16話 謝りに来たはずなのに
――その日の午後
僕とお姉ちゃんは、お母さんと一緒に昨日の配信を見返していた。
「ここ、もう少しハキハキ喋れるようになるといいわよ?」
お母さんは配信を見ながら、アドバイスをくれる。
「ここはもっと大胆に……」
「それはエロ売りにならない……?」
お姉ちゃんが眉をひそめている。
「大胆ってそういう意味じゃないわよ?」
一拍。
「動きのことよ!」
「あ、そっち」
「そっち以外に何があるのよ!!」
「いや、なんかこう――」
「それはあなたのイラストの中だけにしなさい!!」
「えー、でも需要あるよ?」
「需要の話はしてないの!」
「お姉ちゃん、何の話してるの……?」
「千尋は知らなくていいのよ」
「なんで!?」
「世の中には知らなくていいこともあるの」
「僕もう高校生なんだけど!?」
「千尋はそのままでいて」
「お姉ちゃんまで何なの!?」
お姉ちゃんは何故か僕の肩に手を置き、うんうんと頷いている。
「純粋な弟は世界の宝だから」
「意味分かんないよ!!」
「はいはい。話を戻すわよ」
お母さんは呆れたように言いながら、配信を少し巻き戻す。
「私が言っているのは、こういうところ」
画面の中では、白雪ゆの――僕が、コメントを読みながら小さく首を傾げていた。
「せっかく3Dモデルなんだから、もう少し身体を使って反応してもいいと思うの」
「身体を使って……」
「千尋、普段はもっと動いてるよ?」
「そうなの?」
「ツッコむ時とかすごいよ」
「全然自覚ないんだけど……」
「だから、無理に『配信してます』って意識しすぎない方がいいかもしれないわね」
「普段通りでいいってこと?」
「そういうこと」
「なるほど……」
僕は画面の中の自分を見つめる。
確かに。
昨日は楽しかったけど、初めての配信だったからかなり緊張していた。
次はもう少し自然に――。
ピンポーン。
「ん?」
突然、玄関のインターホンが鳴った。
「千尋出てもらっていい?」
「はーい」
僕はドアモニターまで向かう。
「誰だろ……」
そう呟きながら、画面を見る。
「っ!!」
一瞬で、身体が固まった。
忘れるはずがない。
画面に映っていたのは――。
「どうしたのー?」
お姉ちゃんが僕のことをじっと見つめる。
「ごめん! 僕、部屋に戻るね!!」
「えっ、千尋!?」
僕は逃げるように階段を駆け上がった。
「ちょっと、どうしたの!?」
お姉ちゃんの声が後ろから聞こえる。
だけど。
振り返る余裕なんてなかった。
自分の部屋へ飛び込み、ドアを閉める。
「はぁ……はぁ……」
心臓がうるさい。
ただ。
モニター越しに顔を見ただけなのに。
『女みたい』
『気持ち悪い』
嫌でも、あの声が頭の中に蘇ってくる。
「なんで……」
僕は震える手を胸元で握り締める。
「なんで、家にいるの……?」
――1階・リビング
「千尋、どうしたんだろ?」
「…………」
私は何かを察し、立ち上がる。
「どちらさまですか?」
ドアモニターの応答ボタンを押し、通話を始める。
『あの……自分、千尋のクラスメイトの佐々木大樹といいます』
「佐々木……?」
その名字を聞いて、すぐに思い出した。
学校から渡された資料。
そこに書かれていた名前の1つだ。
「……どういったご用件でしょうか?」
『その……』
モニターの向こうで、大樹君が言葉に詰まる。
すると――。
『突然押しかけてしまい、申し訳ありません』
今度は別の声が聞こえた。
『大樹の父です』
「…………」
『今回、息子が千尋君にしてしまったことについて、直接謝罪させていただきたく伺いました』
「謝罪……」
『はい』
私は一瞬、2階へ視線を向ける。
さっきの千尋の様子。
顔を見ただけで、あれだけ怯えていた。
「申し訳ありませんが、千尋は今、お会いできる状態ではありません」
『……はい』
『分かっています』
今度は、大樹君本人の声だった。
『俺……いや、僕が悪いんです』
「…………」
『だから、会ってもらえなくても当然だと思ってます』
だが――。
この時の私は既に、目の前の大樹君が全く申し訳ないと思っていないことに気付いていた。
……この子、全く反省していないわね。
