014 月花が消えた日
翌朝、季流の姿はどこにもなかった。
よくある事だった。
月花と花月は両親の部屋に出向き父に聞いた。
その時に母の姿は無かった。
「ねぇ、兄さんはどこに行ったの? 父さんは知っている?」
「季流なら、昨日の深夜、急な仕事があるからと言って家から出て行ったよ」
「えー、一緒に鬼ごっこする約束したのにー」
兄はよくお仕事で家にいないことが多い。
久しぶりに会えたと思ったら、またこれだった。
昔はそんなことはなかったのに。
花月はそんなことを考えていた。
「季流もいろいろ仕事で忙しいからね。許してやって二人とも」
「兄さんは何か隠している気がするんだよね。二年前にあった葬式以来なんだか兄さんは変わった気がするから。その時からよく家を空けるようになったし」
確かにそんな気がする。
あの日からお兄さまは変わった。
あまり家に寄り付かなくなった。
あまり笑顔を見せなくなった。
二年前の葬式の日、それは雪野という男の子を見た日の事だ。
その男の子の姉が亡くなって、その葬儀が行われた。
そして、大人たちは……
それに兄は……
花月はあの日の怖い夢も含めて思い返していた。
「まあ、分からくもないが、それは考え過ぎなんじゃないのかい? ちょうどあのときは季流も大人の仲間入りする時期だったから……[JHSA]に所属しだして、自立していった時期だったから仕事で精一杯になったんだと思うよ」
「そうかなぁ?」
月花がそう言ったように花月も同様に疑問に思った。
「それに男の子なんてそういうもんだよ。大人になれば家を出て自分の知らない世界に足を踏み入れたくなるものなんだ。お父さんもそうだったからね」
「え、父さんも」
「まあ、そのせいでいろいろあったんだけどね」
「いろいろって?」
「おきて違反である海外に出るという行為をしたせいで夏川家の外には、よっぽどの理由がない限り出てはいけなくなったし」
「ああ、それで父さんは東京にまで私たちを迎えにこなかったのか、毎回」
「うん、そうなんだよ。だから紫に代わりに迎えに行ってもらってるんだ」
「そうだったんだ」
父はその後に言った。
「まあ、季流の事はそんなに気にしなくてもいいよ。もしなにかあったとしても本人も詮索されるのも嫌そうだし」
「そうだとしてもだよ。家族なんだし、なんか……気になるよ。兄さんはなぜ私たちを放っておくようになったのかな。私たちの事嫌いになったのかな?」
「そんなわけないじゃないか。きっと季流は今、何かをがんばっているんだ。それで私たち家族の事にあまり関わってられない。でも心のそこでは君たちの事を思っているんだよ」
「そうかな?」
「そうだとも。だって昨日だって君たちに絵本を読んであげていたでしょ。それは季流なりの変わらない愛情表現だよ。ちゃーんと、月花と花月の事を思っているんだからね。信じてあげてね」
「うん」
月花が言うのと同時に花月も頷く。
すると、父は何かを思いついたように、こう言った。
「ああ、そうだ! 二人ともこういうのはどうかな? 季流に向けて不満や嫌な所を含めて、自分の気持ちを手紙で伝えるっていうのは」
「それいいね」
「でしょでしょ。これで季流ももしかしたら、お仕事をがんばり過ぎず、二人の気持ちを考えて家にいっぱい来てくれるかもしれないね」
「だといいなー。花月もいいと思うよね」
「うん、いいと思うよ」
お兄さまは、お父さまが言うようにお仕事を頑張りすぎているだけなんかもしれない。
だから、手紙によってお疲れさまと伝えたい。
そして、がんばりすぎないでとも伝えたい。
他にも、いろいろ伝えたいことがあった。
「それじゃあ、決まりだね。二人とも手紙を書いてきなさい」
「はーい」
「分かりました。お父さま」
この後二人は、自分達の部屋に戻り、お絵かき用の紙に気持ちをつづっていった。
「花月、書けた?」
「うん。書けたよ。月花は?」
「私も書けたよ。花月はなんて書いたの?」
「えっと、それは秘密だよ。月花こそなんて書いたの?」
「私も秘密~! ねえ、兄さんがきたら一緒に読もうよ」
「うん。それがいいね」
そういう事で、二人の手紙は共に使っている長机の引き出しに入れておいた。
「早く、兄さん。来ないかな~」
「そうだね。早く来るといいね」
「ねえ、花月。兄さんはいないけど、鬼ごっこでもしようか」
「えっと……」
「ん?」
「ちょっと今日も勉強しようかな?」
