001 変化する日常
赤く、赤く、染まっていた。
「ハア……ハア……」
燃え盛る炎の中、彼は泣き叫ぶ赤子を抱いて家から歩き出た。
その赤子の叫びはどこまでも響いていた。
それはまるで残酷に満ちた彼の表情、流れ出る後悔の涙から分かる絶望という彼の胸の内を代弁する様であった。
季流はそんな血にまみれた彼の姿を見て、憐みの表情を向けてこう言葉をかけた。
「雪野くん、あなたを迎えに来ました」
全ては事が終わった後で、もう取り返しのつかない状況だという事が季流は分かっていた。
そして雪野にとっての罪の日々の始まりだという事も……
彼らと会った今の時刻はちょうど、九時を迎えていた。
「さあ、行きましょう。雪野くん」
その時、季流が彼に言えたのはそれくらいだけだった。
木崎家の縁側の前、そこには今はもう半分以上咲き散ってしまった桜の木があった。
緩やかにだが、時間は経過していく。
そして、雪野の沈黙をつらぬき通していた平穏な日常も少しずつ変わろうとしていた。
雪野はいつもの様に時計が十時を回った頃でも、すやすやと眠っていた。
それもそのはずだろう。
彼は人形に呪われている……
人形の悪夢にうなされまいとして闇が深まる夜には眠らず、朝方まで起きている。
日が昇ると共に眠り出す事が彼の最初の日常だった。
彼を起こしに来るものはいつもならいない、のだが、今日はある来客が見えた様で……
「どうぞ。ここが雪野さんのお部屋です」
「うん、お邪魔しましまーす」
「お邪魔するわね」
花月の声とあと誰か二人の声が部屋の入り口で響いていた。
そして、雪野のすぐ近くで声がする。
「雪野、起きて!」
「起きなさい、雪野くん」
頭の中に響いてくるどこかで聞いた事があるような、ないような声に雪野はぼそりと寝ぼけながら言葉を発した。
「もう、誰? 花月、春夢? それともお兄さん……って、あれ!」
目をこすりながらそっと視界を開かせる雪野は予想もしていなかった人物たちをうつす事になる。その人物とは……
「やあ、雪野。目が覚めたかい?」
「こんな時間まで……ほんと、情けないわね。さっさと起きなさい」
蓮と紀菜だった。
「ああ、まだ夢か。じゃあもう一回寝なおして他の夢でも見ましょうか。ああ、何かおかしな光景、見ちゃった……」
雪野はそのまま再び目を閉じ、そして心の内で考えるのだ。
え……なにこれ。蓮たちがいるけど、どういう事?
どうせまた、お兄さんが連れてきたというパターンか……
すや~、とりあえず寝たふり寝たふり!
「あれ……雪野……?」
「……」
雪野は再び吐息を立て眠り出した。
「ちょっと雪野! 起きてよね。そんな目覚めが悪いみたいな事、言わないでさぁー」
「あなた、まだ寝るつもりなの?」
「……」
「起きろー、雪野! さもないと……」
蓮は雪野の頬をぎゅっと掴みひっぱった。
「いたたたたた! ちょっとつねらないで! 今起きるから、起きますから!」
雪野は思わず起き上がる。
すると入口の方で立っている花月を見かける。
「雪野さん、さっそく楽しそうですね」
「どこをどう見たらそう思うの? お前がこいつらをここに案内したの?」
「はい。蓮さんたちは雪野さんに用事があるそうなので、お連れしました」
「用事? 何だよ、それは?」
雪野は蓮の方に顔を向けた。
「それはね、雪野。一緒に怪奇任務へいこう!」
「え……」
こいつは今、怪奇任務とかという恐ろしい言葉を吐かなかったか……?
それはいわゆる、【変物】が絡む命の危険がある俺がもっともいやな事だよな?
