004 花月という女の子
その日の夜、雪野はまた悪夢を見るのを恐れて、自分が自殺しないようにと考えて起きていた。
深夜十二時頃、そこに忍び寄る影があった。
そっと、襖が開けられる。
がさっと音がし、雪野はそこへ目をやる。
え、何……?
暗闇の中、黒い人影がそっとこちらに這いつくばるようにしてやって来る。
まさか、【お化け】じゃないよね?
雪野は青ざめながら、緊張を張り巡らせた。
もしそうであれば、雪野の身が危ない。
こういう場合はどうしたらいいの?
死んだふり……死んだふりすればいいかな?
雪野は今もこちらに近づいて来ている、黒い影におびえながらその場でじっとしていた。
やがてそれは、もぞっと雪野の布団の中へと入ってきた。
ヒィイイイ!
なにか入ってきている。
布団の中に入ってきている。
「雪野さん……」
布団から顔を出しきり、耳元でそう自分の名前を呼ばれ、
もう……もう……我慢できない!
雪野は恐怖でその場から離れ、電気をつけた。
「へ! え?」
そこには、花月という女の子が布団にくるまるようにして横になっていた。
「あ……」
花月はしまったというような声を漏らした。
「な、何してるの!?」
彼女は慌てたようにすぐ立ち上がり、すぐその場からかけて出ていく。
そんな様子見送った後、雪野は、
「なんだったんだ……」
そう呟いた。
雪野はその後も布団の中に入ったまま眠らずにいた。
眠たいのをこらえて起きていた。
その間にも時間をおいて、花月という女の子は現れた。
「わぁああ!」
何度も何度も……
「おお!」
自分が眠りかけのタイミングで現れる彼女。
「うわぁ……」
そこで雪野は彼女に語りかけようとした。
「あの……」
しかし、雪野が何か言いかけるとすぐ去っていく。
それを繰り返しているうちに眠たくなっていく。
睡魔に負けたのは朝の五時頃だった。
それから、雪野のもとに誰かが訪れた。
そして言う。
「あらら、こんなところにいたのか……仲がいいね」
「朝ごはんはどうします?」
「また後でいいんじゃない? そのまま、そっとしておこうよ、季流」
「この光景を見ているとなんだか危うく間違いが起こるのではないかとそわそわするんですが」
「大丈夫だよ、二人はまだ子供だから。それにどうにかなっても二人は――なんだから別にいいんじゃ……」
「冗談はくちだけにしてくださいよ。父さん」
「うん。冗談だよ、季流。じゃあそっと寝かせておきましょう」
「そうしますか」
そんな声がわずかに聞こえてくるのを雪野は聞いていた。
でもまだ眠たかった。
しばらくして、雪野は目が覚めた。
自分の横を見てみると……
「え、ええ!」
花月がいた。
彼女はぐっすり雪野の布団の中で寝ていた。
自分が起きていた時に彼女もいっしょに起きていたのだから眠いはずだろう。
いや、それよりも、
「あの起きて、君!」
雪野は隣にいる花月を起こそうと、彼女の体を揺すった。
「う、んん……」
花月は目が覚めると、
「あっ、」
驚いた様子で、また無言のままその場から去っていこうとする。
それに雪野は止めた。
「待って、逃げないで! ストップ!」
花月はその場で動きをピッと止めた。
「君、ちょっとお話しようかぁ」
「えっと、はい……」
花月は雪野から三mほど離れたところに移動する。
そして体育座りをし、話を聞く体制をとる。
そんな彼女は桃色の寝服のまま、いつもは縛られている髪が今はほどかれてパサッとくせがついている姿をしていた。
「お話とはなんでしょうか?」
花月がそう言ったところで雪野は聞いた。
「……あの、君はなんで昨日の夜から僕の周りで奇妙な行動を何度もしてくるんだ?」
「それは……」
しばらく花月は答えなかった。
「何か言いづらい事なのかな? 何かのイタズラだったりする?」
雪野がそういうと、花月はすぐに首を振る。
どうやら、イタズラとかではないらしい。
すると何なのだろう?
雪野がそう思っていると、花月は口を開いて言った。
「お父さまが、私は雪野さんの婚約者だと言っていました。だから、私は雪野さんのそばにいます。お父さまにもそう言われました。お世話します」
そんなことを真顔で淡々という言う少女に雪野は、
「……婚約者? えっ!」
やっと、状況がつかめたように驚く。
「それはどういう事? ていうか、俺の世話とかしなくていいよ……」
「そうですか……」
花月はそう言って続ける。
「私たちは大人になったら結婚するという事に決められたようです」
「それは誰に?」
雪野がそう聞くと、
「大人の人たち……」
花月はそう答えた。
「……」
大人の人たち……?