「花月、どうしたの? 最近の花月はおかしいよ。前と違って私のいう事聞かなくなったし……なになに反抗期?」
花月はそう言われ、ぶんぶん首を振った。
「違う」
「それじゃあ、どうしたの?」
「私は……これから月花の後についていくのはやめにするよ」
「それはなんで?」
月花は静かに微笑みながら問いかけた。
「月花は私と違って、何でもできるからいいけど私はできない。私はそれが嫌なの」
「それは仕方がないじゃん。花月は怪力なんだから、誰かが手をかさないとやっていけないじゃん」
「それだけじゃないと思う。私は月花に頼らなくていいことまで月花にやらせているんだ。だからそれをなくしたいんです」
「それって、私と離れることに関係あるの?」
「あるよ。だって、月花は私を守ろうとなるべく一緒にいてくれようとしているでしょ。それが嫌なの」
「私は花月といたいからいるのであって、守っているっていう気は全くないよ。だから別に一緒にはいていいでしょ。いさせてよ。私が寂しいからさ」
月花はまたそうやって、私を気遣って……
「月花がそんなんだから、私はいつまでも自立できないんです」
「私のせいって言いたいの、花月は」
月花の表情がその瞬間、険しくなった。
それに気づきつつ、花月は続けた。
「そうだよ。私はバカだから。勉強もできないし、何もできないし……私は月花の足手まといだ。まるで寄生虫らしいんです」
月花は一瞬肩を落とし、呆れた様子を見せた。
「……それ誰に言われたの?」
「……」
花月は何も言わず、下を向いた。
思い出すだけでもなんだか悲しくなるのだ。
そんな花月の様子に月花はその答えをあてた。
「華憐、間守華憐に言われた事を気にしてるの?」
花月は動揺しながら、こう言った。
「誰でもいい。私は気づいてしまったから。自覚してしまったから。私は月花とこれ以上は一緒にいてはいけないの。もっと一人で何でもできるようになりたいの」
「そうか、ごめんね。花月にそう思わせるほど私は花月にくっついてばかりなのかな? それで私と一緒にいるのはもう嫌になった?」
「そうじゃない。いやとかじゃないよ。私が全て悪いの。だから一人でも何とかできるようになりたいの」
「なら、そんなこと気にしなくていいじゃん」
「気にします。気にしないといけない気がするんです!」
「花月は分からずやだな。意外と頑固なんだよね、昔から言い出すと」
「月花、私は真剣です。真剣にこのままでいいのかと思っているの」
「そんな小さなこと気にして花月はバカだよ。ほんとバカ!」
「小さなことって……私のとっては重大です。それを月花はバカにするんですか?」
「だってそうでしょ。花月はあんな華憐なんかの言うこと気にして、私のいう事は信じられないんでしょ。ほんとバッカみたい」
「私はバカなんかじゃないです!」
「さっき自分で、バカって言っていたじゃん。ほんと花月ってバカだよね~」
「つ、月花なんて大っ嫌い!」
花月はそのまま月花から踵返し、その場から逃げた。
「あ、花月!……あっちゃー、言い過ぎちゃったか……」
一人になった月花は呟いた。
そしてその後、部屋を出て行った花月を追いかけた。
「花月、待って!」
花月はその頃、玄関で靴を履き替え、外へと出た。
それを見てもう後ろについてきた月花も靴を履き替える。
花月は森へと向かって、月花から逃げた。
同じ速さぐらいで追いかけてくる月花は楽しそうにこんなことを言う。
「花月、まるで二人で鬼ごっこしているみたいだね」
そんな態度が花月をさらにイラたたせる。
「む~」
「いつもは一緒に鬼から逃げきれていたから気にもしていなかったけど、私と花月どっちが逃げるの得意かな~」
「知らない。どっちでもいいです!」
花月は全力で木々をかき分け走った。
それでも、月花は花月から離れてはくれなかった。
「そうだね。どっちでもいいね……どっちでのいいんだよ。勝ち負け、違いを気にしなくていいんだよ。人それぞれなんだから。花月は花月でいいんだ」
後ろから月花の、私を説得しようとしている声が聞こえる。
そんなこと……聞かない。
森、奥の方まで花月は耳を抑えながら走った。
すると前方には突然、地面が無くなり、崖が見えた。
花月は寸前のところで足を止めた。
逃げられない……
花月は振り返り、すでに自分に追いついた月花を見る。
「花月、もう逃げられないよ~」
「近づかないで、近づかないで、近づかないで!」
