009 日記に書かれた想い
彼女はまるで人形のような青い瞳、高い鼻、そして明るい金髪の少女だった。そんなエミリーとの出会いはとても慌ただしく決してロマンチックなものとは言えなかったのだけれど、僕のとって忘れられない思い出の一つになるだろう。家出をして来たらしい、困っている彼女を家で雇う事にした。僕は彼女の事についていろいろ聞かせてもらった――
電球が何個か切れており、うす暗い食堂で十人は座れそうな机の真ん中に向き合うようにお互いに座り、まずお腹を空かせていた寒さで震える彼女のために、スープを作り昼間に捕まったパン屋さんで買ったバターロールを出し、一緒に食べた。
青白かった彼女の顔が赤く色づいたのを見計らって、そっと質問していった。
「僕は、君の事がもっと知りたいな。例えば、君の好きなものとか、嫌いな者とかそういうものも知っておきたい」
「私……このスープとかパンは別に嫌いではありあせんよ? 体が温まって助かります。味ももちろんおいしいです」
「あはは、そうかー。それはよかったよ」
環境が変わったせいか、僕に慣れていないせいか、彼女はどこか心地ない顔をしていた。
「エミリー、君があのジョージ・ファテスさんちの養子だという事と、家を出たい経緯は分かったよ。あと聞いておきたい事だけど、君は家事以外には何かできる事はあるのかい?」
「いえ、おそらくは何も……自分が知らないような事が当たり前として周りで行われている様な感覚でした。正直、混乱しています。私は普通の事が知りたいです。お金とかちゃんと理解できるようになりたいし、知りたい事も知りたいです」
「では僕が、気が向いた時に何でも教えてあげよう。まずは何を知らないか知るために、また街に出向こうか。一緒にお買物しよう」
「はい、確かに買い物は初めてになります。楽しみです」
「それでは、明日は七時起きとして、君は自分の家でしていたようにある物で朝食作ってくれ。それから一緒にご飯を食べてたわいない会話をしよう! 毎日しよう!」
「そうですね。いいと思います。だけれど……このほこりをかぶっているような場所では、落ち着いてご飯は食べられないわ。朝は掃除から始めてもいいかしら?」
彼女が言う通りこの食事場もその部屋を出た廊下や各部屋、家全体がここ何年も掃除などせずほったらかしにされて汚かった。
「ああ、それでそんなちょっと変な顔していたのかー」
「変な顔って、どんな顔ですか? 人形のように美しいみたいなこと言っておいて次は変だとか、本当にあなたはおかしな人ですね」
少しだけ怒ったような顔のエミリーを見て思いのほか和んでしまい、自分も自分がおかしいんじゃないかと思ってしまう。
「いや、なんか、疑わしいような周りをきょろきょろ見ていて、僕の事をまだ警戒しているのかと思ったよ」
「清十郎さまの事はまだ信用はしていませんよ。ただ……私はこれほど汚い場所を見た事がありません」
「アハハ……それはごめんね……」
「あなたは寝ていてもいいですから、明日は私、掃除しますよ。絶対に! そしてあなたを驚かせてさしあげます!」
「でも、時間がかかると思うよ。広いし」
「だからこそ本来、毎日掃除しないといけないんです! キッチンと食べる所くらいは綺麗にしておきたいですね……きっとここにしたって一日で終わるか分からない。でもこの机と食器と……あー、天井も気になるわ……よし、今から始めようかしら!」
饒舌に口を進める彼女は天井や床や窓などを細かく見まわした後、そう漏らした。
「その方が明日までには間に合うわよね」
「いやいや、体調崩されても困るから、夜はちゃんと寝てね! 天井は危ないから、僕がやるし、明日の朝食は外で食べればいいよ」
「あなたがやるのですか……大丈夫かしら……?」
「君に怪我された方が困るから、いいんだよー。心配しないで」
「そう? では、そうする事にします」
「では、もう十一時頃だし、お子様は寝る時間かな?」
「あら、私はもう二十歳を過ぎているのよ。あと一時間くらいなら本読んだり敷いていたから、起きていられるわ」
「そうなんだね。それは失礼」
「そんな事よりあなたはいくつなの? 私はまだあなたの名前くらいしか聞いていないわ」
「それは……後日話してあげるよ。今日は君を預かるうえでのちょっとした確かめのつもりだから。僕に危害を加えたりする者だと置いておけないからね」
「私、そんな事、しないわよ?」
「うん、君は合格だよ。だからこうやって明日の話とかしているんじゃないか」
「そうなの。それで、結局、あなた年齢はどのくらいなの? 私より年上、年下?」
「君の年齢をちゃんと聞いていない手前、自分の年を言うのはためらいがあるんだけど、まあ、いいや……今年で僕は二十三歳になるんだ。だから今は二十二歳だよ」
「あら、負けたわ……私より一つ年上なのね」
「という事は、エミリーはいま二十一歳なんだね」
「ええ」
「それはよかった、よかったぁー。こんなに子供っぽい女性が年上だなんて、僕が扱いに困ってしまうからね」
「それはどういう意味よ! 失礼ね!」
「ごめん、ごめん。では、ここらへんで、今日のおしゃべりはこの辺できり止めようかぁ」
彼女は頬を膨らませていて、そういう所が子供っぽいなぁーと心の中でそっと笑っていた。その後、彼女を寝部屋へと案内した。
「ここがこれから過ごす君の部屋だよ。元々、母親の部屋だったんだけど、今もそのままにしていて、もし切れそうな服があったらきてもいいよ。その格好じゃ少し寒いと思うし」
「はい、それはありがたいのですが……この部屋、とても汚い!」
やはりそこも埃だらけでエミリーはそれを放ってはおかなかった。
「こんなところで私寝られないわ。やっぱり今から掃除しようと思います!」
「ええ!? 我慢はできないの……?」
「できないわ! ねぇホウキとか雑巾とかあるかしら?」
「えっと、廊下にあると思うけど……」
「なら、持ってきてちょうだい!」
「あ、うん……」
その後、部屋の掃除をし出す彼女がいて結局……心配で自分も彼女に付き添った。
二時間ほどたちやっとエミリーは満足した様でベッドに横につくとすぐ眠りに落ちてしまった。
それを確認した後、僕は物があふれかえる自分の汚い部屋にいき就寝したのだ――
エミリーとの出会い、二日目……
彼女は昨日の事もあったというのに、朝早くから僕のベッドが置かれた小部屋へと押し寄せた。
「聖十郎さま、起きてくれませんか? もう朝ですよ?」
目を開くと右横に、朝日に反射してキラキラと光る金髪の美女の姿を捉えしばらく言葉なく、昨日の出来事をまとめていた。
「エミリーかい? まだ眠いよ……起こすの、早くないかな? まだこんな時間だよ? フクロウ時計が鳴る前じゃないかぁ」
ぼやける目をこすり、昨日と同じ白いワンピースを着たエミリーの姿を捉え、それから右の壁に設置されている時計を見て訴えたが、彼女はその時、僕から布団を引きは出してきた。
「はい。もう八時ですよ。私なんてもう六時から起きているのですから、聖十郎さまも起きてください。朝食の用意も出来て言うんですよ。さまないうちに、さぁ!」
「あ、ああ……それはいかなければね。せっかく作ってくれたんだから。今、着替えるから先に食堂にいっていてくれるかい?」
「はい、分かりました。では、失礼します」
僕はエミリーが出て行く瞬間、彼女の服の先に付いていた黒ずんだ汚れを確認していた。
「今日は服屋さんに行こうかなぁ。彼女の新しい服を買わなければ」
綺麗好きの彼女の事だから気にしている事だろう。
着替えがなくてはこれからも不便だしね。
そう考え、僕は新しい宝物を見つけた時の様に、自然と顔がほころんでいた。
「おお、すごい! 昨日とは大違いだ……」
食堂につくとエミリーが昨日の窓際の席に座っていた。
「いったでしょ? あなたを驚かせるって!」
ほこりや小さな屑だらけの床、クモの糸がかかって虫とかの死骸がついていた窓枠、ほこりの上にパンのクズなどを落とし続けていた汚い食堂は今、見違えるほどそれらが排除され綺麗になっていた。
「エミリー、頑張ったね。よく一人でこんなにできるものだ」
「私も疲れましたよー。やはりこれだけ広いと、まだまだやるところが多いです。食器は今使う分だけ洗っておきましたし、天井もまだやっていません」
「天井の方は昨日も言ったように僕に任せてね」
「はい、そのつもりです。では食べましょう」
「うん」
僕の機能と同じくエミリーの前の席に座り、机に置かれている料理を眺めた。
「今日の朝食は、ベーコンと卵焼きとパン、それから昨日のスープ、ミルクのようだね」
「はい」
「おいしそうだね。ではいただくとするよ」
手を合わせた後、エミリーと共に会話を交えながら朝食を平らげていった。
「エミリー、夜はよく眠れたかい?」
「はい、眠れましたよ」
「それならよかったよ。昨日はあんなになれない場所で凍えていたから……風邪とか引いていない? 大丈夫?」
