008 流れる彼女の涙に僕は後悔した
しばらくしての事だった。
雪野の部屋の襖がそっと開いた。
音がしたので雪野はまた、花月が来たのかと思い、
「花月か、また!」
振り返ると、そこには……
「いえ、私ですよ。雪野くん」
季流が目の前に立っていた。
「季流、お兄さん……帰っていたんですね」
「はい。任務帰りにちょっと寄りました。今日は泊まっていこうかと思います」
任務とは何なのだろう。
彼はどんな仕事をしているのだろうか、と雪野は思った。
「あの、聞いたんですけど、お兄さんが夏川家の本家にいっていろいろしてくれたって、だから僕は無視されずにすんでいるって……」
「あー、その事ですか。なに、対した事はしてませんよ」
「あの、ありがとうございます」
「いえ、いいんですよ」
季流はそっと、雪野の近くにより顔をまじまじと見めてくる。
「あの、お兄さん、どうしたんですか?」
「ふむ、顔色はまだよくないようですが、三日前きた時よりはましなようですね」
「はあ……」
「この頃、悪夢の方はどうですか? あれが雪野くんを苦しめる原因でもありますよね。前と変わりありませんか?」
「実は、悪夢を見ない方法が見つかって、朝方に寝る事によって悪夢は抑えられました」
「夜は人の不安をあおる時間帯で【変物】がより活発化しますからね。その人形の力も強くなるのかもしれませんね」
「そうなんですか。あの、【変物】とは?」
「【変物】とは、【化け物】や【幽霊】などの異形な物たちを総称して呼ばれる、私が働く[JHSA]の専門用語です」
またよく分からない単語が出た。
雪野は首を傾げた。
「[JHSA]?」
「日本怪奇現象専門機関の略ですよ。主に【変物】に関わる仕事にたずさわり、祓い屋はその機関から依頼を受け取りそれに通じて【変物】などによる問題を解決していきます」
「そうなんですか」
「実は私、祓い屋なんですよ。いずれ雪野くんにも祓い屋として任務を付き合ってもらうことになると思いますので心して待っていてください」
「え……」
それって、また危険なことを任されるってことだろうか。
【化け物】と関わるのは、蓮たちと一緒にいる時だけで十分だ。
ここ夏川家の領地では【化け物】……【変物】の姿は見受けられない。
木崎家と同じように敷地の周りに結界でも張っているのだろう。
だから、雪野は紅葉亭に来てから、【変物】に出くわすことなく安全に暮らせていた。
また、危険な目にあうのは嫌だな……
雪野がそんなことを思っていると、
「それより、聞きたいことがあるんですが、花月と何かあったんですか?」
季流は唐突になぜかそんなことを聞いてくる。
「えっと……なんでですか?」
「それは……」
季流はちらっと目を後ろの方へと向け、
「花月が先ほどから襖の奥でうずくまっているんですが、どういうことなんですか?」
そう言った。
「え……」
「父さんからそれなりに仲良くなったと聞いていたんですが……」
雪野は歩き出し部屋を出て、そっと襖の裏を覗いた。
そこには、おどおどした花月の姿があった。
「花月……」
「雪野さん……」
二人はお互いに名を呼び、顔をそらした。
「二人とも、何があったんですか?」
「別になにも、ないですよ」
「そうです。お兄さま。雪野さんが言う通り何もないんです」
「ウソは言わないでください。二人とも。状況を見ればなんとなく分かります。で、何があったんですか? 花月はどうしてそうしているんですか?」
季流の問いに、雪野も花月に聞いた。
「花月、お前なにしてるんだ……?」
「雪野さんが嫌がることは、私はしませんよ。だからここにいるんです。雪野さんがそれを望むのなら……」
「それはどういうことですか?」
季流は睨むように雪野の方を見た。
「それは……」
「雪野さんはなにも悪くありません。お兄さま。ただ私がいけないんです。私は雪野さんに迷惑をかけてばかりなんです」
もう、なんなんだよ。
もう、なんなんだよ。
「もう……なんなんだよ!」
「雪野くん……?」
「なんで? なんで花月は僕に付きまとうの? そうやって、僕が言ったことも守って、隠れてまでなんで僕に関わろうとするの?」
「それは……雪野さんが私の婚約者だからです」
「それだけ?」
「え、はい。それだけですが……」
「またそれかよ。お前しつこいよ。いい加減分かってほしいんだけど……」
「雪野さん?」
「雪野くん……?」
状況が読めない季流は眉をひそめた。
「お前は、親に言われているから僕に付きまとうんだろう? だから毎回婚約者だからとか言って、自分の意思はそこにない。そうなんだろ?」
「そんなことはありません。私は自分の意思で……」
雪野は花月の言葉をさえぎって言った。
「僕はお前を見ていると、なんだかイラつくんだよ!」
「雪野くん落ち着きなさい!」
季流は声をあげて怒りをあらわにする雪野に言葉をかけた。
その時、花月はそっと恐れるように、雪野にこう聞いてきた。
「雪野さんは……私の事は嫌いですか?」
「え……嫌いって……」
「どうなんですか? 答えてください。もし嫌いならもう近づきません。雪野さんが困ることはしません。だから答えてください……」
別に嫌いとかではなかった。
正直、面倒な子だなとは思うけど、嫌な子ではなかった。
雪野はそれを知っている。
優しい子なのだと。
そして、少し天然なところもあるそんな女の子だってことは分かっている。
だから自分なんかを気にせずにいられることも……だから……
雪野はこう答えた。
「嫌い、だよ……」
あれ、これでいかったんだよな?