父親や家族の名前を出していないことからそれはたぶん、あの日、姉の葬式の日に見た親戚たちのことだろう。
雪野はそう捉えた。
「だから、こんな風に俺に近づいているの?」
「それはその、お父さまやお兄さまが雪野さんを一人だけにしておくのもダメだと、心配されていましたから……なるべく傍にいてあげなさいと私は言われました」
「なるほどね……」
雪野は昨日の出来事で草路や季流に心配されてしまったらしい。
自分を一人にしておくとまた自殺を図るのではないかと思われている。
そこで、彼女が婚約者だからというのは置いておいて、自分の見張りを誰かに頼みたかったわけで、花月という女の子がその役割についたのだろう。
雪野はそういう風に考えた。
「あの君、別に無理して僕の傍にいなくていいからね。例えおじさんや季流お兄さんに言われたからって、こんな危険な僕と一緒になんかいなくていいよ」
「私はそんなこと思ってはいませんよ。私は雪野さんの婚約者だから一緒にいます。ただそれだけです」
「そ、そうなのか……」
彼女は本当に自分のことを怖がっていないのだろうか?
それそも、まだ幼い彼女は僕の事情とかは理解しているのだろうか?
何も知らずに僕に近づいて来ているのではないだろうか?
「あの僕は……人を殺したんだぞ。この人形に呪われているんだぞ。それでも怖くないのか? 君は僕について何も教えられていないんじゃないのか?」
雪野は寝床の横に置いてあった人形を手に取り見せる。
「……」
その後、謎の沈黙が走る。
花月は体育座りのまま、雪野の事をじっと見つめている。
彼女は戸惑って答えられずにいるのかもしれない。
自分は子供相手に何を言っているんだろう、そう思う。
彼女はその話を知らなかったとすると、怖がらせてしまったか。
いや、そもそも信じてなくて、おかしな奴だと思われているか。
花月の様子を見てみると依然として無表情で感情が読みづらい。
「あ、冗談、冗談。気にしないで。今言ったことは……」
「……」
彼女は何も言わない。
「あ……」
そして、その後の異様な雰囲気に雪野は……
なんだか……なんだか……気まずい!
そう思い、そこで話を切り替えようと花月にこう言葉をかけてみた。
「あ、そういえば、今何時かな? 君お腹すいていない。朝ごはん食べにいったら?」
雪野はそこで話を変えようとする。
すると花月は淡々と言った。
「いえ、私は雪野さんと共にいます。そう言われていますから」
いやいや、それじゃあ、僕がいづらいんで早くどこかへ行ってくれよ。
「いや、いいよ。一緒にいなくても……」
「そうですか……でも私たち婚約者なので婚約者である私は雪野さんを守ります」
守る……? 何から?
また彼女から婚約者だからという言葉が出てくる。
彼女には自分の意思というものがないのではと雪野は思えてきて、彼女に言った。
「君にそこまでしていただく義理はないんで、婚約者だからと言っていちいち……」
雪野が言葉を喋っている時、それをさえぎって彼女は言った。
「花月です」
「え?」
「私の名前は花月です。花月とどうか呼んでください」
「あー、うん。花月、分かったよ。で、話の続きなんだけど……」
花月はまた雪野の言葉の途中で言った。
「私は、雪野さんの過去を少しだけ知っています。それを踏まえて、あなたやお兄さまたちが言っていた言葉でつながりました。すべて理解できました。私はそのうえで雪野さんを怖いとは思いません。むしろどんなことでも力になりたいと思いました」
彼女がどこまで自分の事を理解したのか分からない。
でも彼女は、嘘は言っていない。
それは何となく分かった。
だから、
「それは、ありがとう……君は優しい子だね」
雪野の方が戸惑いながらも、そう言葉をかけた。
すると、彼女は微妙な表情の変化を見せる。
「ありがとうございます」
それは彼女の微笑みなんだと雪野は分かった。
その後だった。
ぐーっと、お腹の音が部屋に響く。
それは花月からした音で彼女は慌てたように、そして恥ずかしがりながらこう言った。
「これはその、違いますよ。決してお腹がすいているわけでは……」
「あーえっと、別に無理して俺に合わせなくていいからね。食べてきたら? お腹すいているなら」
「すいていませんよ……」
「いや、絶対それは嘘だろ。食べたいって顔に書いてあるぞ」
「え、本当ですか? ばればれですか?」
淡々と慌てる彼女に雪野は呆れ気味に、笑った。
「ばればれって、自分からお腹すいてるって言ってるじゃん」
そんな雪野を見て、花月は言った。
「雪野さん、笑っています。ここに来て初めて笑いました」
「え……」
「よかったです。ちゃんと笑えるんですね」
花月はそんなことを言ってくる。
そう言えば、ここ最近は笑ってなどいなかった。