私は真由に目で2階へ行くよう指示し、通話を続ける。
真由も何かを察したのか、小さく頷くと静かに階段を上っていった。
「佐々木君」
『はい』
「あなたは、何について謝りに来たの?」
『え?』
一瞬。
明らかに言葉に詰まった。
『それは……千尋君を虐めたことです』
「具体的には?」
『…………』
沈黙。
私は何も言わず、返事を待つ。
『女みたいって言ったり……』
「それから?」
『…………』
『気持ち悪いって言ったり……』
「それだけ?」
『いや……その……』
大樹君の視線が泳ぐ。
隣に立っている父親へ、助けを求めるように視線を向けた。
……やっぱり。
「お父様」
『はい』
「申し訳ありませんが、少しだけ大樹君本人とお話しさせていただけますか?」
『……分かりました』
「大樹君」
『はい……』
「もう1度聞くわね」
私は努めて穏やかな声で問いかける。
「あなたは今日、何をしに来たの?」
『だから……謝りに……』
「誰に言われて?」
『え?』
「学校?」
『…………』
「それとも、ご両親?」
『…………』
答えない。
いや。
答えられない、と言った方が正しいかもしれない。
「自分で謝りたいと思って来たの?」
『…………』
長い沈黙が続く。
そして――。
『……親に、謝ってこいって』
小さな声が聞こえた。
「そう」
やっぱり。
予想通りだった。
『でも!』
大樹君が慌てて声を上げる。
『ちゃんと悪かったとは思ってます!』
「何が悪かったと思ってる?」
『だから、虐めたことです!』
「どうして虐めたの?」
『…………』
また沈黙。
「千尋が何かした?」
『してないです……』
「あなたに嫌がらせをした?」
『してません……』
「だったら、どうして?」
『…………』
私は返事を待つ。
数秒。
十数秒。
やがて――。
『……なんか』
大樹君が、小さく呟いた。
『女みたいで……』
「…………」
『みんなも笑ってたから……』
その言葉を聞いた瞬間。
胸の奥に、冷たいものが走った。
「それで?」
『え?』
「女みたいだったから、虐めてもいいと思ったの?」
『いや、そういう意味じゃ……』
「じゃあ、どういう意味?」
『…………』
答えは返ってこなかった。
私は小さく息を吐く。
「佐々木君」
『……はい』
「あなたは今、自分がしたことを悪かったと思っているんじゃない」
『え……』
「問題になったことを、悪かったと思っているだけよ」
『…………』
モニター越しでも分かるほど、大樹君の表情が強張った。
「停学になった」
「学校からご両親に連絡された」
「千尋の両親が警察への相談まで考えていると聞いた」
「だから怖くなった」
『…………』
「違う?」
『それは……』
「本当に千尋を傷つけたことを後悔しているなら、私が『具体的に何をしたの?』と聞いた時に、あんなに答えに詰まらないと思うわ」
『…………』
大樹君は俯いた。
「それにね」
一拍。
「私個人としても、あなたを千尋に会わせたくないし、あなたが全く反省していないことだって今のやり取りだけでも十分分かるわ」
『…………』
大樹君は何も答えない。
「それにあなたが、あの日先生から指導された後、千尋になんて言ったか覚えているわよね?」
『…………』
大樹君の顔が強張る。
「覚えているわよね?」
『……はい』
「なら、自分の口で言って」
『…………』
「どうしたの?」
『それは……』
「言えない?」
『…………』
さっきまで以上に長い沈黙が続く。
私は何も言わない。
ただ、大樹君が自分から答えるのを待つ。
だが、いくら待っても彼から答えは出てこない。
「あなたが言わないなら私が代わりに教えるわ」
『ちょっと待って――』
「『お前さ、そんなに女みてぇな顔してるんだから、VTuberでもやれよ』」
一拍。
「そう言ったそうね?」
さらに一拍。
「その後に『そこで稼いだ金、全部俺たちに持ってこい』とも」
『…………』
大樹君の顔から、完全に血の気が引いた。
隣に立っているお父様も――。
『……大樹?』
先ほどまでとは明らかに違う声だった。
『なんだよ、それ』
『…………』
