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人形怪奇  作者: 詞記ノ鬼士
第二章 呪いの人形
40/141

018 お姉さんとの日々、最後のテスト

 これは雪野が学校へ通う前、葉月が亡くなって約二年後の話である。

 生きている。

 そう彼が実感する事ができるのは自分の背が伸びているのが分かる時であった。

 彼はもう女の格好をしていなかった。

 伸びる背に合わせて、男物の紫の着物を彼は着込んでいた。

 彼は今、十歳。

 秋が過ぎれば、冬になる。

 冬になれば雪野は十一歳の誕生日を迎えるのだ。

 それを特別、嬉しがったりはしない。

 誰も彼の事など気に留めないのだから。

 彼の誕生日を祝ってなどしてくれないのだから。

 雪野は一日一日をただぼうっと縁側で過ごしている。

 毎日が暇と孤独との日々で彼は次第に感情を見せなくなった。

感情をあらわにしたところでひどく疲れるのだ。

 いくら喚こうとも、駄々をこね様とも、みんなは自分を見ない。

 無視する。いない者として扱う。

 そんな生活に雪野は慣れていった。

 自分の心を押し殺すことで、自分は誰からも愛されない存在という事を受け入れ、これでいいんだと思い込んだ。

 これからもずっとこうなら、この生活が変わることがないなら慣れなければ、慣れなければ、今、まだ泣きそうなら、もっと慣れなければ……

そのための時間が必要なのだと言い聞かせた。

 一人でも生きていけるようにならなければと思う事は……諦めでもあった。

ふと、耳に入って来る使用人の声。

「鈴奈さんが倒れたって、本当?」

鈴奈とは雪野の母の事だ。

「ええ。医者に見せたところ、なんとおめでただそうよ」

「え、本当なの?」

「鈴奈さんが妊娠なされた。めでたい話ね」

 どうやら彼女は妊娠したようで、腹の中に雪野の弟か妹のどちらかになる胎児がいる。

 その事に雪野は、やはり何とも思わなかった。

 ぼんやりと、庭の風景を眺めていた。

「今度は女の子がいいわよね」

「そうね。また悲しい悲劇を生まないためにも。どうか女の子が生まれます様に」

 誰もが念願の女の子を望んだ。

 かつての自分みたいに呪いのせいで、体の弱い男の子を生みたくはなかったのだ。

 木崎家に生まれてくる男子は決して生きられないのだから。

 雪野だってそうだ。

 彼は一度、呪いで命を落とし姉の願いによって生き返った。

 雪野は自分さえいなければ、生まれてさえ来なければ姉は死なずに済んだのにと、自分を悔やんだ。

 そう思ったところで何も変わらない。

 姉は帰ってこない。

 なら、自分はどうしたらいいのだろう?

 ただ、無意味に生きている事しかできいない自分はこれからどうしたらいいのだろう?

