015 再び生き返り
雪野の動き、叫びは途絶え、部屋には静寂が走る――
「死んだか?」
動きを止め呼吸一つしていない雪野を見て、総一郎は口を開く。
木崎雪野は死んだ。
そう、殺した。
自分が殺した、はずだった……
「いや……まだだ」
周りの者は誰もその存在に気づいていなかった。
すでにその部屋には、あの和人形が潜んでいた事に――
雪野の方に集中していた視線、その外れた後ろの襖の前に人形は現れていた。
最初にその存在に気づいたのは、総一郎だった。
誰もが皆、雪野を見ていたせいで皆、反応が遅れたのだ。
「人形だ。皆気を付けよ」
一瞬にして彼は人形へと目を向け、雪野の方へと目を戻した。
その時、先程とは一変して雪野の体の表面には黒い霧の様なものが覆っていた。
「いったい何なんだ、これは!」
裕次郎や雪野を囲んでいた者たちは一斉にその場から仰け反った。
その黒い霧の様な物は人形から発生していた。
雪野と人形に視線が分散され皆、警戒して何が起こるか分からない状況に構えていた。
次の瞬間、雪野の胸の傷口に向かって黒い霧のような物は吸い込まれていく。
彼の体は修復されている――
まず血が止まった。
次に肉がついた。
皮が付いた。
そして……傷跡はすっかりなくなりその後に、黒い紋様が残っていた。
その模様はまるでヒスイの玉が二つ重なったような物で、何者かの力が明らかに加わっていた。それは……
「人形か……」
総一郎は遠くに転がる人形を一瞬見てから雪野へと顔を戻した。
「やはり、死なぬというのか……」
その言葉通り雪野は死んではいなかった。
息を吹き返していた。
すでに心臓が脈打ち、呼吸を数回繰り返す。
「人形は彼を選んだと、そう言う事だな……」
やがて雪野はひとりでに立ちあがった。
「だが、この状況は……」
そして、手を前に差し出し、何らかの力を総一郎へと放った。
何度も何度も。
「父上!」
とっさに裕次郎は総一郎を心配した。
その時、雪野に意識はなかった。
まるで何かに乗り移られたかの様に、雪野はゆらゆらと脱力した感じに動く。
その動きは決して早くはない。
しかし、周りの者をりょうがする圧倒的な圧力が彼の中に存在していた。
それは彼の中に眠る潜在的な力なのか、それとも人形による呪いの力なのかは周りの皆も総一郎にも分からなかった。
総一郎はその放たれた攻撃を受け流し、自らの力でそれを破壊する。
「はっ!」
雪野の父親や親戚一同も加わり、それぞれの能力でその脅威に対抗した。
「人形だ。人形をなんとかしろ! きっとそれがこの事態の核だ!」
裕次郎がそう声を張った時、一人の髪の短い女性が人形を持った。
「きゃ!」
だが、その者は短い悲鳴をあげるとすぐに人形から手を放してしまった。
そしてそのまま気を失ってしまう。
「稲実、どうした?」
嫁に声をかける裕次郎へと総一郎は冷静に目を配らせ、次に言い放った。
「馬鹿者! 人形から離れろ、皆!」
周りの者はいっせいにその声に従った。
裕次郎は倒れた稲美を抱え逃げ、総一郎に訴えた。
「早く何とかしてください。父上!」
「言われなくとも分かっている……しかし、どうしたものか」
総一郎は一か八かのかけに出る。
「あれを試してみよう」
雪野から発せられるのは〈七恵天授〉のうちの《霊滅破》だと推測し、総一郎は今彼がその能力を使える理由は、人形により自らに眠るその力が十分に引き出されているからだと思った。
または、人形に眠る夜白があの子供の傷に自らの欠片を埋める事で彼を操っているという事か。
その二つの可能性を考え、どちらにせよ雪野自体の能力や夜白の力が発揮されぬよう封じてしまえばいいと、そう考えたのだ。
総一郎は懐から札を取り出し、雪野に浮かび上がった紋様の位置に乗せる。
「はあっ!」
それは一瞬の出来事で、雪野からの攻撃をかわしつつの交戦だった。
胸に置かれた札はそのまま文字の部分だけ彼の皮膚にじみ出るようにしてとけ、新たな斑模様をつけさせた。
そこで雪野の動きは止まった。
倒れ込む雪野を見て総一郎は目だけを皆に向け、警戒を解かぬまま告げた。
「皆、よく聞け。今日起こったこの出来事は決して、忘れるな。人形は、この一族の呪いは、確実に存在するのだ。この子供には一種の呪いを施した。霊力を抑える呪詛を施した。だが、いずれその呪詛も解ける日が来るかもしれん」
総一郎は雪野の方に目を向けて続ける。
「今はまだ、その子供を殺す事はしない。だが、また今日の様な事は訪れるかもしれん。その日の為に我々はその対処を考えなければならない。誰かの命が奪われてからでは遅いのだ!」
総一郎はちらっと、自分の息子である裕次郎を見る。
そして彼に抱えられている稲美を見る。
「父上、稲実はどうなんですか? 死んでいませんよね?」
「見せてみろ」
総一郎は稲実に近づき、首筋に手をあって確かめる。
呼吸はある。ただ……
「おそらく霊力を吸われておるな。人形は人の邪気を吸い取ると言われている。その時に、一緒に余計な物も吸いとっていくのだろう。今は何とも言えんが、命の心配まではいらないだろう。念のため治癒の能力を持つ者よ、前に出て稲実を癒せ」
「ってことは、俺しかいないのかー」
前に出たのは、紅葉亭の主である修平だった。
彼は、彼女に向かって何かのエネルギーを放出する様に手をかかげた。
「これで早く良くなるはずだ」
そう言いながらもまだ、手は離されていない。
「まだ息が荒いみたいだからな。このまま治癒しとくぞ」
そう裕次郎へと投げかけた。
「よかった。本当によかった」
ことは一件落着したかに思われた。
その時、雪野の意識は戻りつつあった――
ぼやける眼で周りの景色をうつす。自分の近くには総一郎、季流がいる。
そして、遠くの方には……怪我をしたのか女性が倒れており、その周りに何人かの人が囲んでいる。
どうして倒れているのだろうか?
