009 木の上で語りかける【月花】、雪の上で花月と仲直り
この周辺一体は木々に覆われている自然な場所だった。
彼女は数メートル先で雪野の姿を見てクスクス笑っていた。
「鬼さん、こちら! 追いつけるものなら追いついてみろ~」
雪野をあおるようにそんなことを言ってくる。
とても花月が言うような言葉ではなかった。
「いったい何なんだ……」
雪野は走った。
最近は走ることなく家に引きこもっていたものだからひどく息が上がる。
すると、【月花】は次第に雪野の目の前から姿を消した。
「どこ行ったんだ……」
雪野は途中から走ることをやめてその場で歩きだした。
足はとても冷たかった。
それは彼女も同じだろう。
雪野は足を手でさすりながら、こう呟いた。
「本当にどこに行ったんだ……赤い服を着ているからすぐ見つけられると思うのだけど……」
雪野は雪に残っている足跡を見た。
「あ、その手があったか」
雪野はその足跡を追って、再び走り出した。
すると待ち構えていたように、【月花】は木の根っこの方に突っ立っていた。
「遅いよ、雪のん。おかげで冷えてきたじゃん」
「知らないよ。そんなこと……それより人形返して!」
「人形は返さないよーだ。こうなったのは全て、雪のんのせいだからね。花月の気持ちを考えないあんたが招いたことだ」
そう言われて、雪野は心がずきんと痛む。
「……そうかもしれないね」
「なに、分かってるんだ」
【月花】はそう呟いた後、また走り出した。
「え、また走るの?」
雪野がもう少しで追いつこうとした時だった。
「バーカ、ここまでおーいで」
「待ってって、逃げないで……」
そう言った時、【月花】はある一本の木の前で止まるとそのまま木の上まで登っていった。
「え、次は木登り……?」
雪野は何とか木の根元まで追いついた。
そこから、木に登れる自信はなかった。
「ほら、どうしたここまでおいでよ~鬼さん。人質はここですよ~」
【月花】はそう言いながら、木の先端にぶら下がるようにして、雪野を上から見ていた。
その時に、人形を片手に手を枝から離していた。
「危ないよ、降りてきてよ。全部僕が悪かったから……その事は分かっているから。そのことを謝らせてよ、花月」
「私は花月じゃないよ。雪のん。私は【月花】っていうんだ」
「そ、それって……」
どういう事?
そう聞こうとした。
しかしその前に、【月花】という女の子は言い放った。
「私は花月に害をなす奴は絶対許さないんだからね。そして、お前は花月にとって、ダメな奴だ。消えろ。もう花月に近づくな!」
そんな事を言ってくる【月花】に雪野は黙り込む。
「あれ~どうしたの~? 何か言い返さないの、雪のん? 分かったんならちゃんと返事してよ。分かったの? 分からないの? 私は花月に近づくなと言っているの……」
【月花】という少女の声に雪野はそこで声をあげた。
「そんなこと自分が一番分かっているよ! だから、近づくなといった。僕に関わってほしくないんだ。花月は大事な女の子だから……紅葉亭の人たちの、僕に優しくしてくれた人たちの大事な子だから。だから自分なんかのそばにいてほしくないんだ!」
雪野はその場で下を向いた。そしてしばらくそのままじっとしていた。
「あれ……泣かせちゃった? おーい、雪のん。ちょっと……さっきまでのはちょっとした洗礼だから。私のおふざけだから、なにも泣かなくても……」
そこで雪野は、口を開いた。
「なぜ、お前が突然、そんな風に変貌したのか分からない。けど、僕のせいだよね。僕が近づかないでといったからだよね。本当にごめん、ごめんね」
「雪のん、これはそのー、違うんだよ。いや、あっているんだけど……」
雪野は続けた。
「今すぐ戻ってきてよ。また、僕に関わっていいから。本当は関わっていてほしかったんだ」
「雪のん……」
【月花】は木の上から、じーっと雪野を見つめた。
「でも、それが怖くて、怖くて仕方ない。楽しい事が幸せなことが怖い。こんな自分なんかがそんな事味わっていいのかと思ってしまう。自分は不幸じゃいけないと思ってしまう。だって、自分はもう……もう罪人だから……だから……君に関わる資格なんてない」
そこまで言い切った雪野。
それに、【月花】は……
「雪のんは、バッカじゃないの?」
「え……」
「あなたの未来はこれからなの。生きているからできることもあるの。あなたは今、無駄に生きている。それでは何の罰にもなっていない。ただ自分の悲しみに浸っているだけ」
「……」