 雪野の中には常に姉を殺したという罪悪感がある。

今、何もできない子供である無力な自分を恨んだ。

今の自分は嫌いで嫌いで消えてしまいたいほど嫌いで、どうしようもなく生きているのが嫌で……結局、どうもできず声を荒げることも出来ず、ただ生きているしいかない。

それしか、自分には許されていない様だった。

「人形……」

 今の彼には人形しかなかった。

雪野は人形を握りしめ、それを睨んでいた。

 しかし、そんな事やはり意味がない事だと思ってそれをやめる。

 自分は何も望んではいけないのだろう。

 こんな状況で何もできないし、叶わないし、どうせ僕は……いない者なんだ。

 ずっと、ずっと……そんな日々の繰り返しだった――


 季節が移り替わり冬の寒さから完全に解放されたある桜の時期だった。

「君、朝ごはんですよ。起きて起きて!」

 朝、雪野が寝ているとそんな声が頭の中に響いてきて彼は目を覚ます。

 すると、そこには着物にエプロンを着こんだ黒髪で短髪の使用人が、雪野の様子を伺うようにして立っていた。

 手には雪野の食事がのっているおぼんが持たれている。

 そんな事よりも、雪野は自分に話かける人がいたことに驚いた。

「おばさん、誰!?」

「おばさんじゃない! お姉さんと呼んでよ! これでもまだ二十前なんだからね」

 雪野の言葉に紀に食わない様子で怒りながら答えてくれる若い女性がいた。

「そういえば、若い……いつも周り人たちはおばさんだったから、つい……」

「うん。私ここに今日きたばかりの新米なんだー。()原楓(はらかえで)っていうんだけど、これからよろしくね」

「うん、よろしく……」

 雪野はそう戸惑いながら答えた。

「そういえば、君、名前はなんていうの?」

「他の使用人の人に言われなかったの? 僕の事」

「それがただ運んできなさいと言うだけで、誰もあなたの事は話そうとしなかったわ。どうしてかしら?」

 それは僕が呪われていて、いない者として扱われているから……そう言おうと思った。

 しかし、いきなり自分の素性を知らない者にそんな事を言ったところで変な子とか、嘘つきと思われそうで雪野は口を閉ざした。

「で、名前は? なんて言うの?」

 雪野はしぶしぶ答えた。

「木崎雪野……」

「木崎って、あなたやっぱりここの家の子なのね」

「……」

「あのー、雪野くんって呼ぶわね。お姉さん、雪野くんと仲良くなりたいなぁ」

「……」

「ねえ、雪野くんは一日中何して暮らしているの? 学校とかちゃんと通っている? こんな時間に起きているけど……えっと、今九時頃だよ。とっくに授業始まっているなぁーって思うんだけど」

 学校?

 なんだろう?

 授業?

 紫原楓とかいう使用人は雪野にとって訳の分からない言葉をかけてきて、彼は心の中で首を傾げた。

「……」

「君、人見知りなの? 何か言いなさいよ」

 そう言われるので、雪野はこう言葉を返した。

「お姉さん、本当に僕のこと知らないんだね。僕にあんまり話しかけたりしない方がいいよ。きっとそのうち周りの人たちにも注意されるから」

「え、なんでよ? 君、なにかあるの?」

「それも僕にじゃなくて、使用人や僕の家族の誰かに聞いた方がいい……僕はいない者なんだ……」

 雪野は彼女にそっけない態度を取った。

 どうせ彼女も自分の事を知ってしまえば、皆と同じで僕をいない者として扱うと、そう思ったからだ。

「とりあえず、聞いてくるからね! ちょっと待っていてよ!」

 そう言って女性はせかせかと部屋を出ていった。

 せわしない人だなぁと雪野は思った。

 しばらくして、彼女は戻ってきて、その暗い表情から全てを知ったのだと雪野は悟った。

 これで話しかけてくる事もないだろう。

 だが、彼女は次の瞬間こんな事を口にした。

「雪野くん……あなたもいろいろ大変だったみたいね。その、私でよければ話し相手になってあげるから、いつでも相談に乗ってあげるからね」

「え……」

 あれ……?

「えっ、てなにかな~? 他に何か言ってくれない?」

「……」

「黙られても困るから!」

「……」

「もしもーし!」

「どうして……?」

 雪野は小さく呟いた。

 それを彼女は聞きもらさない。

「ん? 何が?」

「どうしてお姉さんは僕に話しかけたりするの?」

「それは放っておけないからだよ。はっきり言ってバカげてる。風習だかなんだか知らないけどこんな子供をみんなしていじめるなんて、かわいそうよ」

 僕はこのお姉さんに同情されているのか?