花月は追いつめられ、そう叫んだ。
「もう、そんなにわめいちゃだめだよ。花月らしくない」
そう言って、月花は足を花月へと詰めた。
すると、
「月花のバカ! バカバカバカバカ! もう大っ嫌い! 大っ嫌い、大っ嫌い、大っ嫌い!」
花月の足も後方へと動いた。
瞬間だった。
「あっ……!?」
花月は足を崩し、そのままがけ下へと落ちていく。
花月は自分の身が今、危ないことに気づくと同時に、月花が花月の方に向けて手を伸ばし体ごと覆いかぶさる姿を見ていた。
だめ、月花……
まるでスローモーションのように時間は進み、花月が目をつぶった瞬間には二人は地面に叩きつけられていた。
なぜかそれほど痛みはなかった。
花月は目が覚めた。
すると、
「え……」
そこには、花月の下敷きになるようにして横たわっている月花の姿があった。
「月花……なんで……」
月花の頭からは血が流れており、地面には大きな岩がめり込まれれていた。
花月はすぐ月花からおり、月花の意識があるか確認する。
「月花! 月花、月花! 起きてよ月花!」
そう呼びかけると、月花は、
「花、月……」
目を開けた。
「月花、大丈夫?」
「うん……へい、き……だよ。花月、つーか、まえた……」
全然平気そうには見えなかった。
そんな弱弱しい声に花月は不安でたまらなかった。
「月花……なんで? なんでなの? どうして私をかばったりしたの? そんな事したら死んじゃうよ……うう、あ……」
花月は泣きだしていた。
心配の涙、また自分は月花の足手まといになってしまったという、後悔の涙だった。
月花は花月に薄く微笑みかけて、花月が言った問いに答えた。
「あたり、まえでしょ……だって、私は……花月のお姉ちゃん、だもん……」
「月花……」
その瞬間、月花は意識を失うように目を閉じた。
え……
うそ……
花月の心の中に冷ややかな寒気が走った。
「月花!? 月花! 月花!」
花月はその後、なんどもなんども月花の名を呼んだ。
しかし目覚めなくて……
月花が死んだという事を理解したのは、数時間後、季流が花月の鳴き声、喚き声、悲痛の声を聞いて助けに来た夕方時だった。
「花月……月花は、もう亡くなっています」
「……」
いや、花月は季流が来る前に気づいていた。
だから、泣きわめいたのだ。
こんな悲しい感情を受け入れることができなくて、月花が死んだ事実を受け止められなくて、気持ちが溢れかえってしまったのだ。
兄から、月花の死を告げられた時、花月は……
「い、いや! いやぁああああああああ!」
そう叫び、その後も泣きじゃくった。
次第に、意識はいつの間か途絶えていた。
こうして、花月は表情を失い笑えなくなった。
月花の葬式はいつのまにか過ぎていた。
花月は時間の経過を早くもなく遅くもなくただぼんやりと見ていた。
まるで、テレビの映像のように、気づいた時には次の日が来ていた。
月花とのお別れは、ちゃんとできなかったことだけは覚えている。
彼女の死体をもう一度、見た葬式の日。
その時はもう動かない月花の顔を見ただけで、涙があふれてきた。
「月花! 月花! ぅあ、あぁあああああああ!」
自分のせいであんなことになった。
自分さえ、いなければあんなことにならなかった。
私はどこまでも月花の足手まといなんだ。
夕飯時、机に座った花月に父は言った。
「花月、今日のご飯はお前の好きな焼肉だよ。おいしいよ~」
「はい……お父さま。おいしそうですね……」
そう言いながら、ひどく感情が希薄な花月がいた。
そして、出された料理を一口、また一口とゆっくり食べる彼女の姿。
何日もご飯を食べない日が続いていたため家族はそれに安堵する。
だが、無表情のまま静かに涙がこぼれる。
私は今、何をしている?
隣にはもう月花はいない。
一緒にご飯を食べられない。
自分が殺した。殺してしまった……自分のせいで……
月花を殺しておいて、自分一人だけのうのうと生き残って、おいしいご飯を家族と囲んで食べている。そんな自分がいる。
そんなのだめだ。そんな自分だけが幸せになるなんてだめなんだ……
「花月……」
そう呟く母に、こちらを心配そうな目で見つめてくる祖父や祖母たち。
月花の事を思い出しては涙する花月に、父は彼女を抱きしめた。
「大丈夫、大丈夫だよ。花月」
私はみんなを心配させてしまう。
このままではだめだ。
でも……今は何もできないよ……
どうする事も出来ないよ……