「それでいいの? 本当に苦しむなら、苦しみたいなら、幸せの中であがけ! 今のあなたは中途半端で周りを巻き込んでまるで疫病神なんだ」
そうなのかもしれないと思った。
でも……
「分からないんだ。自分でもどうしたらいいか分からないんだ」
「兄さんは言っていたはずだ。それに花月も言っていたはずだよ」
「なにを?」
そう聞く雪野に【月花】は一度ため息をついた。
「はあ……笑う事をやめないで、雪のん。それは周りを幸せにする魔法だから。みんなを笑顔にする魔法だから。そして、それとは反対に、あなたが笑えないとなると、悲しんでいると、周りを悲しませたり、暗い雰囲気にさせちゃったりしてしまうってことだよ。意味分かるよね?」
「うん……」
「それが分かるなら、後は簡単でしょ。雪のんは笑うべきだ。人とどんどん関わるべきだ。それが例え、怖い事だとしてもだよ。あなたの幸せを誰も望んでいないわけはない。むしろあなたの幸せをみんな望んでいる。少なくとも私の自慢の家族はそう思っている。雪のんはもう知っているよね。彼らが優しいことを」
「ああ……」
「あなたは罪になんてとらわれる必要は、本当はない。自分であると思い込んでいるの」
「だって……」
「だってじゃない。罪は誰かに決められた者じゃない。自分でそう決めつけたものなんだ。そして、雪のんはそれで苦しんでる。いいよ、苦しんでも。雪のんはそう思えるだけでちゃんといい男の子なんだ。何とも思わない、罪悪感を持たない人間なんて私は嫌いだからね」
「……」
まるで、自分の事を何でも知っているかのように語る少女。
その物言いは誰かに似ていた。
そう、それはまるで季流お兄さんのようであった。
それに雪野は何も言えなくなっていた。
「雪のんが雪のんで、私はよかったと思うよ。でもそれで空回りしていちゃいけないよ。ちゃんと、地に足をつけて歩き出せ。たとえこの先、誰かが雪のんを否定しても花月たちはきっとあなたの味方だから」
「……」
花月たち……それは紅葉亭の人たちを指すのだろう。
そして、【月花】は言う。
「どうか、花月の事を信じてあげて。そしてもっと彼女の感情を見るようにしてあげて」
【月花】はお願いするように言ってくる。
それに雪野は、彼女は花月を大切に思っているんだなと感じた。
いったい、花月の体に乗り移ったかのように現れた【月花】という存在は何なのだろう。
「分かったよ。君の言うとおりにするよ……」
「そうそう。素直にね。雪のんはみんなの言う事を聞いていればいいと思うよ。たぶんね」
「たぶんか……」
「みんながいう事は雪のんにしてほしい事だと思うから」
「なるほどね……」
雪野は納得する。
みんなはただ自分を慰めるだけに優しい言葉をかけているんじゃない。
自分に元気になってほしいのだ。
ただ、それだけなのかもしれない。
そして、それに自分は答える。
それが、いいのであろうかと考えた。
答えはやはり見つからないけど、
「君と話せてなんだか、心がすっきりしたよ。ありがとう……」
雪野は思ったことを口に出した。
「うん。これから花月と同様よろしく~」
あの雪野を言い聞かせるための演説から、今のその軽い口調に変わって、雪野は戸惑いながら返事した。
「う、うん……」
「雪のん、言っておかなければいけないことがあるんだけどいい?」
「うん、なに?」
「私の存在は、花月は知らない。兄さんも、父さんも、母さんも、みんなこのことは秘密にしているから、花月には絶対に私の事は言わないでほしいの。分かった?」
「分かったけど、どうして?」
「それは花月にとって私はあの子の傷をこじあける元だから……」
彼女は言いよどむ。
花月の傷……それはいったい……
「それでまだ雪のんには、言っていなかったけど、私は花月の……ううっ……」
「ん? どかしたの?」
「えっと、なんだろ……意識が……」
突然とよろよろと木の上でふらつきだす【月花】に雪野は慌てる。
「え、え!?」
そして、【月花】は次の瞬間こんなことを言った。
「あれ……そろそろ時間、ぎ、れ……落ちる……」
そんな声が聞こえた。
え……なんか嫌な予感が……
「ちょ、ちょっと、今度はどうし……」
その瞬間、彼女の頭はがくんと垂れ下がる。
「あ、危ない!」
そして、彼女の体はその途端落下した。
「うわぁ!」
雪野は彼女を受け止めようと、雪上でおぼつかない足を速めた。
そして、倒れ込みながらも花月の体は雪がクッションになったおかげで助かった。
意識がない花月、雪野はその時……
唇に感じる違和感。
ふっくらとした温かい感触。
今、雪野は花月の唇に自分の唇が触れていた。
え~~~!?