「いじめって……そんなんじゃないよ。これは仕方がないことなんだ。僕はもう諦めてる。周りに何も求めてないよ。それはお姉さんも同じ。どうせ僕の今状況なんて変えられないでしょ……?」

「それはまあ、やってみなくちゃ分からないでしょ?」

「やってみなくても分かるよ……」

「なんでそう言い切れるの? そりゃあ難しいと思うよ。なんせこんな風習を堅く守っているところだからね。でもやってみるだけやってみようよ」

「お姉さんは、何かやるつもりでいるの? やめときなよ。仕事首になっても知らないから」

「それは痛いとこつくなぁ。実は私、母の代わりに今きているのよ。使用人として」

「そうなんだ」

「うちの家系は代々木崎家に使用人として仕えてきたんだけど、私もその経験を積む日が来たんだと思っていたら、雪野くんの世話を主に頼まれちゃった。お母さんも周りに合わせなさいとかしか言わないしさ、どうしたんだろうと思ったよ」

「それは、みんな僕の事を怖がっているからだよ」

「どうして?」

「僕は死んでいるからだよ。もう聞いたんじゃないの?」

「うん。聞いた。そう、死んだのか一度……」

「嘘だと思っているの?」

 雪野は腹立たしかった。

 勝手に同情される事が……

何も知らないくせに助けになろうとしてくるこの女性が……

 雪野の怒りを感じ取って、女性は慌ててこう口にした。

「あ、違うよ! 嘘だとは思っていない。だって雪野くんは……私と同じみたいだから……」

「え……」

 雪野は聞きもらさなかった。

「それはどういう事? 同じって!」

 彼女は言いにくそうな顔で次に言葉を紡ぐ。

「そのままの意味だよ。私ね、すでに一回死んでいるんだ。ちょうど、雪野くんと同じくらいの年だったよ」

「……」

 沈黙が走る。

 その様子を見て楓はその話をするのをやめようとする。

「ああ、この話はやっぱりなしね。聞いたところで何も楽しくないし。雪野くんも辛い事を思い出すでしょ。今言ったことは忘れて」

「お姉さん、詳しく聞かせて。お願い!」

「雪野くん?」

「僕にとってそれはとっても重要なんだ」

 仲間がいたんだと思ってなんだか、分からないけど……胸が軽くなった。

きっと……自分はうれしいと思ったのだ。

「お姉さん、僕の事、ちゃんと話すからお姉さんも詳しく教えて……お願い」

「雪野くん……それは……」

 言葉を濁すようなお姉さんの様子を見て雪野は自分の話を勝手に始めた。

その時に人形を掴み取り、彼女の前にそれを突き出した。

「この家には呪いがあるんだ。僕はこの人形の呪いによって生まれつき体が弱かった」

「ちょっと雪野くん!」

「聞いて、お姉さん! そして僕はね。二年前亡くなったんだ。あの時、姉はこの人形に選ばれていた。姉は僕を生き返させるよう人形に願った。姉は死に僕は生き返った。一度死んだ僕はこうしていない者として扱われるようになったんだ」

 息継ぎなしに雪野はそれを言い切った。

「うん。それはもう聞いたよ。全部聞いたんだ。話してくれてありがとうね……」

「次はお姉さんの番だよ。話して」

「そんなに聞きたいのか。じゃあ話すけど……」

「うん」

「私もね。学校にいけないほど体が弱かったの? 雪野くんと同じだったんだよ。本当ならばもうこの世に入るはずがないのに、死ぬはずだったのに、生き返ってしまった」

「どうやって生き返ったの?」

「声がしたんだ。生きたいか、って。その声に心の中で生きたいと言った。すると、私は生き返った」

「それから?」

「また声がしたわ。今度はこう言っていた。お前が苦しんできた十年、この十年分だけお前は生きる事ができる、と」

「それ、本当?」

「嘘言って何があるのよ。本当よ」

「それじゃあ、お姉さん。いつか死んじゃうんじゃ」

「かもね。まだ実感ないけど……」

 彼女は死など別に怖くないかの様に、雪野に微笑んだ。

「お姉さん、僕思ったんだ。僕たちは一体、何なんだろう……?」

「さあね。それはたぶん自分で決める事なんだよ」

「自分で?」

「そう。自分で。私はこの命は神様が私にくれたものだと思っている。あの日、私は死んだけど、私はまだ生きている。そんな自分でも私は私でちゃんと思考する事ができる。私は他の誰でもないんだ。私は私、それでいいんだと思ったよ」

