009 雪野が眠る間に
車の中、赤子を抱いた少年は虚ろのまま後部席に寄りかかっていた。
彼の身に何があったのか分かってはいた。
それでも季流には何もできない。
今の彼にはどんな励ましの言葉も無意味に感じられたから。だから無言のまま季流は、彼の様子をミラー越しに伺っていた。
「季流、お兄さん。来てくれたんですね……ずっと、待っていました……」
しばらく微動だにしなかった雪野が口を開いたのは、車が木崎家を出てから三十分過ぎの事だった。
ぼそぼそと弱弱しく喋る雪野に、季流は何と答えたらいいのかやはり分からなかった。
しばらく沈黙が走った後、季流は短く答えた。
「私は来るのが遅すぎましたね。すみません……」
「……」
その後はまた長い沈黙が続き、雪野はなんの反応も見せない。
そして……
「お兄さん、僕は……」
やっと、ぽつりと漏れる言葉があった。
「人を……殺してしまったんです。僕が人を、人形が、僕が……体が勝手に……お母さんが、お父さんが、みんなが、ああ、うあぁああぁ……」
彼の焦るように吐く言葉はうまく形をなさず、言いよどむ。
このままでは彼の精神は壊れてしまうのではないかと季流は心配になった。
「大丈夫です。全て分かっています。そのうえで私はここにいるんです」
そんな言葉しかかけてやれない。
「雪野くん、私は今も昔も力になってあげられません。そのことを謝罪します。今のあなたにかけられる言葉は何も浮かび上がりません」
季流はミラー越しに雪野を見て続ける。
「でもそれでも、今も昔も私はあなたの味方です。だから安心してください。雪野くん、今のあなたは心も体もとても疲れている事でしょう。辛い事でしょう。だから今はゆっくり眠ってください。大丈夫です。眠ってしまえば、悲しい事実も一時的にだが忘れられる。さあ、目を閉じて……」
季流のその言葉に従うように雪野が目を閉じたのが見えた。
後は深い眠りに身を落とすだけだ――
三十分過ぎに季流たちは夏川家分家の紅葉亭へと着いた。
「何があったんだい……」
紫は父や祖父の後ろで呟いた。
春夢という赤子を父はそっと抱え、雪野は祖父によって起こさないように抱えられた。
その後、雪野は部屋へと寝かされ、春夢は祖父の治癒能力によって重症だった火傷の傷は、痣が残ったもののしっかりと直された。
そして、一段落したところで話がなされた。
「季流、木崎家でいったい何があったんだい?」
「それは……本家の方々とのお話があるので、その時に全て話します。今は待っていてください」
「分かったよ。お前がそう言うなら、そうしよう」
「父さん、今すぐ本家の方で分家の人たちを集めてもらうことはできますか?」
「うん。やってみるよ。電話かけてみるからちょっと待っててね」
その時には夏川家の本家の菊ノ亭と分家の紅葉亭、青葉亭の間では木崎家で雪野が亡くなったことは知れ渡っていた。
「木崎家で、二年前見たあの子供が死んだそうだよ」
「えー、それ本当?」
「また、生き返ったりするんじゃないかしら?」
「なんだか、怖いわ」
「怖いわね」
そんな使用人たちの声に本家、菊ノ亭では、
「ねえ、お母さん。みんなどうしたの? 騒がしいけど何かあったの?」
汰貴という六歳ほどの子供が母に聞いた。
すると、一歳ほどの沙羅という女の子を腕に抱いた母親、泉美はこう答える。
長く薄い色の髪を前髪から後ろに持って入った髪形をしている女性だった。
「ええ、ちょっとね……」
「お父さんやおじいちゃんたちの姿が見えないけど、どうしたの? どこか行っているの?」
「う、うん。ちょっと、外を見回りに行っているだけだから心配しないでもいいわよ、汰貴。あなたはもう寝ていなさい」
「えー、こんなに騒がしいと気になって寝むれないよ」
「そんなこと言わずにね。さあ、寝なさい。そうじゃないと私がお父さんに何か言われるんだからね」
お父さんとは泉美の夫である政貴の事である。
「はいはい、分かったよ、お母さん。寝るよ」
とその時、電話の音が鳴る。
受話器を取ったのは泉美たちのそばにいた稲実であった。
「はい。夏川稲実でございます。あ、草路? あんた電話なんかかけてどうしたのよ。え、子供がそこに? 季流が連れてきたの? 生きているの、その子? うん? ここに集まるだって? うん、別に大丈夫だよ。たぶんね……それじゃあ、総一郎様にもその事話しておくよ。うん、それじゃあ」
受話器を置いた母に泉美は聞いた。
「お母さん、今の電話何だったの?」
「ああ、今からここにお客さんが来るんだよ。大事な話をしなければいけないらしくてね」
「大事な話って……」
「二年前、木崎家の子供が生き返った話は聞いているね」
「うん。お母さんがその時、倒れたって聞いてびっくりしたのを覚えているよ……」
「そう、私もあの時はびっくりしたよ。人形に触れたとたん意識を持ってかれたから……」