「はい、それも、大丈夫ですよ」
「そうか……」
「あの今日の日程について、伺ってもいいでしょうか? 今日はここと他の汚い部屋を掃除していきたいと思っているんです」
「エミリー、汚い前提ですか?」
「違うんですか?」
「まあ、違わないと思うけどね……」
「はい、どこも汚かったですよ……」
「え……」
「あ、あの私、実は他の部屋も見てしまったんですが、やっぱり汚いです。それに関してもひどく驚いたのですが……この家にはとても変わったものがたくさんあるようですね」
「あ、うん……集めているからねぇ。変わり者だって呆れられちゃったかなぁ?」
「いえいえ、ガラス細工や陶器、それからあなたの部屋にある鳩時計ならぬフクロウ時計も素敵だと思いました。あなたはああいう物がきっと好きなんですね。私も思わず見とれてしまいました。どれも素敵な者ばかりです」
「うん、うん、大好きだよ。そう言ってくれると嬉しいよ。昔からね。父親が海外の物とか珍しい物とかが好きでそれに影響されたのかもしれないけど……僕にとってそれは宝物で、僕にはなくてはならない物なんだ」
「はい」
「最初はセミの抜け殻に興味を持って、それが僕の一個目のコレクションになった。なんだか、生きていた者の魂というのか哀愁を感じていた。それから父から蝶の標本について教えてくれた」
「あの、私は昨日、あなたが買った少女のガラス人形を壊してしまったようで、その、ちゃんと弁償します。ごめんなさい」
「いや、そこまでしなくていいよ。あれは僕も浮かれていて前を見ていなかったから……それよりもあの人形があったから今、エミリーと接点ができたと言ってもいい。こんな風に関われたんだから、問題ないよ」
「そうですか?」
「うん」
「いえ、そうだとしても私の気が済まないので、ここでお金を貯めます! 精一杯、働きます! 頑張ります!」
「え、エミリー?」
「そしていつか、あの人形を直しましょう。その日までここにいさせてもらいます!」
その言葉に僕は喜んでいた……
「はは……うん、分かりました。これからもぜひいてください。歓迎します」
「ええ、これからよろしくね。聖十郎さま」
彼女ははきはきとまるでこの場所が全く苦ではないかのように、プルーの瞳を輝かせはきはきそう答えていた。
本当にこの状況は、あの人形のおかげなのかな……
「僕の宝物たちは僕を悲しみから今も救ってくれている。彼らは生き物ではないけど、僕にとっては生きているんだ。魂がそれぞれこもっているんだよ」
ふと、彼女にとってはどうでもいいような事を呟いてしまった。
彼女は僕の話に眉を寄せこんな言葉を返してきた。
「あなたはその魂の入った宝物をほこりまみれにしているってことだけど……あなた綺麗なものとか芸術品とか集めているのに、なんでこんなに部屋を汚くできるのかしら?」
「いや、掃除はした事がない物で……周りの事は全部、従者たちにやらせていたもので、やり方が分からないんだ」
「従者……その人たちは、今は? 私たちしかこの屋敷にはいないようだけど……」
「そう、今はいないんだ。全員辞めさせたものでね……」
「どうしてやめさせたの? あなたは掃除とかできないのに」
「それは……一人になりたかったから、かな? 一人になってしまったから、一人になりたかったんだ……」
「どう意味、それは……」
「あまり考えたくないからその話は、またいつかという事でいいかなー?」
「ええ、いいわよ……誰にだって話したくない事はあるわ。話したい時に話せばいいわよ」
「うん、ありがとう」
「その代り、私の話もあまりしないでほしいわ」
「それは、なぜ君が家を出てきたっていう事情を聞いてほしくないという事かい?」
「いえ、それもあるけれど、思い出したくはないの……あそこは私の孤独な場所になってしまったから……」
「うん……それなら、分かったよ。僕も君が話したくないなら無理して聞かないから、安心して」
「ええ……」
「さあ、笑って! 今日は一緒に街に出かけるんだから、そんな顔じゃ、街のみんなに心配されちゃうよー。
「え、あの……」
「ずかずか聞いてくるからね? どうしたんだいって。そのうちみんな……あのパン屋さんなんか、ただでフランスパン渡したりしてきたり、食事に招待されたりすると思うよ」
「なんだか……前にそう言う事があったの?」
首を傾げる彼女がいた……
「まあ、そうだけど……それを聞くのもなしね」
「あ、分かったわ……それより、私も今日は街に行かないといけないの? あなた一人で行くんじゃないの? 私も毎日付き合わなくて引けないの?」
「嫌なのかい?」
「いえ、嫌ではないのだけど、私は家の事だけをやるものだと思っていたの。ずっと、
「そうか。本当今日は家にいてもらうつもりだったんだけど、君の事を見てるとその……頑張り屋さんだから……まあ、僕が勝手に決めただけど、今日はどうしても君がいないといけないので、ついてきてくれるかい?」
「それは、いいけど……掃除が遅れても大丈夫?」
「うん。僕の要望に付き合ってもらっているから、かまわないよ」
「そう? では行きましょう。私も街に」
朝食を食べ終えた後、エミリーと共に僕は街に出向いた。
八時過ぎという事もあって、スーツ姿のサラリーマン達が喫茶店や飲食店に入っていく姿を多く見かけた。
丁度、昨日エミリーと出会ったいろんな店が集まる、商店ロードに入った所で、昨日と同じ白いワンピースをきている彼女に今日の目的について話をふってみた。
「今日は君の服も見て行こうか。そのワンピース少し汚れてしまったみたいだから」
「え、でも、私お金まだ持っていないわ。昨日、パンも買えなかったから服もきっとダメよ」
「いや、僕が払うから大丈夫だよ」
「そんな、悪いわ……これからあのガラス人形のお金をかえしていかなければいけないのに、そんな事できないわ。またあなたに迷惑が掛かってしまう」
「いいよ、そんな事。別に迷惑とか思っていないし、僕は君に綺麗な服を着せてみたいんだ。君は美しいからね。そんな君の素敵な姿をもっと見たいのさ、僕は! ねえ、いいだろう!」
それは本心だった。
きっと彼女は鮮やかな華やかなそんな色、柄のワンピースが似合う。
それを見てみたい。
僕が選んだ服でエミリー、いろんな君をもっとみてみたいんだ。
「そんなにいうのなら……お願いします。聖十郎さま」
「はい。ちなみに服は僕も選んでみていいかな?」
「ええ、それは構わないわ。いつもお義母さんから服をいただいてきていたから、自分で選んだ事がないの。その方が助かります」
「そうか、それならよかったよ。どの服屋さんにしようか? 実は僕も女性の服を選ぶのは初めてで、どんな服装がいいのだろう。少し迷うね」
歩き進めている中で何店かの服屋さんは顔を向けつつも通り過ぎていた。
子供や年配向けであったり、エミリーには地味な感じ服屋さんであったりして、立ち止まる事はなかったのだが、そこでふと、見え始めていたいつもはカチューシャの女性が立っている店を指さして、エミリーは言ってきた。
「聖十郎さま、それならあそこの店がいいです。昨日、いろいろ心配してくれた女性がいてその店の水玉のワンピースが欲しいです!」
「そうなんだ。うん……それじゃあ、そこにしようか」
丁度、店の中から出てきたカチューシャの女性を捉えた。
「あ、お姉さんだわ」
言葉と同時に彼女の元へとかけていくエミリーを僕は追った。
どうやらその女性と彼女は面識がある様だ。
「お姉さん、昨日はありがとうございます。無事、住む場所と働く場所を見つけました」
「どうやら、そのようだね。よかった、よかったー」
ちらりとこちらに目を向け不敵な笑みをこぼすカチューシャの女性は次に呟いた。
「やっぱりそこの方は彼女を手放さなかったのね。私たち従業員をやめさせておいて……」
「まあ、困っていたようだからね」
「またまた、気に入ったんでしょう? 彼女のこと。坊やは美しい物に目がないからね」
「ああ、その通りだよ……」
そっとエミリーの方へと顔を向けると、どこか不思議そうに僕とカナさんの顔を覗く込む彼女がいた。
「あの、二人は知り合いなんですか……?」
「うん。知り合いっちゃ、知り合いね。もう子供の頃からの付き合いだからね」
「エミリー、実は彼女は屋敷で雇っていたメイドさんなんだよ」
「あー、昨日は話してくれた……」
「うん。僕の都合でやめさせてしまった従業員の一人だよ」
「そうなんですね……」
「まあ、それは気にすんなー。他の人たちは知らないけど、私は、今はこうしてやっているから大丈夫だよ。聖十郎坊っちゃん」
「その呼び名はもういいよ。もうあなたはうちで働いているわけじゃないんだから」
「うん、じゃあ、坊や」
「まあ……それでいいよ。みんなには悪いと思っているんだ。だから挨拶くらいしておきたいなと思っている。それに彼らにもう会えないのも何だか寂しい気がしてね」