「僕は自分の事、【化け物】だと思ってきたよ。あの日から、ずっと……」

「そうなんだ……」

 楓はあいまいな顔を作ってから、こう切り出した。

「雪野くん。雪野くんにはこの話もしてあげる。両親は私が生き返った後、奇跡だと言って喜んだ。だけど私が今までにないほど元気になって彼らは私を不気味がったよ。しばらくして両親は私をある学園へと預けて私と関わるのを避けた」

「なんで?」

「さあね? あんなに生きてと心配してくれたのにと思ったよ。人間はどうしても恐怖には勝てない生き物なのかもしれない。だからそれは仕方がないって思うようにした。そうじゃないと、私は笑って暮らせなかった」

「……」

 雪野は自分と母親との関係を彼女の話と重ねた。

 母は雪野を避けている。雪野を心から怖がっている。

 そう雪野はずっと感じていた。

「笑顔って、不思議な物で周りの人の緊張をほぐすんだ。私は学園を卒業した後少しずつ両親に近づいた。最初は言葉もなかったけど、今ではお互いに笑えている。私がやってみなくちゃ分からないって言う理由はそこからなんだ」

「そうだったんだね……」

 それでも、この木崎家で今の状況を変える事はできないと雪野は強く思った。

 落ち込む雪野の顔を覗き込み彼女は言う。

「雪野くん、そんな悲しい顔しないで。どんなに辛い日々でも負けないで。笑いなさい!」

「そんなの無理だよ」

「どうして?」

「僕は一人だから、これからも一人だから……」

「これからは、私が付ているよ?」

「どうせ、お姉さんもいなくなるんだ。お姉ちゃんと同じように!」

 先ほど、雪野にいつか死ぬと答えた楓にはそれは、否定はできない様であった。

「うん。そうだね。いつかは私もいなくなる。雪野くんの前から姿を消す日が来るかもしれない」

「……」

 やっぱり、みんな僕の前から消えていくのか。

 そして、僕は一人に……

「しかし、あなたにはまだ未来があるのよ。きっと私の様に誰か仲間と共に笑える事ができれば、家の事なんて忘れられるから。ねえ、雪野くん提案なんだけど学校に通ってみない?」