「お母さん?」
「あの時の出来事がまた繰り返されたのかもしれない……木崎家の子供が生き返ったんだよ」
稲実は緊迫した面持ちで受話器を手枝にし出した。
その頃、木崎家に向かっていた本家の者たちは木崎家に着き、その惨状を目の当たりにしていた。燃えさかる炎はまず消され、ことを大事にしないように総一郎はこの出来事を[JHSA]へと伝えた。
消防車が去った後、総一郎はすっかり焼け落ちた木崎家へと足を踏み入れた。
「ヒィイイイ、死体、死体だ!」
「黙らんか、裕次郎。死体ごときで情けないぞ」
「そうは言っても、父上。これはあまりにもむごいです……」
裕次郎はそう言って、入口で立ち往生していた。
近くには、何人かいる中の孫であるの政貴と[JHSA]から派遣された特殊な警察官が木崎家に何体も転がっている焼死体の調査をした。
総一郎は息子である裕次郎の事は放っておき、警察官に誘導されるがまま奥に進んだ。
その中には、総一郎の内孫である美咲の姿もあった。
耳にかけるほどはある短い黒髪が特徴の勇ましさが感じられる女性だった。
「お父さん、ほんと情けないな……」
泉美の妹でもある彼女は、そう呟いた。
美咲は総一郎と政貴に顔を向けて言う。
「総一郎おじいさま、政貴お義兄さん、この焼死体ですが、どれも先に何かで胸を貫かれている痕跡があります。このことから何者かに殺されたのではないかと思われます」
「そうか、その中に子供らしき死体はあったか?」
「いえ、ありませんでした。どれも成人の死体です」
「それでは、やはり木崎の子は生き返ったという事か。それだとどこへ消えたのだ?」
総一郎は呟いた。
その時、裕次郎は突然と掛かってきた携帯電話に出た。
どうやら妻の稲実からのようで、
「もしもし稲実? どうした?」
電話の奥でこう聞こえてくる。
「裕次郎、緊急にお願いしたいんだけどね。今、草路から電話がかかってきて、総一郎さまにすぐに伝えてほしいことがあるんだけど」
「なんだ?」
「実は死んだ子供は季流が夏川家に連れて行ったらしくて、今紅葉亭にその子供はいるらしい」
「ええ!?」
「死んでいるのか、前のように生き返ったのか分からないけどとにかくいる。ねえ、そっちの状況はどうなっているんだい? もう木崎家にはついているんだろう?」
「ああ……それが、来てみたら木崎家は燃えていて、中にいた者たちは、全員かは分からないけど死んでいたんだ」
「それは、本当かい?」
「嘘を言うわけがないだろう」
「そうだねぇ、そうするとまたあの日のようにあの子供が人形によって暴走したのかもしれないね」
「そうとしか考えられないぞ。俺は今、物凄く怖い! そして不安だ!」
「そうかい……そんなことは置いておいて、草路は本家の方で話し合いをしたいらしくて、今、分家の人たちを集めているよ。総一郎さまにそのことと、木崎家の子供が紅葉亭に今いることを伝えてくれ、裕次郎」
「ああ、分かったよ。それじゃあ、また後で会おう」
「ええ」
裕次郎は電話を切る。
その後、急いで父に稲実が言ったことを伝えようと、死体が転がる家の中へと向かおうとするのだが、
「いやいや、やっぱり無理だな。でも……いくぞ!」
目を半分つぶるように手を顔に覆いかぶせる裕次郎は家の中へと勢いで入っていった。
「父上、父上! どこですか? ぎゃああああああ、死体!」
裕次郎の声がして、総一郎と政貴、美咲は足を止めた。
「どうしたんだ?」
「ん……?」
「お父さん……?」
裕次郎の声は近づき、総一郎は声をあげた。
「裕次郎、ここだ! いったいどうしたんだ?」
そして、美咲も父に声をかけた。
「お父さん、ここ、ここ!」
「ん? ここか! あ、いたいた!」
すると、ちょうど縁側の廊下の方で立っていた総一郎は部屋の方を通ってきていた裕次郎を捉えた。
「父上、大変です。今、稲実から電話がかかってきて、木崎家の死んだ子供が今紅葉亭にいるそうです」
「なぜ、紅葉亭に木崎の子供がいるんだ。まさか、夏川家を襲いに来たというわけではないだろうな?」
「いえ、草路の息子の季流が連れて行ったらしく、今、本家で全員に話したいことがあるらしいです。分家の方に本家に集まるよう電話をかけてまわっているそうです」
「なに? 季流がか……?」
「総一郎おじいさま、季流がなにかしでかしたんですか?」
「いや……大丈夫だ。何とかなるだろう」
総一郎は美咲に向き直って言った。
「美咲、お前は警察の人たち許可を取って一度夏川家に戻れ、わしたちも今から戻るつもりだ」
「はい、分かりました」
「裕次郎、いくぞ!」
「はい、父上」
後ろで歩き出した裕次郎は、
「って、うわ! 死体!」
横に転がっていた死体を見て騒ぎながら木崎家を抜け出した。
こうして総一郎たちは夏川家へと急いだ。




