記憶だけを消しているの」
「呪いのキス……?」
君野は遊園地のアトラクションの話でも聞いたように、まだ余裕のある笑みを浮かべていた。
「どういうこと? それって魔法の話?」
「だって、おかしいでしょう」
桜谷の鋭い目が、君野を逃がさない。
「入学式の頃から、これだけ私に関する記憶だけが曖昧なんて」
「……」
「そう。私は悪い魔女」
桜谷は静かに微笑んだ。
「今ここでキスをしたら、明日の朝には、私のことも、この会話も忘れてしまう」
「それをして、何かメリットがあるの?」
「あるわ」
桜谷は即答した。
「あなたはまた、何も知らないまま私を好きになる」
「……」
君野は眉をひそめ、変わった冗談でも聞かされているように首を傾げた。
「あなたが堀田くんに好かれるため、幼い子どものように振る舞っていることも知ってる」
桜谷は君野の目をまっすぐ見つめる。
「本当のあなたは、自分で考えられる人よ」
その言葉を聞いた瞬間、君野の目つきが変わった。
そこに浮かんだ鋭さは、かつてサッカーをしていた頃の君野を思わせた。
「私たちは、何も発展しない同じ日々を繰り返しているの」
桜谷は窓の外へ視線を向ける。
「この観覧車みたいに、同じ場所をぐるぐると回り続けている」
「今の僕は、桜谷さんに操られているの?」
「あなたは本当は、昔のことを思い出したがっているのよ」
「僕、別にそんなこと思ってないよ」
君野の声が低くなる。
「それに、僕が幼いふりをしているって、どういう意味?」
その時だった。
ガツン!
「うわっ!?」
ゴンドラが頂上へ達した瞬間、車体が大きく揺れた。
君野の体が前へ投げ出されかける。
かろうじて座席へ手をつき、体勢を整えた。
直後、ゴンドラ上部から外れた小さな金属部品が、真横の窓へ叩きつけられる。
ガラスへ蜘蛛の巣のようなひびが走った。
「痛っ……!」
君野が鋭い声を上げる。
ひび割れた部分から飛んだ小さな破片が額をかすめ、1筋の血が頬を伝った。
君野は人差し指で血をすくい、その赤色を見つめた。
あれ……?
前にも、こんな高いところで……。
ガラスの破片。
血。
その瞬間、記憶が写真のように1枚ずつ蘇った。
暗い部屋。
ベッドの下へ閉じ込められた恐怖。
ここは……僕の部屋だ。
『これはマジックだよ』
長い髪の、セーラー服を着た少女の声。
手首へ食い込んだ紐の痛み。
閉所で息ができなくなるような苦しさ。
パニックを起こし、飛び出した部屋。
2階の廊下で口論する、自分と少女。
次の瞬間、少女の手が自分の体を押した。
重力に引かれ、落ちていく体。
1階のガラステーブルが砕け、全身が血と破片にまみれる。
その体へ馬乗りになり、自分の顔をのぞき込む、長い黒髪の少女。
黒髪の中に浮かぶ笑顔。
その笑顔が血に染まる中――。
『私があなたのものだって、分からせてあげる……』
「桜谷さん……!?」
記憶の中の少女と、目の前にいる桜谷の顔が重なった。
君野は悲鳴に近い声を上げる。
頭の中で、狂気を帯びた彼女の唇が、自分の唇へ重なった。
今、本当にキスされたかのような悪寒が全身を走る。
口の中へ鉄の味が蘇り、体の芯が痺れるほどの恐怖が押し寄せた。
「……どうしたの、君野くん。顔が真っ青よ」
桜谷の声は、妙に落ち着いていた。
「……嘘だ……」
君野の唇が震える。
「桜谷さん、どうして……そんなことしたの……」
「ああ」
桜谷は小さく息を吐いた。
「また、そっちを思い出したのね」
「どうして、僕を突き飛ばしたの……?」
君野はぼろぼろと涙を流し、桜谷の膝へすがりついた。
狭い密室に、君野の恐怖と桜谷の静かな狂気が漂う。
桜谷は1度だけ目を伏せた。
けれど、すぐに何事もなかったかのように顔を上げる。
「君野くんが、私を『知らない』って言ったの」
その声は静かだった。
「その瞬間、全部壊れた」
君野の肩が、びくりと震える。
「あなたは、私とのことを簡単になかったことにできるんだって分かった」
桜谷は微笑んだ。
その笑顔は、どこか歪んでいる。
「だから、あなたも壊したの」
君野へ向かい、1歩近づく。
「忘れるなら、忘れられない形にすればいいと思った」
君野の瞳に、さらに深い恐怖がにじんだ。
「ねえ、怖い?」
ほんの一瞬だけ、桜谷の声が揺れた。
「でも、あの時の私は、それ以上に怖かったのよ」
その瞬間、桜谷の中でも何かが蘇りかけた。
……何だったかしら。
とても大切なことだった気がする。
「壊れたなら、最初から作り直せばいいと思ったの」
桜谷は淡々と続ける。
「薔薇色の思い出を『知らない』って言ったから」
冷たい目が、君野を見下ろした。
「そんな君野くんは、いらないって思ってしまったから……」
「そんな……」
君野の呼吸が浅くなる。
「じゃあ、僕の夢を桜谷さんは……!」
そう言いかけた瞬間、別の感情が胸を突き上げた。
何……これ……?