それを認識した雪野は急いで、花月を自分から離した。
それから、
「おーい。あの……」
花月に呼び掛けて、意識があるか確かめた。
すると、少したつと……
「あれ、どうして私、こんなところで……」
花月は自分の下にいる雪野の姿を見ると、青ざめたように慌てて言った。
「雪野さん、すみません!」
どうやら、これは【月花】ではない。
花月の意識が戻って来たようだ。
「私、雪野さんに関わらないといっておきながら、雪野さんに触れてしまいました。ごめんなさい」
そう言って花月は雪野からよけ、少し遠くの木の方へと移動する。
そしてこちらをじーっと眺めている。
「あ、いや、もういいんだよ。花月……そのことはもうなしで……」
「え……」
首を傾げる花月に、雪野は言った。
「その、ごめんね。僕はお前に八つ当たりしていたらしい。そのことはお兄さんに言われるまで気づかなかった。僕はお前にひどいことを言ってしまった。本当にごめん」
「雪野さん、そんな謝らないでください」
雪野は花月の声を聞きつつ続けた。
「僕は、本当は君に関わってほしいんだ。でも同時それを恐れていた。だから、ああ言ってしまったんだ。嫌いだって言ったのも嘘だよ。本当はそんなことないんだ」
「雪野さん、それは本当ですか?」
花月は、一歩足を踏み出して言った。
「もし本当ならば、私は嬉しいです。私は雪野さんのそばにいたいです。婚約者として私は、例え誰かが反対しようとも雪野さんのそばにいます。これは私の意思です。雪野さんはそれを信じてくれますか?」
【月花】は言っていた。
自分は、周りのいう事を聞いていればいいのだと。
そして花月を信じてほしいと言っていた。
だから、花月が今言った言葉を信じよう。
信じることは難しいことだけど……
「うん」
雪野は静かに頷いた。
「よかったです」
この際だから、言っておこう。
「花月、本当に僕のそばにいてくれるのか? 怖がらずにいてくれるのか?」
「はい」
自分の気持ちを外に出して、
「僕は人形に呪われて、いつまた人を殺すか分からないんだぞ。それでもいてくれるのか?」
「はい」
彼女に伝えよう。
それはひどく身勝手な言葉だけど……
「お前は僕の全てを受け入れてくれるのか?」
雪野はそう聞いた。
すると花月は雪野をしっかりと見て答えた。
「はい、雪野さん。あなたの全てを受け入れます」
彼女は雪野の元へとかけ、彼に抱き着いた。
「私は雪野さんの婚約者ですから」
彼女はやはりそれを言う。
でも雪野はそれでもいいと思った。
彼女は根っからのバカなのだ。
「うん」
雪野は花月を抱きとめ、それから言う。
「これで、仲直りってことでいいんだよね」
「はい、仲直りです」
彼女の表情は微妙な変化を見せ、微笑んでいた。
雪野はそれにほっとして、胸をなでおろした。
「花月、それより怪我はしていないか?」
「え、なんでですか?」
「なんでって、木から落ちて……」
ふと、【月花】に言われた事を思い出した。
もしかして……花月はさっきまでの事を覚えていない、のか。
だから、【月花】は自分のことを花月に知られてはいけないと言った。
「……」
いつまでも、喋らずにいる雪野に花月はある疑問を投げかけた。
「それより、雪野さん。どうして私はこんなところにいるのでしょうか?」
「え……」
花月は自分の中の【月花】の存在に気づいていない。
だから言われた通り【月花】の事を花月にいう事はできなかった。
雪野は適当に答えた。
「えっと、お前は……いきなりはだしのまま雪の上を走り出してここまで来た感じで……僕にもさっぱり状況は理解できていないんだけど」
「そうですか……」
こんな感じの言い方でよかったのだろうか?
【月花】の存在の事は言っていない。
それでいいのだろうか?
「あはは……とりあえず戻ろうか。足もだいぶ冷えて着物一枚で寒いし、このままだと二人で風邪をひきそうだ」
ごまかすように雪野はそう言った。
「そうですね」
その場に落ちていた人形を腰紐へとひっかけ歩き出した雪野。
花月は急いで雪野を追いかけ彼の手をつないだ。
「あ、」
雪野は花月に引っ張られるようにして駆け出し、家の方へと向かっていった。