「その学校って何?」

「もしかして、知らないのか?」

「うん。知らない。初めて聞いた……」

「あら、本当? 学校っていうのは、勉強する場所のことで、そこには雪野くんと同じ年齢の子たちが勉強しに通っているんだけど」

「ふーん。それが学校というところなんだね。学校……」

 雪野は聞きなれない単語に胸を躍らせた。

「いいね。僕も学校に通ってみたいよ」

「通えるよきっと」

「えっ、どうやって」

「雪野くんの両親に頼むんだよ」

「いやいや、無理でしょ」

「ほらまた無理って決めつけて」

「だって……」

「いいからちょっと立って!」

 楓は雪野の手を取り彼を立たせる。

 そしてそのまま、雪野を両親の元へと連れて来られた。

「あの、話があります。ちょっといいですか?」

 畳の広間に集められた雪野の母親、それから父親、祖父、祖母。

 母はやはり雪野から目を背けていた。

 楓の問いに答えたのは、雪野の義理の父親、(あお)だった。

「話しとは何だね?」

 楓は彼のその冷たい瞳をしっかりと見つめる。

「雪野くんの事情は知っています。そのうえで彼を学校へと通わせてほしいのです」

「それはならぬ!」

 割って入って来たのは雪野の祖父だった。

「それはなぜですか? 彼には学校に行く権利があります」

「我々の一族は学校になど行かんのじゃ!」

「それでもです。こんな家で一人放っておかれて、かわいそうと思わないんですか?」

 それに答えたのは蒼だった。

「かわいそうでもそれがこの家の掟なのだ。風習は意味があるから続いている。雪野はもう死んだ人間なのだ。あなたもあまりその子に関わるな!」

 もういい……

 もういいよ……

「あなた達こそ本当に血の通った人間なんですか? この子を大切だと思わないんですか?」

 楓は雪野を抱きかかえ、安心する様に促した。

「思わぬ、そこにいるのはただの幻だ。空気だ。決して元の雪野なんかじゃない」

 そう言う祖父の言葉に父や母、祖母は、雪野を見つめる。

 その中でも威圧ある瞳が雪野を捉える。

 それは蒼の視線で、彼は立ち上がり雪野に問いかけた。

「雪野、お前はどう思っているんだ。自分の気持ちを言ってみろ」

 思わず体がすくみそうになる。

 彼は自分の気持ちを聞こうとしている。

 僕はどうしたいのだろう。

 このまま何もしないままでいいのか?

 やってみないと分からない。

 そうお姉さんは言っていたけど、僕はそれを望んでもいいのだろうか?

 もし、こんな僕でも学校という所に行けるのだとしたら、今の状況は変えられるのだろうか?

 こんな何の意味もない暮らしを変えられるのだろうか?

 雪野は、楓の方に視線を向けた。

 すると、彼女はしっかりとした瞳で雪野を見つめ返した。

 それが雪野に安心をくれる。

 僕は、僕は……どうしたい?

僕は……僕は!

