表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
16/56

第16話「取り返しのつかない選択」

 


 次の日の月曜日――。


 堀田ほったは胸の奥に引っかかるものを抱えたまま、自分の席から後ろを振り返った。


 君野きみの桜谷さくらたには、相変わらず楽しそうに話している。


 ……いや、楽しそうすぎる。


 遠目にも、君野が桜谷を好いていると分かるほどだった。


 昨日、自分へ向けられた「大好き」という言葉が、最初から存在しなかったように。


 君野が顔を上げ、堀田と目が合った。


 それをきっかけに、机の脇に置いていた荷物を持ち、こちらへ歩いてくる。


「おはよう、堀田くん」


 君野はいつもどおり、にこやかに笑った。


 天使のような笑顔を浮かべ、小さく手を振ってくる。


「おう。おはよう」


「昨日はありがとう。これ、おまんじゅうだよ。お母さんが、また家まで送ってくれたお礼だって」


 君野は紙袋を大事そうに抱えたまま立ち止まる。


 堀田は動揺を隠しながら、それを受け取った。


「あ、ああ……。わざわざありがとな」


 何だ。


 そんなことか。


 昨日の出来事が、まるで何もなかったようだった。



 駄目だ。


 君野があまりにも普通すぎて、動揺している自分のほうがおかしいように思えてくる。


 君野は土産を渡し終えると、そのまま自分の席へ戻っていった。



「何かあったの?」


 桜谷は、戻ってきた君野へすかさず目を向けた。


「昨日、堀田くんが僕を助けてくれたんだよ。また堀田くんのお母さんに、家まで送ってもらっちゃった」


「へえ……」


「堀田くんの家って、きれいなマンションの7階にあるんだよ。都会の人って感じ!」


「家へ行ったのね」


 桜谷の目が、わずかに細くなる。


「何をして遊んでいたの?」


「カードゲームをしてた!」


「……堀田くん、何か言いたそうだったわ」


「そう? 僕はあんまり感じなかったけど」


「君野くん、今日すごく淡白ね。なにかあった?」


「え?何もないよ!」


 返事は明るい。


 けれど今日は、妙に大人びて見えた。


 堀田もまた、電池が切れかけたロボットのように動きがぎこちなかった。


「…」


 2日前、桜谷は君野と遊び、キスまでした。


 その翌日に堀田と会い、2人の間で何かが起きた。


 それだけは間違いない。


 桜谷は生唾をのみ込み、眼鏡のレンズ越しに目を鋭くした。




「君野、そっちじゃないぞ」


 2時間目の休み時間。


 移動教室先の男子トイレから出てきた君野が、教室とは反対方向へ歩いていく。


 堀田は小走りで追いかけ、その右手をつかんだ。


「あ、ごめんね、堀田くん。びっくりしちゃって……」


「……いや、大丈夫」


 堀田は手を離し、君野の顔をのぞき込む。


「お前、今日いつもよりテンション低くないか?」


「そんなことないよ」


「……昨日、俺、何かやらかしたか?」


「ううん。何もしてないよ」


「そうか……」


 どう考えても、昨日のことだよな。


 やっぱり、俺が判断を間違えたのか。


 堀田はもう一度、その右手をつかんだ。


「俺さ……昨日、逃げたんだ」


「……堀田くんは、結局何が言いたいの?」


「き、昨日の『大好き』のカード……あれ、俺を『好きな人』に選んだんだろ?」


「……うん。そうだよ」


 その一言に、心臓が大きく跳ねた。


 それなら。


 それなら俺は――。


 今度こそ言うんだ。


「俺さ……!」


「でも、昨日みたいには、もう素直になれないんだ」


「それって、どういう意味だ?」


「今日になって、桜谷さんのことを思い出したんだ」


 その言葉を理解するまで、数秒かかった。


 堀田の膝から力が抜ける。


 ふざけんなよ……そんなの……


 どういう作用なのかなんて、今はどうでもいい。


 あの時の素直な君野は――俺だけを見てくれていた君野だった……!


