3話 隠しごと
「ただいま……」
「おかえりー!」
リビングから、お母さんの明るい声が聞こえてきた。
「今日は始業式だったでしょう? どうだった?」
「……普通だったよ」
自然と嘘が口から出る。
本当は普通なんかじゃなかった。
学校へ行った初日から、生徒指導室へ呼ばれた。
男子に脅され、VTuberになれと命じられた。
そんなこと、とても言えるはずがない。
「ちょっと部屋にいるね」
「ご飯食べに行くんだから準備しとくのよ?」
「うん」
逃げるように2階へ上がり、自分の部屋のドアを閉める。
小さく息を吐き、制服のまま椅子へ腰を下ろした。
机の上には、夏休みの間に作った小物や裁縫道具が並んでいる。
ほんの昨日まで、この部屋は一番落ち着ける場所だった。
でも今は違う。
頭の中には、あの言葉だけが何度も繰り返されていた。
『一週間以内に始めろ。』
『稼いだ金は全部俺たちに持ってこい。』
「……VTuber」
思わず呟く。
動画で何度か見たことはある。
かわいいアバターでゲームをしたり、雑談したり、歌を歌ったり。
楽しそうだなと思ったことはあった。
だけど――。
「どうやって始めるんだろう……」
そう考えていると、机の上のパソコンが目に入った。
「……ちょっと調べてみよう」
電源ボタンを押す。
見慣れたデスクトップが表示されるのを待ちながら、小さく息を吐いた。
ブラウザを開き、検索欄へゆっくりと文字を打ち込む。
『VTuber 始め方』
エンターキーを押すと、検索結果がずらりと並んだ。
その中で一番上に表示されたサイトを、僕は何気なくクリックした。
『VTuberデビュー完全ガイド』
そんな見出しの記事を読み進めていく。
配信ソフト。
マイク。
オーディオインターフェース。
Live2Dモデル。
聞き慣れない単語ばかりだった。
『モデルはスキルマルシェなどで依頼できます』
その一文が目に留まり、僕はリンクをクリックした。
数秒後、画面いっぱいに様々なモデルが表示される。
「……すごい」
Live2Dモデル。
3Dモデル。
デフォルメされたかわいらしいものから、本物の人間と見間違うほど精巧なものまで並んでいる。
「どれもかわいい……」
思わず見入ってしまう。
だけど、表示された価格を見た瞬間、その気持ちは一気に吹き飛んだ。
「えっ……こんなにするの……?」
Live2Dモデルは数万円から数十万円。
フルオーダーの3Dモデルになると、それ以上の価格が並んでいる。
中には100万円近いものまであった。
「無理だよ……」
到底、僕のお小遣いや今まで貯めてきた貯金だけで払える金額じゃない。
画面をスクロールするたび、現実だけが突きつけられていく。
『一週間以内に始めろ』
リーダーの笑顔が頭をよぎる。
「でも、なんとかしないと……」
僕はもう一度、検索条件を変更する。
価格は「1万円以内」。
検索ボタンを押すと、いくつかのモデルが表示された。
「これなら……かわいいかも」
少しだけ胸が高鳴る。
期待を込めて商品ページを開いた。
だけど――
『配信利用不可』
『トラッキング非対応』
「……そんな」
肩をがっくりと落とす。
他のモデルも調べてみる。
だけど、どれも『配信利用不可』と書かれていた。
中には、
『著作権の都合上、配信での利用は禁止しています』
と記載されたモデルもある。
「そういうものなのかな……」
独り言を漏らしながら画面をスクロールする。
だけど、結果は変わらない。
「やっぱり数万円は出さないとダメなのかな……」
モニターを見つめたまま、小さくため息をつく。
その時だった。
「千尋ー! お父さんたち、そろそろご飯食べに行くってー!」
部屋の外から、お姉ちゃんの声が聞こえてくる。
「今行くよ!」
慌ててノートパソコンを閉じ、制服を脱ぎ始める。
ガチャ。
「入るよー!」
「お姉ちゃん待って!」
慌てて声を上げる。
だが――
「着替え中だったのね!」
お姉ちゃんは悪びれる様子もなく笑うと、僕の全身をじろりと見渡した。