『父さん、そんな話聞いてないぞ』
『…………』
『お前、千尋君から金を取ろうとしたのか?』
『いや……』
『いや、じゃない!』
『っ!』
ドアモニターのスピーカー越しに、怒鳴り声が響く。
『学校からは、容姿をからかったことや暴言については聞いていました』
お父様がこちらへ向き直る。
『ですが……金銭を要求していたことまでは……』
「学校側も把握しています」
『え……?』
「千尋本人からの聞き取りで、学校には全て話しています」
『では、どうして私たちには……』
「内容があまりにも酷いため、学校側も慎重に対応しているのでしょうね」
『…………』
『……そう、ですか』
お父様は呆然とした様子で大樹君を見る。
「佐々木君」
『…………』
「あなた、さっき言ったわよね?」
『……何を、ですか』
「『ちゃんと悪かったとは思ってます』って」
『…………』
「だったら、どうしてこれを自分から言わなかったの?」
『…………』
「忘れていた?」
『…………』
「違うわよね?」
大樹君は俯いたまま、何も答えない。
「言ったら、自分がもっと不利になると思ったからでしょう?」
『…………』
沈黙。
それだけで十分だった。
「あなたは謝りに来たんじゃない」
私は静かに言う。
「許してもらいに来たのよ」
『……え?』
「謝ったという事実を作って、停学を早く終わらせたい」
「警察にも相談されたくない」
「だから、とりあえず頭を下げれば何とかなると思った」
『違っ――』
「だったら」
私は言葉を遮る。
「どうして、自分がしたことを隠すの?」
『…………』
また。
答えは返ってこなかった。
「それに――」
私は一度、2階へ視線を向ける。
「あなたが言った通り、千尋はVTuberを始めたわ」
『え……?』
大樹君が顔を上げた。
「でもね」
一拍。
「それは、あなたのおかげじゃない」
『…………』
「真由が千尋の気持ちを聞いて」
「夫がモデルを作って」
「私たち家族で、千尋がやりたいと思えるところまで支えたの」
『…………』
「昨日、あの子は初めて配信をした」
「とても楽しそうだったわ」
私は自然と、少しだけ笑みを浮かべていた。
「配信が終わったあとも、またやりたいって言ってた」
『…………』
「だから私は、千尋がVTuberを始めたこと自体は良かったと思ってる」
一拍。
「でも――」
声から笑みが消える。
「それで、あなたたちが千尋にしたことまで良かったことにはならない」
『…………』
「結果的に千尋が前を向けたからって、傷つけた側の責任がなくなるわけじゃないの」
『…………』
大樹君は何も言わない。
「それから」
私はもう1つ。
どうしても確認しておかなければならないことを口にする。
「『稼いだ金を全部持ってこい』」
『…………』
「これは冗談だった?」
『……はい』
「本当に?」
『…………』
「その場のノリで言っただけ?」
『……そう、です』
「そう」
私は静かに頷く。
「なら、そのことも含めて学校と改めて確認しましょう」
『え……』
「千尋から聞いている話と、あなたの話」
「他の生徒からの聞き取り」
「全部照らし合わせた上でね」
『…………』
「私は今ここで、あなたの言葉だけを信じるつもりはないわ」
『…………』
大樹君は俯いた。
すると――。
『帰るぞ、大樹』
お父様が低い声で言った。
『……え?』
『今日は謝罪なんてできる状態じゃない』
『でも――』
『帰るぞ』
『…………』
大樹君は、それ以上何も言わなかった。
お父様はこちらへ向き直ると、深く頭を下げる。
『白石さん』
「はい」
『本当に申し訳ありませんでした』
『今日のところは、これで失礼します』
「分かりました」
『息子とは――』
お父様は一瞬、大樹君を見る。
『もう1度、最初から話をします』
「お願いします」
『……失礼します』
通話が切れる。
モニターの向こうで、2人が離れていく。
「…………」
私はその姿が見えなくなるまで見届けた。
そして。
完全に見えなくなったところで、大きく息を吐く。
「……さて」
私は2階へ視線を向けた。
今度は――。
千尋のところへ行かないと。