「彼ら……?」
エミリーの呟きを聞き、僕は伝えた。
「あ、この街には僕の知り合いがいっぱいいるんだ。パン屋さんにも一人、無口のがいるんだけどね……他にも喫茶店で働いているおじいちゃん先生、相変わらず料理関係の仕事をしている強面コックさんとか、花屋、洋菓子店で働くメイドのお姉さんたちとか、この街には残っているんだ」
「あ、それで、立ち止まって挨拶したり、店の中に向かって会釈していたりしていたんですね!」
「あ、うんうん。ここに来る時に見かけた花屋さんとケーキ屋さん、喫茶店の事だよね……」
僕があいまいな返答をした後、カナさんはエミリーへと顔を向けてこう説明しだした。
「坊っちゃんがそうやって周りを気にせず挨拶するから、周りも次第に彼に挨拶するようになってね。彼は変人扱いされちゃったわけ。まあ、もともとおかしな人なんだけどね」
「あ、それが昨日の話って事ですね!」
「そういうこと」
「エミリーに何を吹き込んだのさ。変人とか失礼だな……」
「いえ、聖十郎さまは変人というか……いろいろとダメな人です。あの家で、しばらく一人で生きてきた事が不思議です」
「え……」
「アハハ、言われているね! そう、そうなのよ。この人、きっと家事全般ダメでしょ?」
「はい、そうなんですよ。屋敷のどこら中、埃だらけ、いらない物だらけで、私、最初はあそこでこれから暮らしていく自信があまりありませんでした。今は……掃除は掃除をすれば何とか住めるようにはなると思います」
顔が歪むほどの嫌そうなエミリーの表情がそこにあった。
「そうなの? そんな事でですか?」
「坊や、そんな事ではないわよ。結構、重要な事よ。私もあの変貌した屋敷に行った事あるけど、あれはひどいわ。到底人が住めるとは思えない。もう野良犬の住みかよ」
「それほどに……」
「エミリーちゃんって言ったわね、この子」
「うん。そうだよ」
「彼女のためにも普段から少しは気を付けるべきだわ。そうじゃないと嫌われちゃうわよ」
「それは、困りましたね。せっかく見つけた僕のメイドさんなのにそんな理由だけでやめられるのは惜しいです。正直自信がないんですが……できるだけ気を付けます」
「絶対よ。エミリーちゃんも彼に不満があれば何でも言ってやりなさい。到底のことでは怒ったりしなから」
カナさんの言葉にエミリーは僕の方を一度見据えた後、淡々とこう答えていた。
「はい。それは何となく分かります。とても丁寧な言葉を使う方だと、困っていた私を助けてくださいましたし、とても親切な方だと思います。なので、これからも聖十郎さまが許す限り私はあの屋敷で働きたいと思います」
「エミリー……」
「頑張って、あの屋敷を綺麗にしてみせますよ。楽しみにしていてください」
「うん。ありがとう」
そこで、横で会話を聞いていたカナさんが微笑んで僕の肩に手を当てぼそっと呟いた。
「あんたたち、思ったより仲が良さそうだね。何だか安心したよ。よかったね、坊や」
「まあ、うん。よかったよ……」
「この調子でこの子とうまいこといっちゃえばいいんじゃない? 応援するわよ」
「ええ!?」
「どうしたんですか? 聖十郎さま」
「いや、ちょっと……こっちの話だよ」
「それでどうなのかしら?」
「もうカナさん。エミリーは花の様に華憐で、ドールの様に表情が硬くて、子供の様に無垢で可愛らしいまるで少女だよ。僕がこんな人形のようにきれいなエミリーをその……自分の者にするわけないじゃないか。彼女を雇うのはある一定の期間までだよ」
「はいはい、そうですかー。分かりましたよー」
「聖十郎さま、もしかして私は屋敷の掃除が終えた後、やめる事になるのですか?」
「いや、そんな事ないよ。君はいいメイドさんになりそうだから、君がやめたがらない限り雇うつもりだよ」
「そうですか。よかったです」
エミリーの安堵する顔を見た後、僕も一まず息を吐いた。
「はあ……」
その後、僕たちの会話に口に手を当てて笑っているカナさんの姿が映り込んでくる。
「あははー、よしよし、それじゃあ服を選んでいって。いいのがあるから」
彼女は、後ろのガラスケージの方へと顔を向けた。
「エミリーちゃん、昨日、おすすめしていたワンピースまだあるけどどうかしら?」
「はい、まだあってよかったです。聖十郎さま、どうでしょうか?」
「いいと思うよ。美しいエミリーには、きっと何をきても似合うと思うんだ」
「そうですか。それで……買ってもらってもいいんですか?」
「うん、いいよ。それと他のも買おう」
「え、いいんですか。」
「これから長い期間、あの屋敷にいるなら着替えも必要だろうからね。これくらいはしないとね。雇い主として」
「ふふ、雇い主としてかー」
「カナさん!」
じろりと目線を送り返してから僕は、話しを戻して彼女に頼んだ。
「……あなたにお願いしていいかい? 昔から服を選ぶことは得意だったよね。エミリーの寝服を含めた服を僕の代わりに選んでほしいんだ。いいかな?」
「うん、任せておいて。それじゃあ、エミリー丈を測るから店なのかへどうぞ。坊やも」
「はい!」
「カナさん、ありがとう」
僕たちはカナさんの後に続き、店の中に入った。
そレからすぐ、エミリーのサイズが図られ、服の試着に移っていった。
「聖十郎さま、どうでしょうか? これは私に似合うでしょうか? 少し気になったのですが……」
エミリーが今手にしている赤と黒が混じったセクシー系のドレスを見て、僕は正直に言って彼女にはそういう服を着てほしくないと思った。
と言ってもどう彼女にどういえばいいのか……
迷いつつも僕は自分の思い描くエミリーの魅力が湧き立つ服を連想いて伝えた。
「うーん、似合うけども少し清楚感がでて、落ち付いた色の方がエミリーには似合うと思うんだ。黒と白だと断然、白。だけど赤とかよりも黄色や黄緑、明るい色がいいよね。それとズボンとスカートなら、僕はスカートがいいなー。うん、絶対それが似合うよ!」
「そうですか? するとこれは条件に合わないようなので……やめておきます」
「ちょっと、これはあなたの服選びじゃなくてエミリーちゃんの服を選びでしょう。少しは彼女の好みに合うように選ばせてあげて!」
「あ、そうだよね。別に僕の意見通りにしなくてもいいからね。エミリー」
「いえ、あなたの芸術に対する感性はきっと素晴らしいとは思いますし、言っている事はもっともなのだと思います。ですので、無難に私はあなたが好む綺麗な衣装をこれから着ることにします」
「そんな悪いよ」
「私は別に構わないのですが……では、この赤と黒が混じった服とよく似た形のこの白と黄色の混じったこのワンピースはどうでしょうか。この花の模様がついたベルトがいいなって思いました」
「いいんじゃないかい? あ、ちょっと待って、それならこの生地が花柄の服もいいんじゃないかい? ほらここに似たような花形の腰に巻く紐もついている。こっちの方がエミリーの美しさは際立つよ!」
「だから、エミリーちゃんに選ばせてあげなさいって!」
「あ、そうだった!」
「もう!」
「あはは、いいですよ、カナさん。私も聖十郎さんの意見を聞いて、私が選んだものよりそっちの方が魅力的に見えてきました。人の意見は聞くものですね。私からは見えない私が見えます」
「そう? エミリーちゃんはそう言うなら、このまま二人で決めちゃった方がいいと思うけど。ね、坊や。このままもっとエミリーちゃんと親睦を深めちゃえば?」
「いや、いいよ。僕は家で毎日いくらでも彼女に会えるからね。それよりもあまり人とあっていなさそうな、世間知らずのエミリーに同じ女の子の友達と書いた方がいいと思ったんだよね。何でも男の僕に相談するのもあれだからね」
「確かに、困る場合があるわね。その服一枚しか着替えがないと言っていたけど、下着もないとかなのかしら」
「あの……はい、その通りなのですが……今は聖十郎さまがいるので声を抑えてください。カナさん」
「あ、ごめん。でも、それはまずいわね。この一本道の外れの路地裏の方に下着屋さんがあるんだけど、後で仕事が休憩はいったら行きましょう。昼頃になるんだけどいいかしら?」
「はい、もちろんです。助かります」
「という事だけど、後でまたエミリーちゃんをここまで連れてきてくださいね。坊や」
「ああ……分かりました。カナさんその時はまたお願いします」
「はいはい。任せておいて、仕方ないからねー」
「ありがとうございます」
その後、僕の意見やカナさんの言葉を聞いてエミリーは袖があるシンプルな水色のワンピースを自分で選んでいた。
その調子で一時間ほど服選びに目をキラキラ光らせていたエミリーの頬は楽しそうに緩んでいて、見ているこっちが何だか楽しくなっていた。
こうして僕が選んだ、白い生地にヒマワリのガラがたくさん埋め尽くされている半袖のワンピースと、エミリーが選んだ水色のワンピース。