そっと表に出した言葉。
それは自分の気持ちとは裏はらにでた言葉。
「だから、もう僕に近づかないで」
なぜか、そう言ってしまう自分がいた。
これでいいんだと言い聞かせて……
その時、花月の表情は変わらず無表情だった。
そして無表情のまま目からは一直線に涙が流れ出ていた。
「あ……」
それを見た時。雪野の心の中に後悔という言葉が浮かんだ。
今、僕は自分に嘘をついた。
本当は嫌いなんかじゃない。
「雪野さん、すみません……」
花月は泣きながら崩れ落ちた。
その時、季流は雪野に数歩近づき手を上げた。
パシン! と音が響き、雪野は顔を横へと向かされた。
「花月を泣かせないでください。雪野くん」
季流はこちらをさげすむような、憐れむような冷静な顔つきでそう言った。
また自分は周りに迷惑をかけてしまったんだ。
花月という女の子を傷つけてしまったんだ。
季流はいったん自身を落ち着かせるようにため息をついた後、こう言った。
「状況は大体見えてきたんですが……なに花月に八つ当たりしているんですか、雪野くん」
「え……」
「あなたが花月を受け付けない理由は分かります。自分に関わる者たちがいることが怖いのでしょう」
「……」
あたっていた。
答えない雪野に季流は続ける。
「そして、それとは別にあなたは花月が自分に関わる理由をもっといいものであること強く望んでいるんです。だから婚約者だからと理由付ける花月に苛立ちを覚える。あなたは愛されたいと思っているんですよ。誰かに自分を想ってほしいと思っているんですよ。まるで周りにかまってほしいと甘える子供のように」
そんなことを言われ雪野は反論したくなった。
雪野は前を向く。
その時に季流のなんでも見透かしたような青い目が雪野を見つめる。
「そ、そんなことない! そんなはずはないんだ。自分はそんなことは……幸せなんて望んではいけないんだ。愛されていいはずがない」
そう、ここ最近ずっと思っていた。
一人になると考えていた。
「そう思い込もうとしても、無駄です。あなたは無意識のうちにそう望んでいたんです。その葛藤を抑えることができなかった。だから花月にあたったんだと、そのことをまず理解しなさい」
「……」
何も言えない。
理解?
自分が花月に八つ当たりをしているだけだってこと?
そんなのカッコ悪いじゃないか。
自分はどこまでダメなんだろう?
雪野は下を向いたまま、落ち込んだ。
「雪野くん。花月は確かに他人の言うことをよく聞く子で、自分の意思がないように思われます。しかし、彼女だって本当に嫌であれば、雪野くんには近づきませんよ。この子はただでさえ人見知りです。こんなに喋ったり、表情を動かすことは普段しない子なんですよ」
「……」
季流お兄さんは花月の事をよく見ているのだと、雪野は思った。
自分には花月の表情の変化なんて全く分からない。
いつも無愛想な単調な顔つきにしか見えなかった。
そこで、季流は話を切り替えるようにして言った。
「はいはい。二人とも、ケンカをしたなら仲直りですよ。お互いに謝りましょう。さあ、花月も立ってください」
季流は今も顔をさげながら地面にへばりこんでいる花月の腕を取った。
そんな花月は脱力したように、だらーんとしていた。
その違和感に季流は、花月に言葉を投げかけた。
「花月……大丈夫ですか?」
「……」
返答がない花月に季流は何度も彼女に名前を呼びかける。
「花月、花月、花月……?」
「え、あの、お兄さん、花月がどうかしたんですか?」
雪野が心配になって聞くと季流は緊迫したようにこう答えた。
「もしかするとあれかもしれません」
「あれって?」
「雪野くんは初めてでしたね。花月の今からなるその変貌に驚くかもしれません。ですが、落ち着いてください」
「え、はい……」
何が何だか分からなかった。
確か、おじさんもそんなことを言っていたような。
次の瞬間、雪野にも季流の言っている意味が分かった。
花月は口を動かす。
「お前、花月を泣かしたな。悪い奴だ! 悪い奴はやっつけないとね」
え……
口調が……
次の瞬間、雪野はみぞおちをぐうで殴られ、
「うぐっ……」
吹き飛んだ。
「いっ……」
痛い、痛い、腹が痛い……
雪野はその場で呻いた。
その様子を見ていた、季流は花月に向かって言った。
「こら【月花】、雪野くんを殴らないでください」
【月花】?
彼女の名前は花月のはずじゃあ……
雪野が花月たちから少し離れた場所でへばっていると、花月じゃない花月は言った。
「あいつ、花月を泣かせて、ほんとに許せない!」
「それは分かりますが、私も殴っておきましたからその辺でやめておいてください」
「やだね!」
そう言って【月花】と呼ばれた者は雪野へと近づく。
「【月花】!」
【月花】は雪野がいつもこしにかけて持ち歩いている人形を奪い取った。
「あ、それは……」
「兄さんが何と言おうとも、こいつを痛い目に合わせてやるんだから」
その後、【月花】ははだしのまま雪野の部屋のすぐ近くにある縁側を通り抜けて、はだしのまま雪が降り積もる外へと出て行ってしまう。
「さあ、こいつがほしければ、私に付いてくるんだな。雪のん」
雪のん……?
「ああ、始まった……」
季流は頭を抱えると、雪野に向けて言った。
「こうなった以上、責任をもってあなたがあの子の相手をしてきてください」
「え……」
今も状況を掴めていない雪野に季流は続ける。
「さあ、早く追いなさい。説明はあとでしますので。さあ!」
「あ、はい……」
何が何だか分からないが、雪野はとりあえず遠くの方にすでに行ってしまっている【月花】を追うことにした。