この前のような【化け物】に襲われかけたり、囮になったりする怖くて危険で疲れる嫌ぁな仕事だよね……
こいつらはそれを誘っている……
俺にまたあんな目に合わせようとしている……
「そんないやそうな顔しないで」
「いきなりなんだよ。お兄さんみたいなこと言いやがって、俺はいかないぞ。絶対行かないからな!」
「その季流さんから頼まれたんだよ。雪野を起こしてくるように。これからも一緒に任務をするにあたってね」
「一緒にって、えっ?」
「というわけで、行く準備して雪野。そんな格好じゃ出歩けないだろ」
「いやいやいや、ちょっと待て! 俺は怪奇任務には絶対いかないぞ。つい最近いったばかりじゃないか。お兄さんはいったい何を考えているんだよ! いつも! ああっ!」
つい二日前に雪野たちは桜華山小学校の任務にいったばかりだった。
そこで、蓮と紀菜に再会を果たした雪野であったのだが、今のこの急な彼らの訪問や一緒に任務やらと聞いて、気持ちが追いつかなかった。
「雪野、そんなこと言っていいのかな? 季流さんいま車で待っているんだけど、言伝で『雪野くんがそんな態度を取ったらお仕置きです』ってにっこり笑いながら言っていたんだけど……」
「やだやだやだやだ!」
いろんな意味でいやだ!
行きたくないし、お兄さんの平手打ちや《霊繰畏》や《破気》をくらうのもいやだ。
拒否反応を示すように雪野の体は身震いしだしていた。
「え、行かないの。それじゃあ……」
「行く……行くに決まっているだろ! こんちくしょう!」
「ほんと、見苦しいわね」
紀菜がぼそりと呟いた。
こうして雪野はその後、蓮たちを部屋から追い出し着替えを始めた。
そして寝床横に置いてある人形が入った袋を和服の腰ひもに引っ掛けて部屋を後にする。
廊下で待っていた花月と蓮と紀菜の監視と共に雪野は一緒に家を出たのだ。
「遅かったですね。早く乗ってください」
ワゴン車の中には着物をきた季流がおり、いつもの通りの冷ややかな表情と口調で雪野を出迎えた。一番後ろの席には任務だというのに春夢がなぜか乗っていて、シロやクロの姿もそこにはあった。
「雪野お兄ちゃん、おそーい」
「また、任務に行くのを嫌がっていたかニャ?」
「雪野の事ですからニャ、蓮たちに起こされて拍子抜けでもしていたんですニャン、きっと」
全くその通りの言葉に雪野は反論のしようがなかった。
蓮たちは先に春夢たちの横の席へと座り、その後、花月が真ん中の席へと入ったところで雪野は彼女の隣に乗り込んだ。
それから彼はこのいつもとは違うおかしな光景について季流に尋ねた。
「そうそう、お兄さんどういう事ですか? 何で蓮たちがいるんですか?」
「いきなりそれですか? まあ、驚いた事でしょうね」
「驚いたというか、またこんなすぐに会えるとは、思っていなかったです」
「今日はですね。なんと、あなた方と春夢との再会を記念した、二人を合わせた家族旅行へ行こうと思います。ね、春夢、楽しみですよね~?」
「うん。みんなで楽しみたいよー」
「と、言いながらいつもの怪奇任務でしょ、どうせ! 春夢を連れてきたって事はそれほど危険ではないという事か、それとも……自分の力によっぽど自信があるかですよね?」
「あはは、雪野くん春夢の前ですよ。そんな夢を壊すような事は言わないでください。例えそれが全部その通りだとしても」
「はは、本当に任務なんですか!」
「あはは、だから家族旅行ですって」
どうやら、任務はあるらしい。
「まあ雪野、そんながっかりしないで。今回の場所は旅館だよ。それも二泊するんだよ。滅多にないからいいじゃない」
いやいや、全くよくないから、絶対、楽しめないからね!
蓮の言葉にクロとシロは大はしゃぎした。
「二泊も旅行だニャ!」
「楽しみですニャン!」
「それで任務がなければなおよかったんですけどね……」
「だから、任務じゃなくて家族旅行ですよ。ね、春夢」
「うん、家族旅行!」
「と、いう事で雪野くん存分に楽しんでくださいね」
雪野はもう諦めがちにため息をついたのであった。
「はあ……」