他にはピンクのネグリジェに、花の模様が入った薄い黄色のひらひらした上着。
他にも寒い時に切る余所行きの茶色のコートを一着で、最後にケージに飾ってあった薄緑色のチェックのワンピースを買う事になった。
「全部合わせて、二万五千二十円になります」
「聖十郎さま、こんなに買ってもらいありがとうございます。カナさんも選んでいただきありがとうございます」
「うん。いいよー」
「どういたしまして、まあ、私は仕事の家みたいなものなんだけどね」
「また、後でお願いします」
「うん、十二時頃だからあと二時間後に待ち合わせよ。坊や、忘れないように」
「はい。分かりましたよ」
こうしてこの後、時間ほど靴を選んだり、喫茶店でホットケーキを食べたりして時間を過ごした。
「聖十郎さま、ここのホットケーキはふわふわで美味しいですねー」
「それはよかったよ」
「ここは僕の執事だったマレクがやっている店なんだ。ほらあそこに……」
「ああ、あのお爺さんの事ですね」
僕がカウンターの方に顔を向けると、そこに立っていた白髪交じりの前髪をあげた老人はそっとこちらにお辞儀してにこやかに微笑んでいた。
僕も手を軽くふり、それから再びエミリーの方へと顔を向けた。
「あの執事さんとは仲良しのようですね」
「まあね。僕は生まれた時から一緒にいた方だからね。勉強も作法も彼から習ったよ」
「へー、そうなんですね。でも、それなのになぜあなたは彼もやめさせたんですか?」
「エミリー、それは……聞かないでほしいって言ったよね……」
「あ、そうでした……すみません」
ちょうど一人の客が会計を済ませ店を出て行った時、食器を下げにエミリーの後ろの席にマレクが立った。
「どうも、久しぶりですね。坊ちゃん」
「マレク……久しぶり」
「今日は客を連れているようですね」
「ああ、エミリーって言うんだけど今はうちの屋敷に置いているんだ」
「それは、それは、私はうれしゅうございます。聖十郎坊ちゃんに、こんな美しい女性ができていたとは……きっと亡くなられた両親やおばあ様もお喜びになられるでしょう」
「お前もそんな事を……彼女は別に僕の恋人とかそういう間柄じゃないよ。住む所がなく困っていたから今、家に置いてあげているんだ……実は、メイドとして働いてもらう事にもなった」
「そうでしたか。それは失礼しました。あまりにもあなたが好みそうな美しい女性だった者で、すっかり勘違いしてしまいました」
「ちょっと、マレク……」
既に僕から視線をそらしていた彼はエミリーへと顔を向け挨拶した。
「どうもエミリーさん。私はマレク・ホリスと申します」
「はい、初めまして」
こくんと、お辞儀を返すエミリーに微笑んで、マレクはその後も言葉を続けた。
「これからも聖十郎坊ちゃんをよろしくお願いします。きっと一人では、心もとないと思いますので、坊ちゃんの心を癒してあげてください」
「はい。それはもちろんです。これから私はこの方に使えるのですから、彼が望むならそうします。一緒にご飯を食べたり、あまり話す事もないけどお話ししたりします。あの汚い部屋とかも掃除して彼のコレクションをもっと全体的に輝かしくさせる事なら私にだってできると思います。だからできる限り頑張ります」
「そうですか。よかったです」
その後、彼はこちらに穏やかな顔を向けて言った。
「坊ちゃん、エミリーさんはいい女性ですね」
「まあ、そうだね。不思議な女の子だね。まるで未知の生物と接しているようにその扱いをどうしたらいいのか迷うけど、何だか家族の様に心が穏やかになる、彼女のあどけない表情を見ていると楽しくなる、安心するんだ。昨日であったばかりだというのに……」
「そうですか。坊ちゃんの中でその想いの答えは出ているのですね」
「ああ、たぶん間違いはないと思う。後は彼女の信頼が必要だね」
「はい。私は応援しておりますよ」
「ありがとう。でもきっと時間はかかるかな?」
状況がよく分からないのか目の前のエミリーは首を傾げていた。
「ん? なんが時間がかかるのですか?」
「いや、君が僕を信用してくれるまで時間がかかる。僕は君に安心してあの屋敷に住んでもらえるよういろいろと頑張る事にしたんだよ」
「そうなんですね。私はあの汚い部屋では安心することも出来ません。だから私も安心して眠れるよう掃除を頑張ります」
「そうですか……ありがとう」
「はは、では賑やかな暮らしになりそうですね。では、坊ちゃんエミリーさん、私はそろそろ仕事に戻るとします。新しいお客様も入ってきたようですから」
「ああ」
「では失礼します」
マレクが立ち去った去った後、エミリーは俯いて瞬き一つせず、その開かれた瞳は現実を映していないように見えた。
「エミリー、考え事かい?」
「あ……いえ、ちょっと……」
僕の方へと向いた彼女の目や表情はどこか不安気に、悩ましげに歪んでいた。
「どうしたの?」
「私は、これについては話せません。秘密です」
「そうか……」
再び半分ほど食べ終えたホットケーキに手を付け始めるエミリーの姿を見た後、僕も残っているコーヒー彼女の綺麗な顔を眺めながら飲み干した。
やはり彼女は、昨日の夜に見た時とは違う意味で落ち込んでいる様に見えたのだ。
店を出た後、腕時計を確認すると十二時までには、後一時間ほど余裕がありエミリーの提案で昼食を兼ねてパン屋さんに行く事になった。
既にお腹いっぱいの僕とは違って、エミリーはよく食べる女の子のようだ。
「こんにちは」
「どうも、昨日はどうも」
店の入り口にはやはりパン屋のおじさんが立っていた。
「ああ、いらっしゃい。昨日のお嬢ちゃんじゃないか、その様子だと彼にあの屋敷においてもらえたようだな。よかった、よかった」
「昨日は、私のために彼に電話をかけてくださったと聞いています。ありがとうございます」
「それしか私たちにできる事はなかったからね。女房も娘の真理もあなたの事を心配していたんだよ。顔を会わせてやってくれるかい?」
「はい、もちろん」
背中を押されるように店の中に入ると、レジの方にいた昨日もあった真理という女性が先にこちらに気いたようだ。
「あ……」
そしてガラス越しに見える厨房からおばさんの姿と、よく知っている男の姿を確認した。
「あら、昨日のお嬢ちゃんじゃない」
「昨日はあの後、大丈夫だった?」
ちらっと、こちらを見てきた彼女は僕がエミリーに何かしたんじゃないかと疑っているように思えたが、僕は黙ってエミリーの様子を伺う事にした。
「はい。おかげさまで私は大丈夫でした。彼が私を助けてくださいました。これから彼の屋敷で働く事になったのでもう心配はありません」
「そうなんだね」
「それはよかったわ」
「実は昨日はなしていたのよ。土地慣れしていない女の子をあのまま放っておいてよかったのかって。もう少し自分達にもできる事はなかったんじゃないかなって」
「一応、彼に頼んだけど彼にも迷惑だと思ってね。何よりあなたが嫌っていた男性と一緒の家で一晩だけでも過ごすことになるわけでそこでもどうかと思ったのよ」
「俺たちなら、彼がこう変わった方だって分かっているんだけどねー」
「ああ、あれは私の勘違いというか……まあ、最初の出会いが悪かったという感じだったので、今もう彼の事は変人だと思いますが、危ない人ではないと信じる事ができます。そうでなければ今頃の野宿です」
「エミリーも皆さんも、僕はそんなに変人なんですかー」
「はい。聖十郎さまは十分おかしな方です。見ず知らずの私を拾ってくださいましたし、今日も服を買ってくださったりホットケーキを食べさせてくださったり、私に優しくしてくださいます」
「エミリー」
「そして、出会った時も私を人形のように美しいとアートに目がない方だと思いました」
「あはは」
「お嬢さん、分かっているねー」
「そう、そんな感じなのよ。彼は決してお嬢ちゃんを傷つける事はしないわ」
おじさんとおばさんの言葉の後、目の前の真理さんもこう告げた。
「なんたってこの町一番の有名人で皆から慕われているんだもの」
その言葉に僕はぱっと顔を上げ彼女の顔を見つめた。
「え……そうなんですか?」
「あれ、知らなかった?」
「あ、はい。有名なのは父で僕はその息子としてだけで顔が知られているだけだと、皆から変人と言われるのは、バカにされたり、落胆されているからだと思っていました」
そこでおじさんが言ってくる。
「確かにお前の親父さんは、この街のここまで作り上げたものとして信頼のある方だった。そのせいで君の顔も多くの人に知られている事も確かだが、それだけじゃないんだ」
「坊ちゃんは皆を和ませる何かがあるんだね。皆、生きづらい日々の中、毎日ひょいと表れて皆に挨拶をかわすだけで深く関わろうとはしないどこか人とは違うあなたにみんなは目がいくんだよ。そしてそんな坊ちゃんに見られてもいいような街にしたいと皆は思ったんだ。だからこの街はこんなにも美しい」