笑う事などできなかった。
あまりにも悲しくて悔しくて辛くて。
笑うこと自体、自分は許されないんじゃないかと、今少しでも笑った事にも何だか罪悪感がある。
そんな雪野の考えとは裏腹に花月はこう言ってくる。
「私は雪野さんの笑顔を見てなんだかホッとしました」
「なんで、君がホッとするの?」
「だって誰かが悲しんでいる姿を見るとこっちも暗い気分になりますから」
「そうか……なら、聞くけど自分は笑った方がいいと思う? 笑うことは許されると思う?」
「それは自分の気持ち次第ですよ、きっと。無理して笑っても辛いから、自分の気持ちに任せればいいんです。笑いたい時に笑って泣きたい時に泣く、それでいいじゃないですか?」
「そうなのか……」
「私は笑ってくれた方が嬉しいです」
彼女のその言葉に雪野は少しだけ安心する事ができた。
笑ってもいいんだと思える事ができた。
今すぐには無理だけど、自分が笑いたい時は笑おうと思えた。
「雪野さんはお腹はへりませんか?」
花月は言ってくる。
「減っているかも……食欲はそれほどないんだけど……」
「それなら今日は私と食べましょう。来てください」
彼女は立ち上がると、雪野の方に近寄り彼の手を取った。
そして雪野は、一瞬のうちに力強く起き上がらせられて、
「誰かと食べることはそれだけで楽しいです。雪野さんも楽しくなってください」
花月に引っ張られるようにして歩き出した。
寝服のまま二人は食事場に向かう。
そこへ向かう途中、二人が手をつないでいる姿を見て草路はほがらかに微笑んだ。
その髪は、今は結ばれていないみたく服装も楽そうな洋服を着ていた。
「おや、二人ともずいぶん仲良くなったんだね。手を繋いじゃって」
そう言われ、雪野は慌てて花月の手を放した。
そして雪野は思い出す。
「あの、おじさん。この子と婚約とかどうゆう事ですか?」
「まだ正式ではないんだけどね。私がそう決めたんだよ。代々木崎家と夏川家ではお互いに婚姻が結ばれてきた。そのことは、雪野くんは知っているかい?」
「はい、なんとなくだけど知っています」
確か昔、葬式の日に季流お兄さんが言っていた。
木崎家は夏川家と親戚同士となっていると。
「それは話が早い。雪野くんと花月は年が近いという事で婚約候補として選ばれたんだよ」
「あの、他には婚約候補の人いなかったんですか?」
「いるには一人いるんだけど、その人が若干雪野くんよりも年上であったり、他の女性との婚約候補だったり、精神的にも問題ある方でもあったりで花月の結婚相手としてどうかなぁと思うんだ」
「それならなおさら、自分なんかがこの子の婚約者でいいの?」
自分は危険だ。
呪われている。
また人を殺すかもしれない。
年が近いからって、そんな奴と一緒になんか誰もいたくないだろう。
もしいたとしてもそれは許されないんだと自分は思う。
相手のためにも自分は周りの人と関わってはいけないんだ。
だから、一人になりたい……
一人にならないとダメなんだ……
そんなことを考えている雪野に草路はこう言葉をかけた。
「自分の事を卑下してはダメだよ、雪野くん。自分なんかじゃない、雪野くんだからこそ僕は花月を任せようと思うんだ。それに約束していたからね」
「約束って……?」
「君のお父さんとだよ。いずれ、自分たちの子を結婚させようって言ってたんだよ。それをつい最近思い出して、思い立って君たちの婚約を決めたんだ」
雪野には二人の父親がいる。
幼いころに亡くなった本当の父親と、その後にやってきた義理の父親。
おじさんがいう父親とは前者の方だろう。
「勝手に決めないでくださいよ。僕は婚約なんてする気ないですから。取り消しにしてください」
「それは無理かな~」
「何でですか?」
「婚約の話は遅くも早くもいずれ出てくることだよ。だから僕は今からお互いに慣れてくれればと思って婚約の話をだしたんだよ」
「そうだとしても、僕が納得できないし、花月の気持ちだって……」
「それは問題ないんじゃないかな?」
「え?」
「はい、私は大丈夫ですよ。雪野さんの婚約者で構いません。これからよろしくお願いします」
花月はそう言い、丁寧にお辞儀をしてくる。
そう言われると反論のよちがない。
「後は、君次第だね。まあじっくり考えてよ。時間はいくらでもあるからねぇ」
「はあ……」
雪野はそのまま納得がいかないまま立ち尽くした。
それに、草路は思い出したようにこう言ってきた。
「そういえば二人とも、朝食まだだったね。でも今の時間じゃ昼ご飯だー」
「大丈夫ですよ、私はいくらでも食べられますから」
「そうだね。それじゃあ、先に朝ごはんを食べててね。今、昼ご飯作っている最中だと思うから。僕はちょっと紫の所に行ってくるよ」
「はい、お父さま」
こうして、雪野たちは朝ごはんを食べた。




