4話 優しい追求
「お姉ちゃんに、何か隠してることない?」
僕はその言葉に、心臓が大きく跳ねた。
お姉ちゃんは昔から勘が鋭い。
僕が何かを隠している時は、決まってすぐに見抜いてしまう。
それに――。
お姉ちゃんは、僕に関することになると誰よりも本気になる人だ。
小学生の頃、僕をからかった近所の子に真正面から文句を言いに行ったこともある。
だからこそ、学校でいじめられているなんて知られたら――。
きっと、相手を徹底的に問い詰めに行く。
先生にも、学校にも、黙っているような人じゃない。
そんなことになれば、あいつらは絶対に黙っていない。
「…………」
喉が締めつけられる。
僕にとって、一番知られたくない相手に知られようとしていた。
「千尋?」
心配そうな声が、静かな部屋に響く。
だけど今の僕は、どうごまかそうか、それだけで頭がいっぱいだった。
「……」
「……とりあえず」
お姉ちゃんは小さく息をつく。
「下に行こっか」
「……うん」
優しく僕の頭を撫でると、お姉ちゃんは部屋を出る。
僕もその後を追う。
階段を下りながら、お姉ちゃんはリビングへ向かって声を上げた。
「お父さん、お母さん! ちょっと来て!」
「どうした?」
リビングでテレビを見ていたお父さんが、ソファから立ち上がる。
キッチンで片付けをしていたお母さんも、不思議そうな顔でこちらを見た。
「何かあったの?」
お姉ちゃんは僕をちらりと見て、小さく首を振る。
「まだ分からない。でも……たぶん、学校で何かあった。」
その一言で、リビングの空気が変わった。
お父さんとお母さんの表情から笑みが消える。
「千尋。」
お父さんが穏やかな声で僕を呼んだ。
責めるような声じゃない。
ただ、心配していることだけが伝わってくる。
「こっちへおいで。」
僕は小さく頷き、ソファへ腰を下ろした。
向かいにはお父さんとお母さん。
隣にはお姉ちゃんが座る。
まるで家族会議みたいな空気だった。
「……さて。」
お父さんは一度僕の顔を見つめ、静かに口を開く。
「まず一つだけ約束してほしい。」
「今日は誰も千尋を怒らない。」
「だから、安心して話してごらん。」
その優しい言葉が、胸に深く突き刺さる。
話したくない。
でも――。
もう、ごまかせる気がしなかった。
僕は震える声で、今日学校であったことを、一つひとつ話し始めた。
教室で蹴られたこと。
生徒指導室へ呼ばれたこと。
そして、帰り道で呼び止められたこと。
「……VTuberになって、稼いだお金を全部持ってこいって……」
部屋に重い沈黙が落ちる。
「誰に言われた?」
お父さんが静かに尋ねる。
「……大輝君と、その友達に……」
その名前を聞いた瞬間――
「またあいつら!?」
お姉ちゃんが勢いよく立ち上がる。
「本当に懲りない人たちだね!!」
怒りを隠そうともせず、拳を強く握り締める。
「真由、とりあえず最後まで話を聞こう。」
お父さんが穏やかな口調で制する。
「でも、お父さん!」
「今は千尋が話している。」
その一言で、お姉ちゃんは悔しそうに唇を噛みながらも、ゆっくりと椅子へ座り直した。
「……ごめん、千尋。」
僕は小さく首を振る。
「ううん……」
お父さんはもう一度、優しく頷いた。
「それで、その後はどうなった?」
「一週間以内に始めなきゃ……どうなるか分かってるよなって言われて……」
その言葉を聞いたお姉ちゃんは、はっとしたように目を見開く。
「だから、あの検索履歴だったんだ……」
小さく呟く。
「VTuberの始め方とか、モデルとか……」
「……うん」
僕は力なく頷いた。
「あいつらに言われた通りにしようとしてたの……」
その言葉を最後に、もう何も続けられなかった。
喉が詰まる。
視界が滲む。
こらえようと思っても、涙は言うことを聞いてくれなかった。
ぽたり。
ぽたり。
零れ落ちた涙が、ソファへ小さな染みを作っていく。
一つ。
また一つと。
気づけば、肩は小刻みに震えていた。
「ごめんなさい……」
何に対して謝っているのか、自分でも分からない。
ただ、涙だけが止まらなかった。
「大丈夫よ、千尋……」
そう言ってお母さんは僕をそっと引き寄せ、優しく抱きしめた。
「あなたは何も悪くないわ」
その温もりに、また涙が溢れる。
お父さんは腕を組み、静かに口を開いた。
「千尋がこんな嘘をつくとは思えない。だから……十中八九、事実なんだろう。」
「でも……言う通りにしないと、もっとひどいことされる……」
ずっと胸の奥へ押し込めていた恐怖が、一気に溢れ出す。
「千尋がここまで追い詰められるなんて……やっぱり相当ひどいことされてるじゃん!!」