「ええ、その通りです。この街は美しい。僕はこの街が好きです」
「そうか。それじゃあ、これからもこの街の特別な存在としていてくれ」
「またいつでも、ここにおいで坊ちゃん。みんな坊ちゃんの力になるよ。そしてエミリーちゃんの時のように坊ちゃんに皆は最後の救いを求めるんだ。君は変わった人だけど、信頼できる人だよ」
「皆の気持ちは嬉しいけど、僕はそんなに褒められる人間ではないよ。皆にかわした挨拶も自分のせいで今までの役割を失った人たちに向けたものだったし、毎日、ここへと訪れるのは、僕が美しい世界に触れていたいという自分の欲求を満たしたいだけなんだ。僕は人の気持ちよりも自分を優先する身勝手な人間だ……」
「まだ、そんな事を引きずっているんですか?」
突然、聞こえた声に僕は厨房から出てきた顔見知りの彼を見た。
「お前……」
「ほら、作ってみましたよ。よかったらそちらの女性と食べてください。聖十郎坊ちゃん」
「あ、うん……え、いいの?」
「親父さん、これの材料費は給料から引いておいてください」
「いや、いいよ。今日は特別だ」
「そうですか。ありがとうございます」
おじさんに言葉を返した後、彼はこちらを見て続けた。
「俺はこの通りここでうまくやっていけています。両親の事も皆をやめさせた事にも、今の自分の姿にも、いつまでも悲観的にならず前に進んでください。あなたはあなたです。あなたは父親の様には決してなれません。だから自分の好きなように生きて行けばいい」
「あ、ありがとう。お前がそんなに喋りなんて珍しいな。昨日も目を合わせてくれなかったのに……」
「今日だけです。俺はあなたが思っているほど困っていませんよ。それがあなたなら分かるはずですよ」
「え……」
「じゃあ、俺は戻りますから」
「あの人、前はあなたの屋敷にいたのよね。あまり喋らないけど、仕事はしっかりこなしているわ。きっと真面目なのね」
「そうなんですか。これって、キャラパン?」
「かわいいですね。猫と犬や花とかデコレーションが書かれています」
興味ある様子で覗き込むエミリーがいた。
「そうだね」
目の前の真理さんは、そのキャラパンについて説明してくれた。
「そう、彼の提案で子供が楽しめるパン屋さん、シンプルなものともっと凝ったものも取り入れたいと話していて、それに費やす機材もなく技術や時間の問題もあった。だけどそこで彼は今あるシンプルをそのまま使いデコレーションを加えて見栄えのあるパンにしてくれた。子供たちにとっても人気なのよ。彼はもうここにいなくてはならない存在になったわ」
「彼らしいね。実は陸はシェフの息子なんだ。手先も器用で料理よりも絵が得意だった。というか好きだったんだね。好きな事に熱中しやすいから」
「そうだったんだ」
「あんな感じにね。あの姿を見る限り言っていた通りあいつは、ここでうまくやっていけているようだ……安心したよ」
「次に昼食でも作ってもらおうかしら。どんな顔するかしら?」
「あはは、きっと……まあ、これは秘密として試してみるといいですよ」
「うん、そうね。楽しみだわ」
「聞こえていますよ、二人とも」
眉間をよせたような彼の表情が見え、丁度、あんな感じの顔をするのだと教えたくなる気持ちを抑えて、僕とエミリーはカナさんの分のクロワッサンやシュガーパン、それから朝食の分のフランスパンを買った後、彼のいるその温かな場所を後にしたのだ。
「ありがとうございましたー」
「また、おいでね。二人とも」
「エミリーちゃん、また何かあったらいつでもきてもいいからね」
おじさん、おばさん、真理さんの声に手を振るエミリーがいて、僕はそっとお辞儀をしてからその足を進めた。
時刻を確認すると十二時までには、あと三十分の余裕があったがそのまま来た道を戻り、カナさんがいる店へと道を引き返した。
すると何やらその辺りは騒がしく、帽子をかぶったあるおじいさんの姿を捉える。
――ここら辺では見かけない顔だな……
――私も話しかけられたけれど、よく見ると外人の方だったわ。
――また、つい最近にも女の子がこの辺り周辺を回っていたっていう話よ?
――おいおい、何か問題を起こさないでくれよ。
足を止め、数人の人々が警戒心を露にして、遠くから彼の様子に目を配っていた。
道を覆うほどの人だかりは丁度、カナさんが働く店の前近くまで来ていて、ちらっとカナさんの姿を見かけた。
「カナさん、これは……なにがあったの?」
「さあ、あそこ見える帽子をかぶったおじいさんが、なんか先ほどから喚いているらしいのよ。私にもよく分からないけど人を探しているとか……」
チラッとエミリーへと向けられた視線に僕は気づいていた。
もしかして……
「帽子のおじいさん……?」
そう呟いたエミリーの表情は蒼白でその一点を向いていた。
僕もその方向へと視線を向けた。
「どうか、話を聞かせてください。少しでもいいので話を聞いてくれ」
行き交う人、全員に声をかけている様子の彼は、動作を加えて次にこう漏らすのだ。
「人を探しています。エミリーという少女を知りませんか? 背はこれくらいで金色の髪や青い目の女性です。みませんでしたか?」
「ちょっと、そんな汚い格好で私の腕に触れないでくれますか?」
「あの、エミリーを知りませんか! ここに訪れていたことは聞いているんです。その場所を知りませんか?」
「知らないわよ! あなた、彼女を探しているけどどういう関係なの? あなたみたいな怪しい人に何も知らせないわよ!」
逃げる様に去っていく相手に向け、悔し気に彼は吐きだした。
「なんて奴らだ! この街の者はみんなこんなに白状なのか! 昔からそうだ……変わったのは見た目だけなんだな!」
――いやわね……
――怖いわ。誰か、あの男の人どうにかできないの?
――何考えているのかしらね。これだから外の人間は……
「あれって、やっぱりエミリーちゃんの……」
言葉を漏らすカナさん、そして動き出すおじいさんの姿を見て、そっと自分の背へと隠れるように移動したエミリーは強く僕の腕を掴んでいた。
「エミリー……?」
「聖十郎さま、助けてください。私は彼と会いたくはありません。会ってはいけません」
「それはどうしてだい? 喧嘩でもしたのかい?」
「違います。彼がそれを望んでいるんです。彼は私を嫌っているんです。だから私は言う通り、あの場所から出たんです」
「それって……」
エミリーの強張った顔と……
「クッソ! こんな場所にエミリーを置いておくわけにはいかない。早く、誰か! エミリーの居場所を教えくれ! 皆知っているんだろ!」
人々から拒まれつつも必死に娘を探し回るおじいさんの姿を照らし合わせて、何か二人の関係にはずれがある様に思えてならなかった。
「ひどい人です。この街の人は皆いい人なのにあんなことを言って……」
今、僕はどうするべきか、少し考えて僕は……こう決めた。
「カナさん、エミリーを頼みます」
「え、ちょっと!」
「僕は彼と少し話をしてみる事にします」
カナさんへと渡したエミリーの心配そうな瞳をみて僕は笑いかけた。
「エミリー、そんな顔しないで、大丈夫だから。僕は君の味方だよ。それを信じて」
応えないまま僕に視線を向けるだけのエミリーから目をそらし、
「じゃあ、いってくるよ」
その後、僕は足早に人の隙間を抜けて、おじいさんの目の前に立った。
「久しぶりですね。ジョウジさん」
「お前、もしかして……」
「はい。覚えていてくれましたか? 聖十郎です。葬式の日以来ですね」
「ああ、そうだな……こんな姿ですまない」
近くで彼の姿を見ると分かる。
土や植物の葉の色素に汚れ、所々穴があいてやぶれている服。
雨も降っていないのに濡れている泥のついた靴。
頬のこけた顔は蒼白く、彼が疲れ果てている事が分かる。
「いったいどうしたんですか? その姿……」
「ちょっとな、森の中を歩き回ってな……そんな事より、お前さんは知らないか?」
「何をですか?」
「エミリーだ。俺と似たような金色の髪と、青目の少女を見なかったか?」
「その少女がどうかしたんですか?」
「知らないならいい。お前さんに話す事でもない」
「知っていますよ。彼女の事はよーく。なにせそのエミリーは今、僕の屋敷にいます。どうか安心してください」
「それはどういう事だ。お前が見つけてくれたのか」
「まあ、そんなところですかね。出会いは最悪でしたよ。僕が美しい物、つまり骨董品などの芸術作品が好きなのは知っていますよね?」
「ああ。それがどうした?」
「せっかくの僕の宝物を彼女のせいで壊されてしまったんです。だから僕は金を持ち合わせていないあの女を屋敷で働かせる事条件にして許したんです」
「金なら俺が払う。だからエミリーを返せ!」
「うーん、それはちょっと……お断りします。あんな整った生きた芸術を今さら僕は手ばなせませんよ。あの人形のように美しい少女は僕がもらいます」
「そんなこと勝手に許さんぞ!」