僕が気を失っているうちに何があったのだろうか?
あれ、そういえば痛みがない。
どうして……
自分の胸を見てみると、刃物で刺されたはずの傷がすっかり無くなっていて、代わりに変な黒い模様が付いていた。
何なんだろう……これは……
雪野はその場から動きたかったが動けなかった。
力が入らない……
すると、近くで声が発せられた。
「総一郎様、今は雪野くんを殺さない、ですか……あなたのした事はただの殺人です。いったい何のつもりですか!」
これは季流の声のようで、雪野はそっと顔を動かした。
「そうだな。確かに殺人だ。だが、これはただの殺人ではない。これは皆を守るために必要な事であった。しかし夏川家、木崎家の呪いはその子供を生かす事を選んだようだ。それを見極めるためにも私はあえてそうした。そうすべきだと思ったのだ」
「そうだとしても、そんな事あっていいはずがないです」
季流は雪野を一見して眉を寄せる。
一瞬、彼と目が合ったもののこちらに意識がある事は気づいていない様であった。
「お前はまだ呪いについて何も知らぬ。真実を知らぬのだ。そんな何も知らぬ小僧が私にたてつくな」
圧倒的な圧力で見下される。
今この時、総一郎の力である《霊繰畏》が発動していた。
「うぅ……力を使いますか。それなら私だって!」
瞬間、威圧がぶつかり合い、中央から外へはじきだされるように風が舞う。
「はっ、なかなかだの……」
「私を見くびらないでください!」
「お前も変な男だの。婚約者を殺されておいて、その子供をかばうとは。お前はその子供が憎くないのか、恨めしくないのか。季流」
「何を言っているんですか。葉月は雪野くんに殺されたんじゃない。自分の意思で人形に願ったんです。そしての願いを叶える為に生贄となった。ただそれだけです」
「ただ、それだけか。お前にとって、葉月は大切な存在じゃなかったのか」
「大切でした。しかし、死んだ者はもう生き返りません。それならもうどうする事もできないじゃないですか!」
季流は強い目をして、総一郎に向けた。
「お前、まさかとは思うが……」
何か言いかける総一郎。
そんな二人の冷戦状態をうち破ったのは、稲実を治癒している修平の声が上がったからであった。
「おう、もういいぞ! 稲実大丈夫か?」
「父さん……ああ、大丈夫だ」
稲実はそう言って、ゆっくり立ち上がった。
裕次郎は稲実を支えその後、安堵したように落ち着いて父親へと言葉をかけた。
「そろそろお開きにしませんか、父上。これ以上は無用ですし、稲実を休ませてあげたいのですが……」
しばらく押し黙った後、総一郎は答えた。
「ああ、そうしようではないか……皆も何も意見はないな?」
それに季流は、声を上げた。
「待ってください。まだ話が……」
「季流、やめときな。総一郎様がいう事は絶対だよ。例えどんな理不尽なことだとしてもね」
季流の父という草路が花月に寄り添っている中、ある女性が季流を制していた。
「紫さん、しかし……」
「季流、言うことを聞きな!」
紫とよばれた女性は季流を睨む。
納得いかない様子で季流は総一郎を見るものの最後には、それをやめた。
「分かりましたよ。その代り明日話を聞かせてください。総一郎様。この家の呪いに関して私に教えてください。私はまだこの家の事について知らなすぎるので……」
「ああ、分かった。明日の朝、ここへ来ると言い。聞かせてやろう。この家系に伝わるある昔話を――」
季流はその後総一郎から踵返し、雪野の方へ寄る。
するとこちらに意識が戻っている事に気づいて苦そうな顔つきで目を細めていた。
「雪野くん? 意識があるようですね」
「季流お兄さん……一体なにがあったの?」
か細い声で雪野は質問した。
聞きたい事はたくさんある。
しかし具体的に自分が何を聞きたいのか、頭が回らなかった。
「疲れているでしょう。今はいいんです。明日話しますから、今はもうゆっくり眠ってください」
「季流、お兄さん……」
「もう、大丈夫ですから。さあ……」
少しずつまた意識が消えていく。
眠りへと落ちてゆく。
今日はもう疲れた……
こうして雪野は再び眠るように意識を閉ざした。