お姉ちゃんは拳を強く握り締め、悔しそうに唇を噛んだ。
「……とりあえず、明日は学校を休ませましょう。」
お母さんが静かに言う。
「そうだな。」
お父さんも小さく頷いた。
「それと、学校とは一度きちんと話し合う必要がある。」
「それもだけど、一度あいつらを徹底的に懲らしめた方がよくない!?」
「真由。」
お父さんが静かに名前を呼ぶ。
「気持ちは分かる。でも、感情だけで動けば千尋を危険にさらすことになる。」
「……っ。」
お姉ちゃんは悔しそうに拳を握り締める。
「だからこそ、大人が正しい手順で守るんだ。」
「でも、真由の意見も一理あると思うわよ?」
お母さんが静かに口を開く。
「それはそうだが……」
「今回は、いじめじゃないわ。」
一拍置いて、お母さんははっきりと言った。
「立派な脅迫よ。」
リビングが静まり返る。
「それに、学校と話し合ったところで根本的な解決にはならないわ。」
「学区が同じ以上、学校の外で鉢合わせる可能性はいくらでもあるもの。」
お父さんは腕を組み、小さく息を吐く。
「……確かにな。」
「学校への対応と、千尋の安全は分けて考える必要がある。」
「そういうこと。」
お母さんは頷く。
「学校には学校の責任を果たしてもらう。でも、それだけで終わらせちゃ駄目。」
「千尋が安心して生活できるようになるまで、私たちが守らないと。」
リビングに静かな空気が流れる。
誰もが千尋を守る方法を考えていた。
その沈黙を破ったのは、お姉ちゃんだった。
「ねぇ、千尋。」
「……?」
「一つだけ聞いていい?」
僕は小さく頷く。
「VTuberになること自体は嫌なの?」
その質問に、言葉を失った。
嫌……なのかな。
頭の中に、さっきまで見ていたモデルのページが浮かぶ。
かわいい衣装。
楽しそうに配信している人たち。
夏休みに何度も見ていた動画。
「……嫌じゃ、ない。」
絞り出すように答える。
「ただ……」
「大輝君たちに言われたから、嫌になっちゃっただけ。」
その瞬間、お姉ちゃんは優しく笑った。
「やっぱり。」
「え?」
「だって履歴見たけど、どれもかわいいモデルばっかだったもん。」
「えっ……」
思わず顔が熱くなる。
「普通、本当に嫌なら検索したって最低限しか見ないよ。」
「でも千尋は違った。」
「いろんなモデルを見比べて、じっくり悩んでた。」
「それってさ――」
一拍置いて、お姉ちゃんは真っすぐ僕を見つめる。
「本当は、少し興味があったってことでしょ?」
否定しようと口を開く。
だけど、言葉が出てこない。
頭の中には、さっきまで見ていた画面が浮かぶ。
かわいい衣装。
優しく笑うモデルたち。
「……うん。」
小さく頷く。
「かわいいなって……思った。」
「配信も、ちょっと楽しそうだなって……」
その言葉を聞いたお姉ちゃんは、嬉しそうに微笑んだ。
「じゃあ、決まりだね。」
「……何が?」
「VTuberになるなら、あいつらに言われたからじゃない。」
お姉ちゃんは僕の肩にそっと手を置く。
「千尋が『やってみたい』って思ったから始めるの。」
「でも……」
「怖いのは分かる。」
「悔しいのも分かる。」
「だったら、その気持ちごと全部配信にぶつけて、あいつらを見返してやろうよ。」
「見返す……?」
「うん。」
「暴力でも、仕返しでもない。」
「千尋が好きなことを思いっきり楽しんで、笑って、応援してくれる人をたくさん作る。」
「そしていつか――」
お姉ちゃんは力強く笑う。
「『お前らより、僕の方がずっとまともだった』って証明してやればいい。」
その言葉は、不思議なくらい胸に響いた。
今まで考えたこともなかった。
『やり返す』じゃない。
『見返す』。
それなら――。
「......うん」
「じゃあ、決まりだね!」
お姉ちゃんが立ち上がる。
「イラストは私が描く!」
「3Dモデルや機材は俺が何とかしよう。」
お父さんも静かに頷く。
「配信のスケジュール管理や企業対応は私がやるわ。」
お母さんも微笑みながら続けた。
「えっ……?」
思わず三人の顔を見渡す。
「な、なんでそこまで……」
「家族だから。」
三人の声がぴったり重なった。
「千尋は一人じゃない。」
「家族総出で、あいつらを見返してやろう!」
お姉ちゃんはニッと笑って拳を突き出す。
その拳に、お父さん、お母さんも静かに拳を重ねた。
三人の視線が、最後に僕へ向けられる。
「さあ、千尋。」
「ここからが、反撃開始だよ。」
そう言って笑う家族を見ていると、
不思議と、さっきまで胸を締め付けていた恐怖が少しだけ小さくなった。
一人じゃない。
家族がいる。
だから――。
もう一度だけ、前を向いてみようと思えた。