「僕は……学校に行ってみたい……勉強してみたい。友達を作りたい。もう一人は嫌だ!」

 本心だった。

「そうか。それがいない者としてずっと過ごしてきたお前の気持ちか」

「はい……」

 久しぶりに父と喋ったが、それだけでどっと疲れる。

「雪野くんの気持ちを聞きましたよね。どうか彼を学校へ通わせてあげてください。お願いします」

 楓は頭を下げ、それに雪野も同じく頭をたらした。

「お父さん、お願いです。僕を学校に通わせてください」

「……」

 辺りは静まり返っていた。

 そしてその沈黙は突然に破られる。

「いいだろう。雪野を学校へ通わせよう」

 二人は顔を上げる。

「あなた、それは……」

「まあ聞け、鈴奈」

 蒼は続けて言った。

「しかし雪野は学を全く知らん。これから約半年、雪野が学校に通えるだけ学力を紫原さん、あなたにつけさせてもらいたい」

「はい。任せてください!」

「年相応の学力にとどき次第、雪野の学校編入を認めよう」

「お父さん……ありがとう。ありがとうございます」

 雪野は二度お辞儀をした。

 ある日の事、姉は父の事をこう言っていた。

 ああ見えて不器用な人だと……

 もしかしたらこれは父が僕にくれたチャンスなのかもしれない。

「仕方がないな。これからもお前はいない者として扱うが、学校にはお前次第でいかせてやってもかまわん」

 祖父も雪野が学校へ行く事を許してくれた。

 後は、僕が頑張るだけだ。

 それからというもの、雪野に暇な時間は無くなった。

 楓は国語、算数、理科、社会というものを教えてくれた。

 国語はまずひらがなからカタカナへ、そして漢字へと移っていき、主にドリルという者を使って勉強して言った。

 算数も同様ドリルで足し算から始まった。

 そしてなんとか掛け算へと移行した。

 社会や理科に関しても、楓が自分が使っていた教科書を持ってきて、詳しく教えてくれた。

「雪野くんは国語が苦手なんだね。それと算数も理科も……」

「それほぼ全滅じゃん。大丈夫かな僕?」

「大丈夫だよ。今までが、何も習ってこなかったから、数週間のうちにこれだけ覚えられるなんてすごいよ。雪野くん」

「ありがとう、お姉さん」

「いえいえー」

 少しずつでありながらも雪野は確実に知識を身につけることができていた。

 二週間で一年生の分、四週間使って二年生の分、六週間使って三年生の分。八週間使って四年生の分、そして雪野の年である五年生の分は十分に時間をかけて勉強した。

 そして卒業の季節である三月になり、雪野は残りの時間で楓が作ったテストをやった。

 そのテストは一年から五年までの勉強のまとめが問題となっていた。

 雪野はそのテストを書き終えた。

 楓は丸付けをする。

「お姉さん、どうだった点数」

「雪野くん、いいじゃん!」

 見せられたそれぞれのテストの点数はこうだった。

「国語が六五点、算数が七六点、理科が七九点、社会が八三点」

「あー、国語がだめだな、やっぱり」

「ううん、これだけできればあとは細かく攻めていけばいいから大丈夫だよ」

「う、うん」

 目標は雪野が六年に上がるその時までに五年生分の学力を身に着けることだ。

 それが叶うと、雪野は信じていた。

 だが、不穏は突然にやって来る。

 夜のこと、楓は深刻な様子で雪野の部屋を訪れた。

「お姉さんどうしたの?」

「雪野くん、言っておかなければいけない事があるのだけどいい?」

「なに、お姉さん?」

「明日ね。私の誕生日なんだ」

「え……」

 お姉さんは今なんて言った?

 明日、お姉さんの誕生日がやって来るの?

 もし、明日でお姉さんが二十歳になるんだったら、お姉さんは亡くなってしまうかもしれない。

「もし、私が……」

 楓は言葉を押しとどめる。

「ううん、何でもない……ごめんね。夜寝る時間に突然おしかせて」

 背を向けて出て行こうとする楓に雪野はしゃべりかける。

「別にいいよ。でも、明日誕生日って……お姉さん……」

 聞いておかないといけない。

「お姉さんは明日、亡くなってしまうの?」

 楓はしばらく何も言わず、数秒ほど間が生まれた。

 そして、笑顔で振り返ると同時に彼女はこう言った。

「そんなわけないでしょ。私は雪野くんの傍にいるよ。ずっと」

「本当に? 本当なの?」

「うん。本当だよ」

「お姉さんはどこにも行ったりしないよね? ずっと僕の傍にいてくれるよね。僕を一人になんてしないよね?」

 雪野は不安だった。

 お姉さんはああ言うが、自分の部屋に入って来る時の彼女の表情が暗いのが、どうも気になった。何かこれから悪いことが起こるのではないかと思ってしまう。

 そんな不安がこみあげてきて怖かった。

「お姉さん、死なないで!」

 雪野は楓を引き留めるように彼女に抱きついた。

 また、大事な人を失いたくない。

 今までお姉さんとやってきたこと、一緒にいてくれること。

 一緒に勉強を教えてくれること。

 一緒にご飯を作ること。

一緒にご飯を食べること。

 そして、一緒に遊んでくれること……

 そんな半年の想いでは雪野にとって楽しい毎日であった。

 そんな日々を失いたくない。

「大丈夫。大丈夫だから、雪野くん」

「でも……」

「今日はずっと雪野くんの傍にいてあげる。雪野くんが眠るまでずっと。だから、そんな顔しないで。お願い」

 悲し気な楓に雪野は言葉がなかった。

「……」

「もうすぐ、なんだね。雪野くんが学校へ行ける日は、もうすぐなんだね」

「……うん」

「応援しているから。そこで友達作って、一緒に笑い合って、毎日を楽しく過ごしてね。雪野くんはまだ知らない世界がこれから待っている。辛い事も時にはあるかもしれないけど、今も辛いと思うけど、それに負けないくらい強くなって」