「なあ、君野! 時間を戻せないか? 俺、本当はお前のこと……!」


「大好きだよ」


「……!」


「それが、僕の今の気持ち」


 君野はそう言って、どこか寂しそうに笑った。


 堀田は立ち上がり、君野の頬へ右手をそっと添える。


 昨日のカードについた爪痕と、涙で滲んだ文字が脳裏によみがえった。


「……」


 その様子を、桜谷は離れた場所から見つめていた。


 レンズ越しの目は、浮気現場を目撃した妻のように冷え切っていた。




「おい……堀田! 堀田!」


 藤井の声で、堀田はようやく我に返った。


 その日の校外授業。


 1年生は近くの公園で、俳句を詠む課題に取り組んでいた。


 堀田は花壇を囲むコンクリートの縁へ腰掛け、銅像のように固まっている。


 首から提げたバインダーのプリントは、まだ真っ白だった。


「まだ何も書いてないじゃないか」


「ああ……」


「どうせ、また桜谷さんと君野のことだろ」


「そうなんだけど……俺がやらかしたっぽい」


「とりあえず、その気持ちを俳句にしろよ。あと15分しかないぞ。それより35分間、何してたんだよ」


「ぼーっとしてた……」


 緑が生い茂る公園に、蝉の鳴き声が響いている。


 堀田はようやく景色を認識すると、虚ろな目でペンを走らせた。


 ――届かずに 君の気持ちや 蝉しぐれ


 危うく、『君』を『君野』と書きそうになった。


「まんまだな」


 藤井は苦笑した。


 堀田は、ふと横へ置いた白いエナメルバッグを見る。


 そこには、いつもの『兄』キーホルダーが揺れていた。


 その文字が、今日はやけに目につく。


 堀田はゆっくりとそれを握り締めた。


 昨日、君野が言った「兄弟」という言葉が胸に刺さる。


「……こんなもの……」


 奥歯を噛み締める。


 そして勢いよく、チェーンを引きちぎった。


 切れたキーホルダーをズボンのポケットへ押し込む。


 もう、自分を兄だと言い聞かせることはできなかった。





 昼休み。


 公園の河川敷では、桜谷と君野がレジャーシートを敷いていた。


 そこへ堀田も当然のように現れ、自分のレジャーシートを2人のものへぴったりとつなげた。


 君野は弁当だけを抱え、申し訳なさそうに2人の間へ座る。


「……」


「……」


「……」


 周囲のグループが楽しそうに昼食を囲む中、3人の間だけは静まり返っていた。


 箸の音だけが、やけに大きく響く。


「ねえ。いつものキーホルダー、どうしたの?」


 桜谷がサンドイッチを片手に、堀田のバッグを見ながら尋ねた。


「あ、ああ……チェーンが切れちゃってな」


「ふーん……」


 君野は何も言わず、丸いおにぎりを頬張っている。


 堀田は沈黙に耐えきれず、慌てて口を開いた。


「ツ、ツナおにぎりか?」


「うん」


 会話は、それだけで終わった。


「ごめんね、堀田くん」


 昼休みが終わり、桜谷がプリントを提出するため教師のもとへ向かった。


 2人きりになった途端、君野はそっと身を寄せ、堀田の制服の袖へ触れた。


「明日からは普通にできるようにするから。今は、ごめんね……」


「あ、あのな……俺……」


 堀田が言いかけた、その時だった。


 桜谷が戻ってきた。


 結局、何も言えない。


 そもそも、自分が何を伝えたいのかさえ整理できていなかった。


 煮え切らないまま教室へ戻り、やがて掃除の時間になった。


 堀田は黙々と教室を掃いていた。


 ふと、ズボンのポケットへ手を入れる。


「あ……そうだ」


 さっき外したキーホルダーを入れたままだった。


 これがある限り、自分は兄という立場から抜け出せない気がした。


「なあ、これも捨てといてくれ!」


 廊下へ出ると、ちょうどゴミ袋を運んでいた男子生徒へ声をかけた。


 男子生徒は足を止め、袋の口を開く。


 堀田は迷うことなく、『兄』キーホルダーを放り込んだ。


 袋の中へ落ちていくのを見届けた、その時だった。


 カチャン。


 ほうきの柄が床へ落ちる乾いた音が、背後から響く。


「どうして……!」


 振り返る。


 目を見開いた君野の顔から、血の気が引いていた。


 そうだ。


 ここは君野と桜谷が担当している2階中央廊下だった。


「っ……ぐすっ……」


 君野は泣き出すと、そのまま反対方向へ走り去った。


「あ、君野!」


 異様な様子に、堀田も慌てて追いかける。


 近くにいた桜谷も、2人を追ってその場を離れた。


「桜谷さん!?」


 取り残された女子生徒だけが、倒れたほうきとちりとりを前に呆然と立ち尽くしていた。


「うわあああああん……!」


 君野は泣きじゃくりながら廊下を全力で走る。


 しかし、足の速さでは堀田のほうが上。


 ほどなくして、1階外の自動販売機が並ぶ一角で追いつく。


 堀田は嗚咽を漏らす君野の背中を、何度も優しくさすった。


「……ごめん、なさ……い。今日、自分でも……変だって、分かって……。素直に、なれなくて……。でも……絶交……したくない……」


「違う! 絶交なんかじゃない!」


「こんな形で……堀田くんとの思い出を……僕だけの思い出に……したくない……」


 君野は大粒の涙を流しながら訴えた。


「そっか……そうだよな……」


 あのキーホルダーは、俺たちの友情の証でもあった。


 目の前で捨てられれば、君野が泣くのも当たり前だ。


「ごめんな……」


「謝るなら……どうして、捨てたの……?」


 堀田は君野の両肩へ、そっと手を置く。


「もう、『兄』じゃ無理なんだ」


 震える声で続けた。


「悪い意味じゃない。絶交したいわけでもない。ただ、兄弟だって自分に言い聞かせることが、もうできないんだ……」


 君野の濡れた瞳が、まっすぐ堀田を見つめる。


「俺、お前のことが好きだ」


 堀田は君野抱きしめた。

 君野の頬を、涙が静かに伝う。


 それでも、その体は堀田の腕の中にあった。


 震える体を包む温もりだけが、本物だった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