「どうせ捨てたんでしょ? 彼女から聞きましたよ。エミリーは僕の元へと望んできたんです。彼女はもう僕の物だ。もう離せないよ。一生、あのままの姿でとっておきたいなぁ」
「この野郎!」
瞬間、彼の怒りがこもった拳が僕の頬へと伝い、足元がふらついた。
「エミリーは私の娘だ! お前の様ないかれた奴に渡すわけにはいかない!」
「イタタ……そうか、それは仕方ない……どうやら、あなたは本気でエミリーの事を心配しているようですね」
「当たり前だろう、家族だ!」
「よかったです」
「え……」
「ちゃんと聞いていたかい、エミリー。君はそれでも自分は彼に嫌われていると思うかい?」
僕の視線の行き先を確かめるようにジョージさんもカナさんの後ろから顔をのぞかせるエミリーへと顔を向けた。
「聖十郎さま……」
「これはどういう事だ。君はもしかして……」
「すみません。余計なお世話だとは思ったんですがどうやら二人とも勘違いしているようで見ていられませんでした」
「エミリー、こっちにおいで」
「はい……」
彼と少し顔を合わせる事を躊躇している様子で、そっと駆け出す彼女の姿があった。
「あの……その顔、大丈夫ですか?」
「ああ、少し痛むけどね。大丈夫だよ」
「そうですか……すみません」
ちらっと、僕から彼へと目を向ける彼女は不安そうにしていた。
「エミリーもそんな顔しなくても大丈夫だよ。このひとはちゃんと君の家族だ。安心して」
「は、い……」
彼女もだが、エミリーを前にして困ったように帽子の上に手を置くジョージさんの姿があった。二人ともいつまでも黙ったままだった……
「あの、もしよかったら僕の屋敷まで一度行きませんか? いろいろと話したい事もありますし、一度休んでいってください」
「では、お言葉に甘えて、そうさせてもらおうか」
この後、カナさんにエミリーとの買い物の件について中止すると伝え、屋敷へと向かった。
「汚いな……前はこんなんじゃなかったぞ」
屋敷の中へと入るなり眉を寄せてそう呟いたジョージさんがいた。
「あはは、これは失礼しました。すっかり忘れていました」
「使用人はどうした?」
「今は雇っていないんですよ」
「そうなのか。あの時からか……」
「はい……」
僕の後ろにくっついている様な大人しい彼女の話題を出してみる。
「あ、でも、エミリーが来てくれたおかげでその食事場だけはきれいなんですよ」
丁度、掃除してきれいだった部屋があってよかった。
その部屋を案内し、足を踏み入れたジョージさんはあたりを眺めこう呟いた。
「そうだろうな。家の事はいつも全部やってくれた。しっかりした子だ」
「はい、そうですね」
「だが、それしかできない。教えた事しかできない……」
「はい、そうかもしれませんね。でも、いい子です」
長机の前まで歩きそこで言葉をかけた。
「きっと、これからちゃんと教えてあげれば覚えていくと思いますよ。エミリーは頑張り屋さんだから」
「そうか……」
「さあ、どうぞ。好きな所に座ってください。エミリーもね」
「はい、清十郎さま……」
エミリーは彼から離れるように窓側の席に移動し、ジョージさんはエミリーから一席ずれた向かいの席に腰をかけた。
「では、僕はお茶を入れてきますね」
「聖十郎さま、それは私の役目です」
「君の親がきているんだ。今日だけは僕に入れさせて」
「はい……」
立ち上がろうとした彼女は居心地悪そうな気まずそうな表情をして、そっと座った。
その後も目線すら合わせようとしない二人の姿を見て、自分がうまく間に入って話を進めていった方がいいのだと思った。
お茶を入れ終えた後、僕もエミリーの横につきジョージさんと向かい合わせになるように座るジョージさんに聞いた。
「直球に聞きますが、エミリーは家出してきたようなんですが、何かあったんですか?」
「なに……お前さんに話す事ではない」
「エミリーの態度からしてもあなたの態度からしても、このままだとずっと一言も会話せず過ごしそうで見ていられません」
「余計なお世話だ」
「そうかもしれませんが、でも、分かる事はありますよ。
「あなたは帰ってこないエミリーを心配して森にはいり探していた。それだけであなたがエミリーを大事にしている事は分かります。街での必死なあなたを見て分かります」
「僕はここでエミリーを引き渡す事が本当ならいいのかもしれません。でも、今もまだあなたを警戒しているようなエミリーを手放す事は僕にはできません。だからどうしてこんなにも二人がすれ違っているのか教えてくれませんか?」
僕が向ける視線に睨み返すようにして、しばらく押し黙っていた彼はこう告げた。
「お前さんがエミリーをそれほどまでに気に入ったんなら、これからもここに置いておくといい……俺はもうそれでいい……」
「え、でも、それでは……」
何の解決にもなっていない、そう言おう押した時だった。
「一体、どっちなんですか?」
エミリーがやっと彼に向けて言葉をかけた。
「私を家族だと言ったり、探してくれたのにここに置いて行くと言ったり、私を拒んだのはあなたですよ。やはり私は人形の様な者で同じ人とすら認めてもらえないんですか? 私は結局、あの家に入らない子だったんですか? 私には分かりません。あなたが何を考えているか分かりません!」
「……」
「何か言ってください!」
「言う必要はない。お前とは私はもう関係ないだろう?」
その時、目を見開いた彼女は悲しそうに俯いて、そのまま立ち上がり食事場を出ていった。
「あ、エミリー!」
手を伸ばすもその声は彼女には通じず扉が勢いよく閉まる音だけ後に響いた。
「ジョージさん、なんであんな事を……」
彼の目線は下がり言葉をためるようにしてその理由を次に述べた。
「俺も年だ……いずれ一人になると分かっていて、いつまでもあの家にあの子を置いておくわけにもいかない」
「それは、誰だってそうだと思います。親は子よりも先に亡くなるものです。僕の様に突然一人になる事だってあります……」
「それなら分かるだろう? あの子には俺しかいない。いや、誰もいないのと同じだ。エミリーはずっと孤独だ。外にいれば人と交ればその容姿から皆とは外れ者にされる。あの子には母親しかいなかった」
「元々、エミリーは死が迫っていた妻が自分が一人になってもちゃんと暮らしていけるようにと、世話役として容姿に迎えた子だった。だが、俺はあの子の人生を奪ってまでそうしたいとは思わなかった。だから妻の死後よく考えて、エミリーに俺の元から離れて暮らすよう告げたんだ」
「きっとそれで、自分がいらないものだと思った彼女は家出したとそういう事ですか?」
「ああ。大体あっている。元々、あの子とはろくに話もせず関わっていなかった。たった二日でまるで妻といる様にあんたになじんでいるエミリーを見て驚いた。やっぱり俺なんかといたらかわいそうだと思った」
「それで、あんな事を……こんな結果は誰も幸せに離れないじゃないですか。僕がエミリーを任せられるほど信頼できる人間だって思われても嬉しくありませんし、いけません。彼女に嫌な記憶を残す事はできない。あなたの存在はそんなに小さい物ではありません。あんなふうに不満が漏れるって事は、求めているんです。あなたにも認められたいんです。家族だと必要とされたいんです。あなた自身の存在を軽く見ないでください」
「それでも……」
「それと勝手すぎますよ。僕は正直エミリーとの一緒にいれる事は嬉しいです。しかし、エミリーのこれからを僕に全部ゆだねるとあなたは先ほど言っているのと同じです。僕とエミリーは今、恋人でも、家族でもありません。他人同士なんです」
「お前さんはエミリーが嫌いか?」
「嫌いではありません。だからこそ彼女の想いをくみ取ってあげたい。あなたにも思い直してほしい。本当の意味で僕がエミリーにふさわしい人間か認めてもらいたいです」
「そうか……俺はもうあの時に決めていたんだがな……」
「あの時……」
「街でお前さんがエミリーのために俺の前に立ってあえて悪く演じて言葉を引き出した。殴られた事よりもエミリーの事を気遣っている姿を見て、この男にはあの子を任せられると思った。それに俺たちはそんなに他人でもないだろう。同じ異国の血が入っている」
「母親似だろうが、少しはあの子の気持ちが分かるはずだ」
「そうですかね。分かったらいいんですけどね。でも、僕は分からなければ言葉で理解します。お互いに理解し合うにはどうしても話し合わないと伝わらない事があります。でも、たったそれだけで理解できる事もあります。あなただって、話してみるといいと思います。エミリーはあなたの事が分からないと言っていたじゃないですか? あれは彼女の本心です」
「今さら遅すぎるだろ……」
「そんな事ありません。彼女があなたの言葉を望んでいる以上遅すぎる事はありません。あなたがエミリーに真実を告げないと僕はエミリーを幸せにする保証はできません」