「うっ……!」
君野は胸を押さえ、ゴンドラの床へ崩れ落ちた。
「……ごめん……」
気づけば、泣きじゃくるように謝っていた。
「ごめんね……」
予想もしなかった謝罪に、桜谷は目を瞬かせた。
「どうして謝るの?」
桜谷は君野を見下ろす。
「あなたを突き飛ばしたのは、私よ」
「思い出した……」
君野は床へ手をついたまま、震える声で答えた。
「僕、今、思い出したんだ……」
「何を……?」
「この罪悪感……」
君野は涙を拭わずに続ける。
「堀田くんにも、どこかで踏み込めなかった理由が分かったんだ……」
桜谷は黙ったまま、君野の言葉を待った。
「僕、桜谷さんを傷つけてた……」
その言葉に、桜谷の目が一瞬、大きく見開かれた。
「僕、サッカーに集中したくて、女の子に気を取られたくなかったんだ……。隣の席になった桜谷さんを、本当は前から知っていたはずなのに、『知らない子』だなんて言ってしまった……。ごめんね……」
桜谷は息を呑んだ。
しかし、すぐに表情を取り繕い、動揺を押し隠す。
――まさか、さっき思い出しかけていたのは、このこと……?
「今の君野くんは、誰にも好きになってもらえないわ」
桜谷は冷たく言い放った。
「その懺悔を、ずっと抱えて生きていけばいい。私は絶対に許さない」
その冷徹な言葉に、君野の瞳から再び大粒の涙がこぼれ落ちた。
桜谷はしばらく君野を見下ろしていた。
やがて、その身体を静かに抱き寄せ、強く抱き締める。
「堀田くんも私も、同じおやつを嬉しそうに食べている今の君野くんが好きなの。だから、そのままでいてほしい」
「そうだよね……。分かってる……。きっと本当の僕なんて、誰も好きになってくれないんだ……」
君野は震える手でゴンドラの床をつかみ、目を閉じた。
観覧車の外からは、遊園地の歓声が遠く聞こえてくる。
さっきまで楽しかったはずの1日。
バニラアイスも、うさぎ耳のカチューシャも。
すべてが急に、遠い夢のように感じられた。
「……桜谷さん」
君野は涙に濡れた目で、彼女を見つめた。
「……僕にキスして」
「え?」
「……戻りたいでしょ。さっきまでの楽しかった時間に」
桜谷は、君野の小さく震える手を優しく両手で包み込み、耳元で囁く。
「私は魔女よ。幼い自分を演じる、今のあなたのままでいられる魔法が使えるの」
「……」
「薔薇色の楽園へ行きましょう。いつかたどり着ける、私たちだけの遊園地に」
「おい! 大丈夫か!?」
一方、観覧車の下では、堀田が土産袋を抱えたまま、ようやく動き出したゴンドラを、ほかの客たちとともに心配そうに見上げていた。
周囲がざわつく中、ひび割れた窓に血の跡を残したゴンドラが、ゆっくりと3時の位置まで下りてくる。
堀田はつま先立ちになり、窓の中を覗き込もうとした。
「……!」
窓に反射していた日の光がふっと消え、中の様子が見えた。
その瞬間、堀田の手から土産袋が地面へ落ちる。
君野が、桜谷の頬へ両手を添え、自分から唇を重ねていた。
「君野……お前……」
その光景が、堀田の目に焼きつく。
つい先ほどまで心配していた自分が、馬鹿みたいだった。
あんな事故が起きたのに、2人でずっといちゃついていたのかよ……。
ああ、そうか。
邪魔なのは――
俺なのか……。
堀田は泣きそうな顔で、強く唇を噛んだ。