「うん……」

 それは遺言のように聞こえ、雪野はそれを拒む事もできず、涙を一粒流してただそう言った。

 こうして、雪野はいつのまにか楓に見守られながら眠りに落ちた。

 そして翌朝、雪野はある苦悶の声に気づき目が覚めた。

「あ、あああああ!」

 彼女は雪野の目の前で胸を押さえて苦しんでいた。

「うぅ、あ、あああ……」

「どうしたの? ねえ、どうしたの?」

 雪野は楓のもとに駆け寄った。

 すると、楓は苦し気なままなんとか雪野に向けて言葉をかけようとする。

「雪野くん……もうお別れみたいだね。今日が私の最後の日だったみたい……また声がしたの、もう時間切れだって……」

「お姉さん! 死なないで。僕をまた一人にしないで!」

 雪野は楓の手をぎゅッと掴む。

「一人じゃないでしょ。これからは……」

「いやだ、いやだぁああ!」

「雪野くん、私はあなたに会えて幸せだった。一緒に勉強した事、遊んだ事……色んな事した事……忘れられない、思い出だよ」

「僕もだよ。楽しかった。お別れなんて嫌だよ! また勉強教えてよ! いろいろ教えてよ生きてよ!」

「それはだめみたい……さあ、駄々をこねないで笑って。笑顔……みせて」

 雪野は笑う余裕などなかった。

 また、誰かの死に直面するのだ。

 それはとても悲しいことで、とても耐えられなかった。

「きっとあなたなら……いい友達が作れるわ……だから……」

 楓は手を握りしめ、最後は笑顔で雪野にそう言った。

 最後の言葉はいったい何だったのだろう。

 大丈夫、そう言いたかったのだろうか。

 今となってはもう分からない。

 その後、彼女の脱力し、そのまま地面へと倒れ込む。

「お姉さん! お姉さん!」

 彼女にはもう雪野の声など聞こえてはいなかった。

 もう死んでいるのだ。

 雪野は一人泣きじゃくった。

「うわぁあああああああ!」

 そして、それにかけつけた使用人によって、彼女は運ばれた。

 いやだ……いやだ……

「かわいそうに、心臓発作だって。きっとあの子が関わったからよ」

「そうに違いない。だって二年前だって……」

「とにかくあの子には近づかない方がいいのよ」

 使用人の声が雪野の心に響いてくる。

 これは僕のせいだと攻める声。

「お姉さん……」

 彼女は言っていた。

 笑う事。

雪野にはまだそれができなかった。

それでも、彼女の言葉は忘れない。

彼女の勇気を忘れない。

彼女との日々を忘れない。

雪野はそう誓った。

 そして決める。

 楓とかわした約束、学校へと通うこと絶対叶えて見せると、決める。

 彼女の想いを無駄にしないためにも……

 こうして雪野は父親の前に立ち、お姉さんとしたテストを彼に渡した。

「お父さん、このテストを見て僕が学校へ通えるか判断してください」

 雪野は緊張した面持ちで父の顔を見つめた。

 そのテストはお世辞にもいい点とは言えない、中途半端なテストであった。

 それが最後のテストで、雪野はだからこそ父にそれを見せた。

「分かった。見せて見ろ」

 父はテストを受け取ると、じっくりとそれを眺めた。

 そして言う。

「決していい点数といえんな。これは……」

 それに、雪野は父から目を逸らし俯いた。

 やはり、ダメだったのだ……

 僕は学校にいけない、お姉さんとの約束が守れない……

 雪野が目をつぶっていると目の前の父はそっと、雪野の頭に手をやった。

「だが、お前たちの努力が分かるものだ。よく頑張ったな雪野」

 褒められた。

 雪野は驚きを隠せず、目を見開く。

 それに父はそこで頭から手を離し、咳き込んでこう告げた。

「お前を学校へ行かせてやる」

 雪野はその瞬間、言葉を失っていた。

「どうした、うれしくないのか?」

「ううん、嬉しすぎて……」

 雪野はその時、訳も分からずに涙が込み上げてきた。

 それは、託された想いを受けて、自分の努力が彼女の努力が無駄じゃなかったこと。

 彼女が亡くなる寸前まで、自分の事を考えてくれたことを思い雪野は感動したんだ。

「ありがとう、お父さん」

 自然と言葉出ていた。

 そして笑顔を見せたのだ。

「そうか。よかったな」

 その後、踵返す父の背中があった。

 それはどこか微笑んでいるようにも見えて、雪野は初めて父の事を分かった気がした。

 こうして雪野はお姉さんと出会った春から一年後、学校へ通える事になったのであった。

 そこで彼は、蓮と紀菜という仲間に出会う事が出来たのだ――

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