困ったように眉を寄せる彼はしばらく目で訴えるように僕を凝視した後、顔ごと俯いた。
「少し考えさせてくれ」
「分かりました」
「今日はもう帰る」
言葉と同時に立ち上がる彼を見て僕も上体を起こし、先に入り口へと向かう彼の元へ向かう。
「泊まってはいかないんですか? 天気も少し怪しいようですけど……」
「こんな汚い他人の家にいたら気が休まらないからな」
「あはは、確かに。部屋はあいていませんね」
「今日はエミリーが無事だと分かっただけで安心した。エミリーにこれを渡してくれるか?」
彼から渡されたそれは、土に汚れたぼろぼろの白いハンカチだった。
「これは……」
「こんな汚れて、もういらないかも知れないが、これは俺がエミリーを愛している証だからな。一応、渡してくれるかい?」
僕にはその意味が分からなかったけど、エミリーを探して森にに入っていたという彼と同じように汚れているそのハンカチは特別なんだと思った。
「その言葉を彼女に言ってあげればいいんですがね……」
「ああ……」
「分かりました。エミリーに渡しておきます」
そこで、そっと戸を開けた時、壁に背を持たれているエミリーがいた。
彼女は口をかみしめてただ黙り込んでいた。
「エミリー……」
目を見開いて薄く驚くも彼もやはり黙り込み、そのまま彼女の横を過ぎていく。
「あ、ジョージさん」
彼を気にするように顔を向ける彼女がいて、その様子から彼女が会話を聞いていた事は分かっていた。
何かを言いたげに口を開く彼女は不意に諦めがちに下を向く。
「エミリー、行くよ」
そんな彼女の手を引いて僕は、すでに廊下を抜けて玄関の戸を開いていたジョージさんの元まで向かった。
「ちょっと、聖十郎さま!」
「君はそれでいいのかい?」
「それは……」
「僕は君の事はまだ分からない事だらけだけど、これだけは分かるよ。今の君の顔は全然幸せそうに見えない」
「……」
「とにかく家族なら今日はこれだけ彼に伝えて。〈さようならまた明日〉ってね」
「え……」
「当たり前にする挨拶だよ。それすら今さらかわしてこなかったのなら今日からすればいい。もし君が彼と言葉をかわしてこなかったのならこれから少しずつ知ればいい。二人とも何も知らず関わる事を恐れているように見える。まるで……似た者同士だ」
足を止めるジョージさんの姿がある。
彼は顔を隠すように帽子のつばに触れていた。
「私にはずっとリサだけだった。お前と同じだ。エミリー。お前が言ったように俺にもお前の事が分からなかった。ずっとどうしていいか分からず会話すらかわせなかった。お前は今、幸せそうだ。まるでリサといた時の様な顔だ。お前は俺の事が嫌いだと知っている」
「違う。それは……」
「だから、これでさようならだ。今までありがとう」
大きく首を振る彼女は、外へと出て行く彼を追い駆け出した。
「勝手にすませないでください! 私にも言いたい事があります。待って、お義父さん!」
「すまなかったな」
一瞬だけ笑った彼は扉が閉まると同時に見えなくなり、行き手をふさぐ扉を開け、彼に向かって駆け出していくエミリーがそこにはいた。
きっと彼女と彼は分かりあえるだろう。
すると、エミリーは自分の家に戻るのだろうか?
しばらく会えないのだろうか?
たった二日間の素敵な時間だった。
また、一人の時間に戻るとなると少し寂しいけれど、彼女がなくなったわけではない。
だから僕は笑顔で見送ってあげよう。
ゴロンッ……
ふと物音がし横を見ると自分の傍にはガラス人形が落ちていた。
拾い上げるとそこにヒビが前よりも増して広がっている事に気づいた。
その直後だった。
「きゃああああああ!」
雷の光や轟音と共に屋敷の中は暗闇に包まれ、僕は外からもれる薄い光を頼りに急いで扉を開けた。
そこにはぽつぽつと振りだす雨の中にぽつんと浮かぶ金色の髪、エミリーの後ろ姿、地に横たわっているジョージさんの姿があった。
「そんな……」
「聖十郎さま……聖十郎さま、聖十郎さま! 聖十郎さま」
その場に座り込むエミリー振り返り、その顔は歪み、唇は震えていた。
「エミリー、大丈夫。落ち着いて……」
僕はそんなエミリーの元にかけ彼女を抱きしめた。
「動かない……雷がお義父さんに、落ちて……もう、死んじゃったの?」
「雷に打たれたのなら、助からない……」
「私、こんなの嫌よ。せっかく……伝えたい事が、あった。言えなかった……」
僕はこの状況に何も言えなかった。
横たわる彼の奥に見える青い空、そして自分たちの上にだけ覆っている黒雲を見つめ僕は思った。
これは神の仕業か、それとも悪魔か?
いや、まさか……この手に掴んでいるガラス人形が……
「なんで、なんで……」
ただ、彼女の今の苦しみが癒されますようにと、彼女の涙が止まりますようにと強く抱きしめる事が唯一、僕にできる事だった――
ジョージさんが亡くなって一週間が過ぎた。
既に葬儀はすまし、彼の遺体は妻のリサさんが眠る場所に埋葬され、その後、一緒に暮らしているエミリーはずっと悲しみを紛らわすように屋敷中の部屋を掃除していた。
ふらついていた彼女の姿を見て僕は、使えるようになったリビングで一緒にお茶をしようと誘った。
しかし机に置かれたカンカンに入ったクッキーにも反応がなく、黙ったままのエミリーがそこにいる。
「どうだい、毎日この部屋の掃除を頑張ってくれているエミリーのために飼ってきたんだけど、おいしいかい?」
「はい、それはもちろんです。美味しいですよ」
「そうか、それはよかった……」
あの日から彼女の笑顔やはきはきとした声を聞いていない。
まるであの時と僕と同じように苦しんでいるのだろう。
目の前で養父が亡くなったのだからなおさら忘れられないだろう。
まだ時間は仏ようかもしれないけど、早く彼女には元気になってもらいたい。
「そういえば、君の話はもう聞いたから僕の秘密も君に話さないとね」
「あ、はい……話してくれるんですか?」
「うん、話すよ。もう、五年以上前になるんだけどね。今は一人だけど僕にも大切な家族がいたんだ。父と母、エミリーのような金髪を持った祖母がいた。病気だった祖母を病院へ連れて行った帰りに事故にあい三人は亡くなった」
「だいたいそういう事だろうと……あなたと関わる人達との言葉で分かっていました」
「アハハ、そうなのか……葬式の日、祖母と兄妹だったジョージさんとリサさんにも会った。僕はこの家の事情はよく知らないけど、どうやら子供を生めなかったリサさんを曾祖父は手放すよう彼に告げたが、それができず長男だったジョージさんはこの家をでたらしい。二人は彼の母親……曾祖母の故郷のアメリカに移住しているはずだけど今の家に戻って来たようだね」
「そうなんですね。私が孤児院から引き取られたのは五年前のことで、その時にはもうずっと私はあの家に住んでいました」
「五年前か……丁度、葬式の後か……僕と彼女は初対面だったんだけど、僕は一緒に暮らそうと言ってくれた彼女の言葉を押し切ってしまってね。彼女を怒らせてしまった。あの時、誰とも関わりたくないほど絶望していたんだ。海外に留学していた僕は学校をやめ、孤独という現実を苦しさを紛らわすため宝物を集めに没頭した。だから家族を亡くした君の気持ちは少しは分かるよ。今の君はまるであの時の僕と同じだ」
「聖十郎さま……」
「僕はエミリーに元気になってもらいたい。また、街をまわっていた時のようなキラキラした顔を見せてほしい。時間がかかってもいい。僕は君といたい。守りたい。いや、僕の方が君に救われているんだ。だからもう一人にはなれそうにないよ……」
エミリーの瞳は今、まっすぐ僕をとらえていた。
そして彼女はそっと口を開いた。
「あなたも辛かったのね。私もお義母さんが死んだ時、体が冷えていくように悲しかった。絶望したの。もう生きていけないと思った。本当に辛かったの……」
「うん」
「お義母さんが私の唯一の理解者で、私をあの孤独なあの場所から連れ出してくれた人だった……」
「そうなんだね……」
彼女から最初の時にある程度、話は伺っていたが、おそらくあの場所というのは孤児院のことだろう。
『誰か……私を見つけて……』
初めて会った夜、僕は彼女が呟いた声を聞いてしまった。
僕の救いの手に、彼女はすんなりとはいかないものの自分の後についてきた。
今ではこんなに警戒をといて一喜一憂して、僕の心配や自分の話までしてくれている。
無知ゆえの無謀さや、すぐ人を信頼し流されてしまう彼女の幼さが危うく感じ、僕が彼女を見つけてよかったと思うのだ。
また、そんな彼女に安堵する自分もいるのだ。
エミリーの不幸を利用しているようなそんな異様な状況に、自分の欲を捨てきれない僕は変わらずエミリーを求めている。
「私が家を出た理由が人形の様だと養父に言われたからなの。あなたもそう言ったわね。私は昔からこの顔のせいで人から愛されなかった。孤児院でもずっと誰も私を引き取ってくれなかった」