「その服より、こっちの方が似合うんじゃない?」
そう言って、お姉ちゃんがクローゼットから取り出したのは、自分のおさがりだという、控えめなフリルの付いたトップスだった。
「でも……」
「絶対こっちの方が似合うって!」
お姉ちゃんは僕に服を押し当てると、にっこり笑う。
「千尋は無理して男の子らしい服を着るより、自然体の方がかわいいもん。」
「か、かわいいって……僕は男だよ?」
「知ってる。でも、かわいいものはかわいい!」
勢いに押され、結局フリルの付いたトップスを着て出掛けることになってしまった。
「……もし、これを見られたらどうしよう……」
休日は、お姉ちゃんのおさがりを着ることも珍しくない。
物心ついた頃から、お姉ちゃんの着せ替え人形にされていたせいか、スカートやワンピースを着ることにも抵抗はなかった。
だけど、それは家の中だけの話。
外へ出る時は、必ず着替えていた。
理由は単純だ。
いじめっ子たちに見られたくないから。
「ほらほら! 早く行こ!」
お姉ちゃんは満足そうに頷くと、僕の背中を軽く押した。
「もう、お父さんとお母さん待ってるんだから!」
「う、うん……」
鏡の前に立つ。
控えめなフリルの付いたトップス。
細身のパンツ。
髪も朝整えたままだからか、鏡に映る自分は、今日も女の子みたいだった。
「やっぱり、恥ずかしいよ……」
「大丈夫、大丈夫!」
お姉ちゃんは笑いながら親指を立てる。
「千尋はかわいいんだから、自信持ちなさい!」
「その『かわいい』は褒め言葉じゃないよ……」
思わず苦笑いが漏れる。
家族の前だけは、こうして笑うことができた。
リビングへ降りると、お父さんはスマートフォンを片付けながら立ち上がる。
「よし、全員揃ったな。」
「今日は近くのファミレスでいい?」
「賛成ー!」
お姉ちゃんが元気よく手を挙げる。
「千尋は?」
「僕も、それでいいよ。」
家族四人で玄関を出る。
夏休みが終わったばかりの夕暮れ。
少しだけ涼しくなった風が頬を撫でる。
だけど、僕の視線は無意識に周囲を探していた。
同じ学校の生徒はいないか。
あの人たちはいないか。
そんなことばかり気になってしまう。
「千尋?」
「えっ?」
「どうしたの?」
「……ううん。なんでもない。」
そう笑ってみせる。
本当は、少しも平気なんかじゃなかった。
ーー帰宅後
夕食を食べ終えた僕は、リビングのソファでのんびりと過ごしていた。
スマートフォンを手に取り、お気に入りのプチプラコスメの新作情報を眺める。
「このリップかわいい……」
続いて、好きなブランドの新作もチェックする。
「このトップスもいいなぁ……」
学校にいる時とは違う。
こうして好きなものを見ている時間だけは、嫌なことを少しだけ忘れられた。
「千尋ー! 借りてた雑誌返すねー!」
「本棚に戻しといてー!」
「りょーかい!」
お姉ちゃんはそのまま2階へ上がっていく。
それから数分経った頃だろうかーー
「千尋ー!」
2階から、お姉ちゃんの声が聞こえてくる。
「ちょっと来てー!」
「え?」
何かあったのだろうか。
スマートフォンをテーブルへ置き、僕は慌てて2階へ向かった。
「どうしたの?」
部屋へ入ると、お姉ちゃんは机の前に立っていた。
開いていたノートパソコンを見て、僕の心臓が止まりそうになる。
「それ……」
外食へ行く前、確かに画面を閉じたはずだった。
なのに、今は開かれている。
「ごめんね」
お姉ちゃんは少し申し訳なさそうに笑う。
「スリープのままだったから、シャットダウンしておこうと思って開いちゃった。」
その視線は、画面へ向けられていた。
そこには、
『VTuber 始め方』
『スキルマルシェ』
『Live2Dモデル』
という文字が並んでいる。
「……千尋?」
お姉ちゃんはゆっくりと僕を振り返る。
「もしかしてだけどさ……」
少しだけ心配そうな表情になる。
「お姉ちゃんに、何か隠してることない?」
言葉が、喉の奥で止まった。