「それは、君が嫌われていたからじゃないと思うよ。君は特別なんだ。とってもきれいだよ」
「うん。もう分かっている。あなたの言葉が本当だって分かっているから。安心できます。あなたがあの夜の日に私を助けてくれたように、お義母さんも私を孤児院で見つけてくれたの」
「うん、そうか……ジョージさんも言わないだけで君を大切にしていた。君ももう知っているよね」
「はい……聖十郎さまに渡されたあの白いハンカチはお義母さんが暮れた物でした。そしてお義父さんが私を愛してくれた証なんだって……汚れてしまっているけど、これは私の宝物です」
「そうだね」
エミリーが暮らしていた家で彼女の荷物を整理していた時の事を思い返し、ふと彼女に呟いた。
「君の過ごした家はほこりとかなく綺麗だったけどキッチンに残された、洗われていない食器や彼の部屋に出されたままだった服、タバコの灰が残されたままだった」
「はい」
「ジョージさんも僕と同じで片付けられない人だったのかもしれないね」
「はい、なくなるお義母さんから彼が嫌がっても毎日掃除は欠かさずにって言われていました」
「彼の話によると君のお義母さんは、病気だったらしくてね。君のおかげで毎日ジョージさんは助かっていたと思う。彼は君が大切だから君を自由にするため、幸せを祈って他の家族の元で暮らさせようとしたんだよ」
「はい、そうらしいですね」
ふいに、下を向くエミリーがいた。
「なのに……あんな事になるくらいなら、あの家にいるべきでした。全部私のせいです」
「違う、そんなこと言わないで、エミリー。自分を責めないで。こうなったのは君のせいじゃない……これは……」
僕のせいかも知れないんだ……
「聖十郎さま……気を使わないでも大丈夫です。私は彼のためにお義母さんが用意した使用人のようなものです。お義母さんは亡くなる前、私にずっと言っていました。お義父さんの事をお願いと、彼を一人にしないで。ずっといい子にこの家で暮らすのよって、私の事よりもお義父さんの事ばかりを心配していた……」
「それでも……君はちゃんと二人に愛されていたと思うよ。そうじゃなければ、お義母さんはジョージさんの事を君に託さなかったと思う。孤児院で選んだように彼女にとって、君が一番だったんだ。僕だって君が……」
その後の言葉はこんな状況で言うのははばかられる。
「聖十郎さま……ありがとうございます。やっぱりあなたは不思議な人です。変わった人です。どうして私はあなたの近くが落ち着くのでしょう? 一緒の家にいるのに一人でいるとあなたに会いたくなるのでしょう?」
「エミリー……」
「先ほどあなたが私に言ったように私も聖十郎さまと一緒にいたいです」
思わぬ彼女の言葉に僕は言葉を失っていた。
「本当に僕と一緒にいてくれるのかい? どうして……こんな僕に……」
嬉しいはずの彼女からの無自覚の告白は、ある疑惑から困惑へと変わりゆく。
悩ましげに顔に手を覆った僕の前で彼女は真剣にこんな言葉を紡いだ。
「あなたの事を知ったからです。好きなものに熱中する姿、一緒に街を回ったたたずまい。あなたは時々変で頼りなさげだけどそれでいてしっかりしている、本当によく分からない人です」
「あはは、よく分からないか……」
「でも優しい人です。私のためにお義父さんに殴られていたあなたはきっとお人よしです。私を受け入れてくれたあなたの事は嫌いになれません」
いい事も悪い事も全て含めて僕を受け入れてくれているのだと思って、彼女が僕を求める瞳を見て愛おしかった。
「そうか。うれしいな……本当に……」
僕から到底、彼女を捨てられそうになかった。
だから……
「ずっと、これからもここにいさせてもらってもいいですか?」
エミリーの言葉に僕はこたえた。
「うん。僕は君を離さないよ。君のお義父さんにも君を託せられたから。何より僕がそれを望んでいるから。これから亡くなった二人の分まで君を幸せにする」
「はい」
「だから家族になろうか、エミリー。こんなよく分からない変人な僕だけど結婚してくれますか?」
エミリーはそっと目を閉じ数秒間、黙ったままでいた。
その瞳が開かれた時、涙を流す彼女は悲しそうに微笑んでいた。
「聖十郎さま、私を一人にしないでくださいね。絶対に」
胸に顔をうずめてくる彼女は不意に顔を上げて僕たちは見つめ合う。
そして僕は誓った。
「うん、分かったよ。僕はエミリーが大好きだよ。この世界でたった一人、かけがえのない僕の宝物だ」
「はい」
交わされた口づけは悲し気で、彼女の記憶に焼き付いた孤独は僕にも分かる。
だから彼女の悲しみの分、僕は彼女に言葉を伝えようと思った。
「愛しているよ、エミリー」
「はい」
この形は偽物かもしれない。
彼女は僕の事を愛していないかもしれない。
彼女が見せる真っ直ぐな瞳は信頼だけでしかないのかもしれない。
それでも孤独だった僕はそれでもいいと思えたんだ。
慌ただしかったあの出会いから僕たちは、すっかり笑顔が絶えないまるで夫婦に関係になっていた。
僕の願望でしかなかったその想いは、運がよく叶えられた。
満たされた心、その気持ちを揺るがすような声が直後、どこからとなく聞こえてきた。
――願いは叶った。後はその代償を……
「え……」
「どうしたんですか? 聖十郎さま……」
エミリーが声をかけた時、彼女の後ろの方でゴロンッと石か瓶が転がったような鈍い音がして、目線を床へと向けると彼女の椅子の下に青い塊が見えていた。
「あ、ああ……やっぱりこれは……」
この幸せ全ては人形のせい……
「聖十郎さま……?」
目の前にいる自分を愛してくれた彼女の想いは本当に本物?
「エミリー……僕は……君を……」
――殺せ……
「え……」
――お前の不幸が代償……その女を殺せ……殺せ!
「それはできない。大切なエミリーを……彼女を失うなんて僕には耐えきれない! なにか他にないのか?」
「聖十郎さま? 誰と話しているんですか? しっかりしてください!」
自分の元に駆け寄る不安げなエミリーの青い瞳が目の前にある。
――ダメだよ。お前はエミリーを殺すんだ。いつかその手でね。
「そんな……」
クスクスクスと、子供のような笑い声が響きわたる中、僕は自分の手の平を見つめ、そんな残酷な未来が来る日を想像して恐ろしくなったのだ。
あの宣告から一年という時を彼女と過ごした。
彼女との偶然の出会いも、彼女の養父が亡くなった事も、彼女を手にしたいという僕の願いにガラス人形が反応しての事だと悟った僕は次第に蝕まれる人形の呪いに、その見返りに蝕まれていく。
彼女への殺意がこの身から沸き起こる感覚が日々強まっていく。
もうこれ以上彼女とはいられない。
僕はエミリーを遠ざけていった。
「聖十郎さま、どうして、最近、目を合わせてくれないんですか? 前はよく行っていた街にもいかなくなって、部屋に閉じこもってばかりです」
「ごめんね、エミリー。少し疲れているんだ。一人にさせてくれるかい?」
「はい……分かりました……」
そして時間が経過し、彼女は涙してこう訴えてくるのだ。
「どうして、私を避けるんですか? 私の事が嫌いになってしまったんですか? 聖十郎さま」
「私、何かしたんですか? 言ってくれないと分かりません!」
とっさに僕はエミリーを強く抱きしめた。
「エミリー、ごめん。ごめんね……僕は……」
――殺せ。さあ、殺せ……
まるで君への愛が狂気へと変えられるようなそんな感覚に襲われ、僕はその時、君に手をかけかけた。
とっさに君を突き飛ばした時の君の困惑した顔をみた。
そして怯えた表情へと変わる瞬間を見た。
それで僕はやっと決心する事が出来たんだ。
「エミリー、もう僕は君と一緒にいたくない。だからもう僕の前に二度と現れないで。ここから出て行くんだ」
これが最後に僕にできる唯一の手段だった。
「そんなの嫌です」
「君はもうあの時の何もできない少女じゃないだろう? この一年でお金の単位も教えたし、買い物の仕方も理解したし、頼れる友達もできたでしょ。大丈夫だよね?」
「聖十郎さま……」
「僕はもう顔も見たくない。君と一緒にいたくない。だから僕のために早くここからいなくなってくれないかい?」
「そんなの嘘よ……」
「僕が嘘を言ってるように思える?」
エミリーは、僕を見つめそれから眉をよせて首を振った。
「違う、違う……こんなの嘘だわ。あなたはこんなこと言う人じゃない」
「人は変わる者だよ、エミリー。お前が変わったようにね」
「うう……」
僕の前から遠ざかっていくエミリーの姿を眺めて僕は、良かったと思えた。
彼女の姿が見えなくなり、沈黙の中で一人を実感した時、悲しみや孤独感、虚しさなどの様々な感情を含んだ絶望が胸の内におしよせた。
「エミリー、どうか、生きてくれ。幸せになってくれ……」
エミリーを失いたくない。
一生、一人でいいから彼女だけは守りたい。
この手で殺したくない。
僕はただひたすらそう祈っていたんだ――




